● 強く想いの残る場所(1/1) ●

左手に持った杖に留まるフィンクに声をかける。
「しっかりつかまってるのよ」
「ワカッテルヨ、ユーディット!」
飛ばされる途中ではぐれちゃったら、どこへ行くか分からないんだからね。そう思ったけど
フィンクをいたずらに心配させてもいけないから、それは口には出さなかった。
そしてあたしは帰りたい場所に思いを凝らしながら、右手の竜の砂時計を天に掲げる。
「さよなら」
あたしは溢れ始める光の中でつぶやいた。

「ユーディー!」
ラステルが、泣いている。ああ、また泣かしちゃった。ラステルを守るって言ったあたしが、
一番彼女を泣かせてる。
「い……、……」
光の束があたしの目を眩ませ、耳を塞いでく。つま先が、ぴりぴり痺れていく感じ。
このまま光に飲み込まれて、あたしは元の世界に帰るんだ。
「……!」
ぼやけた瞳にラステルの姿が歪んで見える。泣いちゃだめだよラステル。そんな顔されたら、
どうしていいか分からなくなるじゃない。

ラステルの顔を見ていられなくて、あたしはゆっくりと視線をさまよわせる。ヴィトス、
ポストさん、オヴァール。みんなの顔を見たら、余計に辛くなってきた。仕方なくて
目を閉じる。重力がゆっくり無くなっていくみたい。ふわりと身体が浮いてる感じ。
少し酔っぱらったみたいで、くらくらして気持ちいい。やっと、帰れるんだ。あたし、
頑張ったからね、うん。
「ありがとう……、さようなら」
もう一度だけ、やっぱりラステルの顔を目に焼き付けておきたくて薄くまぶたを開けると、
ほとんど見えなくなっている景色とラステルの姿。竜の砂時計が作り出す色とりどりの
光越しに、一番大好きな、一番大切な友達が滲んでいく。

「……」
ラステル、って名前を呼びたかったけど、くちびるが動かない。ぼんやりする目をこすって
もう一度ラステルの顔をちゃんと見たかったけど、手も持ち上がらない。
その時、
「ユーディー! 行かないで!」
突き刺さるように響いてきたラステルの声。
「あ……、っ」
あたしを呼ぶその声を聞いて、あたしは自分の本当の気持ちに気付く。
『行きたくない! 帰りたくない』
今となっては遅すぎる、血を吐くような心の叫び。

『ラステルとずっと、ずっと一緒にいたい!』
何でもっと早く自分の気持ちに気付かなかったの? 竜の砂時計を使う前に。砂時計を
完成させた直後、ラステルが泣きながらあたしの胸に飛び込んで来た時に。
『ラステルのそばから、離れたくないよ!』
今のあたしにとって、一番大切な物。大好きなラステルの嬉しそうな笑顔。それを失って
過去に帰って、あたしはどうするの? お仕事も何もかも中途半端にして置いて来た、
それは確かにとても気にかかっている。親切にしてくれた、おばさんやおじさん。
贔屓にしてくれたお客さん、竜の砂時計をたくさん頼みに来た、冒険者の人。
でも、こういう考え方をしてはいけないのは分かっているけど、元の世界の誰にとっても、
あたしは一番じゃなかった。

みんなそれぞれ大切な家族がいる。お客さんも、あたしが作る竜の砂時計が手に入らなければ、
どこかで代わりになるようなアイテムを手に入れられる。あたしがいなくなったままでも、
最初は寂しがってくれると思うけど、徐々に忘れて、いつかあたしがいないのが当たり前の
生活になっていく筈。
でも、ラステルは? あたしは? お互いにお互いを無くして、それでも生きていけるの?
お互いに、お互いの世界で、新しい友達はできるかもしれない。でも、あたし達が相手を
想うような気持ちは、誰に対しても、二度と絶対に持てる筈がない。
あの時、二百年離れても、あたし達ずっと友達だって、そうお話しした。それは今でも
そう思ってるけど、本当にそれでいいの?

