● からかわれて、戸惑って (同人誌より再録)(2/3) ●

それから数日経って。
「ああ、ユーディットじゃないか。どうだい? 一緒に買い物でもしないかい?」
黒猫亭に届ける依頼品の祝福のワインを数本カゴに入れて工房から降りてきた
ユーディーを見つけて、ヴィトスがからかうような声をかけた。
「それとも、そのワインで一緒に一杯やろうか」
「いやよ。ヴィトスと一緒にお買い物なんかに行ったら、また何かに利用されるに
 決まってるもの。それに、このワインはお仕事の品物だもん」
舌を出して見せようと思ったが、なぜか頬が熱くなってしまうのを見られたくなくて
すぐに顔を背ける。

「冷たいねえ」
くすっ、という小さな笑い声を背中に感じ、
(な、なんであたしがヴィトスを見て赤くならなきゃいけないのよ)
片手で顔をごしごし、とこすり、赤くなったのは怒っているからだ、と自分に言い訳して
カウンターのお姉さんにワインを渡しに行く。
最近、二百年後のこの世界の植物や鉱石などの材料の判断の仕方がだんだん理解できつつ
あるのと、未知の材料を使った調合作業自体に慣れてきたのとで効率良く高品質のアイテムを
作り出せるようになって来た。
今も基本契約料にかなり上乗せした額をもらってとても機嫌が良くなったユーディーは、
「アルスィオーヴを作りたかったのよね。これだけお金があれば、プロスタークに岩ザクロと
 竜の化石を買いに行けるわね」
ぶつぶつとスケジュールを考えていた。

「護衛料も大丈夫。えっと、今、護衛に雇っているのは、コンラッドと、あ……」
ヴィトスだ。
初めてこっちの世界に来て、右も左も分からなくて心細くなっていた所を助けてもらい、
材料の採取や街の移動などには必ず付いて来てもらっていた。冒険で実戦を積んだ
ヴィトスは、そこら辺の冒険者より頼りになる。
とは言っても、つい先日の『デートじゃなかった事件』(ユーディーが勝手にそう呼んでいる)
以来、どうもヴィトスとは顔を合わせづらい。
(ヴィトスは解雇させてもらって、別の冒険者さんを雇っちゃおうかなあ)
そう思ってきょろきょろ、と黒猫亭の中を見回したが、顔見知りの冒険者は一人も
いなかった。

「うう、こういう時に限って、なんで誰もいないかなあ。ヴィトスに頼むしかないのか。
 仕方ないわね、えーっと」
酒場の隅にいるヴィトスに声をかけようとしたが、なぜか一瞬言葉に詰まってしまう。
「ごほん、ごほん。えーっと……ヴィトス?」
「なんだい、ユーディット。お仕事は終わったのかな」
「終わったわよ。それで、今からプロスタークに行きたいんだけど、いいかしら?」
「いいよ。僕も君といると、色々楽しくてねえ」
笑顔を見せられると、また頬が熱くなってしまう。
「えーっと、じゃお願いするわ。後は、コンラッドか。また武器屋にいるのかなあ」
先に酒場のドアを出ようとするが、
「コンラッドなら、遺跡探検に出かけたようだよ」
「え?」
急に言われて驚く。

「何よそれ、あたし聞いてないわよ。もうっ、いいかげんねえ、護衛を頼んでいるのに
 勝手にどっかへ出かけちゃうなんて」
「彼は君にちゃんとでかける許可をもらった、と言っていたけれどねえ」
「え?」
きょとん、とするユーディー。
「ユーディットの部屋に行って許可をもらった、って。ただ、コンラッドが話しかけた時に
 君は調合作業かなんかしててうわの空だったらしい」
「なんでヴィトスがそんな事知ってるのよ」
作業中には誰も来なかった、と思う。思うが自信がない。以前も誰かが訪ねて来たのに
気付かず無視してしまった事があるユーディーは、あまり強く言い返せない。

「君に後から『そんな事聞いてない』って言われると困るからって、僕に言付けて
 行ったんだよ。果たしてその通りになったな、彼には予知能力があるのかな」
「……」
くすくす、と笑い出すヴィトスを見て、ユーディーはぷう、と頬をふくらませた。
「何笑ってるのよ。さっさと行くわよっ」
「はいはい」
まだ笑っているヴィトスに背を向けて、ユーディーは黒猫亭の扉を開けた。


街道へ出ると、ユーディーは杖を持ったままヴィトスの数歩先をどんどん進んでいく。
「ユーディット、どうしたんだい? そんなに急いで」
「なんでもないわよっ」
妙にヴィトスを意識してしまうから一緒に歩きたくない、なんて認めたくない。
「せっかく今日は君と二人きりなんだから、君の心の琴線に触れるようなロマンティックで
 叙情的な会話を楽しもうと思っているんだけどねえ」
「え?」
はた、とユーディーの足が止まる。
「こっちへおいで、ユーディット」
「あっ」
ヴィトスはいきなり、それでも優しくユーディーの手首を引っぱった。そのまま街道から
外れ、草むらに立っている大きな樹の陰に連れて行く。

