● 想いは目覚めの後に(1/3) ●

からん、とドアベルを鳴らして、ヴィトスはアルテノルトの銀の白砂亭に入った。
「やってらんないわよ、ヴィトスのばかーっ!」
途端に、大声で自分の名を叫ばれる。
「ヴィトスのあほっ! 人でなしっ! ばかっ、ばかばか、ばかっ!」
声の方に目をやると、テーブルでワインのビンを抱え込んでいるユーディーがいた。
「ユーディット、飲み過ぎじゃないかな? それくらいにしておいた方が……」
テーブルを挟んで、困った表情のアデルベルトがおろおろしている。
「うるさいっ!」
どん、とワインのビンの底をテーブルに叩き付ける。

「ん、ごくっ」
手酌でグラスにワインを注ぎ、それを一気に飲み干す。
「ぷは」
顔は赤くなり、身体はふらふらと揺れている。正直、ワインのビンを握っている手元も怪しい。
「人非人で、吝嗇で、非道で冷徹だわ。ヴィトスの所行にはファクトア神殿のデーモンだって
 目をそむけるわっ! そう思わない?」
「ねえ、お店の中に声も響くし、迷惑だと思うんだけど」
「何よ、あたしに文句でもあるの?」
「いや……別に」

「アデルベルト、飲みが足りないんじゃないの? ほら、飲んで、飲んで」
「ぼ、僕はもう」
「いいから、飲むのっ!」
無理矢理アデルベルトのグラスにワインを注ぐ。
(僕も、鬼畜だの悪魔だの守銭奴だのと陰口を叩かれるのは毎度の事だが、ここまで言われるのは
 初めてかもしれないねえ)
あそこまではっきり悪態を吐かれると、いっそ清々しくさえ感じてしまう。
酔っぱらっているユーディーを少しからかってみたくなったヴィトスは、こぼれてしまいそうに
なる笑みを押さえながら、テーブルへと近づいていった。

「やあ、ユーディット。お呼びかな?」
「あ」
ヴィトスの顔を見た途端、ユーディーはばつの悪そうな表情になる。その反応が面白くて、
「できれば、僕のどこら辺が『ばか』なのか、じっくり聞かせて頂きたいものだねえ」
わざと皮肉っぽく尋ねてみる。
「あ……えっと」
口ごもるが、すぐに気の強そうな表情になる。
「そうよ! 丁度いいわ、あたし、あんたにずっと言いたい事があったんだから。ほら、
 ヴィトスも飲んで」
ユーディーはヴィトスにワインのビンを向けた。

「ヴィトス、いい所に来た、助かったよ」
本心からほっとしたようなアデルベルトがテーブルにグラスを置く。
「良かったね、ユーディット。ヴィトスに直接話ししたかったんだろう?」
ユーディーに引き留められないように、さりげなさを装いつつ椅子から立ち上がる。
「ヴィトス、後は任せたよ、彼女を部屋まで送ってやってくれないか。じゃあ」
「えっ、アデルベルト、ちょっとっ」
アデルベルトは自分が飲んだ分のコールをテーブルに乗せると、ユーディーをヴィトスに
押し付けてさっさと店を出て行ってしまった。

「何なのよ、もう。付き合い悪いなあ」
ぷう、とふくれたユーディーがもう一杯を飲もうとすると、ヴィトスがそれを止める。
「アデルベルトもああ言っていただろう、部屋まで送っていくよ」
腕を掴んで立たせようとすると、
「えー、あん、やーん」
酔っぱらっているからか、普段は聞いた事の無いような、甘えた声を出す。
「んーっ」
身をよじってヴィトスの手を振りほどく。てっきり、身体に触られるのが嫌だったのかと思って
身体を引いたヴィトスに、今度は自分から腕を絡ませてくる。

「えへへへぇ」
その仕草と嬉しそうな声に驚いて、改めてユーディーの顔を見直す。すっかりアルコールが
回っているらしい頬は紅潮し、ぼんやりと焦点の定まらない瞳がうるんでいる。
「ユーディット……」
名前を呼ばれたユーディーは、何度か瞬きをする。
「ん、何?」
「いや、なんでもない。部屋へ行くぞ」
「うん」
(ユーディットは、まつげが長いんだな)
彼女の瞬きを見て、そんな事に気付いた自分にびっくりする。
(そもそも、こんなに可愛かったかな……)
可愛い、と思った瞬間、腕にぶら下がっているユーディーを妙に意識してしまう。

「ユーディット、少し離れてくれないか」
「なんでぇ?」
「何で、って」
「腕組むの、だめ?」
哀しそうな顔でヴィトスを見上げる。ヴィトスに掴まっている腕に力が入り、更にきつく
しがみついてくる。
「……まあ、いいか」
「うん」
すぐににこにこと笑い出す。そんなユーディーに抱き付かれるのは、まあ悪い気分ではない。
そう思いながら、ヴィトスは彼女の工房へと続く階段を上がった。

部屋のドアを開け、とりあえずユーディーをベッドの縁に座らせる。
「さて、僕は帰るとするか」
「だめ」
立ち去ろうと背を向けたヴィトスのマントをしっかりと握りしめる。
「だめ、って」
「あたし、ヴィトスに言いたい事があるんだもん」
「だったら手短に話してくれ」
酔っぱらった女性の部屋に長時間滞在するのはあまり感心できる行為とは言えない。座っている
ユーディーの前に立ち、話しを促す。

「うん。うーん、あのね」
ヴィトスのマントから手を離し、所在なげに身体をもじもじさせている。
「……内緒」
「はあ?」
ユーディーの頬はさっきよりも赤くなっている。
「内緒、って。さっきアデルベルトに話してた、僕があほだとか、ばかだとか言うんだったら
 聞こえてたよ。今更隠し立てする事もない」
「ああ、あ、それは」
慌てたように、ぱたぱた、と手を振る。
「ごめん、言い過ぎたわ。つい口が滑って……そりゃ、ちょっとは、そう思ってるけど……」

ヴィトスがわざと怖い顔を作って見せると、ユーディーの声がだんだん小さくなっていく。
「お、怒ってる?」
怒っているよ、とからかってやろうと思ったが、普段の彼女からは考えられないような気弱な
態度に、つい笑いが口から漏れてしまう。
「怒ってないよ。僕の取り立てが非道い、って、アデルベルトに愚痴こぼしてたんだろう?
 聞かされるアデルベルトもたまったもんじゃなかったろうな」
思いついたように一言付け加える。
「それにしても、二人で一緒に酒を飲んでるなんて、ずいぶん仲がいいんだな」
「えっ、仲? あ、違う違う」
ぶんぶん、と首を左右に振る。
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