● 彼女のかけら(2/4) ●
途中モンスターに遭う事もなく、ヴェルンに着くと宿屋の手配をする。空いていれば、ユーディーが
借りていた部屋に案内してもらえる。私はここで、一緒に来てもらった冒険者さん達とゆっくりと
お茶を飲みながら、日が暮れるまでユーディーの思い出話をするのがとても好き。いろんな人と話すと、
私の知らなかったユーディーを知る事ができるから。
ヴィトスさんと一緒に部屋に入ると、ヴィトスさんは懐かしそうに目を細めて部屋を見回した。
「この部屋に来るのも久しぶりだな」
お湯を沸かして、持ってきたお茶の葉をポットに入れる。少しきつめの柑橘系の花の香りのする、
ユーディーが好きだったお茶。
「あ、このお茶は」
トレイに真っ白いカップを乗せてテーブルに運ぶと、その香りをかいだヴィトスさんが顔をしかめた。
「お嫌いでしたか?」
「これ、確かユーディットが好きだったお茶だよね。いただこう」
「無理しなくてもいいんですよ」
ヴィトスさんはトレイからカップを手に取った。
「いや、自分が好きなお茶だから、僕にも飲め、ってね。ポットに一杯飲まされた事があるんだ、
それを思い出した。僕にはわがまま言いたい放題だったからね、彼女は」
「そうなんですか……」
私はお茶のカップをくちびるに当て、お茶の香りを吸い込みながらまぶたを閉じる。そうすると、
私の前にユーディーが座って、私に微笑みかけていてくれるような気がする。
「……夢を、見るんだ」
ふっ、とヴィトスさんがつぶやく。
「えっ?」
「ユーディットが帰る日の夢を。あの日のヴェルンの採取場で、石の魔法陣の上に立っている
ユーディットの夢を」
両手でカップを包むようにして、ヴィトスさんは中で揺れる黄金色のお茶を見るともなしに眺めている。
「彼女が、竜の砂時計を使う。でも、それは失敗作で、何も起こらない、とかね」
私がどう返事をしようか迷っていると、まるで私の存在は気にしていないかのように話し出す。
「後は、ユーディットが竜の砂時計を天にかかげた時に、僕が走り寄って、砂時計を彼女の手から
叩き落とすんだ。この夢を一番良く見るかな。砂時計は地面に落ちて、割れて使い物にならなくなる。
ユーディットはびっくりして、怒って、泣いて。僕の事をこぶしでめちゃめちゃに叩く」
ヴィトスさんはお茶を一口すすった。
「僕は、泣きじゃくっているユーディットを抱きしめる。涙を流しているユーディットの顔を
僕の胸に押しつけて、元の世界へなんて帰らなくていい、そう言おうとする。だけど、いつも
そこで目が覚める。起きると、手にユーディットの柔らかい髪の感触も残っているんだ。
でも、実際には僕の手の中には何もない」
カップから手を放し、その手のひらを自分の方へ向けて、ゆっくりと開いたり、閉じたりする。
「ユーディーの事、好きだったんですね」
「ああ。彼女も僕の事を好きなんだと、思っていたんだけどな」
ヴィトスさんは、ふう、とため息を付いた。
「あの日、言えなかった事、できなかった事。それを思い出して後悔ばかりだ。『行くな』って、
たったそれだけの一言が、どうして言えなかったんだろう、ってね」
「……なんで言わなかったんですか。あなたが止めれば、ユーディーは帰らなかったかもしれない」
知らず知らずのうちに、ヴィトスさんを非難しているような言い方になる。ヴィトスさんが私に
責められる筋合いなんて無いのは分かっているのに、止められない。ヴィトスさんも少しむっ、と
した口調になる。
「言おうと思ったさ。言おうと思ったけど、言葉に詰まって、先をオヴァールに遮られて……」
いや、それは正確じゃないな」
ふるふる、と首を横にふる。
「彼女が夜中に僕の身体にしがみついて、寝言で『帰りたい、帰りたい』って泣きながら
言っていたのを何度も聞いている。その時のユーディットの辛そうな寝顔を思い出したら、
とてもじゃないけど」
「ユーディーを、抱いた事が、あるんですか?」
夜中に、ユーディーの寝顔を。キャンプをした時に見ただけなのかもしれないのに、思わず
はしたない想像をしてしまって、それをそのまま口に出してしまった自分に驚く。
