● 夢のクリーム(2/3) ●
「ふみゅ」
クリームを舐め終わると、
「ごちそうさまでした」
ユーディーは目を閉じたままにっこりと微笑み、寝返りを打った。
「……ユーディット?」
少しだけ照れた顔をしながら、ヴィトスは小さな声で呼びかけてみる。
「ユーディット」
しかし、ユーディーの返事はない。更に深い眠りへと落ちていってしまったらしい。
「……ふむ。寝込みを襲った、と言う事になってしまうのかな」
とっさの思いつきとは言え、許可も得ずに彼女のくちびるを自分の肌に触れさせてしまった事。
「まあ、僕は何もしていない。くちびるを寄せて来たのは彼女の方だし」
言い訳をしてみても、その言い訳に自分自身の心は納得していない。
自分の頬を押さえてみる。冷たいクリームの存在が消えてしまったせいか、今更ながらそこは
熱を帯びてきたような気がする。
「そもそも、いったい僕は何であんな事をしてしまったんだろうな」
理由は簡単だった。彼女に触れたかったから。彼女に、触れられたかったから。
「何で僕はユーディットに触れたいだなんて……」
自問するまでもない。
ヴィトスはゆっくりと床から立ち上がった。それからもう一度ユーディーの上にかがみ込み、
今度は自分から彼女の頬にキスをした。
「う……ん」
肌に何度も刺激を受け、ユーディーがぼんやりと目を覚ました。ヴィトスがとっさに顔を引くと、
ユーディーはゆっくりと瞬きをする。
「ん……?」
「や、やあユーディット、お早う」
「ん。お早う」
横になったまま、ぺこりと頭を下げる。
「んにゅ……、ふぁ」
目をこすりながらベッドの上に身体を起こすと、小さなあくびをした。
「えへへ……」
それから頬に両手を当て、とろけそうな笑顔になる。
「ど、どうしたんだい、ユーディット?」
ヴィトスは思わず言葉が詰まってしまう。
「ん。変な夢見たの」
そう言って、また微笑みを浮かべた。
「変な夢見て、何が嬉しいんだい?」
「んー。お菓子をいっぱい食べてる夢見たの。それから」
不満そうな目つきでヴィトスを見上げる。
「ヴィトスに意地悪されて、お菓子隠されちゃう夢」
「ふ、ふうん」
ヴィトスは曖昧な返事をする。
「でもね、その後、レヘルンクリーム食べる夢。それから、すごくいい夢……」
「すごくいい夢?」
ほんのりとユーディーの頬が赤くなる。
「あー、ええと。よく覚えてないや」
早口で言うと、ユーディーは慌てたように目をそらした。
「ふうん」
ユーディーの中で夢と現実がどこら辺まで混じっているのか、自分がしたキスを彼女は
覚えているのだろうか、と気になったが、ヴィトスはあえて突っ込まずにいた。
「あ、で、ヴィトス。気に入った物はあった?」
「気に入った物、って」
「利子の代わり。あ、レヘルンクリームが良かったんだ」
ぼんやりとした瞳で、ベッドのそばに置いてある空のグラスを眺める。
「……これは、君が食べたんだよ」
「えっ、嘘っ。ヴィトスが食べたんでしょ? あたし、知らないよ」
「知らないも何も、僕がクリームを食べようとしたら、寝ぼけた君がグラスを奪い取って」
嘘をついている事に若干良心の呵責を感じてしまうヴィトスは、それをごまかすように
少しだけ口調が早くなってしまう。
「全部食べてしまったんだよ」
「嘘、嘘だあ」
「本当だよ。……自分のくちびるを舐めてごらん、多分美味しい事になっているから」
「嘘だよ、そんなの。あたし、覚えてないもん」
そう言いつつもユーディーは少しうつむくと、言われた通りにくちびるを舐めてみる。
ちろり、と動く舌を見たヴィトスは、先ほどそれが自分の頬に触れた時の感触を思い返し、
妙に落ち着かなくなる。
「……美味しい」
「だろう?」
「じゃ、じゃああたし、レヘルンクリーム食べたの、夢じゃなかったんだ。本当だったんだ。
うーっ、全然覚えてないなぁ」
首をかしげたユーディーは、不思議そうにうなっている。
「……じゃあ、あれも夢じゃなかったのかな?」
ヴィトスが口づけた方の頬に手を当て、照れたような表情でヴィトスを見つめる。
「さ、さあね。君がどんな夢を見たのかは知らないけれど」
不自然にうわずってしまうヴィトスの声。
「君がクリームを食べてしまったのは事実だよ」
「うーん」
