● 幸せを呼ぶ言葉(1/2) ●

「うう……」
日も暮れたアルテノルトの街。アデルベルトは肩を落とし、とぼとぼと中央広場を歩いていた。
マントを付けてはいるが、その下は普通の布の服姿だった。鎧を着ていない分身体は軽い筈だが、
それに反して足取りはとても重い。
「せっかく新調したばっかりだったのに。何だか、剣と鎧がないと、妙に落ち着かないな」
そうつぶやき、はあ、とため息を吐く。

せっせと護衛費を貯め、プロスタークの武器屋に新しい剣と鎧を注文した。ぴかぴかの武器と
防具ができあがったのが十日前、それらが使い物にならなくなったのはほんの一週間前。
プロスタークからアルテノルトへ来る途中で毒ガスを吐く怪物に襲われた。有毒ガスを
まともに受けた鎧には腐食による穴が開き、おまけにその怪物めがけて振り上げた剣は
手元が狂って近くの大岩に当たり、曲がってしまったのだった。
「……これだったら修理するより、新しく買い直した方が早いのかな」
敵はなんとか倒したものの、一度曲がってしまった剣は上手くバランスが取れなくなっていた。
おまけに胸元に大きな穴が開いている鎧は、身体を保護するという本来の役目には全く役に立たない。
金属板を継ぎ合わせた所で、修理した部分の強度が下がってしまうだろう。

ぼろぼろになった剣と鎧は、とりあえずひとまとめにして酒場の隅に置かせてもらっていた。
「もしかしたら、ボーラーだったらどうにかしてくれるかもしれないな」
そんなわずかな期待を胸に抱きながら、荷物を引き取りに銀の白砂亭に入ろうとした所で、
店の路地裏が何だか騒がしい事に気が付いた。
数人の男の怒鳴り声、がたがたと木箱だか樽だかを蹴飛ばしているらしい乱暴な音。
(ケンカかな。……まあ、かかわらないに限るな)
危うきに近寄らずだ、そう口の中でつぶやいたが、
「きゃああっ!」
その中で上がった女性の悲鳴が耳に届いた瞬間、アデルベルトは身をひるがえして路地裏へと
飛び込んでいった。

「大人しくしろ、こいつ」
「いてて、蹴るな、蹴るな」
(やっぱり、さっきの声は)
四、五人程の荒くれに囲まれているのは、赤い服を纏った細身の少女だった。悲鳴を上げる事が
できたのはほんの一瞬で、今は両腕を掴まれ、口も粗雑な手で覆われている。
「うっ、ううっ!」
ユーディーはなんとか男達を振りほどこうと首を振ったり、足をばたつかせたりしているが、
大柄な男に力で敵う筈もなく、徐々に路地裏の奥の方へを引きずり込まれようとしている。
「何をしているんだ!」
アデルベルトが大声で叫ぶと、全員が一誠にこちらを向く。

「何って、お前には関係のない事だよ」
「ううーっ!」
涙に濡れるユーディーの目が、すがるようにアデルベルトを見つめている。
「関係なくないよ。ユ……、その娘を放せ」
万が一彼女の名前を呼んで、後々面倒になるといけない。そんな事を考える余裕がある自分に
一瞬驚いたが、アデルベルトは平然とした顔を保ちながら腰に手をやった。
「あ」
剣を抜こうと思ったが、今更ながら丸腰なのに気付く。
「おっと、動くんじゃねえぜ」
アデルベルトを牽制しながら、男のうちの何人かは切れ味の良さそうな大型ナイフを構えた。

「この娘にケガをさせたくなかったら、とっととおうちに帰りな。安心しな、こいつは
 俺たちがたっぷり可愛がってやるからよ」
そう言ってユーディーの頬にナイフの刃先を当てる。
「う……」
「俺たちに向かってきたら、こいつだけじゃなくてお前も酷い目に遭うぜ」
ユーディーを押さえ付けている男が、じりじりとこの場から遠ざかろうとする。
その時、アデルベルトは考えるより先に身体と口が動いた。
「シュルツェの姐御、こちらです!」
誰もいない筈の背後を振り向き、大声で怒鳴る。
「何?」
シュルツェの名を聞いて、男達はぴたり、と動きを止めた。

「残念だったな、その娘はシュルツェのお嬢さんの親友なんだよ。知ってて手を出したのか?」
男達は互いに顔を見合わせる。
と、ユーディーの口を押さえていた男の手がわずかにゆるんだ。
「クリスタ、クリスタぁ! 助けに来てくれたのね!」
その隙に、アデルベルトの機転に気付かず、てっきりクリスタも助けに駆けつけてくれた
ものと思ったユーディーが大声で叫ぶ。
この街では刃向かおうと思うどころかまともに目を合わせようとする者さえいない、その
シュルツェ家の娘をためらいもなく呼び捨てにするユーディーに、男達の顔に不安そうな
表情が濃くなっていく。
「お前達、シュルツェの姐さんに顔を見られたらまずいんじゃないのか?」
アデルベルトのその一言がとどめになり、男達は乱暴にユーディーを突き放すと、ちりぢりに
なって逃げて行った。

