● 大切な人(3/3) ●

「足、真っ直ぐ真っ直ぐ」
もう片方の足もぺったり地面に付くようにすると、まるで布団に空気を含ませるように
ぽんぽん、と叩いた。
「これで良しっと」
「良しって、何が」
「おやすみなさ〜い」
顔をヴィトスのつま先の方へ向け、草の上に横になり、身体の位置をずらしてヴィトスの
太ももの辺りに頭を乗せる。ゆるく握った手を胸元に収めると、背中を丸めて目を閉じた。

「こら、膝枕するとは言ってないぞ」
拳で頭を軽く叩く真似をすると、
「ヴィトスがいないから、寂しくて眠れなかったんだもん」
風に流されそうな小さな声でそれだけつぶやいた。
「えっ?」
「何でもない」
後ろを向いているユーディーの表情は分からない。
「そうか」
ヴィトスは拳をほどくと、指先を立てるようにして、優しくユーディーの髪を梳く。
「だから一緒に寝ようって言ったじゃないか」
「それは、違うの」
もぐもぐとはっきりしない返事。

「じゃあ、膝枕は違わないのかい?」
「うん」
それきりユーディーは黙ってしまった。やがて、可愛らしい寝息が聞こえてくる。
「寝たのかな? 全く我が侭な娘だな」
文句を言いつつも、ユーディーの頭の重さ、流れる髪の手触りが心地よい。
「ユーディット? ユーディット」
小声で数回呼び、反応がないのを確かめる。
「ふむ」
すうすうとおだやかな寝息を立てているユーディーの顔を見たかったが、首を無理に
こちらに向けさせたらさすがに起きてしまうだろう。

上を向いている彼女の片耳。そこにくちびるを寄せようと思い、身体を倒す。が、キスを
するには微妙に身体が曲がりきらなかった。もう数センチの所でくちびるが届かない。
「まあ、仕方ないな」
ふう、とため息を吐き、なるべく彼女の頭が動かないように気を付けながら片手で
ナップサックを取る。中から毛布を出してユーディーの身体にかけてやってから、木に
よりかかって目を閉じた。

◆◇◆◇◆

「う、ん」
自分もすっかり眠り込んでしまったヴィトスが目を覚ます。
「ユーディット?」
足の上を見ると、いつの間にこっちを向いたのか、ユーディーが幸せそうな顔をして
まだ眠っていた。
「いつまで寝ているつもりなんだ」
空を見上げて太陽の位置を見ると、どうやら昼はとっくに過ぎてしまったようだ。
「これで今度は、寝過ぎて夜眠くないとか言い出したら承知しないぞ」
多分ユーディーは夜になっても眠れないだろう。

「我が侭ばかり言う娘はどうしてやろうか。泣くまで頬を引っ張ってもいいし、立てなく
 なるまでくすぐり倒してもいいな。あとはまた幽霊の話しでも……」
ユーディーのやわらかな頬を手の平で撫でてやりながら、ヴィトスはまた楽しい空想にふける。
「ん……」
ヴィトスの手の動きに気付いたのか、ユーディーが小さくうなった。
「ん、うん」
両手を伸ばしてヴィトスの腰に回し、そこにぎゅっと抱き付く。
「ユーディット?」
「うー、……うん」
腕に力を入れながら、背中を軽く丸めてゆっくりと伸びをした。

「ふあ、あ。お早う」
軽く瞬きをしたが、すぐに目を閉じる。
「お早う。気分はどうかな?」
ぴったりと抱き付いているユーディーに落ち着かない気分を感じながらも、冷静な声を作る。
「ん。眠い」
腕を離し、目元をごしごしとこすった。
「これ以上眠るなら、本当に置いていくぞ」
「待って〜、起きるよ〜」
ヴィトスの太ももに顔を埋め、首をぐりぐりと左右に振る。

「うー」
今度はしっかりと伸びをしてから、ユーディーはもそもそと起き上がる。
「あ、毛布」
肩からずり落ちそうになる毛布の端を指で押さえ、嬉しそうにはにかんだ。
「ありがとね」
「ああ。まあ、風邪を引かれても困るからな」
ぺったりと座り込んだ格好のユーディーは腕を上げ、伸びをしながら大きなあくびをする。
「ふあ〜あ……」
「あまり大きな口を開けると、ぷにが入るぞ」
言われて、両手でぱっと口を隠す。

「ぷ、ぷになんて入る訳ないじゃない。あくびしてるとこ見ないでよっ」
「君が勝手に僕の前で大口開けたんじゃないか」
「大口とか言うなー」
ぽかぽかとヴィトスの肩を叩く。
「さて。寝ぼすけも起きたみたいだし、出発するか」
「うん、なんかすごく気分がすっきりした。ありがと」
丁寧に毛布をたたみ、ヴィトスに渡す。
「ふああ」
立ち上がると、今度はヴィトスに背中を向けてあくびをした。

「それにしても、ねえ」
肩にくまさん入りのリュックをかけたヴィトスは、道をしばらく歩いた所でぽつりとつぶやいた。
「ん?」
「僕がいないと眠れないなんて、そんな風に言われると僕も照れてしまうな」
全然照れた様子もなく、さらっと言ってのける。
「あ、ああ。それは」
むしろ、ヴィトスからゆるやかに目線を背けるユーディーの方が照れている。
「何かね、ずーっと一緒にいたじゃない、だから急にいなくなると、ね。深い意味が
 あるとか、変な意味とかじゃないのよ」