良く考えた筈なのに、考えて考え抜いて、過去に帰るのが正しいって結論を出した筈なのに。
違う、あたしは間違っていた。あたしが二百年の時を越えたのは、きっと神様みたいな
大きな意志が働いたから。それにはきっと何か意味がある筈なんだ。
その答えを出さないで、その意味が何かを見極めないで過去に帰るのは間違っている。
間違ってたんだ、あたしは。だってもうこんなに後悔してる。
『ラステル! ラステル!!』
声を限りに叫ぶ。喉が破れてもいい、あたしの声がラステルに伝わるなら。
『ラステル! あたしはラステルと一緒にいたいよ!』
自分の声が耳に届かない。周りが暗くなって、意識が落ちていく。


どさり、とあたしの身体が地面に叩き付けられた。
「いった〜い」
意識が落ちたんじゃない、身体が落ちたんだ。
「あはは」
ゆっくり身体を起こし、地面にぺったり座ったままの格好で笑ってみたけど、声が乾いてる。
だって一つも面白い事なんかないもの。
「フィンク、だいじょぶ?」
まだ目の奥がチカチカする。何度も瞬きをして、目をぎゅっとつぶって開けてみたりするけど、
太陽を真っ直ぐ見ちゃった後みたい。薄暗くて、何も見えない。
「フィンク、どこ?」
あたしの横に転がってたらしいかたまりが、起き上がってぶるるっと身体を震わせる。

「ダイジョブ ミタイダヨ、ユーディット」
「そう、良かった」
フィンクが無事なのは良かったけど、あたしは全然、何もかもちっとも良くない。
「じゃあ、まずはヴェルンに出て……」
言いかけてくちびるを噛む。あたしの時代には、ヴェルンなんて街は存在してない。
「あたし、何言ってるのかな」
あの街。宿屋の優しいママさん、いつもお菓子をつまみ食いしてる雑貨屋のおばあちゃん。
食料品店の女の子。この時代には、誰もいない。

「ここ、どこだろう。帰れるかな」
オオカミのエサにされちゃったらいやだな。あ、そうか、この時代ではオオカミの話しなんか
聞いた事無かったっけ。大丈夫だ。
「……あはは」
手を固く握りしめる。そうしてないと、全身ががたがた震えてどうしようもないから。
すごく寒気がする。風邪でも引いたかな。
「……う、っ」
目頭が痛いくらいに熱くなってく。こらえきれず、涙が溢れる。

「ラステル、ラステル。ラステル」
もう会えない友達の名前を呼んでも仕方がない。それは分かっているけど、声に出さずには
いられない。心臓が拗くれているみたいに苦しい。
「ラステル、もう会えないなんて嫌だよ、ラステル、会いたいよ、ラステル」
あたしが失った物のあまりの大きさに、胸がつぶれてしまいそう。ほんの数分前には
あたしのそばにいたのに。やわらかい手であたしの手を握っていてくれたのに。
「ラステル……」
ラステルの手を離したのは、あたしだ。そしてあたしの手は砂時計を選んだんだ。

「ラステル、好き。大好きよ。会いたい、会いたいよ」
自分が情けない。でも、溢れる涙と言葉は止まらない。
「ラステルがいないと生きていけないよ。ラステルがそばにいなくちゃ嫌だよ。ラステル……」
「……ユーディー」
「え」
ラステルの声がした。顔を上げると、目の前にぼんやりと人の影が見えた。
「ユーディー。私もユーディーがいなくちゃ嫌よ。ユーディー」
あたしにきつく抱き付いてくる。背中に回された腕、肌のやわらかさ、頬に触れる髪、
やっぱり、ラステルだ。

「ラステル……、えっ、どうして」
あたし、失敗しちゃった? 過去に帰るのにラステルを巻き込んじゃったの? 驚きと、
それ以上にラステルの存在が嬉しくて、あたしは彼女を抱きしめる。
「あたし、ラステルを連れて来ちゃった?」
「……全く君は、何をやっているんだ」
あ。その意地の悪い言い方は。
「な、何よ! あたしだってねえ」
「こすっちゃだめ、ユーディー」
流れる涙をヴィトスには見られたくなくて目をこすったら、ラステルがやわらかい布で
あたしの顔を拭いてくれた。

「失敗、だったのかな」
その声はオヴァールね。目を何度もぱちぱちと閉じたり開けたりして、ようやくはっきり
見えるようになる。って、ちょっと待って、ここって。
「いや、理論的には大丈夫だった筈……じゃが」
「確かに、一度は消えましたよね」
オヴァールとポストさん。きゃ。ちょっと待ってよ。
「あ……、あは、は」
あたしが座り込んでたのは、あの古ぼけた魔法陣の上だった。そして周りには、びっくりした
ような顔、あきれてる顔。砂時計を使う前と同じ人たちが、同じ場所にそのまま立ってる。
あたし、戻ってない。過去に帰ってない!

