● 寒さを解かすあたたかさ(1/1) ●

「ううっ」
氷室のドアから外に出たユーディーは、ぶるっと身体を震わせた。
「あーあ、寒かったあ。あんな所にいたら心臓まで凍えちゃうわよ。まあ、アイテムが
 劣化しないのはありがたいけど」
女神の名前が付いた広場、そこに差し込む暖かな陽の光を浴びながら、大きく腕を伸ばして
気持ちよさそうに伸びをする。
「でもオヴァールっていっつもあんな場所にいて、よく凍死しないわね。あたしだったら
 一時間くらいで動けなくなっちゃいそう……ふぁ」
ついでに大きなあくびを一つした。

「うーん、でも、寒い場所にいるからオヴァールって意地悪なのかなあ。何だか心まで
 冷えてるとか、そういう感じするもんねえ」
ぶらぶらと、中央広場の方へ歩き出す。
「何か行くたびに嫌み言われるような気がするし。別にいいじゃない、氷室をリサから
 直送のレヘルンクリームで埋め尽くしたって」
「やあ、ユーディット」
後ろから声をかけられたが、ユーディーは全然気付かない。
「あっ、でも、こないだ奇跡の杯入れた時の神妙な顔は見物だったなあ。『これ、あんたが
 作ったのか?』とか、言い方は失礼だったけどずいぶん感心されたからねえ、ふふん」
「ユーディット?」

「まあ、その後、腐らない物だから氷室に入れる必要ないって言われたけど。まあ、
 確かにそうだけど」
「ユーディット、聞こえていないのか?」
「みぎゃっ!」
いきなり髪の毛を引っ張られ、ユーディーは変な悲鳴を上げてしまった。
「な、な、何するのよヴィトス!」
振り返ると、ユーディーの後ろ髪を持ったままヴィトスが涼しい顔をしている。
「いや、僕がせっかく挨拶をしているのに返事がなかったからね。起きたまま居眠りでも
 しているのかと思って」
「起きたまま眠れる訳ないじゃない、そもそもあたし、歩いてたし」

「君だったら歩きながら眠っていても不思議じゃないな」
「うーっ、何か言いたい事でもある訳?」
「いや、別に……」
いきなりヴィトスは手に持った銀紫色の髪を自分のくちびるに近付けた。
「な、何?」
髪にキスをされている。そう思った瞬間、ユーディーの頬が熱くなる。
「いや、ずいぶん冷たいなあと思ってね」
「返事しなかったのは考え事してたからよ」
「そうじゃなくて、髪が冷たい。今日はこんなにいい天気なのに」

「ああ、それは」
ついさっきまで氷室にいたからだ、そう言おうとしたが考え直す。
「色んな人に意地悪されて、心が冷えて髪まで凍っちゃったのよ」
何も髪の温度をみるのにわざわざくちびるを付けなくてもいい筈だ、そんな風に考える
ユーディーの胸がどきどきしてくる。照れくさくなるのを隠そうとして、べー、と舌を
出したが、妙に真面目な顔をするヴィトスを見てその舌を引っ込める。
「可哀想に、意地悪されたのか。誰に?」
「だ、誰って。あんたが筆頭よ」
「僕はいいんだ。他には?」
「他には、って」

そもそもヴィトスに意地悪されるのだって良くは無い。指摘しようと思ったが、何となく
真剣な口調に圧されてその件は口に出せなくなってしまう。
「えーっと、氷室を使った時オヴァールにちょっとね。あ、でも、本当にちょっと
 些細な事を言われただけだし」
何故かオヴァールを弁護するような言い方をしてしまった。
「そうか。許せないな」
「許せないなって、何であんたが絡んでくるのよ」
何か誤解でもしているのだろうか、まさか今からオヴァールに文句を言いに行ったり
しないだろうか、ユーディーは不安になってしまう。

「だって、君をいじめていいのは僕だけだからねえ」
しかし、ヴィトスは楽しそうに笑うと、またユーディーの髪をいじり始める。
「ちょ、ちょっと、放してよ、痛いっ」
「痛くはしてない筈だよ。気のせいだろう」
確かにひどく引っ張られている訳ではない。むしろ慈しむように撫でる指の動き。
「まあ確かに痛いってのは言い過ぎだけど、いつまでもあたしの髪触らないでよ」
「何でだい?」
「何でって、そりゃ」
とっさに言い返せずに口を閉じてしまう。

「僕は君の冷たい髪を温めてるんだよ。氷室の管理人にいじめられてしまった可哀想な君を
 慰めてあげているんじゃないか」
「別にいじめられてないし、可哀想じゃないもん。むしろ、あんたに今いじめられてる
 この状況の方が可哀想だわ」
「……ふうん」
「な、何よ」
何だか勝ち誇ったようなヴィトスの目付きに気後れして、ユーディーは一歩後ずさろうとした。
しかし、ヴィトスはそんなユーディーの腕をつかまえてしまう。