「なに?」
驚いているユーディーの肩に手を当て、とん、と樹に背中を押し付けた。
「ユーディット」
思わず杖をかまえてしまうユーディーの頭の横に、彼女の顔を挟むようにしてヴィトスが
両手を付く。
「は、はい?」
すぐ目の前にヴィトスの顔がある。濃い灰色がかった瞳が優しく微笑んでいる。
「僕は、ずっと君の事を」
真っ赤になって固まっているユーディーに低い声がささやきかける。
「ヴィトス、あたし、あの」
ゆっくりとヴィトスの顔が近づいてくるにつれてユーディーの身体から力が抜け、
杖を持った腕がだんだん下がっていく。

「……ずっと君の事を、お金を返してくれない悪い子だと思ってるんだけどねえ」
「はあ?」
ヴィトスは口元に手を当て、くっくっ、と笑い出した。
「……!」
「いててっ」
ユーディーは杖でヴィトスを突き飛ばすと、彼の腕の中から逃れた。
「嫌い。嫌い嫌い、嫌いっ!」
「おい、ユーディット」
自分をつかまえようとした手を払って、ユーディーは彼から走り去ってしまう。
「待て、そっちへ行ったら危ないぞ」
うっかり街道とは反対の、木が鬱蒼と生い茂る深い森の中に向かってしまったが、
今更ヴィトスのいる方向へは戻れない。

「何よ。何なのよ……」
かなり走った所で、はあはあ、と切らせた息を整えようとして立ち止まる。
「何なのよ、もうっ」
目頭が熱くなっている。鼻が、つん、と痛い。
額にかいた汗を拭おうと思って顔に手を伸ばす前から、目に涙が滲んでいるのを感じている。
「意地悪で根性が悪い鬼畜高利貸しにちょっとからかわれただけじゃない。なんで
 あたしが泣かなくちゃいけないのよ」
服の袖で目をこする。いつまでも同じ場所にじっとしているとよけい落ち込んでいく気がして、
うつむいたまま、とぼとぼと歩き出す。

と、
「きゃっ」
背の高い草むらの中の何かやわらかい物につまづいて転びそうになった。
「お、おっとっと」
バランスを崩しながらもなんとか踏みとどまろうと思ったが、その足でまた何かぐにゃり、と
した物を踏んづけてしまう。
「きゃあっ」
後ろに倒れてしまったユーディーは、何かぷるぷるした物体の上にしりもちを付いた。
「ぷっ、ぷにぷにぃ?」
左右を見回すと、いつの間にか大量のぷにぷにの中心に位置してしまっている事に
気が付いた。自分が座っているのも大きな水色のぷにぷにの上だ。

「フレイムフォーゲ……きゃあっ」
杖を掲げ、呪文を唱えようとした時におしりの下のぷにぷにがユーディーから逃れようと
身を震わせる。その拍子にユーディーは後ろに倒れ、違うぷにぷにに寄りかかってしまった。
「ヴィト……」
助けを求めようとしたが、
「だ、誰があんなヤツなんかにっ!」
きっ、とくちびるを固く結んでぷにぷにを睨み回した。
「水色ぷにが、ええっと、一、二……九匹? 大した事無いわ。フレイム、あうっ」
ぽよん、と横からぷにアタックを喰らう。
「やったわねっ! えい、えいっ」
ぽかぽか、と手近なぷにぷにを杖で叩くが、その間にも他のぷにぷにがにじり寄ってくる。

「あ、あうう」
ぷにの中でも最弱の水色ぷににぶつかられたからと言って大したケガをする訳でも
ないのだが、ふにょふにょしたゼリー状の生き物に囲まれて身動きが取れない。
「どうしたらいいのよう、これえっ」
なんとか起きあがろうと思ってぷにぷにの身体に手を付くが、手を付いた部分がぐにゃっ、と
へこんで支えにならない。
「やだあ、もうっ」
「ユーディット!」
自分の名を呼ぶ声が近づいてくる。
「ヴィトス、助け……」
思わずそれに答えそうになったが、ぐっ、とこらえる。

「そこにいたのか、何をやっているんだ?」
それでもモサモサと動いているぷにぷにの山に目が留まったらしく、大股で駆け寄ってくる。
「……ぷにぷにと遊んでいたのか?」
「そうよ、もう放っておいてよっ!」
ユーディーを助け起こそうと思って伸ばされたヴィトスの手を払いのける。
「僕の手につかまって、ユーディット」
「嫌よ、ヴィトスの助けなんかいらないわ」
「なにをだだこねているんだ。ほら」
左手をユーディーに差し伸べ、反対の手に握ったナイフの先でぷにぷにをつつき、
一匹ずつ追い払う。最後のぷにぷにが去ってしまうと、草の上にぺたん、と座っている
ユーディーに改めて手を伸ばす。

「もうあたしの事は放っておいてよ。ヴィトスは解雇よ。プロスタークへはあたし一人で行く」
しかしその手を無視してユーディーはうつむいてしまう。
「一人じゃ危ないだろう、今だって」
「うるさいわよっ!」
ユーディーの前にしゃがみ込むヴィトスに杖を投げつける。至近距離ながらもそれを
ひょい、と避けたヴィトスが許せなくて、また声を荒げてしまう。
「ヴィトスはあたしをからかうのが面白いんだろうけど、あたしはちっとも楽しくない。
 こないだだって、さっきだって思わせぶりな態度取ってあたしの事困らせて」
感情がこみ上げてくると同時に、目に涙が浮かんでくるのが分かる。
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