● いつもと同じ(1/1) ●

がくがくと震える足を心の中で叱りつける。ヴィトスの顔から逸らしたくなる目を何とか
彼の方に向け、ユーディーは一人の部屋で何度も練習し、繰り返した言葉を口にしようとした。
「……」
くちびるがこわばり、思うように動かない。
「どうしたんだい、ユーディット。僕に話しがあるんじゃなかったのかな」
ヴィトスの手には、今取り立てたばかりの五万コールが入った袋が握られている。
「この五万コールを負けてくれと言う話しなら聞かないよ。貸してからだいぶ時間も
 経っているし、妥当な金額だ」
その話しではないと分かってもらう為に、緊張できしむ首を横に振る。

「あ、あの、ね」
ごくりとつばを飲み込みたかったが、口の中はからからに干上がってしまったようだった。
「お金、返したよ。だからあたしとあんたに貸し借りは無し。負い目も引け目も無い、
 対等な立場だよね」
「ああ、そうだね」
一瞬、ヴィトスの顔に警戒した表情がよぎる。
「何か仕事の話しかな? 新しくお金の工面をして欲しいとか。それなら役に立てると
 思うから話しを聞くよ」
それからすぐに業務用の、人の良さそうな笑みを浮かべた。
「ん、あのね」

背中から肩、首から耳にかけて、ちりちりと肌がざわめく。心臓がばくばくと脈打ち、
熱くなった血液が身体中をものすごいスピードで駆けめぐっている気がするのに、同時に
冷水をかけられたかのような寒気と震えが止まらない。
「どうした、ユーディット。具合でも悪いのか?」
「……好き」
「えっ?」
「あっ、あたしね、ヴィトスが好きなの」
かああっと頬が燃えていく。身体の震えは一段と酷くなり、立っていられなくなりそうだ。
それでもユーディーは顔を伏せたくなるのを必死でこらえ、彼の目を見つめていた。

やがて、
「ああ、うん」
ヴィトスはそれだけ返事をした。
「……」
「……」
しばらく二人は無言のまま見つめ合っていた。
「あっ、あの……」
「ん?」
ヴィトスの表情は変わらない。何を考えているのか、全く分からない。

「どう、かな?」
そう尋ねるユーディーは今にも泣き出しそうになっている。
「どうって、何が」
「何がって、その、あれだよ。ダメとか、……OKとか」
もごもごと恥ずかしそうに口の中でしゃべる。
「ダメとかOKとかって言われても、ねえ」
あまり表情を変えず、ヴィトスは首をかしげた。
「あたしの事、嫌い?」
「別に嫌いではないよ」
顔にかかってうるさいと言う訳でもなく、ただ手持ちぶさただからヴィトスは前髪を払う。

「迷惑?」
「いや、別に迷惑ではないけれど」
ヴィトスはゆったりと両腕を組んだ。
「僕の事を好きだって感情を持つは君の自由だし、僕にはそれを肯定する権利も否定する
 権利もないね」
ロマンティックな愛の告白のシーンを何度も夢見ていた。見ていた筈なのに、どうして
こんな淡々とした色気のかけらも感じない会話になってしまうのだろう。
「それって、あたしがヴィトスを好きになるのは構わないって事だよね?」
「うん……、まあ、そうだね」
「じゃああの、お付き合いしてくれるとか、くれない……とかはどう?」
真っ赤になっているユーディーは上目遣いでヴィトスを見上げる。

「付き合うとかどうとか言われてもねえ。あまり実感も湧かないし、よく分からないな」
「えー」
この時点でユーディーの頭の中は、『何でこんな男を好きになってしまったんだろう』と
自責の念でいっぱいだった。
「そもそも、お付き合いって言っても何するんだい?」
「何するって、えーと、普通にデートとかだよ。お茶を飲んだり、おしゃべりしたり。
 お散歩をしたり、お買い物に行ったり」
「お茶を飲む、か。君が出してくれるんなら頂くけど」
ヴィトスはテーブルに近付くと、椅子を引いて勝手にそこに座った。

「あっ、うん」
ユーディーは慌てて台所に向かうと、やかんに水を入れて火にかけた。ティーカップや
ポット、お茶の葉を用意しながら、自分が淹れるお茶をヴィトスが飲んでくれると思うと
ほんのりくすぐったいような嬉しさがこみ上げて来る。
「おしゃべりはいつもしてるよね、今もしてるし。後は散歩か、どんな所を歩くんだい?」
「街の中とか、森の中とかかな。良い天気の時に森を歩けば気持ちいいと思うよ」
お茶の支度をする動作を、ヴィトスがぼんやりと眺めている。その視線に気付いて
照れくさくなってしまう。
「森の中って、採取場かい?」
くすくすとヴィトスが笑う。

「だったら今までも行ってるじゃないか。まあ、僕は君の護衛と言う形だけれど」
「うーん、そう言われればそうだね」
モンスターと戦ったり、錬金術の材料を集めたり。確かにいつも自分の横にヴィトスが
いてくれたが、それはデートではないと思う。
「それと買い物か。僕が店主と仕事の話しをしている間待っててくれるなら、別に構わないが」
「んー」
沸いたお湯をお茶の葉が入ったポットに注ぎ入れると、ふわりと良い香りが部屋に広がる。
余ったお湯をカップに入れ、ユーディーは曖昧にうなった。

