● 水に落ちたユーディー(2/2) ●
そのままもじもじと所在なさげに、借りている服をいじったり、なめらか足を滑り落ちて
しまう布を直したり、湿った髪を指で梳いたりする。
ヴィトスはぼんやりとどこも見ていない風を装い、目の端でちらちらと、そんなユーディーの
振る舞いを眺めていた。
「……ごめんね」
しばらくして、ユーディーがぽつりと口に出す。
「何が?」
「ヴィトスに迷惑かけちゃったから」
ユーディーがちらり、と後ろを振り向く。つられてヴィトスがそちらを向くと、彼女の濡れた
衣類があちらこちらに引っかけて干してあった。
「別にかまわないよ。護衛料には、君のお守り代も含まれているからねえ」
「お守り、って何よ」
「お守りって言うのは、小さな子のめんどうを見る事だよ」
「あたし、小さな子じゃないもんっ」
ぷう、と頬をふくらませるユーディーの子供じみた表情を見て、ヴィトスは笑い出してしまう。
「うん、まあ、君と一緒にいると、いつも新鮮な感動があってね。そんな経験ができるだけでも
得をした気分になるから」
「新鮮な感動?」
ユーディーが首をかしげると、ほつれた髪がひとすじ彼女の頬に落ちる。その髪に妙な色気を
感じてしまったヴィトスはゆるやかに目をそむけた。
「ああ。先ほど君が水に落ちた時、あれは見事だった。あんなに無防備に水に落ちる人を、
僕は見た事がないよ」
「……なっ、もう、ばかっ!」
ヴィトスの方を向き、肩をこづく。
「おっと、そういう態度を取ってもいいのかな?」
「態度って何よ。あたしはあたしのやりたいようにするわよ」
自分の失態をごまかそうと、更にぽかぽかとヴィトスを叩く。
「ユーディット。今君が着ている服は、誰のだっけねえ?」
攻撃にひるむ事なく、ヴィトスは冷静な口調を作る。
「誰の服って、ヴィトスの服じゃない。あんた、自分の着てた服忘れたの?」
「うん、そうだねえ。僕の服だ」
ユーディーの顔を見つめ、わざとらしい程ににっこりと微笑む。
「あまり生意気な態度を取ると、この服を返してもらうよ」
そして、ユーディーが着ている服の袖をつまみ、ちょいちょいと軽く引っ張る。
「か、返してもらう、って。そしたら、あたし着る服無くなっちゃうじゃない!」
「そういう事になるねえ」
「いやよ、そんなの」
ヴィトスの腕を振り切ると、ユーディーは頬を染め、困ったように自分の身体を抱きしめる。
「だったら、もうちょっと謙虚にしているんだね。そうしたら僕も服を取り上げようなんて
気にはならないと思うよ」
「謙虚って、充分謙虚じゃない。お礼も言ったし、ごめんなさいも言ったし」
「そういう風に、自分で自分の事を謙虚だ、って言う人間が謙虚だった試しはないよ」
特に意味もない会話を続けながら、笑ったり、怒ったり。
そうやってユーディーとじゃれ合っている時間は楽しい、とヴィトスは思った。
「もうっ、何でヴィトスってそうやっていつも偉そうなの?」
「そりゃあ当然さ。僕は君にわざわざお金や服を融通してあげているんだからね。むしろ、
君が威張りすぎなんだよ」
お金、と言う言葉を聞いて、ユーディーの顔が強ばる。
「あ、あのー……、ヴィトス?」
そしてすぐ、こちらを伺うような声。
「ん?」
「あの、まさか。この服も、後で借りた利子を払えー、とか言わない……よね?」
余りに弱々しげなユーディーの口調に、一瞬笑い出しそうになってしまう。しかし、ヴィトスは
すぐに表情を引き締め、
「そうか、気が付かなかった。言われてみれば貸し出し料を取ってもいいな。服の貸し賃、
千コール。街に帰ったら利子含めて五千コール返してもらおうか」
真面目な顔で告げる。
「ええーっ!」
大声を上げるユーディーを見て、ヴィトスの顔がすぐに崩れる。
「そんなお金払える訳ないじゃない、何よ五千コールって。冗談でしょ?」
