● 眠れない夜のおまじない(2/2) ●

「……ユーディット」
ヴィトスは拳を握り、こん、とユーディーの頭を叩く。
「いたっ! な、何よ、ぶつ事ないじゃないっ」
「君は、こういう状況でそういう事を言うか」
「こういう状況って? 痛い、痛いっ」
そのまま続けて、ぽかぽかと何度か叩いてから、
「さっきのお返しだ。大げさだな、そんなに強く叩いてない」
大きな手のひらで優しく頭をなでる。
「うーっ」
顔を離したユーディーは、少し怒ったような表情でヴィトスを見上げた。

「全く、君って娘は。そんな風に言われたら、誤解してしまうじゃないか」
「誤解?」
「君は僕と二人でキャンプするのはかまわない、って、そう言っているんだろう? だけど」
ヴィトスはやわらかなユーディーの髪に指を絡め、そしてほどいた。
「こんな状況だと、まるで、僕と、その……、恋人同士みたいに振る舞ってもいい、と
 言っているように聞こえる」
自分で言って照れてしまったのか、ヴィトスは表情をごまかすように首を振った。
「えっ、あの」
再び身体を起こそうとするヴィトスを、ユーディーは慌てて引き留める。

「あの、ええと……、そういう、意味だよ」
「そういう意味って?」
「あたし、あの、あのね、ヴィトスとそういう風に、恋人……になれたらいいな、って思ってる」
「……」
ヴィトスが黙り込んでしまったのを見て、ユーディーの心に不安な気持ちが沸き上がってくる。
彼が気分を害してしまったのだろうかと思ってしまうとどうしていいか分からずに、ユーディーも
口をつぐんでしまう。
何も言ってくれない彼の気持ちを少しでも読みとろうと、ユーディーはおどおどとした目で
彼の瞳をうかがった。

「ユーディット」
視線が合った途端、ヴィトスはとても優しい声でユーディーの名を呼んだ。
「は、はい」
「僕の聞き間違いでなければ、君は僕の恋人になりたい、と言ったように聞こえたんだが」
「だ、だから、そう言ったんだけど……」
消えそうな声は弱々しく震えている。
「ごめん、いやだった? だったら、忘れて」
「いやだなんて、そんな、僕は」
ふいにヴィトスは顔を下げる。そして、ユーディーの額にそっとくちびるを触れさせた。

「……えっ?」
顔が少しだけ離れ、今度は赤く染まっているユーディーの頬へのキス。
「えっ、えっ、あの……」
「ずっと、君にキスをしたかったんだよ」
ヴィトスのくちびるに触れられた場所が、燃えるように熱くなる。
「えっ、でも、あの」
「毎晩毎晩あんなに可愛らしい寝顔を見せ付けられて、僕が自分を押さえるのにどれだけ
 苦労したと思っているんだ、君は?」
「えと、えっ?」
驚きの余り思考が止まってしまい、彼のしている行為、言っている言葉の意味が全然理解できない。

「まあ、いくら君の事が好きだとはいえ、君の気持ちも確認しないまま、二人きりのキャンプに
 来てしまった僕も僕だが」
「えっ? えっ」
ごくり、とつばを飲み込み、
「えっと、ねえ、今、ヴィトスもあたしの事、好き……って言った?」
ためらいがちに尋ねてみる。
「ああ、言ったよ。それに、いくらお金になるからと言っても、好きでもない女性と二人きりに
 なるような護衛の仕事はしないよ」
「あ、あたしだって、好きでもない人と二人きりになるような事しないわ」
ヴィトスが両手のひらでユーディーの頬を優しく包み、真っ直ぐに瞳をのぞき込む。

「好きだよ、ユーディット」
「あたしも。あたしも、ヴィトスが好き」
それから、ゆっくりとヴィトスの顔が近づいくる。彼のくちびるが自分のくちびるに
触れようとしている、その動作に気付いたユーディーは小さく身体をよじってしまう。
「だめかな?」
「だ、だめって言うか、あの」
額や頬への軽い口づけだけなら良かったが、いざ本当のキスをされると思うと、今更ながらに
怖じ気づいてしまう。

「さんざんおあずけを喰わされて、やっと君の気持ちを確かめてキスをできると思ったのに、
 また我慢しなければならないのかな」
「えと、あっ」
戸惑っているユーディーの頬を、ヴィトスは指の腹でゆっくりとなでた。
「君の寝顔は可愛くてね。たまに何だか寝言を言うんだけど、それがやけに色っぽくて……
 街を出てからずっと、君を襲わないようにするのは大変だったんだよ」
ヴィトスはユーディーの耳元にくちびるを近付け、低く優しい声でささやいた。
「まあ、もしどうしても君がいやだって言うんなら、僕は持っているだけの理性を総動員して
 君のくちびるに触れないように、なんとか努力してはみるけれど」
「ヴィト……ス」
耳たぶをくちびるで挟みながら、あたたかい息を吹きかける。

