● 看病の手間賃(3/4) ●
「だったら、残りは僕がもらってしまうよ」
「えっ?」
ぱくり、とヴィトスがクリームを食べてしまう。
(そ、それ、あたしが使ったスプーン……)
驚くユーディーにはかまわず、ヴィトスはクリームを味わっている。
「うん、美味しいな」
(あたしが使ったのに。あたしが口を付けたのに。それなのに)
クリームを食べているヴィトスを見ていると、じわじわと頬が熱くなってくる。
(そう言えば、水筒からお水を飲ませてくれた時も、全然気にしてないみたいだったし。
ヴィトスって、女の子が口を付けたものを使うの、平気なのかな)
自分だけ、余計な気を回して。
(それとも、あたしの事、女の子だって認識してないのかな……)
考えれば考える程、がっくりと落ち込んでしまう。
「どうした、ユーディット。やっぱり欲しくなったのか?」
「……いらないわよ」
「だったら、全部食べてしまうからね」
勝手にすれば、と口の中でつぶやき、ベッドに横になって、顔を隠すようにシーツを頭の上まで
引っ張り上げる。
「ごちそうさま」
しばらくしてから、ヴィトスが立ち上がった気配、それと、空になったとおぼしいグラスを
どこかに置いた、かちん、と小さな音が聞こえる。
それから、ヴィトスがユーディーのそばまで戻ってきた足音。
「そのまま、少し眠った方がいいね」
椅子に座り直したヴィトスは、シーツ越しにユーディーの頭をなでた。
「そ、そうね。そうするわ。だから、部屋を出てってくれる?」
自分の声が、妙に震えてしまっているのが分かる。
(何で、声が震えるのよ)
目元もじわり、と熱くなっていく。
(それに、何で涙が出そうになるのよ)
くちびるを噛み、のど元にこみ上げて来る、得体の知れない感情を押し殺す。
「君が望むならそうするけれど」
ユーディーの頭や肩の上を滑っていく、ヴィトスの大きな手。
「僕は、まだ君にお礼の一言も聞かせてもらってないんだがね」
「あ、ありがとうございました! これでいいの?」
思わず裏返ってしまう自分の声、そこに込められている感情を隠すように、けんか腰とも
聞こえる様な言葉が続く。
「でも、どうせ手間賃取るんでしょ。手間賃払えば、ヴィトスは誰にでも優しくするのよね?
あたしじゃなくても、誰にでも、優しく……」
我慢しきれずに涙がこぼれ、それ以上は続かなくなる。泣き声がヴィトスに気付かれないように
口元を手で押さえて、身体を固くする。
「……そうだね」
ヴィトスの手が離れていく。離れてしまってから、もっとずっとなでていてもらいたかった事に気付く。
「でも、まあ、君にはたっぷりと手間賃を払ってもらうつもりだから。そのつもりで、特別に
面倒を見てあげたんだし」
「わ、分かったわよ」
手の甲で、ぐい、と乱暴に目をこする。
「お財布、カゴの中に入ってるから、勝手に好きなだけ持ってったら? 助けてくれて
どうもありがとう、それに見合う手間賃は払わせてもらうわよ」
「財布、か。どうせたいした額は入っていないんだろう。知ってるよ」
くいっ、っとシーツを引っ張られる。涙でぐしゃぐしゃになっている顔を見られたくない
ユーディーは、シーツを強く掴んでそれを拒む。
「それに、君には特別な面倒を見てあげた、って言ってるだろう。財布の中のコールじゃ
足りないよ」
「足りない、って。いくら持っていく気なのよ、この鬼畜高利貸し……」
ふっと指の力がゆるんでしまった隙に、ヴィトスがシーツをはがしてしまう。
「やっ」
慌てて顔を隠すユーディーの髪に、ヴィトスの手がそっと触れた。
「何で顔を隠すんだい、ユーディット?」
「知らないわよ。うるさいなあっ」
両腕を顔の前で交差させ、何とか彼の視線を遮ろうとする。
「ずいぶん元気になったようだね。レヘルンクリームが効いたのかな」
「レヘルンクリームのお金も払うわよ。持っていきなさいってば」
涙で鼻が詰まり、ぐすっ、と泣き声が漏れる。
「何で泣いているんだい、ユーディット。まだどこか痛むのか?」
……痛い。胸が、張り裂けそうだ。
「泣いて、ないわよ」
「だったら、僕に顔を見せてごらん」
「あんたに顔見せる筋合いなんか無い」
ふう、とひとつため息を吐いて、ヴィトスは椅子から立ち上がった。
「分かったよ。手間賃の件は、君の具合が治ってからでいい」
ぞんざいに椅子を押しやり、ユーディーに背を向ける。
この部屋を出て行ったら、優しいヴィトスはまた誰かを助けてあげるに違いない。
誰かが困っているのを見つけたら、彼の水筒から水を飲ませて、彼と同じスプーンで
美味しい食べ物を食べさせて。
「……いや」
ユーディーの手が伸び、ふるえる指先が彼のマントを掴む。
「ヴィトス、行っちゃいや。ここにいて」
「ユーディット?」
「あたし以外の人に優しくしないで。ずっとあたしのそばにいて。あたしの、あたしの……」
掴んだマントを引っ張ると、ヴィトスは素直にユーディーのベッドに腰かけた。
まだ泣いているユーディーをそっと起こし、そのまま抱きしめる。
「もっと、看病をしていて欲しいのかい?」
こくん、とユーディーが頷くと、ヴィトスの腕に少しだけ力が入った。
「お金、払うわよ……、いくら払えば、ここにいてくれるの? お財布……」
涙も止められないままにヴィトスの胸に抱かれて、ユーディーは呼吸が苦しくなっていく。
