● ずぶ濡れの雨宿り(3/3) ●
「いや、だから、すまない。やはり、一緒の毛布に入るべきじゃなかった」
「や、だって、こっちに入ってって言ったのあたしだし、ヴィトスは気にしないでよ」
一瞬前まで寒かったのに、今は頬が熱くなって、頬だけじゃなくて身体全体が火照ったように
熱くなってきて。
「あの、あのさあっ! そうだ、あたしの事ぬいぐるみだと思えばいいよ。ぬいぐるみを
抱っこしてるんだと思って、気にしないでよ」
あははは、と乾いた笑いを浮かべる。
「……無理だよ」
ヴィトスは、本当に困ったように首を横に振った。
「何だったら、むにーとかしてくれてもいいし、とにかく雨が止んで温かくなって、
外に出れるようになるまで毛布から出ちゃダメだからね」
あたしは少し滑り落ちかけてしまった毛布を、ヴィトスの肩にかけてあげた。
「ダメって、このまま毛布の中にいる方がダメだよ」
ヴィトスは考え込むように、大きな手を自分の額に当てた。表情が見えなくなってしまう。
「何で? あたしも気にしないし、あたしもヴィトスの事、大きいぬいぐるみだと思う
からさあ。ついでに景気付けに歌でも歌おうか?」
何で歌を歌うと景気付けになるのか分かんないけど、あたしはラステルに教わった歌を
歌おうとして、息を吸い込んだ。
その時、ヴィトスの左腕があたしの肩に回ってきて、せっかく吸った息が止まってしまう。
「ひ、く」
ヴィトスの腕に力が入り、彼の方へと引き寄せられた。変な息を漏らしたあたしは、彼に
されるままになってしまう。
「これでも、僕をぬいぐるみだと思えるのか?」
真剣な声。ヴィトスの顔が、あたしの顔に近付いてくる。
「ぬ、ぬいぐるみ、ぬいぐるみだよ、うん」
「ユーディット」
「ヴィトス、むにー……」
頬をつまもうと、伸ばしかけた手首を彼に掴まれる。自分の声が白々しい程に震えている。
あたしの声だけじゃなく、身体も震えてる。それは本当に寒さだけのせいじゃなくて。
「……」
あたしの目を真っ直ぐに見つめる、ヴィトスの視線に耐えきれない。あたしは思わず、固く
目を閉じてしまった。
ゆっくりと、ヴィトスの吐息が近付いてくる気配がする。このまま、キス、されちゃうのかな。
怖い。恥ずかしい。でも、ちょっとだけ……、ううん、とっても嬉しい。キス、されるの怖い。
キスして欲しい。このまま抱きしめられてたい。やっぱり、あたしはヴィトスが好き。
どうしていいか分からなくて、あたしはただ身体を固くしていた。
そのままじっとしていて、でもヴィトスの顔はいつまでもあたしには触れてこなくて、目を
開けて見てみたかったけど、目を開けた瞬間、くっつくくらいにヴィトスの顔が近付いてたら
心臓が爆発しちゃいそうだし。
それでも、いつの間にかあたしは頭を下げていたみたいで。無限とも思える時間の後、ようやく
ヴィトスのくちびるが、優しくあたしのおでこに触れた。
「……ぬいぐるみは」
「はい?」
思わず、裏っかえってしまうあたしの返事。
「ぬいぐるみは、キスなんてしないだろう、ユーディット?」
「そそそ、そうかもしれないわね」
ぬいぐるみはキスなんかしない。ヴィトスはキスをするの? じゃあ、今あたしがヴィトスに
されたのは……、キス、なんだ。
「……あ」
途端に、ぼん、と顔から火が噴き出したみたいになって、じわっと涙が滲んできて、どうしたら
いいのか分からなくて、あたしは自分の手で自分の顔を覆う。
「あっ……、う、あ」
本当に、おでこにだけど、本当にヴィトスにキスされちゃった。どうしよう。嬉しいんだけど
恥ずかしくて、何でだか涙が流れて、がたがたと全身が震えてくる。
「ユーディット、すまなかった、泣かないでくれ」
あたしを気遣ってくれるような、優しい声。でもあたしは流れる涙を止められなくて、大丈夫
だって言いたいのにまともな声が出せなくて。
「ユーディット、僕は」
あたしの肩に回していたヴィトスの左手が、まだ湿っているあたしの髪を撫でる。
「僕は、君が好きなんだよ」
嘘。
「だから、このままでいると、自分を止められなくなってしまう」
えー。えっと、あっ、え? 真っ白になりかける頭をどうにか戒め、今あたしの耳に入ってきた
言葉の意味を考えようと努力する。
好きって。
あたしの事を、好き……、って言った? 言ったよね。あたしの聞き間違いじゃないよね?