「あはは! あ、あの……、ただいま」
とりあえず笑ってみたけど、気まずい空気はそのままだった。
「最後の最後、肝心な所で失敗とはね。君らしいよ」
「なっ、何よ! 失敗なんかする訳ないじゃない、砂時計は完璧だったんだから!」
ヴィトスに言い返してから考え込む。確かにおかしい。砂時計から解放される、大きな
魔法のエネルギーはしっかりと感じた。砂時計の残骸はあたしの横に落ちてる。ガラスは
割れ、砂は全て飛び散って無くなって、ひしゃげた金属の枠だけの状態で。
「あつっ」
その枠に指を伸ばして、火傷するような熱にすぐにその手を引っ込める。あれだけ詰め込んだ
魔力のかけらも残っていない。あれだけの力が放出されて、何も変化が起こらなかったなんて
あり得ない。

「あたし……、砂時計は成功してた。砂時計を作り上げた時の手応えには自信があったもの」
勘違いなんかじゃない。それは絶対に間違いない。
「それじゃ、何で。成功したら過去に帰る筈だろう?」
何かヴィトスがいつもより突っかかってくるような気がする。
「そうよ、帰る筈だったのよ。砂時計を掲げて、精神を集中させて。帰りたい場所を
 しっかりと念じて……」
帰りたい場所。あたしが想っていたのは、二百年前じゃなくて、ここだ。ラステルのそばだ。
「帰りたい、場所」
「ユーディー?」
ラステルの身体を抱きしめた手に力が入る。

「ここなの」
「えっ?」
「あたしの帰りたい場所。本当にいたい場所。ずっと、ずっと想ってる場所」
「ユーディー……」
ラステルがあたしの頬に、濡れた頬をすり寄せる。あたしも濡れてるから、おあいこだな。
「あたしはここに帰りたかったの。ずっとラステルのそばにいたいの」
「うん、ユーディー、私もずっとユーディーのそばにいたい」
あたしの気持ちと、そして多分ラステルの気持ちが、砂時計に働いたのかもしれない。
過去へと作用する世界霊魂の効力も消してしまう程に。

「本当に、君は」
ヴィトスがあたしのそばに歩いてくる。彼の手が上がって、てっきりいつもみたいに
ぽかっと叩かれるのかと思って、肩をすくめる。
「あまり心配させるな。全く」
でもヴィトスは大きな手で、あたしの頭をゆっくりと撫でてくれた。とても優しく。
「うん、ごめんなさい」
だからあたしも素直に謝れた。

「さて、これからどうするんだい?」
「とりあえず街に帰るとするかのう」
オヴァールとポストさんも、何だか少し嬉しそう。……って見えるのはあたしがそうあって
欲しいって願望が入ってるからかな?
「とっておきのチーズケーキがあるんじゃ。それでお祝いを」
「チーズケーキは止められているでしょう」
オヴァールに諭され、ポストさんがしょんぼりしてる。

「街に帰って、住む場所を決めないと。宿は解約してただろう?」
あたしとラステルは立ち上がったけど、足に力が入らなくて二人でよろよろしてたら
ヴィトスが後ろから支えてくれた。この人ってこういう風に、ちゃんと親切にできるのね。
そう思ったら気恥ずかしくなっちゃった。
「そうね。住む所を決めて、お仕事もしなくちゃ。ヴィトスにお金を借りなくてもいいように」
あたしは、ラステルとヴィトスの手をいったん離して、地面に落ちたままの砂時計の枠を
拾い上げる。うん、もう熱くない。
「ユーディー、それ、どうするの」
ラステルの声が、少し強ばっている。

「ちょっと研究してみようと思って。この砂時計、あたしが考えてたのとは違う効力が
 引き出せるのかもしれない……」
話の途中で、ラステルが泣きそうな顔になる。
「ああーっ、ち、違うのよ。二百年前に帰るのに使うんじゃないの。そうじゃなくて、
 ほら錬金術士の性って言うかさ、知りたいのよ、いろんな事」
「本当? もう過去に帰るなんて言わない?」
悲しい目をして拗ねてるラステル、やっぱり可愛いな。こんな時にそんな事を感じるのは
不謹慎かもしれないけれど、思ってしまうものはしょうがない。

「ねえ、ユーディー」
「うん。言わない」
あたしは、はっきりと返事をした。だってそれが本心だから。
「じゃ、約束」
そう言って小指をあたしに差し出すラステルは、まだ少し不安そうな顔してる。だから
あたしはラステルが安心してくれるようにって、
「うん、約束」
そこに固く自分の小指を絡めた。
 ネタメモでは「みんなと一緒にいたい」って書いてたのに、
 SSにしてみたら「ラステルと一緒にいたい」になってた不思議。
 そして今回もユーディーとラステルはラブラブさん。
   ユーディーSS 2へ