「いやいや、僕は本気だよ。何だったらここで借用書を書いてもらってもいい」
こらえきれない笑いをこぼしながら、
「ええと、ペンと紙はどこだったかな」
小物入れに手を伸ばして中を探す振りをする。
「何よそれ、払えないわよ。払わないわよ。借用書なんか書くもんですか」
べーっ、と舌を出して見せ、ユーディーはヴィトスの手をはたいた。
「もう、余計な事言わなきゃ良かった。千コールなんて暴利よ、暴利。あっ、そうだ。ねえ、
お食事くらいにまからない?」
「お食事?」
「うん、お食事。あたしごちそうするから、貸し出し料の代わりにそれでいいでしょ」
えへへ、と愛想笑いするユーディーの頬を、ヴィトスは指の先でつまんだ。
「ごちそう? おごってくれる、の間違いだろう。その手には引っかからないよ」
「えっ? あ、あううーっ」
頬をむにむにと引っ張られ、ユーディーは泣き顔になってしまう。
「面白いな、君は。頬を引っ張ると泣くのか。じゃあ、鼻をつまむとどうなるかな」
「あたしで遊ばないでよっ」
頭をめちゃくちゃに動かし、ヴィトスの指を振り切る。その動作の途中で髪が乱れ、頬に落ちた。
「もう、髪の毛までぐちゃぐちゃになっちゃったじゃない」
髪を結んでいた細い紐をほどき、頭を振る。指で髪を適当に梳き、ゆるい三つ編みにしてから
端を紐でくくり、くるくると丸めて端を編んだ髪の中に押し込む。
「ふうん。器用なものだね」
すぐに先ほどと同じようなまとめ髪になるのを見て、ヴィトスは感心する。
「こんなの簡単よ。すぐできちゃう」
得意そうな顔になるユーディーを見て、ヴィトスはふいに彼女の髪に触れたい衝動を覚え、
そっとほつれた薄紫色の髪に指を伸ばす。
「何?」
また頬をつままれるのかと身を固くしたが、
「いや、きれいな髪だと思って」
そう言われ、ユーディーは頬を染め、ヴィトスが髪をいじるにまかせる。
「あ……、えと、別にそんな風に言われても、嬉しくなんかないもん」
どうせまた馬鹿にしてるんでしょ、とつぶやくユーディーだったが、ヴィトスの優しい指の
動きが心地よいらしく、すっかり大人しくなってしまう。
「あの……、あの、ヴィトス?」
「ん?」
「あの、あのね」
目を伏せ、小さな声になる。
「ごめん、やっぱり嬉しい」
「えっ」
「髪誉められるのとか、さっきみたいに色が似合うとか言われると、嬉しい」
そう言って、もじもじと落ちつきなく指をつつき合わせる。
「ああ、うん」
すっかり照れてしまったユーディーを見て、ヴィトスも妙に気恥ずかしさを感じる。
「あとね、髪……とかいじられるのも、嬉しいかな」
「そういうものかねえ」
曖昧な返事をしつつ、ヴィトス自身も彼女のなめらかな髪を指で弄ぶのはなかなかいい気分だった。
「そうか、君が嬉しいんだったら」
しかし、そうやっているうちに、またユーディーをからかいたくなってしまう。
結ばれた髪に指を引っかけ、彼女がそれと気付かないように、そっと髪をほぐしていった。
「うふふ、くすぐったいよ」
目を閉じ、幸せそうに笑うユーディー。しかし、しばらくするうちに、不思議そうな顔になる。
「ヴィトス、な、何してるの? あ、あれっ」
頭に手をやり、結んだ筈の髪がだいぶ落ちてしまっている事に気付く。
「何って、君が嬉しいと言うから髪をいじっているだけだよ」
やっと気付いた様子を見て、ヴィトスはわざと彼女の髪をぐしゃぐしゃに乱していく。
「やめて、やめてよっ」
「ここまでされないと気付かないなんて、君は相当鈍いんだねえ」
ほどけかけている紐を取り、指を立ててユーディーの髪をかき回す。
「ヴィトスの服、首まで隠れてるから気付かなかっただけよ。やめてってばっ」
落ちた髪が肌に触れればもう少し早く気付いた筈なのに、と今更ながら言い訳をした。
「もうっ、何でヴィトスっていっつもそうなのっ!」
「いつもそう、って、何が」
