● 信用出来ない人(2/3) ●
「シーツをかけて、その上からマッサージしようか」
ヴィトスはシーツの端を引っ張り、ユーディーの身体を太ももの方までざっと覆った。
「う、うん。そうね」
かああっ、と、頬に熱が集まっていく。
(よ、よかった、うつぶせになってて。ヴィトスにこんな顔、見せられないよ)
多分真っ赤になっているであろう顔を、組んだ手に埋める。
「じゃあ、いくよ」
「お願いします……」
ヴィトスは、ユーディーに体重をかけないように彼女の上にまたがった。
ゆっくりと、ヴィトスの手が触れる。その指使いは、先ほどユーディーの肩を揉んでいた時と
同じくらいやわらかで、優しかった。
「う……ん」
肩の方から、背骨の両側をくいくい、と押しながら、だんだん下りていく。
(あ、やっぱり、気持ちいいや)
押された時の圧迫感、指が離された時の開放感。ヴィトスの指は、ユーディーのくびれた
腰の辺りまで行くと、また上へと戻ってくる。
「もっと、強くしても平気かも」
「うん」
きゅっ、と少し強めに指が入る。
「あっ……、うん」
思わず息が漏れてしまう。
「これくらいでいいかい?」
「すごい、うん、そんな感じ」
とろけるような声でユーディーが答える。
「ねえ、そこ、もっとして」
肩胛骨の下辺りを探っていたヴィトスの指をねだる。
「ここかな?」
ユーディーに指示された位置を、ヴィトスは丁寧に揉みほぐす。
「もうちょっと外。うん、そこ、そこなの。気持ちいっ、あっ」
(くうぅ、たまんないなあ……、あたしは今、未知の快楽を知ってしまったのね)
世のご老人達が、温泉地でこぞってあんまを呼ぶ気持ちがよく分かったユーディーだった。
「ヴィトス、ああんっ! 気持ちいいよお、あたし……」
ふいに、ヴィトスの指が止まった。
「ん?」
「おしまい」
「ええっ、もう? ねえ、もっとしてよ」
首だけ振り向くユーディーの身体から、ヴィトスはさっさと下りてしまう。
「ダメだよ。おしまい」
「えー」
今し方、自分が無意識に出していた声がどれだけ色っぽかったか自覚していないユーディーは
拗ねた顔を作る。
「もう、充分だろう? 僕も疲れてしまったし」
照れてしまった表情をごまかすように、ヴィトスはユーディーから視線をそらす。
「そっか」
ヴィトスがベッドに座ったのを見て、ユーディーも身体を起こした。
「疲れちゃったんじゃしょうがないね」
しょうがない、と言いつつも、何となくまだヴィトスとじゃれていたいような気がする。
「あ、そうだ」
足元をさりげなくシーツで隠しながら、ふと思いついて顔を上げる。
「じゃ、今度はあたしがヴィトスをマッサージしてあげる」
「えっ?」
ヴィトスにマッサージをされるのは気恥ずかしいが、彼の背中をさすってあげるくらいなら平気だろう。
(ヴィトスの背中に乗れば、スカートが少しくらいめくれちゃっても見えないだろうから安心だしね)
「さ、ヴィトス。ベッドに寝て」
「でも」
「いいからいいから。ほら」
躊躇しているヴィトスを、ぐいぐい、と押したり、フェイントをかけて引っ張ったりしてみる。
「おっと」
「えいっ!」
ヴィトスがバランスを崩した所で、強引にのしかかる。
「こら、ユーディット」
しかし、ベッドに倒れてしまう前に、ユーディーに抵抗しようとヴィトスは身体を回転させた。
「あっ」
期せずして、あおむけになったヴィトスの上に、ユーディーが馬乗りになる格好になってしまった。
「あ……」
急速に頬がほてっていく。
「ご、ごめん」
慌てて下りようとしたが、ヴィトスに腕をつかまれてしまう。
「な、何?」
「ユーディット」
身をよじろうとしたが、真剣な声で名前を呼ばれ、動きを止める。
「ユーディット、僕はそんなに信用できないかな?」
「えっ、あ」
何で今頃そんな話しを蒸し返すのだろうと思って、
「ああ、えっと、それね。うーん、何となくかな」
曖昧にごまかそうとするが、目を真っ直ぐに見つめられると、どうしても答えなければ
いけないような気がしてきてしまう。
「だって、あたし、ヴィトスの事あんまりよく知らないもん」
もごもご、と口の中で返事をする。
「それに、ヴィトスがあたしの事、どう思ってるかも分からないし」
「僕が?」
腕をつかんでいたヴィトスの手が肩に移る。そのまま肩を引っ張られ、ヴィトスの身体の上に
ぴったり重なるように抱きしめられてしまう。
「あ……」
かああっ、と身体中が熱くなる。心臓がどきどきして、息が詰まる。
耳元でどくどく、と血液が流れる音さえ聞こえるような気がしてくる。
