● 水に落ちたユーディー(1/2) ●

「ユーディット、そんなにはしゃぐと石につまずくぞ」
「平気平気! 見て見てほらほら、魔法の草がいっぱい生えてるわ」
採取場で浅い川の流れを見つけたユーディーは、その辺りの水分と滋養にあふれた土に生えている
新鮮な植物を見つけて大喜びだった。
「あっ、範囲拡大の魔法の草! これでほうれんそうを作って、それを材料に使えば、みんなで
 美味しく食べられるデニッシュが焼けるわね」
興奮しながらも魔法の草の根元に優しく手を当て、茎を傷めないように摘み取る。
「でも、ほうれんそうより中和剤にした方がいいかな? そうすれば、いろんな食べ物や
 お薬に、範囲拡大の属性を継承できるものねえ」

調合の事は良く分からないヴィトスはどう答えていいのか一瞬悩んだが、どうやらユーディーは
返事を求めているのではなく、ただ単に嬉しさの余りの独り言のようだった。
「それにしても、こんな穴場があるなんて気が付かなかったわね。ねえヴィトス、他の人に
 ここの話しをしちゃダメよ。ここはあたしの秘密の採取場所にするんだから」
他の人に話しをした所で、錬金術士や薬師でもなければ好きこのんで魔法の草など摘みに来る人は
いないだろう。そしてヴィトスの知る限り、錬金術士はユーディーとヘルミーナの二人しか
いなかった。
「ねえ、ヴィトス、約束よ。あたしとあんたの秘密の約束!」
「はいはい、分かったよ」
かなりにやる気のない返事だったが、ユーディーは頷くと採取作業を続ける。

「あっ、あの魔法の草」
流れに沿って歩いていると、岸から少し離れた所、水の中にごつごつとした岩が固まっている。
岩と岩の隙間に詰まった土を養分にして、見た目立派な魔法の草が何本かまとまって生えていた。
「手、届くかな。無理かな」
ユーディーは岸すれすれに膝をつき、不安定な格好で腕を伸ばした。
「危ないぞ、ユーディット。水に落ちたらどうするんだ」
ヴィトスはユーディーの身体を支えようと手を出そうとする。
「平気、平気。ヴィトスの助けなんかいらないわ」
しかし、そう言われて所在なくその手を引っ込める。

「僕が採ろうか? 僕の方が腕が長いと思うし」
「平気だってば。えーい、よいしょっ!」
気合いと共に思い切り腕を伸ばす。
「あ」
同時に大きくバランスを崩し、ぼちゃん、と派手な音を立てて前のめりに水の中に倒れ込んだ。
「ユーディット!」
「……」
たいして深さのない川の中、ユーディーは四つん這いになった格好でぱちぱち、とまばたきをする。
「だから言わんこっちゃない」
「う、うるさいなあ。水に入れば草を採るのが簡単だと思っただけよ」

ユーディーは負け惜しみを言いながら立ち上がる。びしょ濡れの身体で、膝の辺りの深さの
水の中を数歩歩き、目的の魔法の草を手にする。
「……あ」
「どうした?」
「変なにおい……、何だか腐りやすいみたいだし。これも、これも、これもっ!」
遠目から見たら新鮮そうに見えたが、岩の上に生えていた魔法の草には、どれも調合には
不向きな従属が付いていた。
「もう、何よっ!」
苛立ち紛れに引っこ抜いた草を放り投げる。魔法の草は川の流れに浮き沈みしながら下流の
方へと流れて行った。

「ユーディット」
「何よ」
あからさまに不機嫌な顔をして、ばしゃばしゃとわざと大きく水音を立てながらユーディーは
岸へと戻ってくる。
「そんなに濡れてしまって、冷たくないのかい?」
「冷たくなんかないわ。暑かったから気持ちいいくらい……、は、はっくしょん!」
少し涼しいくらいの気候だったが、ユーディーはあえて強がりを言う。それからすぐに
タイミング良いくしゃみをするユーディーを見て、ヴィトスは苦笑いを浮かべた。
「ほら、僕の手につかまって岸に上がるといい……、おっと、僕の助けなんかいらなかったかな?」
そう言いつつも、ヴィトスは手袋を脱いで、その手をユーディーに差し出す。

