● 眠れない夜のおまじない(1/2) ●
夜も更けたかなりに遅い時間、キャンプの為に張ったテントの中。
「うーん、作戦は失敗だったかしら」
ユーディーは自分の隣で眠っているヴィトスの横顔に目をやり、小さくため息を吐いた。
こっそりと想いを寄せているヴィトスとの間に何か進展があればいいと思って、二人きりの
旅を計画した。他の知り合いが都合で雇用できない時を狙ってヴィトスに声をかけ、わざと
道中に宿泊できるような日程を組んだ。
「二人きりで野外で一晩を過ごしちゃったりしたら、こう、何て言うか、その、ねえ」
若い男と女が二人きりになれば、いわゆる『いいムード』になってもおかしくはない。
「おかしくはない、と思ったんだけどなあ」
せっかくやる気マンマンになっていたはいいが、気持ちばかりが空回りして昼間に必要以上に
はしゃいでしまい、夜になると疲れてヴィトスより先に寝入ってしまう毎日だった。
このまま順調に道を行けば、明日の昼頃には目的の街に着いてしまう。
今日こそは起きていなければと自分を奮い立たせて頑張っていたが、そういう時に限って、
今度はヴィトスの方が先に眠ってしまったようだ。
「ん、もう」
毛布にくるまってすやすやと寝息を立てているヴィトスを、ちらりとうかがう。
「あたしの思いも知らないで、気持ちよさそうに寝ちゃって。でも、ヴィトスの寝顔って
ちょっと可愛いかも……」
ヴィトスの寝顔を見たのは初めてでは無い筈なのに、妙に気恥ずかしくなってしまう。
「さすがに、ヴィトスの寝込みを襲う訳にはいかないもんねえ……って、あたしったら
何てカゲキな事を考えてるのかしら!」
真っ赤になった頬を両手で覆い、いやいやをする。
「まあ、あんまり焦っても良くないだろうし、今回はあきらめるか」
寝ているヴィトスの頬にこっそりとキスでもしてみようと思ったが、やはり、最初のキスは
彼の方からしてもらいたい、と考え直す。
「仕方ないわ。おやすみ、ヴィトス。……好きよ」
最後の一言は口の中でつぶやく。ユーディーは自分の毛布を身体にかけ、横になって目を閉じた。
「……」
しかし、妙に目が冴えてしまって、なかなか眠れない。
「何だか、タイミング悪いなあ、あたしって」
ぱちぱち、とまばたきをして、それからぎゅっと目をつぶる。
「仕方ない、くまさんでも数えるか」
眠れない時は、柵を越えるくまさんの数を数える。何でくまがわざわざ柵を越えるのかは
知らないが、眠気を誘う為のお約束である。
「くまさんが1匹、くまさんが2匹」
1匹ずつ、頭の中で柵を飛び越していくピンク色のくまさんの絵を想像する。
「……くまさんが30匹、くまさんが31匹」
しかし、いっこうに眠気は訪れない。
「くまさんが60匹、くまさんが61匹、くまさんが62匹……。あら、くまさんが62匹だと、
くまさんむにー、かしら」
数字の語呂合わせが面白かったらしく、一人でくすくす、と笑う。
「だったら、くまさんコニチワー、だったら5240匹かなあ。『4』を『チ』って読むには
無理がありすぎるか。あれ? あたしは何匹まで数えてたのかしら」
ふう、とため息を吐き、また数え始める。
「まあいいわ、最初からやり直そう。くまさんが1匹、くまさんが2匹」
「……ユーディット」
「くまさんが、ええと」
「ユーディット」
「ああもうっ! 人が数数えてる時に声かけないでよ、何匹だったか忘れちゃったじゃない
……あれ、ごめんヴィトス、起こしちゃったかな?」
一気に怒鳴ってから、慌てて謝る。
「ああ、起きたよ。全く、くまを数えるのは勝手だが、静かにやってくれないか」
ヴィトスが寝返りを打ちながらつぶやく。
「頭の中で数えると、分かんなくなっちゃうんだもん」
ヴィトスが目を覚ましたのは嬉しいけれど、彼の機嫌の悪そうな声を聞いて不安になってしまう。
「だからって、いちいち口に出されたら、うるさくてかなわない」
「だって、寝れないんだもん……」
しょんぼりとしているユーディーの言い訳を聞きながら、ヴィトスがゆっくりと身体を起こす。
「全く、仕方がないな、君は」
そう言って、ヴィトスはおかしそうに笑った。不機嫌な声は寝起きの時だけだったらしく、
笑顔になった彼を見てユーディーはほっと胸をなで下ろす。
「普段は横になった瞬間にいびきをかくような君でも、眠れないなんて事があるんだね」
ヴィトスは手で口元を隠し、ふああ、と小さなあくびをする。
「嘘っ? あ、あたし、いびきなんかかくの?」
「たまにね」
