● 看病の手間賃(2/4) ●

◆◇◆◇◆

「ユーディット、ユーディット!」
不鮮明ながら、自分を呼ぶ声が聞こえる。
「ユーディット!」
わずかに身体を揺さぶられるだけで、全身、特に首の辺りがズキズキと痛む。
「う……、や」
そっと寝かせておいて欲しくて、力の入らない手で自分を抱いている誰かの手を払おうとするが、
腕はただ緩慢に持ち上がりかけただけで、すぐにだらん、と落ちてしまう。

「きゃ」
突然、額に濡れた布を押し当てられ、ユーディーはその刺激に目を開けた。
「ああ、良かった、気が付いたか」
目の前には、ヴィトス。ヴィトスが自分の身体を抱きしめている。
「……」
急に気恥ずかしくなり、彼の手から逃れようとするが身体がまともに動かない。
「……けほ、けほ」
何か言おうとしたが、熱と疲労で乾いたくちびるからは、しゃがれた咳が出るばかりだった。

「水を」
そう言って、ヴィトスは自分の水筒を差し出した。すぐにユーディーの手に力が入らない
事に気付き、飲み口を彼女のくちびるに持っていってやる。
「んっ」
冷たくはない水が、痛んだ喉をさらさらと滑り落ちていく。
(美味しい)
水は少し染みるようだったが、かまわずにユーディーは飲み続けた。

「これぐらいにしておいた方がいいね。いっぺんに飲んで、またむせるといけない」
ヴィトスが水筒を離す。
(あっ、あたし、ヴィトスの水筒に口を付けちゃった)
今更ながらそんな事に気付き、頬が熱くなる。
「あの、あたし……」
「しゃべらなくていいから。体力が回復するまで大人しくしているんだ、ユーディット」
ヴィトスは額に当てた布を取ると、ユーディーの顔を優しく拭いてやる。

「しかし、この傷は酷いな。薬か何か、持っていないのか?」
失礼、と一言言ってから、ヴィトスはユーディーの採取カゴをあさった。
「デニッシュ……か。喉の痛みが激しいようだし、これを食べるのは無理そうだな」
確かに、外も内側もひりひりと痛む喉でデニッシュを飲み込むのは辛いだろう。
「とりあえず、街に帰ろう。水で冷やして、ゆっくり眠れば良くなる筈だ」
小さく頷いて、立ち上がろうとするが、脚には全然力が入らない。
「無理だよ」
ぐったりしているユーディーの身体を座らせ、ヴィトスはその前に背を向けてしゃがむ。

「ほら」
ユーディーの腕をそっと取り、肩にかけさせる。そのまま前屈みの姿勢で立ち上がると、
身体が引っ張られ、ユーディーはヴィトスにおぶさる格好になってしまう。
「や、っ」
「こうでもしないと帰れないだろう。ちゃんとつかまっているんだぞ」
ユーディーの脚の裏に手を通し、しっかりと背負ってヴィトスは歩き出した。
「……」
足を出す度にわずかに揺れるその振動が心地よく、ユーディーは彼の肩に顎を乗せた。

「すまないな、ユーディット」
うとうとしかけた頃に声をかけられ、はっ、と目を覚ます。
「なん、で?」
かすれるような短い言葉しか出せないが、ヴィトスの耳元に口があるので彼にも聞き取れるようだ。
「こんな事になるなら、強引にでも君の護衛をすれば良かった」
「ヴィトス、謝る事、ない……ごほっ」
もともと、護衛を断ったのも、無茶をしたのは自分の方だ。そう言いたいけれど、しゃべろうと
するとこみ上げて来る咳に邪魔をされてしまう。

「どうし、て」
どうしてこんなに自分の心配をしてくれるのか。そう聞きたかったのに、言葉が続かない。
「僕も不思議に思っているんだ。君の傷の様子から見て、マンドラゴラかその仲間の仕業だろう……、
 僕も何回かこの採取場に入った事があるが、奥深い場所ならともかく、あの辺りにマンドラゴラが
 いるのは今まで見た事がない」
ヴィトスはユーディーの質問の意味を勘違いしたまま、考え込むようにつぶやく。
「しかも、君にこれだけの傷を負わせるなんて。アルラウネかドライアドだったのか?」
「ん、マンドラ……だったよ」
確かに、そう言われてみると、いつもリサやメッテルブルグで見かけるマンドラゴラよりも
はるかに強かったような気がする。

「そうか、おかしいな」
なんとなく会話が途切れ、やがて採取場の入口、ヴェルンの街外れに着いた。
「ね、もういい」
ヴェルンに入れば、人の通りもある。ヴィトスにおぶさっているのを見られるのが恥ずかしくて、
ユーディーは彼の広い背中から下りようとする。
「大丈夫だよ。君はそんなに重くないし」
「そゆ、事じゃなくて……」
(でも、ヴィトスの背中は居心地がいいな)
ふっとそんな事を考えてしまった自分に驚く。

(あたし、モンスターに襲われて驚いて、身体も痛くて、だから訳分かんなくなってて……)
今考えた事をごまかすように、心の中で言い訳を並べていく。
(自分で歩かなくていいの楽ちんだから、このままでいたいのかも)
街外れの橋の上には、誰の姿もなかった。川を渡ると、さらり、と気持ちの良い風が吹く。
風がヴィトスの髪をゆらし、その髪がユーディーの頬を優しくくすぐる。
(……ネコちゃんもいないわね)
ユーディーになでられ、喉を鳴らしていたネコ。
(あたしもネコだったら、ヴィトスの背中でゴロゴロ喉を鳴らしてしまうかもしれない)
ゆっくりとまばたきをして、それから目を閉じると、ユーディーはまた眠りに引き込まれていった。