「きゃっ」
指で髪をすくい、わざとユーディーの顔にかかるようにする。
「いつもあたしの事いじめるじゃない」
「仕方が無いじゃないか、楽しいんだから」
「あたしは楽しくないっ!」
首をすくめてヴィトスの手を振り切り、立ち上がる。
「君は僕に髪をいじられて嬉しかったんだろう? 僕は君をいじめて嬉しい。おあいこだ」
「そんな変なおあいこはありませんー、だっ」
べえ、と舌を出して見せ、ヴィトスの後ろに回る。
「ん?」
「ヴィトスの髪の毛もほどいちゃうもんね」
「こら、ユーディット」
止めるより前に、ユーディーの指はヴィトスの髪を縛っている紐をほどいてしまった。
「えーい、ぐしゃぐしゃぐしゃ」
「こら、何するんだ」
そして、自分がされたように指を立て、ヴィトスの髪をかき混ぜる。
「ふっふふん。楽しいなあ〜」
「僕は楽しくないよ」
身体をひねり、ユーディーの手首をつかむ。
「あっ」
驚いたユーディーは前のめりにバランスを崩した。
「おっと」
ヴィトスは開いている方の手を差し出し、ユーディーの身体を受け止めようとする。
「きゃ」
ユーディーは倒れ込みながらも何とか体制を整えようとしたが、それは失敗に終わる。
「あ……」
結果、ヴィトスの膝の上にユーディーが横抱きにされる格好になってしまった。
「えと、ご、ごめんね」
「いや、僕の方こそ」
背中を抱かれ、手をつかまれ。顔と顔がすぐ側に近付いている。
「あの、あっ」
「……」
「えっと、ヴィトス?」
身体を離そうとしないヴィトスの顔を見るが、至近距離で目が合ってしまうと恥ずかしく
なってしまって、ユーディーは視線をそらせる。
「あっ、きゃっ」
すると、だいぶ布がめくれて足がむき出しになっているのに気付き、慌てて服を直す。
「ユーディット」
「な、何よ」
ふいに、ヴィトスがユーディーの前髪に触れる。顔に落ちている髪をかき上げてやり、そのまま
優しく頭を撫でた。
「何、よ……」
「先ほどの話しだけれどね」
「さっきの話し?」
自分が乱してしまったやわらかく長い髪を梳くように指を動かし続ける。
「ああ、服の賃貸料の話し」
「うっ。しつこいなあ」
ヴィトスの腕の中で、ユーディーが身体をすくめる。
「食事でいいよ。君のごちそうで……、割り勘で」
「え?」
「その代わり、君にはドレスアップをしてもらおうかな。異国の服で、こういうスリットが
入った民族衣装のドレスがあったと思うんだが。それを着て」
ユーディーの着ている服をちょっとつまんで見せる。
「ええっ、何であたしが民族衣装なんか着なくちゃいけないの?」
ヴィトスの手がユーディーの髪を一つにまとめ、それをくるくるとねじる。
「いや、似合うと思うんだけれどな。赤でも青でも君の好きな色でいい。髪も上げて……」
ねじった髪を頭の上に持っていき、そこで手を離すとさらさらと落ちていく。
「えっ、それって……おしゃれして、デート?」
頬を染めるユーディーに、曖昧に肩の動きで返事をしてみせる。
「えへへ。そんな賃貸料なら払ってもいいかな?」
「だったら決まりだな」
はにかむユーディーだったが、すぐに表情を引き締める。
「ちょっと待って。まさか、その服買うのはあたしの出費? もしかしてヴィトスが買ってくれる
……訳は無いわよね」
「もちろん君の服は君が自分で買うんだよ。僕はそこまで面倒見られない」
「何よそれっ! もうっ、そんな事言うヴィトスは三つ編みしちゃうからね」
ユーディーは手を伸ばすと、ヴィトスの髪を指でほぐし始めた。
ユーディーさんが水に落ちて、びしょびしょになってしょんぼりしてたら可愛いかろうなあ
→それで、ヴィトスさんに服を借りてだぶだぶで着てたら更に萌えだ
→素足のユーディーさんがヴィトスさんの上着着たら、チャイナ服みたいできっと可愛いよなあ
…という妄想を並べてみたら、こんなお話しになりました。