● 3年後の約束(2/2) ●
『ラステルが見つけてくれるのを前提でこのお手紙を書いています。こんな事になるなら
お別れする前に二人で暗号を決めておけば良かったね。でもあの時は、元の世界に
帰ってラステルにお手紙を書くなんて全然考え付きもしなくて』
嬉しさとそれ以上の驚きで、文章を何度繰り返し読んでも内容が頭に入らないような気がした。
『でもラステル以外の人には見られたくないから、ページにちょっとした封印の魔法を
かけました。封印を解くキーワードは、あたしとラステルの正しい名前。ラステルなら
絶対気付いてくれると思うんだ。ここ見てるって事は気付いたんだよね? 書いてる
時点では少し不安だけど、ラステルなら絶対大丈夫。でももし違う人が開けてしまったら、
すぐにメッテルブルグのラステル=ビハウゼンに届けて下さい。お願いします』
ラステルは無意識に呼吸を止めていた事に気付き、ゆっくり口を開けた。
『あ、でもラステルが生まれる前に見つけられちゃったらどうしよう。その時はヴェルンの
図書館のポストさんに届けて下さい。あ、待てよ、ポストさんが生まれる前、そもそも
ヴェルンの街ができる前に見つかっちゃったらどうすればいいんだろう。うーん』
「そんな事言ってたら何も始まらないわよ、ユーディー」
まるでユーディーがすぐ目の前にいるような気がして、普段彼女に話しかけていたような
言葉が自然に口をついてしまった。
「やだ、私ったら」
それが妙におかしくて、笑いがこみ上げてしまう。
「ああおかしい、ユーディーったら」
悲しさではなく、笑いすぎて滲んだ涙をそっと拭う。
「元の世界に帰っても、こんな立派な本を出しても全然変わらないのね」
やっぱり、どこにいても、いくら離れていてもユーディーはユーディーだった。それが
分かったラステルはとても嬉しい気持ちになった。
「うふふ」
一息付いて気分もほぐれたラステルは、先を読み進む事にする。
『でもまあいいや、ラステルなら絶対この本、あたしの想いを受け取ってくれる筈。うん。
と言う訳で何だっけ、何だっけじゃないよ、ちょっと待ってね』
「いくらでも待つわ。大丈夫よ」
目を閉じ、あたふたしているユーディーを思い浮かべてから再び目を開けた。
『ここから真面目。元の自分の世界に帰って、あたしは竜の砂時計の研究を続けました』
竜の砂時計、その言葉を読んだラステルの胸がちくりと痛んだ。
『研究の目的は、時間の移動。それも偶然に頼る物じゃなくて意図した時間への移動を
可能にするもの。何だかいろいろ失敗もしたんだけど、それは割愛。今度会った時に
詳しく話すね』
「今度、会った時?」
読み間違いではないか、そう思ったが何度読み返しても確かに『今度』と書かれていた。
「じゃあユーディーの書き間違い? でも、何で」
『今度』と言う言葉にひとかけらの希望を抱いてしまったラステルはその先を読んで
しまうのが怖かった。
「二度と会えないのに、どうして?」
とにかく気持ちを落ち着けようと、大きく息を吸って、吐く。
「どうしてなの、ユーディー」
書き間違いでも、そうでなくても先を読まなくてはいけない。ラステルは心がくじけて
しまいそうになるのをこらえて、文字に目を向けた。
『あたしの望んだ効果が引き出せる砂時計を作るのに、3年かかりました』
「3年?」
ラステルは首をかしげた。
『今このお手紙を書いてるあたしは、ラステルとお別れしてから3年経って、3歳年を
とったあたしです。何か考えてみると変な感じだね。うーん』
3歳大人になったユーディーなんて想像もできない。そもそもこの文章からしてあまり
大人っぽいとも思えないのだが。
『と言う訳で今のあたしはラステルより3歳もお姉さんなんだから、これからはあたしの事
”ユーディーお姉様”と呼ぶように。分かった?』
「……?」
あちらこちらに飛ぶ話しを理解できず、ラステルは首をかしげた。
『ああ、”ここから真面目”なんて書いたのに、全然真面目になってないし。ごめんね』
「ううん、いいのよ」
ついつい手紙に返事をしてしまう。
『自分で考えて決心した事なのに、いざラステルに伝えようとすると何だかペンを持つ手が
震えちゃうって言うか。えーい、頑張れあたし。と言う訳で、お別れした日から3年後に、
あたしはラステルに会いに行きます』
「え?」
驚きのあまりラステルは目を見開いた。
「今、何て?」
がたがたと全身が震え出す。
「ラステルに……、会いに、行きます」
一語一語区切って口に出してみる。
「ユーディー」
ラステルは貪るように手紙の続きを読み始めた。
『本当はお別れしたあの日に戻ろうと思ったんだけど、いきなり年取ったあたしが現れたら
ラステルもみんなも驚くだろうし、あたしもちょっとあれな気分かなって思ったし。あ、
さっきの”お姉様”うんぬんは冗談ね』
少しだけ、ユーディーの字も震えているような気がする。
『あたし、こっちに帰ってからものすごく後悔したの。大好きなラステルと別れてまで
元の暮らしに戻る意味があるのかって。ラステルに会いたくて会いたくて、ずっと泣いて
