● 大切な荷物(2/2) ●

「もうー、ヴィトスってどうしてそういう事言うのよっ」
「そういう事って?」
「意地悪とか。あたしを困らせるような事とか」
「そんな事言ったかなあ? 全然覚えがないんだが」
わざととぼけて首をひねる。
「まあ、モンスターがいなくても幽霊がいるかもしれないけれどね。ヴェルンの採取場にいる
 ような害の無さそうなのじゃなくて、人間に取り憑いて呪い殺したりするたちの悪いのが」
「わー、わーわー、わー」
急に大声を出し、ヴィトスの話しを遮る。

「どうしたんだい、ユーディット。そんなに大きな声を出したら、僕の話しが聞こえないだろう?」
「聞こえなくていいのっ。恐い話ししないでよ、眠れなくなっちゃうでしょ」
「ほう、君は恐い話しが苦手なんだ」
にやりと笑うヴィトスの表情を見て、ユーディーはうっかり弱点を晒してしまった事に
今更ながら気付いた。
「い、いや……、苦手じゃないよ。全然平気。あー、すっかり眠くなっちゃったなあ、
 もう寝ようよ、毛布ちょうだい」
口元が完全にこわばっているユーディーがヴィトスに向かって手を伸ばす。
「苦手じゃないんなら、もう少し話しをしようか。今から僕達が向かうメッテルブルグで
 聞いた、とっておきの幽霊話しがあるんだが」

「毛布毛布! 眠いー、寝ちゃうよ、もう倒れそう!」
ユーディーが半分泣きそうになっているのを見て満足したヴィトスは、
「仕方ないなあ、ほら」
もったいぶってから毛布を一枚渡してやった。
「ありがと。ヴィトスも早く寝なよ。あ、あの、それからさ」
毛布を身体に巻き付けながら、少しためらった口調になる。
「寝てる時、こっち見ないでね。絶対だよ」
「えっ?」
寝顔を見られたくないのだろうか、それとも人に見せられない程寝相が悪いのか。

「絶対、って」
また何か言ってからかってやろうと思ったが、それよりも夜中にこっそりとユーディーの
秘密の姿を眺める方が面白いかもしれない。
「そうか、分かったよ」
「へ?」
妙に物わかりの良いヴィトスの返事に拍子抜けし、ユーディーは間抜けな声を出してしまう。
「何か? 君の方を見てはいけないんだろう。それなら了解したが」
「あ、いやいや、分かったんならいいの。さっ、寝ましょ」
なるべく汚れていなさそうな、平らな場所を選ぶとユーディーはそこに座った。
もじもじしたり、身体に毛布を巻き付け直したりしながら自分的に納得する格好で
地面に横たわった。

「何か変な感じ。おやすみー」
「ああ、おやすみ」
少し離れた場所に、ユーディーを安心させる為に彼女に背を向けてヴィトスも横になった。
それからしばらくして、ごそごそと物音が聞こえてくる。
「……?」
リュックのバックルを外しているらしい、金属と布のこすれる音。
「……ん、……」
布の音の中に紛れて、くぐもったユーディーの声。
「く……、……」
秘めたような小さな声に聞き耳を立てるのは失礼だとは分かってはいるが、どうしても
興味の方が先に立ってしまう。

洞窟の入口でささやかに燃えている火のおかげで、洞窟の中で充分に物が見える。
ヴィトスはゆっくりとユーディーの方を振り向いた。
「く、くま!?」
ユーディーが寝ている場所に寄り添うように、大きなくまが座り込んでいる。
「ユーディット、逃げろ」
「きゃ!?」
飛び起き、毛布をはね除ける。てっきり彼女がくまに襲われているのだと思ったヴィトスは
慌ててユーディーの元に走り寄った。
「だ、だめー、だめーっ、来ないで! 見ないでって言ったじゃない!」
ユーディーは泣きそうな声でくまに抱き付いた。