「後、他に何かあるかな」
「後は、お食事をしたりとかかなあ」
温まったカップのお湯を流しに捨てる。
「それも別にいいよ、もちろん割り勘でね。なんだ、結局今まで普通にしている事と
 変わらないじゃないか」
「……」
憧れのデートの内容も、ヴィトスにかかれば日常の他愛ない出来事になってしまう。
何となく悲しくなってしまったユーディーはくちびるを噛みながら、十分に色と香りの
出たお茶をカップに注いだ。

二つのカップをトレイに乗せ、テーブルに運ぶ。
「不満があるのかい?」
「えっ」
カップをテーブルに置き、ユーディーも席に座った。
「何だか面白く無さそうな顔をしてるからさ」
「えっ、だって」
じわりと涙がこみ上げ、それをこらえようとユーディーは口元を両手で覆った。
「だって、あたしふられちゃった……のかな?」
自分で言っておいて、良く分からなくて語尾が疑問型になる。

「ふるもふらないもないよ」
ヴィトスは美味しそうにお茶を一口飲んだ。
「ヴィトスはあたしの事、好きじゃないんでしょ?」
「嫌いではないって」
「嫌いではない、と、好きだってのは違うもん」
ほんのり涙が滲んだ目をしながら、頬をふくらませる。そんなユーディーの表情を見て、
ヴィトスの口元に笑みがこぼれてしまう。
「何で笑うのよっ」
「いや、君を見ていると楽しくてね」

「何よ何よ、人がふられたのを見るのが楽しいの?」
「ふってないよ」
「だって、お付き合いしてもらえないんでしょ」
「別に付き合わないとは言ってないし」
「え、そうなの? お付き合い、してもらえるの?」
一瞬喜ぶユーディーだったが、
「僕の生活に特に変わりもないし損もない、それで君が喜ぶんだったら拒む要素は無いね」
「うー」
ヴィトスの言葉を聞いて、小さくうなった。

「やっぱり不満そうだね」
「だって〜」
軽く拳を握り、ぱたぱたとテーブルを叩く。
「お付き合いするって言ったら、ええと、その、こ……、恋人同士になるって意味なのよ。
 それなのに、ヴィトスの生活に変わりがないなんて」
ふいに、悲しそうに目を伏せる。
「それってあたしがいてもいなくてもどっちでもいいって事じゃない。そんなの、やだよ」
「わがままだねえ、君は」
ふっとため息を吐きながらヴィトスが微笑んだ。

「お付き合いするなら、恋人っぽい事したいもん」
「恋人っぽい事って、どんな事だい?」
「だから、デートだよ。お茶を飲んだり、お散歩したり」
「だからそれは今までもしてるし、これからもするって言ってるじゃないか」
「ううーっ」
テーブルを叩くペースが速くなる。
「他に何か無いのかな?」
「無いって、何がよ」
「恋人っぽい事が、さ。君が提案して、僕が苦労無く実行できそうだったら試してみてもいい」

「うーん……」
そう言われても、とっさに何も思いつかない。
「分かんないよ」
「そうか、だったら仕方ない」
「あっ、ちょっと、もうちょっと待って、考えるから!」
腕を組み、うーんとうなって首をかしげる。その間に、ヴィトスはお茶の残りを飲み干した。
「さて、と。いい案が出ないようだったら、僕はこの辺で退散するかな」
「えーっ、待って、待ってようっ」
慌てるユーディーにかまわず、ヴィトスは椅子から立ち上がった。

「考える、今すぐ思いつくからあっ」
そうは言った物の、妙案はさっぱり浮かんで来ない。
「残念ながら僕はこの後にも仕事があってね。君のおもりばかりをしてはいられないんだよ」
「ううーっ」
半泣きになるユーディーのそばまで来ると、ヴィトスはぽん、と優しく彼女の頭を叩いた。
「別に今じゃなくてもいいよ。君の思いついた時で」
「でも、でも」
焦る気持ちと、ヴィトスに触れられて嬉しい気持ちが混じり合って更に混乱する。
「まあ、頂いたお茶は美味しかったし」
軽く指を立て、しなやかな髪を梳くようにユーディーの頭を撫でる。

「返してもらうのは当然だとは言え、きちんと借金も返済してもらったしね。特別に、
 僕が思いついた恋人っぽい事をしてあげよう」
「えっ、何? 何?」
ヴィトスの指が耳元から首筋に滑り、そのまま形の良いあごをそっと持ち上げる。
「なに……」
何をされるかユーディーが理解する前に、ヴィトスはかがんで彼女のくちびるにそっと
自分のそれを合わせた。
「……」
ほんの数秒のキス。くちびるを合わせている時は無限の時間に感じられたが、顔を離すと
一瞬の出来事だったようにも思える。

「どうかな。恋人っぽかったかな?」
「あっ、う、う……、ん」
頬が熱くなり、まともにヴィトスの顔を見られない。
「そうか、良かった。じゃあな」
涼しい顔をしたままのヴィトスは、緊張したユーディーに背中を向けて部屋を出て行った。
「……」
それからしばらくユーディーは、カップの中ですっかり冷えてしまった自分の紅茶の
前から動けなかった。
 最近、ちゅーでお話しが終わるのがマイブーム。
   ユーディーSS 2へ