● ずぶ濡れの雨宿り(1/3) ●
アルテノルトで買い物をして、工房のあるヴェルンへ帰る。
「そろそろ出発したいんだけど、いいかしら?」
冒険者風というか盗賊風というかそんな感じの人達が集まる銀の白砂亭で、周囲の話しを
聞くとはなしに耳に入れているヴィトスに声をかける。
「ああ、かまわないよ」
短く、そっけない返事。
「じゃあ行きましょうか。護衛、よろしくね」
「いちいち言われなくても、賃金をもらっただけの仕事はするさ」
……何でこの人はいちいち突っかかるような事を言うんだろう。まあ、そんな意地悪な所も
好きだったりはするんだけど。
そんな事を考えていたら、
「大事なお姫様の身に危険が及ばぬよう、命に替えてもお守りしますよ」
なんて言われて、小さくウインクをされてしまった。だ、大事な……、命に替えても、って。
頬が熱くなってしまったあたしは、何も言えなくなってしまう。
「まあ、命に替えてもと言ってもあくまで賃金分の範囲内だからね」
そのまま黙っていたら、ヴィトスが笑いながらあたしの頭をこづいた。
「う、ううっ、分かってるわよ」
思わせぶりな事言うから期待しちゃったじゃない。ヴィトスもあたしの事が好きなのかな、なんて。
「もうっ、賃金分みっちり働かせちゃうからね。行くわよ、従者!」
「はいはい、ユーディット姫様」
お姫様とか言われると、何て言うかくすぐったい感じ。恥ずかしくて照れるけど。
ついでにお姫様抱っことかしてくれないかなあ、あ、でもヴィトスの事だから、重いとか
何とか言い出しそうだからいいや。
そんであたしがドアに向かうとヴィトスはすぐ後に付いて来た。
中央広場から門を出て、街道を歩き始めてしばらくすると、ヴィトスが不思議そうに尋ねてくる。
「あれ、僕の他にもう一人護衛がいなかったっけか。アデルベルトだったか、コンラッドだったか」
「うん、頼もうと思ったけどやめたの。フラムを買ったから雨男のアデルベルトがいると困るし、
コンラッドがいるとなんでだか盗賊がいっぱい出てくるし」
ヴィトスと二人きりになりたいっていう乙女心を分かってよ。
「ヴェルンに帰るだけなら護衛はヴィトス一人で充分でしょ。お金も節約しなきゃいけない
から、護衛費も惜しいし」
「なるほど。しっかりしているね」
感心されてるとも、馬鹿にされてるとも付かない返事。
「でも何でコンラッドって盗賊に狙われるのかしらねえ。貧乏なのに」
クリスタを仲間にしてる時は、彼女の家の名前を恐れて下っぱ盗賊は手を出してこない。それは
分かる。でも何で万年金欠のコンラッドを盗賊がつけねらうのか、あたしには理解できない。
「たまにお宝とか持ってるからかな。でもお宝持ってるって言っても本当にたま〜になのにね。
遺跡とかで運良くお宝発見した時とか、図書館のポストさんに鑑定してもらう時とか限定よ」
「ふうん、ずいぶん詳しいねえ」
「詳しいって言うか一緒に行動した事あるから分かるわよ。トラップ解除の成功談とかも
聞いた事あるけど、あたしが思うに絶対に失敗の方が多い筈……」
しゃべってる途中でヴィトスが何だかつまらなそうな顔をしてるのに気付いて、言葉を切る。
「あ、ごめんね。あたしばっかりしゃべって」
「いや、別に」
せっかく二人でいるのに、他の人の話しばかりしてもしょうがないよね。反省。
その後何話していいか思いつかなくて、会話が無くなると妙にヴィトスを意識してしまって
そしたら余計にお話しできなくなっちゃって、何となく黙ったまま、ただ道を歩く。
ヴィトスはあたしの数歩前を歩いたり、数歩後になったり。でもあたしが追いかけて
横に並んじゃうの。横に並んで歩いてると恋人同士がお散歩してる感じに、ならないか……、
まあ、そう思い込むのは勝手だから、思い込む事にしてる。
「あれ?」
ふいにヴィトスが足を止め、空を見る。
「ん?」
つられて上を向く。あれっ、こんなに黒い空に雲が広がってたっけ、と思うあたしの頬に、
ぽつんと冷たいしずくが落ちてくる。
「雨、かな」
「嘘っ」
せっかく雨男を置いて来たのに(アデルベルトごめん、と心の中で謝る)、雨に降られちゃう
なんてついてない。
「どこかで雨をしのごう」
「あっ、うん」
雨宿りできる場所を探す間にも水滴はどんどん大きくなっていって、いったん大きな木の下に
逃げ込んだんだけどそこにも水は落ちて来る。
「ユーディット、向こうの方に洞窟があったと思うんだが」