「……それ、は」
落ち付いてユーディーが抱きしめている物体を眺める。
「ぬいぐるみ? くっ……、あははっ」
一瞬の緊張が解け、気が緩んでしまったヴィトスは笑い声を上げた。
「君、それぬいぐるみ……、もしかしてリュックに入ってた荷物って、ぬいぐるみなんだ」
「何よ、うるさいわねーっ、笑わないでよっ」
いつも彼女の工房に置いてある、身の丈三分の一程もある大きなくまさんのぬいぐるみ。
それは初めて彼女と会ったあばら屋から持ち出して来た物だった。ほこりにまみれ、薄汚れた
ぬいぐるみ、それを洗って乾かし、破れた所は丁寧に繕って新しいリボンを付け、可愛がって
いたのは知っている。

「だからってまさか、街から街へ行くのにわざわざ持ってくるとはねえ」
先ほど、ぼそぼそと聞こえていたのはくまさんに話しかけていた声だったのだろう。
「うるさい、うるさいっ」
身体を起こしたユーディーはくまさんをしっかりと抱きしめ、ヴィトスにしかめっ面を向けた。
「君にこんなに子供っぽい部分があるなんて知らなかったよ。枕が代わると寝られないって
 人は聞いた事があるけど、ぬいぐるみが無いと眠れないってのは……」
くちびるを噛み、肩を落としてうつむいてしまったユーディーが本当に悲しそうな表情を
しているのを見て、調子に乗って続けていた言葉を切る。
「うるさいわね、だってあたし、元の世界の……、おばあちゃんの本と、この子しか」
沈んだユーディーの瞳から大粒の涙がこぼれる。
「この子がいないと不安になるんだもん、今のあたしと元の世界を繋ぐ、大事な
 思い出だから……、それなのに」

「……」
いつもの冗談のつもりだったのだが、さすがに今回は言い過ぎてしまったのを自覚する。
「ユーディット、悪かったよ」
「もういい。ヴィトス嫌い」
ぐすっと鼻をすすり、濡れた顔をくまさんに押し付ける。
「あっち行ってよ」
未知の場所に単身迷い込み、それでも気丈に頑張っているユーディー。そんな彼女の
心の拠り所を無神経に踏みつけてしまった。
「ユーディット」
名前を呼ぶ声を無視して、ユーディーはくまさんをきつく抱きしめたままヴィトスに
背を向け、横になってしまう。

「うっく……、ひっ、ひっく」
押し殺しても漏れてくるすすり泣きがヴィトスの心に重くのしかかってくる。ヴィトスは
しゃがみ込み、ゆっくりとユーディーの頭に手を伸ばした。しかし、髪に触れた瞬間、
首を振ってその手を払われる。
「……ユーディット」
ヴィトスは低い声でもう一度彼女の名前を呼びながら、小さく震えている肩に手を置いた。
「やだ、触らないで」
今度は大きく肩を回し、やはりヴィトスの手を拒絶する。

「……」
どうしても彼女を傷付けたままではいられなかったヴィトスは、自分もその場に横になり、
「な、なに?」
ユーディーの身体に腕を回し、そのままきつく抱きしめた。
「何するのよ、放してっ」
いきなり背中から抱きしめられ、驚いたユーディーはじたばたともがく。
「僕が、いるから」
「えっ」
「君がここに初めて来た時、初めて会ったのは僕だろう? だから、この世界で一番
 君の世界に近いのは僕だと思うんだ」
普段ユーディーをからかっている時とは全然違う、真剣で落ち着いた口調。

「君が不安になったら、僕がいるから。君が安心できるように、いつでもなぐさめるから」
言葉を選び、慎重になっている自分の声を聞きながら、ヴィトスは今腕の中にいる少女に
対する想いを心の中で噛みしめる。
彼女の信頼を得たい。それ以上に、彼女の気持ちが欲しい。
「う、く」
ぐすっと鼻をすすり、ユーディーがまた身動きをする。徹底的に嫌われてしまったかと
思いかけた時、ユーディーはくまさんを手放し、身体を回転させてヴィトスの方を向いた。
「……ばか。嫌い」
ヴィトスの首筋に顔をきつく押し付ける。同時にヴィトスの服の胸元をしっかりと握りしめた。
「ヴィトスなんか大っ嫌いなんだから。ばか」
言葉とは裏腹に、甘えるような仕草でヴィトスにすがりつく。