過ごしてたんだよ。あたしみたいな脳天気が泣いたとか言っても信じてもらえないかな』
「信じるわ。だって、私もずっと泣いてばかりいるもの」
いつも楽しそうに過ごしていたユーディーが、自分を思って涙を流してくれた、それを知って
ラステルは胸の奥にじわじわと熱がこみ上げて来るような気がした。
『竜の砂時計を使った事を後悔して。自分の失ったもの……、ラステルがあたしの心の中で
いかに大切だったか思い知って。一緒にいる時もラステルを好きだったよ、でも』
いつの間にか流れていた涙をラステルは手で拭った。
『ラステルのいる場所、時代から遠く離れて改めてラステルの事いろいろ考えたら、ただ
好きだとか一緒にいたいとか、そんな言葉で表現できない程、あたしにはラステルが
大切だったんだ、必要だったんだって分かったんだ』
「ユー……、ディー……」
この手紙を読むまで親友の心を疑っていた自分が恥ずかしい。
『だからもう一度ラステルに会いに行かなくちゃって。あたしの本当の居場所は今いる
ここ(ラステルにとっての過去)じゃなくて、ラステルのそばなんだって思ったの』
「ユーディー、ユーディー」
ラステルは泣きながら何度も大切な友人の名前を繰り返した。
『何かあたし一人で突っ走った文章書いちゃってごめんね。もしかしたらラステルも、
あたしがラステルを思うみたいに、ちょっとでもいいからあたしの事思ってくれてたら
嬉しいなあ、とか。あ、でもあまり気にしないで』
「好きよ。好き。いつでもあなたの事を想っているのよ、ユーディー」
ユーディーの文章はあと少しだった。
『このお手紙を書いて封印の魔法をかけて、本を信頼できる人に預けたら、あたしは
ラステルの所へ出発します。実はもう出かける準備はしてあるんだ。何だかすごく
ドキドキしてるから、お手紙のテンションが高いのは許してね』
「大丈夫よ、私もものすごくドキドキしているから」
早鐘を打っている胸を手の平でそっと押さえる。
『ずっと会いたかったラステルに会えるんだと思うだけで嬉しくて泣いちゃいそうなんだ。
まさかラステル、あたしの事忘れてないよね〜、なんちゃって』
「ユーディーを忘れるなんて絶対にないわ」
ラステルは首を横に振った。
『書きたい事はまだ沢山あるけど、きりがないからそろそろ終わりにします。だって
今から会えるんだもんね。ラステルの顔を見ながら、ラステルの声を聞けるんだもん。
ああ、早く会いたいなあ』
頬を染め、ばたばたと落ち着き無いユーディーの姿を簡単に想像できてしまう。
『最後に。ラステル、大好きよ。本当に大好き。それじゃ行ってきます、待っててね。
ユーディット=フォルトーネ』
名前の横にぐるぐると丸が書いてあって、そこから矢印が引っ張ってある。
『ほんとの最後の最後に。ラステル、愛してる』
「……」
手紙の全てを読み終えたラステルは、次々に溢れてくる感情の渦に飲み込まれ、しばらく
身動きができなかった。嬉しさ、驚き。ユーディーを信じていなかった自分への嫌悪と
恥ずかしさ、それでもやはりユーディーを愛する深い気持ち。
「ユーディーは」
自分はぐずぐず泣きながら無駄に時間を過ごすだけだったのに、ユーディーは自分に会う為の
手段を3年もかけて実現させたのだ。
「ユーディーは、本当に私の事が好きだったのね」
胸の奥が痛くなる程にそれを実感する。
「また会えるのね、ユーディーに」
3年間、ラステルの事を思い続けてそれを形にしたユーディー。3歳大人になったユーディーは
きっと素晴らしい女性になっているだろう、ラステルはそんな風に考える。
「……うふふ」
止まらない涙をこすりながらラステルは微笑んだ。
「ごめんねユーディー。私、悲しさのあまり大事な物を見失う所だった。ユーディーとの
大切な思い出さえも醜く歪めてしまう所だった」
もしポストさんがこの本を見つけなかったら、もしラステルがユーディーの秘密の仕掛けに
気付かなかったらどうなっていただろう。ふと考える。
「……そんなの、だめよ」
毎日を無意味に過ごし、夢も希望もなくなって屍のように生きる自分の前に溌剌と輝く
ユーディーが突然姿を見せたら、全てが恥ずかしくて情けなく思えて、きっと顔を合わせ
られないだろう。
「そんなの絶対にだめ。そうしたら私も頑張らなくてはいけないわ。ユーディーが戻って
きた時、大人になった私を見せて驚かせなくちゃ。ユーディーに負けないくらいステキに
なって、もっともっと私の事を好きになってもらわなくてはね」
ラステルはもう一度ユーディーからのメッセージを読み直すと、優しい仕草で本を閉じた。
「ありがとう、ユーディー。私は本当にユーディーがいなくてはだめなのね」
それでも一方的に依存するのではなく、ユーディーと同等に並んで歩けるような人間に
なりたい、そうならなければいけない。ラステルはその思いをしっかり心の奥に刻みつけた。
最初のエンディングでラステルが読んでいる本のイメージ。
後ろ向きにイジイジしてるのも好きなんだけど、たまには前向き。