● 信用出来ない人(3/3) ●

「……嫌だったかな。ごめん」
今更ながら謝るヴィトスに、大丈夫だ、そう告げたいけれど、熱でからからに乾いた喉からは
ちゃんとした声が出てこない。
ヴィトスは両手を、ぱたり、とベッドに落とした。
「嫌だったら、その」
嫌だったら、自分の身体の上から去ってもいい。そんな意思表示だった。しかし、ユーディーは
首を横に振ってから、ヴィトスの肩に手を当てて、そこにきつくしがみつく。
「ユーディット?」
ヴィトスの手が、ユーディーの頭に戻ってくる。

「いや、じゃない。あたし」
指先で、かりかり、と優しく髪を掻かれる。身体中が緊張しているにも関わらず、同時に
心の中は不思議な安堵感で満たされていく。
「あたしも、分からないけど」
本当に混乱しきっていて、自分でも自分の気持ちが分からない。
「確かに、あんたは信用できないけど、でも」
(でも……?)
その先にどんな言葉を続けたかったのか。言いたい事を的確に表現できるような言葉を
見つけられずに、ユーディーはヴィトスの首筋に顔を埋めて黙り込んでしまう。

ヴィトスの両腕がユーディーの背中に回り、彼女を包みこむように交差する。銀紫色の
やわらかい髪にくちびるを触れてから、ユーディーの肩にそっと手を当てて彼女を起こしてやる。
「……」
ユーディーが起きると同時にヴィトスも身体を起こす。ベッドの上で向かい合うように座る
格好になると、ヴィトスはもう一度ユーディーの身体を抱きしめた。
「さて、と。借金の利子も回収した事だし、僕はそろそろ帰るとするか」
わざと意識して出しているような明るい声でそう告げると、ユーディーの身体を離し、
ベッドから下りる。

「えっ? あ、ヴィトス、帰っちゃうの?」
「ああ、帰るよ。それとも、僕が帰ってしまうと寂しいのかい?」
今までぴったりと寄り添っていたヴィトスの体温が失われてしまうと、途端に心細くなる。
ユーディーはベッドに座ったまま、自分の前に立っているヴィトスに両手を伸ばした。
「帰っちゃうの?」
重ねて尋ねる声は、今にも泣き出してしまいそうに震えている。
ヴィトスはユーディーの手を取ると、うやうやしくその甲に口づけた。
「また気が向いたら来てあげるから。そんなに悲しそうな顔をしなくてもいいよ、ユーディット」
「なっ……!」

まるで、ユーディーの方からヴィトスの来室をねだったような言い方を否定しようとして、
「何よっ! そんな、あたしは、別に……」
そのまま言葉に詰まってしまう。
”別に、あんたなんて来なくてもいい”、そう言ってやろうと思ったのに、例え嘘でも冗談でも、
そんな事は口に出せなかった。
それでも何か、せめて彼に一矢報いてやりたいと考えたが、気の利いた台詞は全く思いつかない。
「こ、今度もマッサージ、してくれる?」
代わりに、自分でも情けないと思うような声。

「ああ、それも僕の気が向いたらね」
「あっ」
ヴィトスの手が、するり、と離れる。
「待っ……」
「それじゃ!」
今までユーディーが見た事もないような優しげな笑みをほんの一瞬浮かべると、ヴィトスは
背中を向けて工房を出て行ってしまった。
「な……、何、よ」
ぱたん、とドアが閉まると、ユーディーは呆然としたようにつぶやいた。

「何よ、何よ! そもそも、勝手にあたしの部屋に上がり込んだのは、ヴィトスの方じゃない!」
一人きりになってしまった部屋の中。ベッドに座り込んだままで、彼を引き留めるような態度を
取ってしまった自分をごまかすように、顔を赤くしてぷんぷんと怒り出す。
「それに、あたしの事好きだって言ったのもヴィトスだし、キス、したのも……」
そっと、指の先でくちびるを押さえる。
「キス……」
自分に触れた、彼の指や手のひら、くちびるや髪の感触。抱きしめられてしまった時に、
身体全体で感じていた、彼の体温。
「あ、あああああぁ〜!」
途端に身体中が火でも噴きそうな程に熱くなってくる。

「キス! 嘘っ、あたし、ヴィトスに……、初めてなのよ、それなのに」
ばたばた、と手を振り回す。
「ヴィトスったらあたしの気持ち聞く前に、勝手にキスなんかして、そんなのって無いわよ」
彼が自分にキスをする、と分かっていたのに、拒む事もせず、目を閉じてそれを受け入れて
しまった自分を今更ながら殴りたくなる。
「……好きでもないのにキスしちゃうなんて、もしかして、あたしって軽い女? でも」
すっかりぐしゃぐしゃになってしまったシーツの端を握って引っ張ると、それで口元を覆う。
「嫌いだったら、好きじゃ……なかったら、キスなんか、しないもん」
そうつぶやいて、顔全体をシーツに埋めてしまう。