『放して』、そう言いかけたけれど、喉に何か熱い固まりでも詰まってしまったようで、
声はくちびるの外へは出て行かなかった。
あおむけになっているヴィトスの頬に、うつぶせになっているユーディーの頬がくっついている。
(ヴィトスのほっぺって、あったかくて、すべすべで、やわらかいんだなあ)
目眩を起こした時のようにくらくらしている頭で、ぼんやりそんな事を思っているユーディーの髪に、
ヴィトスの大きな手が触れた。
手のひらは、ユーディーの頭の形に合うように丸くなって、細くやわらかい髪の流れに沿って
ゆっくりと滑っていく。
緊張のあまり動けなくなってしまったユーディーの身体が、ほんのり汗ばんでくる。
「僕は、君を」
ヴィトスの手は、ユーディーの耳元から首筋へゆったりと移動していく。
「君を……、君の事が」
ぼそぼそ、とヴィトスが何かをつぶやく。
「えっ?」
その声が聞き取れなくて、ふっと顔を上げる。
「何、聞こえなかっ……」
ヴィトスはほんの少し首を上げ、驚いて身を固くしているユーディーの頬に自分のくちびるを寄せた。
(えっ、あたし)
目を閉じる事も忘れたユーディーの頬に、ヴィトスのくちびるが押し付けられる。
(あたし、目の前に、ヴィトスの顔……)
ゆっくりと、くちびるが離される。頬が焼けたように熱くなり、その熱は目元までこみ上げて来る。
「僕は、君の事が、好きだよ」
一語一語区切るように、はっきりとした声で告げたヴィトスは、ユーディーの身体をもう一度
しっかりと抱きしめた。
「えっ……、あ」
(好き? 好きって、でも)
ユーディーの頭や肩、背中の上をヴィトスの手のひらが優しく滑っている。動き方や、力の
入れ方は違うけれど、さっきマッサージをされていた時のような、じんわりとした温かさが
背中に広がっていく。
(背中、触られてる)
先ほどはシーツ越しだったけれど、今度はヴィトスの手のひらが直接肌に触れている。
(ヴィトスの手のひらの温度が、あたしの背中に伝わってくる)
ユーディーは、行き場が無かった手をぎこちなく動かすと、ヴィトスの肩をぎゅっ、と握った。
(何だろう、この気持ち。胸が苦しくて痛いくらいなのに、離れたくない。このままずっと、
なでててもらいたい)
無意識のうちに、ヴィトスの肩に頬を擦り付ける。
(それに、あたしキスされちゃった……それに、それに、ヴィトス、あたしの事好きだって)
頬で感じたヴィトスのくちびるのやわらかさを思い出すと、涙がこぼれそうになってしまう。
(でも、何で? だって)
「あ、あのね、ヴィトス」
無理に出したユーディーの声は、不自然にうわずっている。
「あたし、ヴィトスの事よく知らないのよ。ヴィトスだって、あたしの事知らないでしょ」
ずっとヴィトスに抱かれていたいと思うけれど、彼の気持ちはもちろん、自分の気持ちさえ
分からないのに、このままでいていいものなのかどうか不安になってしまう。
「なのに、何で、あたしの事……、その、す、好きだなんて言えるの?」
背中に流れている長い髪の毛を、ヴィトスは指先に絡ませたり、ほどいたりしている。
「ああ、確かに、僕は君の事をよく知らない」
触れられている髪の先まで神経が通っているような、そんな錯覚を覚える程に、ユーディーは
全身でヴィトスを感じている。
「それなのに、どうしてなんだろうな」
指先に髪を巻き付け、するり、とほどく。
「自分でも、よく分からないんだ。それでも、君が」
髪をなでていた手が耳元から顎に移る。ヴィトスの手に少しだけ、上向きの力がこもる。
顔を上げさせられたら、今度はくちびるにキスをされてしまうかもしれない。そう思ったけれど、
ユーディーはヴィトスの手に逆らわなかった。
「君の事が」
恥ずかしくて、ヴィトスの顔が見える前に目を閉じる。
そして、予想通りにくちびるにやわらかい感触のものが押し付けられた。
「ん、っ……」
(キス……、あたし、ヴィトスとキスをしてる)
ヴィトスの手も、くちびるも。ずっと感じていたい。
(ヴィトスに抱かれて、ヴィトスに触られているのは、とても気持ちよくて)
心臓は破れてしまいそうなくらいに激しく高鳴っている。ぴったりとくっついている彼には、
聞こえてしまっているかもしれない。
「ユーディット? 震えてる」
くちびるを離したヴィトスが、優しくユーディーの頬をなでる。
「あ、う」
言われて、ユーディーは自分の身体が勝手に小刻みに震えている事に気付く。恥ずかしさから
なのか、緊張感からなのか分からないが、身体の震えを止めようと思うのに、押さえられない。