「ユーディット、着いたぞ」
「うっ、うん……」
自分の部屋。馴染みのあるやわらかいベッドの上に、そっと降ろされる。
「宿のおかみさんには話しをしておいた。後で、夕食に温かい物を持ってきてくれるそうだ」
ヴィトスは、ユーディーの足元にかがむと、彼女の靴を丁寧に脱がせた。それから、身体を
優しくベッドに寝かせてやった。
「欲しい物はあるかい、ユーディット?」
水が飲みたい、と答えようとしたが、返事の変わりに空咳が出る。
「何か喉に良さそうなものでも買ってこようか。少し待っていてくれ」
ユーディーの額にかかっていた髪を軽く指で梳くと、ヴィトスはドアを開け放したままで
部屋を出て行った。

(なんか、優しい)
ヴィトスに触れられた額が、火照っているような気がする。
(ヴィトスって、こんなに優しかったかな)
おぶってもらった時に、ヴィトスの背中にぺったりとくっついていた前半身も熱い。
(それに、ヴィトスの髪って、あんなにきれいなの、知らなかったよ)
さらさらと、真っ直ぐな髪。
(ヴィトスの髪に指を通したら、きっとなめらかで……、って、あたし、本当にさっきから
 何を考えてるのかしら)
頭の中に浮かんでしまった光景を慌てて否定する。頬も燃えてしまうようで、その熱を
冷ますように、冷たいシーツを引っ張って顔に当てる。

シーツで顔を隠し、ベッドの上でもじもじしていると、
「ユーディット、どうしたんだ。苦しいのか?」
急に声をかけられて顔を上げる。
(も、戻ってくるの、早いよ)
とりあえず、首を横に振って見せる。
「だい、じょぶ」
「そうか、だったらいいんだが。ほら、レヘルンクリームを買ってきたよ」
ヴィトスは片手にレヘルンクリームのグラスを持ったまま、もう片方の手で部屋の隅にあった
椅子をユーディーの枕元に運んでくると、そこに腰かけた。

メッテルブルグの食料品店で買い食いしたレヘルンクリームが忘れられず、その味を真似て、
リサから持ち帰った大きなハチの巣と美味しい水、ヴェルンの雑貨屋さんに置いてあった
シャリオミルクを使って調合した。結果、メッテルブルグの物より美味しくできあがったそれを、
いつでも食べられるように、とヴェルンの食料品店に量販依頼しておいたのだった。
「これだったら冷たいから喉ごしもいいだろうし、ミルクとハチミツで元気が出るんじゃないかな」
ヴィトスに手を貸してもらいながら、ユーディーはゆっくりと身体を起こす。レヘルンクリームの
グラスとスプーンに手を伸ばそうとすると、そっとヴィトスに遮られた。

「食べさせてあげるよ」
ヴィトスはスプーンでクリームをすくった。
「えっ……あ」
「ほら、口を大きく開けて」
「あっ、えっと」
クリームが口元に運ばれてくる。仕方なく口を開けると、そこにひんやりとしたクリームが
落とし込まれた。
(おい、しい)

口の中のクリームを、舌で上あごに押し付けるようにすると、すぐにふわりと溶けていく。
同時に喉の方まで濃厚なクリームとハチミツの味が広がっていく。あまりの美味しさ、
喉に感じる心地よさに、ユーディーの頬は自然にゆるんでしまう。
「美味しいかい? もともと君が調合した味なのに、君にそう聞くのもおかしいかもしれないが」
「美味しい。ね、もっと」
口の中で溶けたクリームを飲み込むと、嘘のように喉が楽になっていく。
更に、二口、三口と食べさせてもらっているうちに、ヴィトスに背負われていた時に考えていた
疑問が頭をもたげてくる。

「ね、ヴィトス、何でこんなに優しくしてくれるの?」
ハチミツで喉の通りがなめらかになり、小さい声ながらも今度はきちんとした言葉になった。
(こんなに優しくしてくれるなんて。ヴィトスってもしかして、やっぱりあたしの事、
 特別に思ってくれてるのかな)
淡い想いは胸の中で膨らんで、彼からの色よい返事を期待してしまう。
「あたしの事、心配?」
重ねてユーディーに質問され、ヴィトスの手が止まる。
「そりゃあ、そうさ。あんな風に傷付いて倒れていたら、誰だって心配するさ」
心なしか、ヴィトスは早口になっている。

「それに、君を看病する手間賃と、そうだな……このレヘルンクリームの代金も、後で
 きちんと請求させてもらうから」
「手間賃……」
(何よ、それ)
ヴィトスの口から出た、あまりに味気ない言葉。
(そっか。ヴィトスは何でも、ケガしたあたしでさえも、お金を儲ける対象としか見てないんだ)
世話を焼いてもらっていた間に舞い上がっていた気持ちが一気にしぼんでしまう。
(何だかあたし、バカみたい。一人で浮かれたりして)
倒れていたのがユーディーじゃなくても、お金になると思えばヴィトスは親切に助けてあげるのだろう。

「ユーディット、ほら」
ヴィトスがクリームを乗せたスプーンを差し出す。しかし、ヴィトスの返事を聞いて、胸の中に
哀しさがこみ上げてきてしまったユーディーは、これ以上クリームを食べる気になれずに
いやいやをする。
「もういらないのかい?」
(きっと、手間賃さえもらえれば、こんな風に誰にでも優しくクリームを食べさせてあげるのね)
存在しない誰かに対して嫉妬心が湧き、ユーディーの胸がちくちくと痛む。
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