● 忘れ物(2/2) ●
「何よ、戻って来ちゃいけなかったの?」
「そんな事はないけれど」
「それに、簡単、って。ここに戻ってくるのに、あたしがどれだけ、どんな思いで……」
ユーディーが挑むようにヴィトスを見上げる。
「あたしだって……ずいぶん悩んだのよ。元の世界に帰って、ここへ来る前の暮らしを
続けながら、いろんな事考えたんだから」
二ヶ月間離れていただけなのに、すでに懐かしい、と思ってしまうユーディーの鳶色の瞳が
涙でじわり、とうるんでいる。
「竜の砂時計を使う前。ラステルに、あたし達、もう二度と会っちゃいけない、って言ったわ。
ラステルとお話しした時は、それが正しいと思ってた。でも」
くちびるを噛んでうつむく。やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「あたしの大切なもの、ここにいっぱいできたから。ここにいっぱいあるから」
手を大きく振って、だんだん夕焼けのオレンジ色に染まりつつある、自分の周りの景色を漠然と指し示す。
「あたし、決めたの。やっぱりここに帰ってこよう、って」
ユーディーの話しに口を挟むのがためらわれ、それ以上にもっともっとユーディーの声を
聞いていたくて、ヴィトスは首の動きだけで相づちを打つ。
「中途半端にしていたお仕事は全部終わらせた。お世話になったライフ村の人にも、今度は
きちんと挨拶した。旅に出ます、って。もう戻らないかも知れません、今までありがとう、って」
「それじゃ、君は」
ヴィトスが息を飲む。
「ずっと、ここに?」
「ずっと、かどうかは分からないわ。でも、あたしの考えが変わるまでは、ここにいるつもりよ」
にっこりとヴィトスに微笑んでみせる。
「そう、か」
ふっ、とヴィトスの肩の力が抜ける。
「何よ、その気のない返事は。あたしが帰ってきて、嬉しくないの?」
すぐに喧嘩腰になってしまう言葉のやりとりも昔のままで。
「嬉しくない事はないよ。また君にお金を貸して、がっぽり稼がせて頂くからねえ」
「ふふん。そこら辺は考えてきてるわよ。お金、ちゃあんと持って来てるもの」
得意そうに笑うユーディーを見て、ふっとヴィトスが冗談を思いつく。
「ああ、君、知らなかったのかい? 君がいない間にお金の価値が下がってね。以前の一万コールが
今じゃ百コールの価値もないのさ」
「ええっ!?」
驚くユーディーを見たヴィトスの顔に、やっと微笑みが浮かぶ。
「嘘だよ。第一、君がいなくなって二ヶ月しか経っていない。そんな事ある訳がない」
「二ヶ月……?」
今度はユーディーが不審そうな声を出す。
「あたし、竜の砂時計の研究をして、実験とかいろいろして、それでここ、二百年後に
来れるように計算して調節するのに、一年はかかったのよ」
「一年?」
「そう、一年」
「僕が冗談を言ったからって、何も君までふざけなくても」
ユーディーの真剣な目を見て、ヴィトスは言葉を切る。
「あたし、一年間、ずっと……」
「一年間、ズット、ズット! ユーディットハ、ヴィトスノ事バカリ!」
「フィンク、黙りなさーい!」
ユーディーがフィンクを叩く真似をする。その動きを察して、フィンクはユーディーの手の
届かない位置まで飛び上がる。
「僕の?」
「んもーっ、あっちへ行ってなさい、フィンクっ!」
「ユーディット、僕の事、って」
「あ、えっと、そんな別に、ヴィトスの事ばかり言ってた、って事はないわよ。ラステルの
事だって、クリスタやメルさんの事だって、他の人の事だって言ってたもん……」
ユーディーの頬がほんのり赤くなる。
「さよなら、言わなくて、ごめんなさい」
小さく、ぺこり、と頭を下げる。
「ああ」
「あたしそれ、ずっと気になってて。さよなら、きちんと言うべきだったよね、でも」
ヴィトスもずっと気にしていた事。
「あの時、ヴィトスの顔見たら、さよならできなくなっちゃうと思ったんだ、だから」
そう言って、今にも泣き出してしまいそうな表情になる。
「あたし、ヴィトスの事ね……」
「えっ?」
「……ううん、なんでもない」
首を振り、ふっと肩の力を抜く。
「ごめんね」