ユーディーはまだ納得のいかない顔をしているが、グラスは空になっているし、くちびるには
確かにミルクとハチミツの甘さが残っていた。
「そうなのかなあ」
「そうだよ」
もっともらしい表情を作りながらヴィトスは頷いてみせる。
「そうなのかぁ。ま、いいか。で?」
「で、って?」
「クリームはあたしが食べちゃったらしいから仕方ないとして、で、ヴィトスはどれ持ってくの?」
「どれ持ってく、って」
ヴィトスは後ろを振り返り、テーブルの上に並んでいる質の悪いアイテムを眺める。
「……いらないよ」
「えっ、利子代わりのアイテム、いらないの? やったあ!」
嬉しそうな顔をするユーディーと対照的に、ヴィトスは怖い顔になった。
「僕が、あんなクズみたいなアイテムで満足すると思ったのかい?」
「く、クズって。何よその言い方……まあ、あまり品質が良いとは言えないかもしれないけど」
ユーディーは曖昧な愛想笑いを浮かべる。
「ユーディット」
「みぎゃっ!」
ヴィトスはいきなり手を伸ばすと、ユーディーの首根っこを掴んだ。
「君は、本当にいい根性をしているね」
「あ、あはは……、元気があたしのモットーだから」
「いい根性と元気の良さは関係ないよ」
痛くはしないように気を付けながら、ユーディーをベッドから立たせる。
「あんなアイテムは受け取れないな。もっときちんとした品物を頂いていくよ」
「き、きちんとした品物って?」
「そうだな……、さっき、僕が食べ損なったレヘルンクリーム。もう一度作り直してもらおうか」
「ええーっ! 何であたしがそんな事しなきゃいけないのよ」
ヴィトスは無言でユーディーを睨んだ。
「あたし、そんな事する義理無い……と、思う……んだけど」
ユーディーの声が頼りなくなっていく。ヴィトスが更に口をつぐんでいると、
「わ、分かったわよ。分かりましたよ。作ればいいんでしょっ」
ついにユーディーは根負けしてしまった。
「うん、ユーディットは物わかりのいい良い子だね」
途端にヴィトスは笑顔になり、ぽんぽん、と優しくユーディーの頭を叩いてやる。
「な、何よ。あたしは、別に……」
照れてほんのりと頬を染めながらも、ユーディーはくちびるを尖らせる。
「でも、あたし新鮮なミルク持ってないわよ。腐ったミルクで作っちゃうもんね」
「下の雑貨屋でミルク売ってるだろう。それを使えばいい」
「えー。わざわざ材料まで買いに行かなきゃいけないの? うー、そうだ、こないだ採取場で
拾った、クサくて変な形の蜂の巣、あれ使っちゃおうかなあ」
「君が調合している間、ここでじっくり見学させてもらうからね。怪しい材料を入れたら
承知しないよ」
「調合中、人に見られると緊張するんだけどなあ」
ぶつぶつ言いながらも、ユーディーはレヘルンクリームの調合に必要な材料、器具を準備する。
「じゃ、仕方ない。リサの美味しい水を使うか。それに、大きな蜂の巣と、アルテノルトで
買ってきたアードラの寝床と……、うぅ、逆に高くついてるような気がするよ」
テーブルの上にミルクパンを置きながら、ぶつぶつとつぶやく。
「じゃあ、シャリオミルクは僕が買ってあげようか」
思いがけないヴィトスの申し出に、ユーディーは少しだけびっくりした。
「本当? だったら買ってきてよ、待ってるから」
「そんな冷たい事を言わずに、一緒に買いに行こう」
ヴィトスの手がそっとユーディーの腕に触れる。その手を嫌がる様子がないのを確かめてから
ユーディーの正面に回り込み、背をかがめて彼女の頬に優しくキスをする。
「な……?」
突然のヴィトスの行為に驚き、目を丸くするユーディーの頬が真っ赤に染まっていく。
「さ、行こうか」
「え、あぅ」
ユーディーが眠っている時に一方的に口づけてしまったのは、何となく卑怯なような気がした。
(だからと言って、ユーディットが目覚めている時ならキスをしてもいい、と言う訳では
無いんだろうけれどな)
それでも、考えるより先に身体が行動してしまった。
「ユーディット、どうしたんだい?」
「……」
「ミルク、買いに行こう」
「……」
何も言えないらしいユーディーを目の前にすると、ヴィトスも妙に照れくさくなってしまう。
「ユーディット?」
「あ……っ、ゆ」
「ゆ?」
「夢が、正夢になっちゃっ……た?」
ゆっくりと手を上げ、ヴィトスが口づけた頬にそっと触れる。