「意地悪」
ふん、とそっぽを向いてヴィトスの手を無視する。自力で川から上がろうとしたが、濡れた
靴底が滑ってまた転びそうになり、
「……助けて下さい」
頬をふくらませ、しぶしぶヴィトスに手を伸ばす。
「ほら」
ユーディーの手をしっかりとつかみ、彼女を岸へと引っ張ってやる。
「くしゅん」
川から上がると、ユーディーはもう一度、小さなくしゃみをした。

「どうする、この格好で採取を続けるのもあれだし、このまま街へ戻るか?」
「戻る、って言っても、こんな格好で街へ入るの、やだよ」
胸の辺りから靴のつま先までびしょ濡れのユーディー。長くたばねた髪の毛、その髪を
結んでいる紫色のリボンもたっぷり水分を含んで、重くしなだれている。
「それじゃ、ここで服を乾かすしかないな。幸いまだ日も高いし、服を枝や木に広げて
 引っかけておけば、街に入っても目立たないくらいには乾くだろう」
あたたかな日ざしが当たっている灌木を指さす。
「ん」
口をとがらせ、ユーディーは小さく頷いた。

「身体をあたためるのに、たき火もたいた方がいいかな。僕が乾いた木を集めてくるから、
 君は服を絞っておくといい」
「うん」
「全く、余計な手間だな。君も、僕の忠告を聞いておけばこんな事にはならなかったのに……、
 護衛料の他に特別料金をもらってもいいくらいだよ」
軽口のつもりで言い放ったが、
「ん、ヴィトスの言う事聞かなくて、ごめん」
身体が冷え、かなりに落ち込んでしまったユーディーに素直に謝られ、逆に心配になってしまう。
「冗談だよ、気にする事はない。ほら、早くしないと風邪を引く」
くるり、と背を向け、あちこちに落ちている乾いた小枝を拾い集める。

「これくらいあればいいかな」
小枝を抱えて振り返ると、ユーディーは帽子と上着を取っただけで、ぐずぐずしている。
「ユーディット、どうしたんだ? 早く脱がないと」
「……あんたがいる所で、服脱げる訳ないじゃない」
困ったように頬を赤らめる。
「あっ、そ、そうか」
今まで特に意識をした事はなかったが、そう言われてみればユーディーは妙齢の女性であった。
「気が利かなくてすまない、ええと……」
きょろきょろ、と左右を見回し、彼女の身体を覆い隠せるような物を探すが、こんな森の中で
都合良く見つかる訳はない。

「ああ」
それからすぐに、自分のマントを着せてやればいいのだと思いつく。
「ユーディット、これを。僕は、君がいいと言うまで後ろを向いているから」
マントを脱ぎ、ユーディーに渡す。それから彼女に背を向けて座り、集めてきた小枝を並べて
火打ち石で火を付ける作業に集中しようとする。
後ろからは、濡れた布がこすれる音、彼女が服を絞ったとおぼしい、ぼたぼたと水の落ちる音。
今、彼女は自分のすぐ後ろで裸に近い状態になっている。そんな考えが浮かんでしまうと
そればかりに意識が向かってしまい、枯れた小枝に上手く火を付ける事ができなかった。
何度目か石を打ち、散った火花がやっと枝に燃え移ったのを見てほっとする。

「ユー……」
今度は目の前に燃え上がった炎だけに気を取られ、一瞬ユーディーが服を脱いでいる事を失念して
彼女の名前を呼びながら振り返る。
「きゃ」
身体をざっとマントで覆ったユーディーが、慌てた顔でその場にしゃがみ込んだ。
「ええっと……、火が付いたよ、ユーディット」
自分は何も見ていない風を装い、伏せ目がちに視線をずらす。
「ど、どうも。あの、でも」
ユーディーは火の側に来ようとしない。
「どうかしたのか、ユーディット?」
「あのね、ヴィトスのマント前が開きすぎてるから、上手く巻き付けられないの」