それでもヴィトスから離れたくなくて、しっかりと彼にしがみつく。
「君の持っているコールじゃ払えない、と言ったろう」
ヴィトスの片手が、ユーディーの髪をゆったりと梳く。
「君にしてあげた看病は、特別なんだよ。そりゃ僕だって血も涙もない悪魔じゃないからね、
誰かが道に倒れて困っていれば、それなりに助けてあげたりもするけれど」
ユーディーの涙がヴィトスの服を濡らしていくのも構わずに、言葉を続ける。
「……君は、特別なんだよ。僕にとって、君は、君だけは特別なんだ。だから」
頭をなでていた手が、耳元を通って顎に下りる。ユーディーの細い顎を手のひらで包むようにして、
涙で濡れた顔をゆっくりと上げさせる。
「こんなに優しく看病してあげるのは、君だけだから。それと、手間賃を頂くよ」
「手間賃って、あたしの手持ちじゃ払えないって……」
息を飲むユーディーの額に、ヴィトスのくちびるが押し当てられた。
「……」
しばらく、そのままで。やがてくちびるが離され、再びしっかりと抱きしめられる。
「手間、賃」
「そう、手間賃」
「ヴィトスって、誰にでも、こんな風に手間賃もらうの……?」
ヴィトスに口づけられた額が、燃え出しそうに熱くなっている。
「だから、君だけが特別だ、と言っているだろう」
こぶしをゆるく握り、こつん、とユーディーの額を叩くヴィトスの口調には、明らかに
照れが混じっている。
「君じゃなければ、ここまで優しくしないよ。君がそばいて欲しいと言うのなら、君の気が
済むまでこの部屋にいるから。それに、ええと……、どうしたユーディット、顔が赤いぞ。
熱でも出たのか?」
自分の言葉に恥ずかしくなってしまったのか、ヴィトスがごまかすようにユーディーをからかう。
「ヴィ、ヴィトスだって顔赤いじゃない。ヴィトスこそ熱が出たの? 今度はあたしが
レヘルンクリーム食べさせてあげましょうか」
ヴィトスの突然の行動、彼の言葉に驚き、それでも嬉しさのあまりに言葉を無くしていた
ユーディーが負けずにやり返す。
「僕は、赤くなってなんかいないよ。真っ赤になっているのは君の方だろう」
「嘘。赤い赤い。赤くなってる!」
照れ隠しにもならない事は分かっていながら、お互いがお互いをからかおうとする。
「それにしても、君は助けてもらったくせに偉そうだね。ケガ人だったらケガ人らしく、
もう少ししおらしくしていたらどうだ?」
「ヴィトスだって、ケガ人相手にしては偉そうよ。もう少しケガ人をいたわったらどうなの?」
「……」
「ヴィトス?」
急に黙り込んでしまったヴィトスを気遣うように名を呼ぶ。
「そうだね、すまなかった」
先ほどまでふざけていた口調とは一変して、沈んでしまう声。
「僕が護衛に付いていれば、こんなケガをする事もなかったかもしれないのに」
「あ……、いや、えっと、あの」
慌てて、ぱたぱた、と片手を振ってみせる。
「ほら、あたし、もう元気だし! レヘルンクリーム食べさせてもらって、ヴィトスに
とっても優しく看病してもらったから、全然平気だし」
実際に、身体の痛みはどこかへ吹き飛んでしまったようだった。
それに、さっきまでもやもやした心の中は、嘘のように澄み切っている。
「あたしだけ、だよね?」
それでも、もう一度ヴィトスの口からそれを言って欲しくて、尋ねてしまう。
「あたしだけが、特別なんだよね?」
「さっきから、何度もそう言っているだろう」
繰り返されるとさすがにヴィトスも恥ずかしいのか、語尾がもごもご、と不明瞭になる。
「えへ」
涙の乾きかけた目元にまた、じわりと熱いものがこみ上げる。
「……嬉しいな。ヴィトスがあたしの事好きだなんて、知らなかった」
「い、いつ僕が君を好きだなんて言ったんだい?」
「違うの?」
目をぱちくりさせてしまうユーディーの前で、ヴィトスは困ったように視線をそらす。
「いや、違うって事はないが。その、ええっと……、そうはっきり言う事もないだろう」
「うわ、ヴィトスが照れてるっ。やっぱり、好きなんだ」
「そういう君だって」
「えっ?」
「君だって、僕にずっとそばにいてくれ、なんて言ったじゃないか。君こそ、泣いてしまう程
僕の事が好きなんだろう?」
「な、泣いて……って」
ヴィトスの前で取り乱してしまった自分に一瞬言葉を無くすが、改めて自分の気持ちを認識し直す。
「……うん」
頷いてから顔を上げ、じっとヴィトスの目を見つめる。
「あたし、ヴィトスの事が好き」
それから、はっきりと彼に告げる。
「ヴィトスが好きよ。だから、これからもあたしの面倒見てね」
ヴィトスにしっかりとしがみつき、彼の胸に頬ずりをする。
「僕も、君が好きだよ。ユーディット」
ユーディーの身体を抱きしめ、優しい声でささやく。
「できる限り、君の面倒を見てあげるからね。もちろん、その分の報酬は頂くが」
「報酬? 手間賃じゃなくて?」
いたずらっぽい顔で、ヴィトスの頬に口づける。
「ああ、君がどうしても手間賃を払いたい、と言うのなら、遠慮無く受け取らせて頂くよ」
ヴィトスも、ユーディーの顔中に軽いキスを降らせる。額、頬、鼻の頭や、耳元。
「くすぐったいよ」
笑っているユーディーの顎に指を添え、
「んっ……」
それから、くちびるを合わせる本当のキスをする。