かあっ、とユーディーの頬が赤くなる。
「そうだな、後は、よだれを垂らしている時もあるな。寝相も悪いし、訳の分からない寝言を
言ったりと、本当に君は見ていて飽きない」
「あうぅ」
くすくすと笑うヴィトスの視線から逃れるように、ユーディーは毛布を引っ張って顔を隠す。
「ごめんね」
毛布を少しだけ下げ、ちらりとヴィトスの方へ目をやる。
「何が?」
「いびきとか寝言とか、うるさかったでしょ。寝れなかったんじゃない?」
「ああ、うん、そうだね。今日は君より先に眠れると思ったんだけど」
「……ごめんね。あたし、ヴィトスが眠るまで起きてるから、もう一度寝直してよ。何だか
あたし、今日は眠くならないんだ」
よだれを垂らした間抜け顔を見られていたと思うと、情けなくて消えてしまいたくなる。
(あたし、よっぽどアホな顔して寝てたのかなあ。だったら、ヴィトスがその気にならないのも
無理ないわよね)
「ううん、僕も何だか目が冴えてしまった。やっぱり、君が先に寝てもいいよ。そうしたら、
君の寝顔をゆっくり鑑賞するから」
「やっ、嫌よ、そんなの!」
「嫌なのかい?」
「嫌よ、だって恥ずかしいもん」
「今更恥ずかしいだなんて言っても、街を出てから毎日、僕は君の寝顔を見ていたよ」
「ううっ……ヴィトスのばかっ!」
照れくさいのをごまかす為に、自分も起き上がって手を伸ばし、軽くヴィトスをこづく。
「何で僕がばか呼ばわりされなきゃいけないんだい?」
ユーディーの貧弱な攻撃を避けるでもなく、ヴィトスは笑っている。
「だって、ひどいわ。人が寝てる所を見るなんて。あたしなんか気にしないで、さっさと
寝てくれれば良かったのに」
「仕方ないだろう、君を見ていると眠れないんだから」
「だから謝ってるじゃない、いびきかいてごめんなさいって!」
恥ずかしまぎれに、ぺちぺちとヴィトスを叩く。
「いや、そういう意味じゃなくて」
「え?」
ふっと止まったユーディーの手首を、ヴィトスがそっと掴む。一瞬前の笑顔は消え、色の濃い
真剣な瞳がユーディーを見つめている。
「きゃ」
そのまま、ぐいっと自分の方へ引き寄せ、開いているもう片方の手でユーディーの背中を抱きしめた。
「え? えっ」
ヴィトスの胸に倒れ込む格好になってしまったユーディーの頬が熱くなる。
「すぐ隣であんな無防備な顔を見せられて、眠れる筈ないだろう」
「えっ、無防備って、よ、よだれ、垂らしてる顔って事?」
バランスを崩し、ヴィトスに思い切り寄りかかってしまっている。彼の体温を感じて鼓動が
速くなり、頭がくらくらする。
「ああ、いや、その。何て言うか……」
ヴィトスの両手がユーディーの背中を包む。言葉に詰まってしまうヴィトスは、所在なさげに
指をユーディーの長い髪に絡ませる。
「その、なんだ。君、男の人と二人きりでキャンプとかはしない方がいいと思うよ」
遠回しに今回の旅を拒否されたのかと思ったが、それはそれとしても、どうして今ヴィトスに
抱きしめられてしまっているのかが分からない。
「えと、あの、ヴィトス、あたしと二人で旅するの、嫌だった?」
「そんな事はないよ。君といると、なかなか楽しいからね」
「じゃあ、何で……」
思い切って顔を上げてみると、ヴィトスは少し照れたような表情をしている。
「ああ、もう」
自分の照れを払うように二、三度首を振ると、ヴィトスはいきなりユーディーの身体を押し倒した。
「きゃっ!?」
床にあおむけになり、その上にヴィトスが覆い被さっている。
「ヴィトス?」
ゆっくりと、ヴィトスの顔が近付いてくる。彼の頬に流れる髪が、ユーディーの頬をくすぐる。
「……」
思わず目を閉じると、ヴィトスは指先でユーディーの頬をなでた。
「こういう目に遭いたくなかったら、二度と二人きりでキャンプしようなんて思わない方が
いいよ。世の男が全員、僕みたいに紳士だとは限らないからね」
ヴィトスが身体を起こそうとすると、ユーディーの震える手が引き留めるように彼の腕を掴む。
「ユーディット?」
「あ、あたし、ヴィトス以外の人なんか、誘わないよ」
こういう展開を期待していた筈なのに、いざ彼との距離が縮まってしまうと、緊張の余り
喉がからからに渇いてしまう。
「ヴィトスと」
それでも自分を励ましながら、ぎくしゃくと腕を持ち上げてヴィトスの首に回す。
「あたし、ヴィトスとだったら、いいもん」
思い詰めたように口に出してから、しっかりとヴィトスに抱き付いた。彼の目を見るのが、
自分を見られるのが怖くて、ヴィトスの首に顔を埋めてしまう。