ぺろっ、っといたずらっぽく舌を出して微笑んでみせる。
「だったら、僕は意地でも君に会いに行くべきだったな」
「えっ、なんで?」
「僕だって、君にいなくなって欲しくはなかったって事さ……」
ユーディーの自然な笑顔を見て気がゆるんだヴィトスは、つい本音がぽろりとこぼれてしまった。
「ヴィトス?」
驚いた目をしたユーディーが、両手で自分の口元を覆う。
「いや、ええっと……そうだ、ヴェルンに行くつもりだったんだろう? 護衛の必要はないかな、
今ならお代をサービスしておくが」
慌てて、ごまかすように取りつくろう。
「サービス、って事は、きっちり雇用費は請求するって事なのね。相変わらず、しっかりしてるなあ」
あはは、と笑い、
「それじゃ、お願いしようかな。あたしだってオオカミに食べられたくはないから、仕方ないわ。
フィンクも異存は無いわよね?」
微妙な位置に浮いているフィンクに声をかける。
「ユーディット、素直ジャナイ! 嬉シイ、ト、ハッキリ言ッタラ……」
「うるさい、うるさいっ!」
ばたばた、と手を振ってフィンクの言葉を遮る。
「忘レ物、ナンテ言ッテ、本当ハヴィトスニ、会イニ戻ッタクセニ……」
「フィンク〜? これ、見えるかしら?」
カゴからクラフトを取りだし、ちらり、とフィンクに見せる。
「暴力、ハンタイ、ハンタイ」
フィンクはまた高く飛び上がり、適当な木の枝に留まると、くちばしで羽根の手入れを始めた。
「ユーディット?」
「あ、気にしないで。フィンクってば、興奮して訳分かんない事言ってるのよ」
そう言い訳しつつも、耳まで真っ赤に染まってしまったユーディーは、まともにヴィトスの
顔を見る事ができない。
「それより、早くヴェルンに行きましょ。いつまでもこんな場所でもたもたしてたら、夜になっちゃうわ」
うつむいたユーディーの口調は心なしか早口になっている。
「ユーディットも、僕に会いたかったのかい?」
フィンクの言葉が気になったヴィトスは、尋ねるともなくつぶやいてみる。
「ユーディットも、って事は、ヴィトスも、あたしに?」
ユーディーが視線を上げる。目線が合って恥ずかしくなったのか、すぐにうつむいてしまう。
お互いに相手にどう言葉をかけていいのか分からずに、二人押し黙ったままで、ただ、
時間だけがゆるやかに流れていく。
(確かに今、僕の目の前にはユーディットがいる)
会話はなくても、同じ時間の流れを彼女と共有している事を実感できる。それは悪くはない。
(悪くない、なんてものじゃないな)
「……ユーディット」
「はい?」
優しく自分の名を呼ばれ、ユーディーが顔を上げる。
「二度と、僕に黙ってどこかに行ってはいけないよ」
「うん」
ユーディーははにかんだ笑顔で返事をした。
「じゃあ、そろそろ街へ行くとしようか」
「うん、そうね」
ヴィトスは手袋を脱ぐと、その手をユーディーに向かって差し出した。
「ん、何?」
「手」
きょとん、とするユーディーに一言だけ言って、仕草で彼女にも手を出すように促す。
不思議そうな顔をしたユーディーが手を出すと、そこにそっと自分の手を重ねる。
「あ」
びっくりしながらも、ユーディーが手を引く事は無かった。ヴィトスは、少し冷たい小さな手を
包み込むようにしてやわらかく握った。
「行こうか」
「うん」
そのまま歩き出した二人の後に、大人しくなったフィンクが続く。
「夕焼け、キレイだね」
陽はほとんど落ちかかり、山の向こうに沈みかけている。
「ああ、また君とこんな景色を見られて、良かったよ」
ユーディーが、ヴィトスの横顔を見つめる。
「うん。あたしも、ヴィトスと一緒で良かった」
照れたように返事をしたユーディーは、ヴィトスの手をしっかりと握り直した。
調合中に髪の毛を落とすまで1年かかったというお話し…
いつも鬼畜ヴィトスばっかり書いてたから、こういうのもいいかな、と。
ちなみにメッテルブルグの『デート?』イベントは起こってなかったって事で。
ユーディーのお見送り、ヴィトスって絶対来てくれるもんだと思ってたら、
パーティーに入れてないと来てくれないんですな。冷たいヤツだよ。