ヴィトスは道から外れた方角を指さす。
「えっ、じゃあ、そこへ行きましょうよ」
冷たい雨が服を濡らし、肌まで染みてあたしは身震いをする。
「少し距離があるんだ。行くまでに濡れてしまう」
「もう濡れてるよ。洞窟だったら、今日のキャンプができるでしょ?」
さすがにこの悪天候の中、野原で雨に打たれて震えながら一晩を過ごすなんて考えたくない。
「じゃあ、急ぎ足で行こう。転ぶなよ」
「転ばないよっ」
「良し」
ヴィトスは手早くマントを脱ぐと、それをあたしの肩にかけてくれた。
「あっ……」
「これでいくらかはマシだろう」
マントが無ければヴィトスが濡れちゃうよ。そう言おうと思ったけど、
「行くぞ」
そのまま、ぐっと肩を抱かれてしまって、あたしは何も言えなくなってしまった。
肩を抱かれてしまうと走りづらくて、でもそんな走りにくいとか雨に濡れるとかはもう
意識の外に飛んでっちゃって。ヴィトスのマントを着せてもらって、肩を抱かれてる。
肩を抱かれるって事はヴィトスの身体とあたしの身体がぴったりくっついてるって事で、
ぬかるんだ道を走ってる筈なのに、ふわふわしたクッションの上を歩いてるって言うか
そんな感じがして。
それでもやっぱり水たまりに足を取られそうになったりはして、バランスを崩す度に
ヴィトスがあたしの身体を支えてくれる。肩を抱いている手に力が入って、もう何だか
雨とかそういうのどうでも良くて、このままずっとヴィトスに抱かれていたいなあとか
一瞬思ったけど、やっぱり徐々に身体が濡れて来るとやっぱりだんだん不愉快な気分が
こみ上げてきて、とにかく早くどっかに逃げ込みたいと思った。
少しって言ったのに、洞窟まではかなりの距離があったような感じがする。辺りは暗く
なってたし、あたしは頭の中でいろんな事をぐるぐる考えてたから時間の感覚が分からない。
丘の斜面がごつごつした岩の壁みたいになってて、適当な穴が開いてて、確かに雨宿りを
するには丁度良いかもしれない。
「ユーディット、こっちへ」
肩を抱かれていた手が離れていった。寂しいと思ったら、すぐにあたしの手を握ってくれた。
今日はなんていい日なんだろう。雨の神様ありがとう。
手を引かれて洞窟の奥へ。雨が吹き込まない所まで進むと、ヴィトスの手が離れる。
ぼんやりとしか見えない洞窟の中で、ヴィトスは自分の荷物を下ろして中を探る。油紙に
くるんでたとおぼしいランプを取り出し、それをほどいて灯りをともす。
「たき火は無理だろうな。少し寒いが、仕方がない」
ちらちらと揺れるランプの灯りを頼りに見回した限りでは洞窟の中では薪になりそうな
物も無いようだった。
「あ、あたし、燃える物持ってるかもしれない」
カゴを置いて、その中を探す前にヴィトスのマントを脱ぐ。
「これ、ありがとう」
マントはびしょびしょになってしまった。布だから雨が通って結果的にはあたしの服も
濡れてしまったけど、心遣いが嬉しかったし、マントに包まれてるとまるでヴィトスに
抱きしめてもらってるような気がしたから。
「ごめんね、ヴィトスの方が濡れちゃったでしょう」
「まあ、仕方がない。君に風邪を引かれるよりはいいよ」
マントを渡すとヴィトスはそれを丸める。軽くしぼっただけなのに、水がびしゃーっと落ちた。
それからカゴの中を見てみたけれど、その中もずぶ濡れ。
「やだ、荷物が全部びしょびしょだよ。どうしよう、毛布も濡れちゃってる……あああっ、
フラムが、フラムが湿気っちゃってるー!」
フラムは湿気ると品質が落ちて、品質が落ちると買い取り額も低くなってしまう。これじゃ
酒場の依頼に出せないよ。
「ユーディット、頼むからここでフラムを燃やそうなんて思わないでくれよ」
「ううーっ。燃やそうにも湿気ってるわよ」
それからガサガサとカゴを漁ったけど、燃料になるような物は入っていなかった。
「ダメみたい。ごめん」
「まあ、最初から期待はしてないからかまわないよ」
人を食ったようなヴィトスの口調は普段はちょっぴりだけ好きなんだけど、寒いし、足場の
悪い所を走って変な風に疲れてるし、フラムもダメにしちゃったしで、あたしは何だか
急にいらいらして来てしまった。
「悪かったわね」
さっきまでヴィトスに肩を抱かれていて嬉しいなんて思ってたのに、途端に機嫌が悪くなる。
「別に、悪いとは言ってないよ」
「嘘、言ってるじゃない。そういう風にしか聞こえない」