「そうか、困ったな」
またうっかり後ろを向いてしまわないように留意しながらも、自分のマントを着たユーディーの
姿を頭の中にぼんやりと思い浮かべてしまう。
「くしゅん、くしゅんっ」
その後、立て続けの短いくしゃみを耳にして我に返り、他に彼女に着せてやるものが無いか
考えようと努力する。
「ユーディット、これはどうかな」
「これ、って?」
「僕が着ている、この青い服」
ユーディーが自分の背中を見ている、と言う前提に立って、自分の服の肩の辺りの布をおおげさに
引っ張って見せる。

「これだったら下半身……、足の方まで隠れるし、問題ないと思うんだが」
下半身、と言うとなぜか生々しいような感じがして、おおざっぱに”足”と言い換える。
「でも、そしたらヴィトスが裸……、ええっと、着る物が無くなっちゃうよ」
表情を見ずとも、ユーディーの声には照れが混じっている。
「大丈夫だよ、僕は下にもう一枚着ているから」
「そうなの? ずいぶん厚着だなあ。寒がり?」
「君だって、暑いのか寒いのか、良く分からない格好をしているじゃないか」
「それ、プロスタークでも言われた」
くすくす、と可愛らしく笑う。

「じゃ、お借りしようかなあ。何か本気で寒くなって来ちゃったよ」
「ああ」
長袖に、膝まで覆うくらいの長さの布がつながっているデザインのこの服なら問題ないだろう、
そう思いながらヴィトスは立ち上がる。腰に巻いている布のベルトと小物入れの袋を外し、
それから服を脱ぐ。服を簡単に丸め、使うかどうかは分からないが一応布のベルトを乗せて、
「ほら」
後ろ手にユーディーがいるとおぼしい場所に差し出す。
「ありがと……、ねえ、長袖の下に長袖着てると暑くない?」
ヴィトスが着ている丸首の黒い長袖シャツを見て、ユーディーが尋ねた。
「いや、別に」
ユーディーが服を受け取り、空になったヴィトスの手に先ほど借りたマントを絡める。

「君だって、長袖の下に長袖着てるじゃないか」
「あ、そう言われればそうだね」
受け取ったマントを適当にたたみ、その上に小物入れを乗せると、ヴィトスはまた腰を下ろして
そのマントを脇に置いた。
「どうだ、ユーディット」
「うん、いい感じ。あっ、でもこのベルト、ぶかぶかだあ。余っちゃうよ」
どうやらウエストの細さを自慢しているらしい。よっぽど体格が良くなければ男の自分より
腰幅のある女性はいないだろう、それは分かっていながらも、ヴィトスは彼女をからかいたく
なってしまう。
「おや、そうかな? てっきりその程度の長さじゃ足りないと思ったよ……、いてっ」
後ろから、ぽかり、と叩かれる。

「失礼ねっ」
「痛いなあ、何も叩く事はないだろう、ユーディット」
全然ダメージはなかったが、わざと痛がって見せる。
「がばがばだもん。ほら」
確かにかなり余っているベルトを折りたたみ、そこを長い服の袖で隠れた手で押さえたユーディーが
側面に回り込んできた。
「足りないなんて、そんな筈ないもん。もう一周しちゃうくらいよ」
さすがにそれは無いだろう、と突っ込もうとしたヴィトスだったが、彼女の姿に見とれてしまい、
言葉を失ってしまう。
濡れた髪をまとめ、頭の上の方でゆるくアップにしている彼女は、少しだけ大人びて見えた。
いつもは赤と黒を基調にした服を身に着けているユーディーが、普段着た事の無いような
濃い青い色を纏っていると、妙な新鮮さを覚える。

ヴィトスの身長に合わせた服は彼女が着るとだぶだぶで、華奢な身体が更に細く見えた。
おまけに、腰から下の布は前後に別れていて、彼女の太ももから下にスリットが入ったセクシーな
スカートのように見えなくもない。
「何よ」
自分を見つめているヴィトスの視線に気付き、ユーディーは頬を赤らめる。
「いや、青も似合うものだな、と思って」
「え」
てっきりまた意地悪を言われるのだろう、と身構えていたユーディーだったが、素直な賛辞を
述べられて、返事に困ってしまう。
「あの、えっと……、あ、ありがとう」
照れながら、とりあえず礼だけ言うと、ヴィトスのすぐ横にそっと腰を下ろした。
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