「あ……っ」
危険から解放されたユーディーは、呆けたように短い声を漏らす。
「あ、ありがとう! 怖かった、あたし、あたし……」
それからすぐによろよろとした足取りでアデルベルトに駆け寄り、彼にしがみつく。
「……」
「アデルベルト?」
自分に声がかからないのを不思議に思い、ユーディーが涙に濡れた顔を上げる。
「どうしたの?」
「いや、あの、僕……、あんな人数に勝てるかなって思って」
頼りなげな声のアデルベルトは、今更ながら足が震えているようだった。

「ところで、クリスタは? クリスタも来てくれたんでしょ?」
「あ、あれは嘘。クリスタはいないよ。ああ、はったりが利いて、良かったよ……」
「はったり? あ、ねえ、足、大丈夫?」
アデルベルトの身体の震えを感じて、ユーディーは心配そうに尋ねる。
「あっ、うん、平気。……だらしないな、僕」
「だらしなくなんかないよ。それに、きっとあんな奴ら、アデルベルトだったら片手で
 ひょいひょいってひねっちゃったと思うよ」
自分ではいつも過剰な程に謙遜しているが、アデルベルトの剣の腕は相当のものだ。

「あ、ゴメンね」
それからユーディーは、今更ながらアデルベルトにしっかりと抱き付いている自分に気付き、
照れくさそうに身体を離した。
「あれ? そう言えば、今日は鎧、着てないね。剣も持ってないみたいだし、どうしたの?」
「ああ、えっと……、壊しちゃったんだ」
「そ、そう。壊しちゃったんだ」
アデルベルトが悲しそうな顔をしたので、ユーディーはその話題には触れない事にした。
「まあ、でも、うん。君にケガが無くて、本当に良かった」
「うん、アデルベルトがとっさにシュルツェの名を出してくれたおかげだよ。それにしても、
 『姐御』って……」
やっと安心したのか、ユーディーはくすくすと笑い出した。

「あ、とっさに出ちゃったんだ。なんか、カッコ良くない? 『姐御』とか『姐さん』って」
ユーディーの笑いに感化されたのか、アデルベルトの顔にも笑みが浮かぶ。
「大丈夫かな、勝手にクリスタの名前を出しちゃって。君の名前を覚えられたら困るから、
 ユーディットって呼ぶのよそうとは思ったんだけど、よく考えたらクリスタの名前も
 出さない方が良かったのかな」
「ん、大丈夫……だと思うよ。クリスタには後であたしから話しておくから。あたしを
 襲おうなんて不埒な考えを持った狼藉者は、きちんとこらしめてもらわなくちゃ」
少し怒った顔を作って見せる。

「でもすごいね、アデルベルトって」
「いや、多分偶然だよ。たまたま上手く行っただけで……、ああ、もしかしてこの後、何か
 不幸な事が起こるのかな」
「えっ?」
「君も、あまり僕に近づかない方がいいかもしれないよ。僕の不幸が移るといけないから」
「えっ、あの」
ユーディーにも、自分にも。相手にも傷を負わせる事無くこの場を無事に収めたのだから、
威張ってもいいくらいだ。それなのにアデルベルトは逆に落ち込んでいる。
「ねえ、アデルベルト。アデルベルトってすごいんだから、もっと自分に自信を持っても
 いいと思うよ」
なんとかアデルベルトを元気づけようと、ユーディーはわざと明るい口調を作る。

「うーん、そうかなあ……あっ」
ユーディーと話しをしながら足元の悪い道を歩いていると、そこいらにちらばっている
石ころにつまずいてしまう。
「……ほら、やっぱり。僕は運が悪いんだ」
「石ころにつまずくくらい、誰にでもあると思うんだけどなあ」
本当に運が悪ければ、つまずいて、地面に倒れ込んでしまうくらいはするだろう。
「そうかなあ。でも、僕は特別だから」
「んん、そうかなあ」
明るい表通りに出るとユーディーは足を止め、改めて頭を下げる。

「本当にありがとう」
「ううん、たいした事無いよ」
「それで、お礼と言っては何だけど、お茶でもごちそうするから、部屋に寄っていかない?」
「うーん」
しかし、アデルベルトは考え込むように首をかしげる。
「あたしが淹れるお茶飲むの、いや?」
その反応を見てユーディーの顔が曇る。
「あっ、そんな事はないよ、そうじゃなくて、ただ」
アデルベルトは微妙に目線をずらした。

「何だか、また悪い事が起きそうな気がして」
「えっ」
「君を助けられたのはラッキーだったよ。その上に君にお茶に誘ってもらえるなんて
 とっても嬉しいけど、でも、カップを割ってしまうとか、やけどしてしまうとか……」
それからぶつぶつと、考えられる悪い予想を次々につぶやく。
「あのさ、アデルベルト」
「うん?」
お茶を飲んでいる時にボッカム山が噴火して、グラムナート全域が火山灰に埋まる所まで
話しを進めていたアデルベルトが言葉を切る。
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