● 好きな人、嫌いな人(1/1) ●
「やあ、ユーディット」
「あ、ヴィトス。……どうしたの?」
ノックもせずに勝手にドアを開けて部屋に踏み込んでくるヴィトスを見て、ユーディーは身構えた。
「どうしたのって、君が僕から借りた金の返済を迫りに来たのだがね」
「あれ、そうだったっけ? コロっと忘れてたよ」
緊張しているのを悟られまいと自然体を装う、その態度がすでにヴィトスを意識していると言う
証拠にしかならない。
「さてと、返してもらうとするかな」
わざと不敵な微笑みを浮かべると、ユーディーはあからさまに落ち着きを失う。
「えっ、そう言えばおサイフどこへやったかなあ、どこかに忘れて来たかな……、あっ!」
テーブルの上に置いてあるサイフをめざとく見つめたヴィトスは、それを素早く手に取った。
「どれどれ、調べてみようか」
「ちょっと、何するのよっ」
怒ったユーディーはヴィトスからサイフを奪い返そうとするが、彼女の貧弱な攻撃など何の
役にも立たない。ヴィトスは軽く彼女の手をかわすと、財布の中身を改める。
「勝手におサイフ見ないで……、きゃっ」
両手を伸ばしてヴィトスに襲いかかろうとしたはいいがバランスを崩し、彼の左側から抱き付く
ように倒れ込んでしまう。
「四万と……ちょっとか」
意図せずヴィトスに体重を預ける結果になってしまったユーディーは、ほんのりと頬を赤らめた。
ヴィトスがそんなユーディーにとっておきの優しい笑顔を向けると、更に顔を赤くする。
「どうする?」
サイフを右手に持ったヴィトスは、それをゆっくりと振って見せた。
「どうするって?」
尋ねられ、当然ながら戸惑う。
「お金は足りないよね、ユーディット」
「そ、そうね。足りないわね……、きゃ」
いきなり左手をユーディーの背中に回し、細い身体を抱き寄せた。
「足りないねえ」
「何度も言わなくても分かってるわよ」
わずかに身体をよじってみたが、そんな仕草で解放される訳もない。男性の腕に抱きしめられる
恥ずかしさからユーディーの口調は早いものとなり、視線も落ち着き無い。
「足りなかったら、どうするんだい?」
ユーディーの背中を抱いている手のひらに、ほんの少し力を入れる。そんなわずかな動きさえ
感じ取れるくらいに敏感になってしまったユーディーの身体が緊張した。
「どうする、って言われても」
もごもご、と言い訳がましく口の中でつぶやく。
「聞こえないよ」
ヴィトスはサイフをテーブルに放ると、短い仕草で両の手袋を脱ぎ、それをサイフとほぼ
同じ場所に投げた。その手をユーディーの熱い頬に寄せる。
「あの、だから、どうするって言われても、困る」
頬を手のひらで直接包まれたユーディーの鳶色の瞳は、うっすらと涙で潤んでいる。
「困るって言われても、僕も困るよ」
指の先でなぞるようにそっと頬をなでると、ぴくり、と身体を震わせた。
「ユーディット」
顔を彼女の耳元に寄せ、低い声で名前を呼ぶ。
ヴィトスの声から耳を逸らそうとしたが、顔を背けて無防備になった首筋に甘い吐息を感じ、
「きゃ、っ」
小さくつぶやいたきり目を閉じて、一層身を固くした。
「君は本当に困った子だね、ユーディット」
落ち着き、冷静な声を作ると、それに反してユーディーの呼吸が乱れていく。
「ごめんなさい、でも」
「言い訳は聞きたくないよ。君が約束の期日にお金を用意できなかった事実に変わりはない」
「ごめんなさい……」
長いまつげには涙が滲んでいる。
「借りた物はきちんと返さないといけないよね。そう何度言って教えても分からない子には、
どうしたらいいと思う?」
ヴィトスは親指の腹で、閉じたままの瞳の端をそっとなでる。
「だから、そんな事言われても、本当に分からないんだもの」
「分からない、じゃないよ。少しは自分で考えてみたらどうなんだい?」
指は、目元から頬へ、そして耳元へとゆっくり滑っていく。
「考えてもって、だって……!」
親指と人差し指が、熱くなったユーディーの耳たぶをそっとつまむ。
「だ、だから、反省してるわ。許してよ」
「自分から許してくれなんて言う子が、本当に反省していたためしはないよ」
くすっ、と小さく笑いながら、赤くなっている耳たぶをやわやわと指先で揉んでみる。
「反省、してるもん、ちゃんと……」
耳たぶを弄っていた指が、耳の軟骨にそって、つつっと動く。
「さて、どうだかねえ」
「本当だもん。だから、ねえ、もうやめて」
「やめてって、何を」
彼女の意図を察しているヴィトスは更に指をあちこちに滑らせる。
「何をって、指。くすぐったいの、やめてよ」
首を縮こめ、身体をひねるがヴィトスは彼女の細い腰を離さない。
「くすぐったいって、別に僕は君をくすぐっているつもりはないがね」
手のひらで覆う。指の腹でなぞる。爪の先を、きめの細かい白い皮膚に滑らせる。
ゆっくり、または早く、強弱を付けて。
「じゃ、じゃあ、何してるのよ」
「何って……」
ヴィトスの言葉と指使いが、ふいに途切れる。
「ヴィトス?」
彼の腕の中で見上げると、深い色の真剣な瞳が一瞬宙をさまよった。
「……何って、決まっているじゃないか。借金を返さない悪い子をいじめているんだよ」
そしてすぐにいつもの意地の悪い目に戻り、
「ふにゃっ!」
やわらかいユーディーの頬を、親指と人差し指で、むに〜っとつまみながら引っ張る。
「な、何よ、ヴィトスなんか嫌いっ!」
肘を曲げ、身体を左右に振ってヴィトスの手を振りきろうとする。
「そうかい? 僕は君の事が好きだけれどね」
「えっ、す、好き?」
一瞬、ユーディーの抵抗が止まる。すかさずヴィトスは、人を食ったような顔で笑いかける。
「もちろんだよ。お金の元本の返済は滞っているとは言え、利子はきちんと払ってくれる。
客としては好ましいね」
「ああ、そ、そういう意味ね」
困ったように照れた視線をあちこちに向けるが、恥ずかしさに熱くなる頬は隠せない。
ユーディーが勘違いするのを分かっていて、わざと思わせぶりな言葉と態度を取っている
ヴィトスは、彼女の反応のいちいちを充分に楽しんだ。
「うん、やっぱり僕は君の事が好きだな」
「そう。へー、そうなんだ、良かったねえ。でもやっぱり、あたしはヴィトスの事、嫌い」
べー、と舌を出して見せるユーディーの声は、不自然に震えていた。
>「やあ、ユーディット」
>「あ、ヴィトス。……どうしたの?」
>ノックもせずに勝手にドアを開けて、云々…
…と言う書き出しで、自分は何本SSを書いたのか(^^;
久しぶりに書いたSSですが、やはりいつもと同じです。
(自分的には、いつもと同じ=お家芸だと思ってるのでOKなんですが)