「深い意味? 変な意味ってどんな意味だい。興味あるから聞かせて欲しいな」
「うーん、それは……、別に」
ユーディーが困っていると、更にいじめたくなってしまう。
「それに夜寝られないのは困るね、ヴェルンへ帰る日程への支障も出るし。まあ、今夜は
 一緒に寝てあげるから心配しなくてもいいけれど」
「うん、一緒の場所で寝るって事だよね」
微妙な言葉のニュアンスを訂正するユーディーに、ヴィトスはとっておきの笑顔を見せた。
「一緒に、だよ。遠慮しなくてもいいよ、ユーディット」
「えっ、あの、それは……、きゃっ」
ヴィトスとの会話に気を取られ、道に落ちていた小石に足を引っかけたユーディーが
つまづいてしまう。

「何をやっているんだい、君は」
「ううう」
ヴィトスに優しく腕を取られ、ユーディーは頬を赤くした。
「まだ寝ぼけているのかな、困ったね。やはり今日は君が安心して眠れるように、僕が
 ずっとそばにいてあげるからね」
「寝てあげるとか、いてあげるって何よー。偉そうにっ」
崩したバランスを立て直しても、ヴィトスはユーディーの腕を離さない。
「ヴェルンに帰るまではもちろん、君が工房に帰ってからも、ご希望だったら添い寝しに
 行ってもいいよ。睡眠不足は病気の元だからね」
ヴィトスは不意に歩みを止める。

「添い寝なんていらないわよ。余計なお世話だわ」
「それに、睡眠不足は美容にも悪いし」
つられて足を止めるユーディーの方を向き、彼女の腕を握っていた手を離す。その手の平で
赤く染まっているユーディーの頬をそっと包みこんだ。
「何?」
顔を近付けながら首を傾け、軽く開かれたみずみずしく赤いくちびるに、自分のそれを
そっと合わせる。
「……」
頬から華奢な肩へと手をすべらせると、ユーディーの身体がかちかちに緊張しているのが分かる。
強ばっている肩を二、三度撫で、それからその手を背中に回して、しっかりと抱きしめた。

顔を離しても、ユーディーは目を閉じたままでいた。伏せられた長いまつげの端に、
かすかに涙が滲んでいる。
くちびるを離したばかりなのにどうしてももう一度その感触を味わいたくなり、ヴィトスは
自分の腕の中に閉じこめたユーディーに口づける。
「……ん」
やがて、小さな身じろぎを感じて彼女のくちびるを解放する。ゆっくり開いたユーディーの
瞳は戸惑い、ヴィトスの顔を真っ直ぐ見ようとしない。
「……」
ぱくぱくと口が動くが、言葉が出てこない。細い身体がかたかたと震えている。

「何、よ」
やっとそれだけ言葉を絞り出すが、今にも泣き出しそうになっている。
「何って、僕は君が好きだなあ、って思って」
素直な気持ちを簡単に口に出せた事に若干の驚きを感じながら、ヴィトスは目の前の
愛しい少女を見つめる。
「嫌だったかな?」
「あ、ううん、でも」
くちびるを押さえようと手が上がりかけ、また思い直したように下ろす。
「こんな所で、誰かに見られたらどうするのよ」
軽く辺りを見回すが、人の姿は見えない。メッテルブルグからここへ来るまでも、
馬車や商人すら見かけなかった。

「ああ、そうか。気が利かなくてすまなかった」
くちづけ自体を拒否された訳ではないのだと思うと、ヴィトスは嬉しい気持ちになる。
「じゃあ、今度は二人きりの時にするよ。例えば今夜、君と僕が一緒に寝る毛布の中とか」
「え。あっ、そ、そういうのは、ダメ」
ぶんぶんと頭を左右に振る。
「そういうのって? 一緒に寝るのがダメなのかな、キスをするのがダメなのかな。それとも」
ユーディーが狼狽するのを予想しながら、彼女の目をじっとのぞき込む。
「僕が君を好きだって言うのがダメなのかな?」
「あの、あの、それは」
思惑通り、ユーディーはあからさまに落ち着きを無くす。

「その、それはダメじゃないよ。えっと、あの、あたしもヴィトスの事……、うん、
 よく分からないけど、でも」
もごもごと不明瞭に口の中でつぶやく。
「多分、ヴィトスの事、す、好きなのかな? やっぱり良く分かんないけど」
ユーディーの手が、ヴィトスの服の袖にそっと触れる。
「ヴィトスがいてくれれば、くまさんがいなくても多分平気だと思うし」
「そうか、それは助かるな。いちいちどこへ行くにもこの大荷物じゃ大変だ」
ずり落ちかけたくまさん入りのリュックを背負い直す。

「うん、ごめんね、ありがと」
照れながら笑うユーディーの笑顔がヴィトスの胸に刺さる。
「……それにしても疲れたな、少し休もうか。うん、あの木の下なんかいいかもしれない」
「えっ? だってさっき休んだばっかりよ」
不思議な顔をするユーディーの手を取ると、ヴィトスは道から少しばかり外れた場所に
生えている大きな木の陰まで彼女を引っ張っていく。
「ここなら誰も来ないだろうし、誰にも見られないだろう。安心して休めるよ」
そう言ってユーディーの背中をそっと木の幹に押し付け、ゆったりとしたキスを繰り返した。
 完結した(?)お話しにだらだらと続きを書いたらこんな風になった、みたいなSS。
 なんかヴィトスがえろいが、まあうちのサイトのヴィトスはこんなもんでしょう。
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