「あ、す、す、すみません。こんな事言うつもりじゃ、私」
「えっ? あ、彼女に聞いてなかったのか」
ヴィトスさんも急に照れたような顔になった。
「ああ、まあね。うん。だから、それもあったから、彼女が絶対に僕の所からいなくなる
訳がない、って、そう思ってたんだけどね」
「そ、そうなんですか……」
熱くなっている顔をちょっとでも冷やせれば、と、少しぬるくなったお茶に口を付ける。
そのまま気まずくなって、なんとなく会話が途切れてしまう。
「えーっと、お茶を淹れ直して来ますね」
「ああ、うん」
私の目の前にいる男に、ユーディーが抱かれていた。頭から追い払おうとしても、一度意識すると
そればかり考えてしまう。
そんな考えを断ち切るように頭をふり、やかんにお湯を沸かす。ポットに入っていたお茶の葉を
捨てて、新しい物に取り替える。
「オヴァールは、ユーディットが彼女のいた世界に帰った方がいい、と判断して、わざと僕に
続きを言わせなかったのかもしれないな」
ヴィトスさんは独り言のようにつぶやいた。
「僕が彼女を止めれば、彼女は迷う。オヴァールは冷静な奴だからな、それくらい見通していたの
かもしれない。全く、本当に氷室みたいな場所で働くのがあんなに似合う奴は他にいないよ」
熱いお茶が入ると、テーブルに運んでカップにそそぐ。湯気と一緒に、ふわりとお茶の香りが立ち登る。
「君こそ、なんであの時にユーディットを止めなかったんだい?」
急に尋ねられて、私はびっくりした。
「私……私は、ユーディーが元の世界へ帰ってしまうって、最初に会った時から分かっていたんだもの、
だから」
「それは理由にならないよ」
ヴィトスさんに見つめられて、今まで我慢してきた気持ちが、ふいに弾けた。
「私だって……私だって、どんな事をしてでもユーディーを止めたかったわ!」
がたん、と音を立てて、思わず椅子から立ち上がってしまう。
「『辛くなるから、もう行って』だなんて、そんな酷い、心にも思ってない事、言うつもりは
無かった! でも、でも」
自分の目からぼろぼろ、と涙がこぼれ落ちるのが分かる。
「ユーディーには私よりももっと大切な物があるんだって……ユーディーはこのまま私と一緒に
いるよりも、元の世界に帰る事の方が大切なんだ、ってそう思ったら、何も言えなかったの」
涙があふれ続ける目が熱い。喉に焼けるような空気の固まりがこみ上げてきて、苦しくて息が
できない。それでも、言葉は止まらない。
「竜の砂時計が完成したのを知って、ユーディーの部屋に行って、『帰らないで』ってお願いしたわ。
でも、ユーディーは聞いてくれなかった。それ以上頼んだら、ユーディーに本当の事を言われて
しまいそうで、怖かったのよ」
「本当の事?」
「私と自分の世界を比べたら、自分の世界の方が大事だって。私はいらない、って。そう言われると
思ったの」
『ラステルなんかいなくても、生きていけるから』って、ユーディーに言われるのが、怖かった。
そう言われるかもしれない、って思って、それが怖くて。だからあの時、私はユーディーを
止める一言が言えなかったんだ。
「もういいよ、すまなかった。君を困らせるつもりは無かったんだ」
ヴィトスさんは立ち上がると、こぶしを握りしめてしゃくり上げている私のそばに来て、
私が落ち着くまで、大きな手で私の頭をそっとなで続けてくれた。道で転んだのを助けてもらった
時とは違って、とても親しげな、優しい手。こんな風に男の人に触られるのは初めてだったから
少しびっくりしたけれど、なんだかとっても安心する。ユーディーもきっと、ヴィトスさんに
なでられるのが大好きだったんだろうな。
「君をいらないなんて、ユーディットは絶対に思ってなかったよ。僕の事はどうだか知らないけど」
「だって、ユーディーは私を置いて行ってしまったわ。それに、ユーディーはヴィトスさんが
好きだったんでしょう?」
ヴィトスさんは私の頭をなでていた手を、力無く落とした。
「そうだ、と答えたいんだけどね。彼女がこっちの世界を去る時に一番最後に見ていたのは、
僕じゃなくて君だったからね」
「あっ……」