● 彼女のかけら(1/4) ●

ユーディーがいなくなってから数カ月が経った。

ユーディーが元の世界に戻っていった日、私は自分の部屋に帰って、一人で泣いた。
初めてユーディーがうちに遊びに来てくれた時に招待した部屋、時間が経つのも忘れて二人で
ずっと楽しくおしゃべりしていた部屋。あんな時間が永遠に続けばいいと思っていたその部屋で、
たった一人で、身体中の水分が無くなってしまうと思うくらいに泣いた。
次の日も、次の日も泣いた。ご本も読みたくない、ごはんも食べたくない、何もしたくない。
このまま泣きすぎて死んでしまうかと思った。

食事を取らない私を心配して、執事がデニッシュとレヘルンクリームを部屋に運んで来てくれた。
これはユーディーが作って街の食料品店に登録していった物の複製だ。品質がいいので彼女が
いなくなった後もお店で売られている。
ユーディーの工房で、街から街への道の途中で、怖いけれどワクワクした遺跡の中で、ユーディーと
一緒に食べたデニッシュ。甘くて、ふわふわした味。
その味を思い出して、デニッシュを小さくちぎって口に運んだ。やはり複製だからユーディーが
作った方が美味しいに決まっているのだけれど、それでもとても美味しかった。

レヘルンクリームも、お店に登録した物はとっても美味しく良くできてるけど、ユーディーが
最初に作った物はすぐに溶けてしまって、ただの濃いクリームジュースになってしまって。
お行儀が悪いけどグラスに直接指を入れてクリームをすくって、二人で笑いながらなめたよね。


私の外出を快く思っていなかったお父様も、さすがに部屋に閉じこもりきりの私の様子を心配した
らしく、しきりに散歩を勧めるようになった。お父様と執事に迷惑をかけたくない、というよりも
これ以上余計な事を言われたくなくて、私はお店屋さんでお弁当代わりにデニッシュを買って、
それを持って散歩に行くのが日課になった。

屋敷を出て、広場の方へ向かう。ユーディーと何度も通った石畳。
「たる」
「た〜る」
なんて言いながら、二人で広場の隅に置いてあるたるの数を全部数えた事もあったっけ。
いきなりネコのヒゲを切り取ってしまうユーディーに驚かされたり、城門の堀で魚の名前を
たくさん教えてもらったり。とっても楽しかったな。

誰にでも元気良く話しかけるユーディーと一緒にいたおかげで、街のあちこちに知り合いができた。
道具屋さんや武器屋さん、お父様には決して行ってはいけない、と言われていた酒場の黒猫亭にも、
ほんのたまにだけれど、足を踏み入れる。
そこでは、ユーディーと街の外に出た時に、彼女が護衛に雇っていた冒険者さん達に会う事がある。
アデルベルトさんや、クリスタさん、エスメラルダさん。プロスタークから工具や道具を運んで来る
ボーラーさんや、リサから作物を届けに来るマルティンさん。遺跡から取って来たという、珍しい
品物を見せてくれるコンラッドさん。その時によって、軽く挨拶をするだけだったり、ユーディーの
話しをしたりする。

ユーディーと一緒に訪れたいろんな街にも、もう一度行ってみたい。そう思ってお父様には内緒で、
今度は街の外へも出てみる事にした。
もちろん、外に出るのは知っている冒険者さん達が護衛についてくれる時だけ。
ユーディーに持たせてもらった、私でもモンスターに大ダメージを与えられる杖があるから、
道中のぷにぷにくらいだったら平気で倒せる。それと、体力や気力、精神力が回復する不思議な
ドレスもある。これもユーディーにもらったものだ。でも、そんなすごいドレスでも、ユーディーが
いなくなった後の私の心の喪失感を回復させる事はできない。当たり前だけど。

後は、敵に遭わないようになるアロマボトル、具合が悪くならないようにおまじないのかかっている
パラスメダル、神秘的な色で輝いて敵の攻撃を跳ね返してしまうアルスィオーヴ。私の持っている
どんな宝石よりも素敵な宝物。
「ユーディーが錬金術で私を守ってくれるもの!」
そんな私の考え無しの一言を真剣に受け取って、ユーディーは錬金術の知識と技術を駆使して
いろいろなアクセサリーを持たせてくれた。
私のわがままをいっぱい聞いてくれたユーディー。でも、本当に聞いて欲しかったわがままは、
「いつまでも私のそばにいて」、その一つだけだったんだよ。