「ちょ、ちょっと、やだ! だ、誰がヴィトスの事好きだって言うのよ!」
シーツを払いのけ、ぶんぶん、と顔を振る。
「そもそも、告白? するだけして、返事も聞かないうちに、さっさと帰っちゃう、普通?」
気持ちを引っかき回すだけ引っかき回され、どうしていいか分からない中途半端な思いを
持てあます羽目に陥ったユーディーは、ベッドから飛び降りた。
「それに、あんな優しい顔するなんて。ずるいわ、反則よ。ヴィトスがあんなにカッコいいなんて
 あたし、知らなかっ……」
はっ、と思いとどまる。
「誰がカッコいいって? あたし、まだボケてるのね。そうよ、こういう時には素敵なアイテムでも
 調合するとかして、気を紛らわす……じゃなかった、本来のあたしらしさを取り戻すのよ!」

一人でボケとツッコミを繰り返しながら、ユーディーはぐつぐつと煮えている大きな釜の側へ
駆け寄っていくと、手元にあった材料を使って、思いつくままに調合作業を始めた。
その日一日中、ユーディーの工房からは、普段より派手な爆発音が響いていた……。

◆◇◆◇◆

「高利貸し……も、そんなに悪い人ばかりじゃないのかもしれないわね」
あれから、ほぼ一ヶ月が過ぎようとしていた。どんな顔をしてヴィトスに会ったらいいのか
分からなくてどぎまぎしていたユーディーに比べ、肝心の本人は飄々とした様子で、今までと
変わらない態度で接して来ている。
「最初は危険な人だと思っていたんだけどねえ。何考えてるかよくく分かんない、って事に関しては
 変わりないと思うけど」
「ふうん……。ユーディット、何だか最近、彼に対する評価が良くなったみたいね」
「そうかな? そんな事無いと、思うよ」
いつもの酒場、クリスタとの他愛ない話しの中で、ヴィトスの名前が出ると妙に気持ちが
高ぶってしまう。彼に関する話題になると口数が不自然に多くなる。

(好きだ、なんて言ったのに、あれきり何も無いじゃない)
護衛を頼んでも、普段通りに淡々としている。工房へは、一度も訪ねて来ていない。
(それとも、あれは何かの間違いだった、とでも言うのかしら)
行き場のない、捌け口が見つけられない思いは、ユーディーの心の中でじっくりと育ち、
熟成していく。ヴィトスは最初からこうなる事を計算していたのかどうなのか知らないが、
最近のユーディーは彼の事ばかりを考えている。
「ユーディット」
「えっ?」
とんとん、と腕を叩かれ、我に返る。

「どうしたの、ぼーっとして?」
「んん、何でもないよ」
「ほら、後ろ」
クリスタがユーディーの背後を指す。その手の動きに釣られて振り向くと、いつの間にか
後ろにヴィトスが立っていた。
「きゃっ!」
慌てた声を上げ、途端に顔が真っ赤に染まってしまう。
「あ、あれ? ヴィ、ヴィトス、いたの……」
明らかに彼を意識しているのが分かるような、照れた声は消えそうな程に心もとない。

「ああ、そろそろ借金の取り立ての時期だからね。クリスタ、これを借りていくけど、いいよね?」
「あ、あっ」
前回と同じように、ヴィトスはユーディーの首根っこをつまむ。
「あう……」
ユーディーは反抗する素振りさえ無く、顔を赤くして、大人しくされるままになっている。
妙に自信のあるヴィトスの様子、それと、すっかりしおらしくなってしまったユーディーを見て、
クリスタはうんうん、と頷いた。
「ええ、どうぞどうぞ。お貸しする、って言うより、お返しするって言った方がいいかもしれないけど」

「ちょ、ちょっとクリスタ! 誰が誰に、何を返すのよ!」
「あたしが、ヴィトスに。ユーディットを返すのよ」
「い、いつの間に、あたしはヴィトスの持ち物になったのよ?」
「さあ、いつだったかねえ」
ヴィトスを睨み付けようと思ったが、彼と目線が合うと恥ずかしくなって目をそらす。
「さて、あたしは帰るとするかな……それじゃあね」
気を利かせたつもりなのか、クリスタはさっさと酒場から出て行ってしまう。
「クリスタぁ」
どうしていいか分からずに、いなくなってしまった友達の名前を呼んでみたが、だからと言って
状況が改善される訳でもない。

「うーっ」
ごく軽く、ヴィトスの手を振りきらない程度に肩を左右に揺すってみる。
「部屋に入ったら離してあげるよ」
「……離しちゃうの?」
本当に彼の手が離れてしまう、と思うと、寂しくなってしまう。そんな事を考えてしまう
自分に腹が立ってしまうが、心の奥から湧いてくる感情には抗えない。
「ああ、その代わり」
耳元に口を寄せられ、
「また、マッサージをしてあげるから」
そう小さな声でささやかれ、ユーディーは何も言えなくなってしまった。
 各冒険者さんに対するユーディーのコメントが面白いです。

 金貸しさんの場合は、こんな感じでした。
 下2つは、友好度より冒険者レベルの方が高い場合(多分)。
 ↓以下、ネタバレ? につき、見たい方は文字を反転させて読んでね。
  ・高利貸しって言っていた、ちょっと危険な人。何だか、油断すると根こそぎ持っていかれそう…。
  ・高利貸し…もそんなに悪い人ばかりじゃないのかな。最初は危険な人だと思っていたんだけどねえ。
  ・何だかんだと言いつつも、妙に親しくなってしまった気がする…。はっ、借金はしないわよ。

  ・冒険者としてはそれなりに頼れるけど、あまり信用出来ない人。高利貸しなんて信用出来ないよね。
  ・戦う高利貸し…。きっと取り立ては相当厳しいだろうなあ。

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