「君の気持ちを聞いてしまった今日はもう、自分を押さえられる自信はないな」
耳の後ろ、首筋、頬。ユーディーのやわらかい髪、額やゆるく閉じられたまぶたを、鼻先や
くちびる、指の先でそっとたどっていく。
「あ……」
軽く首筋をなでられるだけで、ぞくぞくとした感覚が背骨を駆け抜けていく。
毎晩、自分の寝顔を見つめていてくれたヴィトス。
くちびるを触れ合わせたい、はっきりとそんな意思表示をする程に自分を求めてくれているのを
知って、恥ずかしいのと同時に、妙に気分が高ぶってしまう。

「あ、あたし、いいよ」
きつく閉じていた目を、うっすらと開ける。
「ヴィトスだったらいいの」
彼の真剣な瞳と視線が合ってしまったのが恥ずかしくて、すぐに目を伏せる。
「ありがとう、ユーディット」
ヴィトスの顔が、近付いてくる。ユーディーはぎゅっと目をつぶった。
それから、自分のくちびるにやわらかくて優しい、あたたかい感触が訪れ、去っていく。
閉じたままのユーディーの瞳に、じわり、と熱がこみあげてくる。目に涙が浮かんでしまうのに
気付かれたくなくて、ユーディーは目を閉じたまま、顔を彼の肩に押し付けた。

「触れたかったんだよ、君に。何度寝込みを襲ってしまおうと思った事か」
自分にしがみついているユーディーの頭を、ヴィトスはいとおしそうになで続けた。
「あ、あたしも」
「ん?」
もぞもぞと身体をよじり、ヴィトスに恥ずかしそうな上目遣いを向ける。
「あたしも、ヴィトスの寝込み襲って、キスしちゃおうとか思ったの……」
消えそうな声で白状すると、ヴィトスはにっこりと微笑んだ。
「襲ってくれれば良かったのに。君だったら、僕はいつでも大歓迎だよ」
「だって、あたしからするの、恥ずかしいもん。ヴィトスにしてもらいたかったんだもん」
「そうか、だったら」
ヴィトスが親指でユーディーの目元をなでる。少しくすぐったい刺激に思わず目を閉じてしまうと、
もう一度くちびるに彼のそれが重なった。

ヴィトスに腕枕をされ、反対の手で頭をなでられながら、彼の身体にぴったりと寄り添っている。
(恥ずかしいけど、すごく嬉しい)
一番好きな人の腕に抱かれる自分を想像してみた事はあるけれど、こんなに幸せな事だとは
考えもつかなかった。
「えへへ」
思わず笑みがこぼれてしまう。
「ん?」
「嬉しい」
「うん、僕もとっても嬉しいよ……ふあぁ」
きゅっ、とユーディーの頭を抱いてから、ヴィトスは小さくあくびをした。

「ヴィトス、眠い?」
「うん、何だか君の気持ちを聞いたら気が抜けてしまったと言うか、安心してしまって。君は?」
「んー、あたしはあんまり眠くないけど。ヴィトス、眠かったら寝てもいいよ」
彼の腕の中にいられる幸福感をずっと噛みしめていたい気持ちで胸の中がいっぱいになっている。
何度もキスをされて興奮してしまったせいもあり、ユーディーはすっかり眠気を失っていた。
「そうか、じゃあユーディット、君が良く眠れるようにおまじないをしてあげようか」
思いついたようにヴィトスが声をかける。
「おまじない?」
「そう、おまじない。君の気が進まない、と言うなら無理にはしないけれど。くまを数えるよりは
 効果があるかもしれない」

「ん……、お願い、しちゃおうかな」
何をしてくれるのか、少しドキドキしながらユーディーは彼のしてくれる事を待った。
「うん、じゃあ……、ユーディットが、1匹」
「へ?」
ヴィトスはユーディーの髪に軽くキスをする。
「ユーディットが、2匹」
今度は、額にキス。
「な、何? 何?」
「ユーディットが3匹、ユーディットが4匹……」
数を数えながら、首の届く範囲にちょんちょん、とついばむようなキスを浴びせていく。

「な、何それ。そんなおまじない、あたし知らないわ」
「うん、今僕が考えたものだからね。ユーディットが……ええと、何匹だっけ」
だいぶ眠そうな声で、分からなくなった、と言いながらあちこちにキスをする。
「それに、何匹、って。あたしそんなに何人もいないわよ」
「ええと……、ユーディットが……」
やがてヴィトスの声が途切れ、代わりにゆるやかな寝息が聞こえてくる。
「別に、全然眠くなってないわよ。ヴィトスのおまじないなんて効かないじゃない」
ユーディーは幸せそうに目を細めると、眠ってしまった彼の顔へくちびるを寄せる。
「……あたしの大好きな、ヴィトスが1匹」
そうつぶやいて、彼の頬にキスをする。それから彼の首筋に顔を埋め、くすぐったそうに微笑んだ。
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