今日は、運良く時間がありそうな冒険者さんがいたら、ユーディーに初めて会った場所、
ヴェルンの街に同行してもらおうと思って、黒猫亭を訪れた。
酒場を見回すと、隅の方のテーブルに、濃い青色のマントを着た男の姿が見える。
「ヴィトス……さん?」
名前を呼ばれたヴィトスさんはゆっくりと顔を上げると、
「ああ、ビハウゼン家のお嬢さんか」
ぼそり、とつぶやく。
ユーディーがいなくなってから、初めて姿を見かけたような気がするけれど、この人、こんなに
顔色が悪かったかしら?

認めるのは少しくやしいけれど、ヴィトスさんの方が私よりもユーディーと一緒にいる時間が
長かったと思う。やはりユーディーの事がショックだったんだろう、そう言えばクリスタさんから
ちらっと、ユーディーがいなくなってから尋常じゃない量の仕事をし続けている、と聞いた事がある。
それに、ヴィトスさんが飲んでいるのは、ものすごく強そうなお酒。いくらなんでもこんな時間から
そんな物を飲んでいたら身体に良くない。

「何か?」
「もしよろしければ、今からヴェルンまで護衛をお願いしたいんですが」
多分断られるだろうと思ったけど、店の中に他に知っている冒険者もいないのでお願いしてみると、
「いいよ。代金さえいただければね」
意外にも簡単に請け負ってもらえる。
「お仕事とかは大丈夫なんですか?」
「ああ、ちょっと仕事に熱を入れすぎてね。あちこちの債務者から苦情が来たんで、ギルドから
 しばらく休めと言われているんだ」
くっくっ、と、ヴィトスさんは自嘲的に笑った。私の知ってるヴィトスさんは、こんな寂しい
笑い方をする人じゃなかったのに。

「ところで、ヴェルンねえ……何の用事で?」
「あの、ユーディーと一緒に行った事のある場所を回っているんです」
「ふうん。今から出発するのかい?」
「ヴィトスさんのご都合が付けば、いつでも」
「ああ、僕はいつでもいいよ。それじゃ行こうか」
飲みかけのお酒のグラスをテーブルに残したまま、ヴィトスさんは椅子から立ち上がった。

メッテルブルグの城門を出て、ヴェルンまでの道を歩く。一応主要な部分は石畳で舗装されて
いるけれども、ところどころ足場の怪しい箇所もいくつかある。
「きゃっ!」
道の横に大きな木が生えていて、その木の根っこが道まで延びて石畳を持ち上げている。そこに
足を引っかけてしまい、転びそうになったけれどヴィトスさんが腕を取って助けてくれた。
「あ、ありがとうございます」
「……ユーディットも、この場所でつまずいた事があるんだよ。彼女の場合は豪快にすっころんだ
 けれどね」
ヴィトスさんが首をかしげて小さく笑う。
「中身がいっぱい入った採取カゴを両手に抱えていたもんだから、顔から倒れて器用に鼻の頭を
 すりむいて。おまけにカゴの中の植物や鉱石なんかをあちこちばらまいて、大騒ぎだったよ」

酒場を出てからあまりしゃべらなかったから、てっきりつまらないのか不機嫌なのかと思って
いたけれども、その話しを皮切りにして、二人でユーディーの話しをいっぱいした。
「何か面白そうな物を見つけるといきなり道から外れてしまうから、それを追いかけるのが大変で」
「安全かどうか分からない湧き水に、いきなり口を付けようとしたりね」
楽しそうにしゃべるヴィトスさんを見て、ああ、この人もユーディーの事が好きだったんだな、
と確信する。もちろん、他の冒険者さん達と話しをしている時も、みんなユーディーの事が今でも
大好きなんだな、って、とっても感じる。
みんなが大好きなのに。
それなのに。
どうして行ってしまったの、ユーディー?
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