「何よーっ」
「こっちへおいで、ユーディット」
広場から離れ、街の隅の方へ連れて行かれる。
「放してってばあ」
「いいから」
あまり人の目に付かなそうな建物と建物の隙間。
「な、何するつもりなのよ」
何でそんな所に連れて行かれるのか分からずに、ユーディーは半泣きになってしまう。
広場の方から完全に見えないと思われる場所に来ると、ヴィトスは石の壁に背を預け、
ユーディーを正面から抱きしめた。

「……」
優しく、それでも力強いヴィトスの腕。彼の胸に顔を押し付ける格好になり、ユーディーの
頬が更に熱くなっていく。
「な、何?」
「いや、氷室で冷えたのは髪だけじゃないようだからね。こうやって僕が身を挺して
 君の全身を温めているんだよ」
「だ、だから別に、あたし寒くないし」
「それに、僕の意地悪のせいで心と髪と身体が冷えてしまったって言っていたからね。
 だったら僕が責任を取らないと」
「冷えてないってばあ」

抱擁から逃れようとするが、きつく抱きしめられている訳ではないのに放してももらえない。
「冷えているよ、ほら」
ヴィトスは顔を傾けると、くちびるでユーディーの耳たぶを噛んだ。
「きゃあっ」
びくん、と身体を震わせ、ユーディーは小さな悲鳴を上げる。
「ああ、やっぱり冷えているんだね。しっかり温めてあげないと」
「だから何で。耳とか関係ないし、やだあっ」
嫌がるユーディーの耳たぶを何度もやわらかく噛む。
「冷たいよ。もしかして自分で気付かないくらいに冷え切っているのかな、それは危険だ」
「あんたに襲われているこの状況の方がよっぽど危険だわっ」

ふいにヴィトスは顔を離し、ユーディーの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「な、な、な、何よ」
少し濃い色の瞳に見つめられ、ユーディーは途端に落ち着きを無くす。
「僕は、君を襲っていたのかな? それは気付かなかった」
「気付かなかったって、ここまでしといてそれは無いわよ」
「ここまでって、さっきから言っているだろう、僕は君を温めているだけだよ。他意はない」
にっこり笑われ、あまりの恥ずかしさに顔を伏せようとするが、ヴィトスは素早く手袋を脱ぐと
大きな手の平をユーディーの頬に当て、自分の方を向かせた。

「ここも、冷たいね」
「……」
「僕の手は温かいだろう?」
むしろ、ユーディーの顔の方がよっぽど熱くなっている。
「……手の温かい人は、心が冷たいんだからね」
くやしまぎれに嫌みを言うと、ヴィトスはおかしそうに笑った。
「おかしいな。僕は手も温かいけれど、心も温かい優しい男だよ」
「そうなの、ふうん。そんな話し、聞いた事ないわ」
「まあ、持っている情報量に関しては君は僕の足元にも及ばないと思うよ」
明らかに会話を楽しんでいるヴィトス、どうやっても言い負かせないユーディー。

「うーっ、もう、悔しいなあっ」
「何がだい?」
「何でもないわよ」
ヴィトスの手の平で頬を包まれると、恥ずかしいけれど幸せな気分になってしまう。
もちろんそんな思いは口に出せないし、そもそもこんな事をされて幸せだと思ってしまう
自分の感情が制御できないのが悔しい。
「何でもないならいいんだ。あっ、ユーディット」
「今度は何?」
他に誰もいない場所で抱きしめられ、胸が苦しい。苦しくてここから逃げ出したいと思うと
同時に、いつまでもヴィトスの腕の中にいたいとも考えてしまう。

「大変だ。僕とした事が、一番冷えている場所を見逃していたようだ」
「一番冷えて、って……」
ヴィトスの目線は、あきらかに自分の口元を見つめている。その時に、ちらりと期待して
しまったのは否定できない。
「すぐに温めなくてはね」
「ん、っ」
そして次の瞬間、ヴィトスはユーディーが期待した通り、彼女のくちびるを優しいキスでふさいだ。
「……」
ゆっくりと、時間が流れる。やがてヴィトスは顔を離した。
「どうした?」
「別に」

キスの後、顔を上げられない。くちびるからじわじわと熱が広がり、決して悲しい訳では
ないのに涙がこぼれそうになる。
「別に、何でもない」
足から力が抜けてしまい、立っていられなくなりそうだった。
「ああ、何でもないならいいんだ」
「あたしだって、別にヴィトスがいいんだったらいいわよ」
ヴィトスの胴に腕を回し、顔を彼の胸に埋めてユーディーはもごもごとつぶやいた。
「そうか。ああ、身体が震えているね。まだ寒いのかな」
「……」
返事ができないユーディーを、ヴィトスはきつく抱きしめた。
 この後、アイテムが足りないのを思い出したユーディーは
 ヴィトスと一緒に氷室に行って、そこで二人がかりでねちねちといじめられるのであった。
 オヴァールもけっこう意地悪いよね〜。
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