「うん、ごめん」
涙で濡れた熱い吐息。かすかに震えるユーディーの身体の存在感。
ゆっくりと頭を撫でてやると、ユーディーはほっとしたようなやわらかいため息を吐き、
更に頬を擦り付けてくる。
そのままユーディーの涙が寝息に代わるまで、ヴィトスは手触りの良いなめらかな髪を
なで続けてやった。

◆◇◆◇◆

「う……、ん」
ぼんやりと目を開ける。腕に感じるユーディーの頭の重み、頬をくすぐる細い髪。
自分のすぐ目の前にある、初めて見る寝顔の愛らしさ。キスくらいならしてもいいかと思い、
そっと顔を寄せる途中でその気配に気付いたのか、ユーディーが身じろぎをした。
「んっ……、ふぁ……、あ、おはよ」
あくびの途中で動作を止め、至近距離にあるヴィトスの顔に気付いて顔を赤くする。
「うーん、今日もいい天気っぽいね! 爽やか、快適な目覚めだわ」
白々しいほどの元気な声を出しながら、ヴィトスの腕から逃れ、さっさと起き上がってしまった。
「そうだね。今日辺り、メッテルブルグに着けるかもしれないし」
微妙な空虚感を抱えたまま仕方なしにヴィトスも起き上がり、身支度を始める。

「それはないと思うけどね〜。まあ、頑張りましょう」
照れを隠しているのだろう、ユーディーはヴィトスに背を向けた。毛布をたたんでから
服を直し、リボンをほどいて髪を解き、ブラシをかけてからまた結び直す。
女性らしい振る舞いにヴィトスが惹かれているのにも気付かずに、床に置いていた
くまさんのぬいぐるみを愛しそうに抱きしめてから、優しく元のリュックの中に戻す。
「さて、準備はいいかな」
「うん。はい、これ持ってね」
出発直前、ユーディーはくまさんの入ったリュックをヴィトスに差し出した。
「えっ、何で」
「何でって、昨日持ってくれるって言ったじゃない」
ユーディーは首を少し傾け、にっこりと笑った。

「言ったけど、君、断ったじゃないか、僕も持ってやらないって言って……」
他人に任せる気はない、大切な荷物、大事な思い出の品。笑顔でそれを渡されたと言う事は。
「まあ、また気が変わった。持ってやってもいいか」
軽い口調ながらも、しっかりと安心感のある手つきでリュックを受け取った。
「ヴィトスって気分屋さんだなあ。付き合うの大変だよ」
べえ、と舌を出す。
「君の方が気分屋だよ。僕の方こそ大変だ」
ヴィトスもしかめっ面をして見せたが、お互いすぐに表情が崩れ、笑い出してしまう。

「じゃあ、行きましょ」
ユーディーは手を伸ばすと、控え目にヴィトスの袖に触れた。
「ああ」
ヴィトスは乱暴にならないようにそっとその手をよけさせ、改めて彼女の手を握り直す。
「あ」
頬を染め、恥ずかしそうにうつむいてしまったがユーディーがその手を払う事はなかった。
「歩けるか?」
「歩けるよ、普通に。平気」
少し困った、照れた顔でユーディーははにかんだ。
 ユーディーさんの工房に置かれてるくまさんのぬいぐるみって、あれ廃墟でほこりまみれになってたやつだよね?
 錬金釜とかも運んで来てきれいにしたのかな。
 ファ三痛PSの漫画版ではヴェルンの宿屋に備え付けられてたっぽかったけど。

 >「……ん、……」
 >「く……、……」
  →「くまさん、むにー」。
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