「何となく、こういう状況でこういう事を言うのは場違いな気がするんだけれどね」
そう言って、ヴィトスは小さく笑った。
「それに、こういう状況に陥ったから君にどうこうするとか……、そういう調子のいい男だと
思われるのは嫌だし」
思いました。ほんのり思ってしまってました。ごめんなさい。
「そう言う訳で、僕は君から離れているよ」
キスをされる前から、ずっと掴まれていた手首。彼の手がゆっくりと離れて、そうすると
そこで感じていた彼の体温が失われてしまい、途端に寂しくなってしまう。
「ま、待って」
だから、今度はあたしの方からヴィトスの手を握った。
「やだ、離れないで。一緒にそばにいて。ヴィトスがしたいならキスとかしてもいいから」
息も継がず、一気にまくし立てる。
「あの、あのね。あたしもヴィトスが好き。だからくっついてたいの。離れないで、お願い」
身体は冷えていて寒いのに、頬と頭の中だけ熱くて、頭痛がしてるのかと思うくらいにガンガンする。
「でも」
「場違いとかそうじゃないとか、関係ないと思う。あたしがヴィトスを好きで、ヴィトスが
あたしの事好きでいてくれるなら、あたしは」
あたしは……?
それから先、あたしは何を言いたかったんだろう。
考える前に、口に出す前に、あたしはヴィトスの胸にしがみついていた。
「……ユーディット」
座っているヴィトスの膝の上に乗りかかる形になって、ぴったりと、身体をくっつける。
くっついている所は冷たくて、でも彼の身体が温まってる部分は温かくて。
「僕も、好きだよ。本当に、君が」
ヴィトスの腕があたしの背中に回って、あたしを抱きしめるのと同時に、毛布をあたしの
身体、ヴィトスとあたしの身体に巻き付けてくれる。
「あたしも、好き」
あたしはもっとくっつきたくて、毛布の中でごそごそと体勢を変えた。ヴィトスの膝の上に
横抱きにされるように座って、またしっかりとヴィトスの首に腕を回す。
「だから、その、しても……いいよ。キス、とか」
恥ずかしくて最後の方は声が消えそうになってしまう。
「うん」
でもヴィトスは笑って、あたしに本当のキス、くちびるとくちびるのキスをしてくれた。
「ええと。少し待っていてくれ、ユーディット」
「えっ? あ、うん」
やわらかなキスの後、ヴィトスが毛布から出たので、あたしは慌てて目を伏せた。
「どうしたの?」
あまり上を見ないように、でも伏せた目の端で、彼の足元を追ってしまう。
「いや」
適当な返事をしながらヴィトスは自分の荷物から何かを取り出しているようだった。
「あっ、あれっ? それは?」
彼が取り出した物、もう一枚の毛布を見てあたしは思わず大きな声を上げた。
「見て分からないかな? 毛布だが」
「毛布なのは見れば分かるよ。何でそんなの持ってるの?」
「何でって、僕は用意のいい男だからさ」
ヴィトスはその毛布を身体に巻き付けると、あたしの隣りに座った。
「君も毛布巻き付け直した方がいいんじゃないか。ずり落ちてるよ」
「だ、だってこれはヴィトスが出たから……、って、何よ! 最初から毛布二枚持って
たんじゃない!」
ちょっと待ってよ。ヴィトスの分の毛布があったんなら、何であたしはあんな恥ずかしい
思いをして、あんたに毛布をかけてあげなきゃいけなかったの?
「持っていたよ。それが何か」
「それが何かってねえっ、だったらあたしと一緒の毛布に入る事無かったじゃない!」
「ああ、だから僕は大丈夫だと言った筈だけれどな。君がどうしても毛布に入ってくれと
あんまりしつこくせがむものだから、君の意思を尊重したまでだよ」
なんだか、頭の中がくらくらと回り始める。
「だって、あたしに毛布をくれた後、寒そうに身体こすってたから、てっきり……」
「身体が完全に乾いてから自分の毛布を使おうと思っていたんだ。濡れた身体で毛布に
触ると気持ち悪いだろう」
そう言ってまだずり落ちたままだったあたしの毛布を丁寧に直してくれるヴィトスの
手つきと笑顔がにくたらしい。
「さて、僕も今日はかなり疲れたし、君も早く寝るといいよ。おやすみ」
「ええっ?」
何それ、と思う間もなく壁に寄りかかったヴィトスは目を閉じてしまった。
「ちょ、ちょっとっ」
ヴィトスの毛布をぐいぐいと引っ張ってみたけど、彼が目を開ける様子はない。って言うか
まだ眠ってないでしょ。何でバレバレの狸寝入りするのよー。
「……ふーんだっ」
何だか悔しいけどそれでもやっぱりあたしはヴィトスの側にいたいから、毛布を引っ張るのは
やめてヴィトスの肩に頭を乗せてやった。そしたらヴィトスも頭をあたしに寄せてくれた。
この後しばらくして、ユーディーさんが「夕飯食べてない!お腹空いた!!」と騒ぎ出す。