● 意地悪の境界線(2/2) ●

ヴィトスも自然に手を離すと、
「あーっ!」
大げさな程にユーディーが声をあげる。
「ヴィトス、だめだよ。こっちに入って来ちゃ、だめだったのに」
今更ながら思い出したように、自分が作った、あちこちが風に飛ばされ、途切れ途切れに
なってしまった草の境界線を指し示す。
「君が転びそうだったから、助けてあげたんじゃないか」
「ん、もうっ。作り直し」
まだ酔いは覚めていないのか、危なっかしい足取りと手つきで、ユーディーは新しい境界線を
作り始めた。

「今度は何の境界線だい?」
「うーんとね、意地悪な人は入って来ちゃいけないの。ヴィトスは入れないからね」
今度は、草の中に小枝を混ぜて、太く立派な線を作っている。
「意地悪な人? 僕は意地悪じゃないから、入る権利はありそうだな」
「だーめっ」
草の線で区切られた中、しゃがみ込んだユーディーはヴィトスを見上げて小さく舌を出す。
「ヴィトス、あたしにいっぱいお金貸したから、意地悪だもん」
「お金を貸した事の、どこが意地悪なんだい? そうしなければ君はここで暮らしていけなかった
 だろうし、僕が貸してあげたお金のおかげで君は住む場所も工房も持てたんじゃないか」
首をかしげ、ユーディーは考える。

「じゃ、利子をいっぱい取るから意地悪。アイテムも持ってくから、すごい意地悪っ!」
「その分、お金の返済を待ってあげているじゃないか。本当だったら、強引に君の持っている
 道具やアイテムなんかを身ぐるみはがしてもいいんだよ」
「うう……、それはヤだなあ」
「ほら、他には? 何か思いつくかい?」
酔いから来る開放感の為か、ユーディーはおしゃべりになっている。普段なら話さないような
隠し事や本音も、ぽろっとこぼれてしまうかもしれない。そう思ったヴィトスは、更に彼女に
話しをさせようとする。
「んー、んー、んーっ」
ユーディーはしばらくうなっていたが、
「……てくれないから、意地悪だよ」
小声で何やらつぶやいた。

「えっ、聞こえなかったよ」
ヴィトスが境界線をまたぎ、ユーディーに近付く。
「あーっ、入っちゃだめっ!」
「何をしないから意地悪だって? 聞かせてくれないかな、改善できるようなら善処するから」
ユーディーの隣りにしゃがみ込み、耳に手を当て、ユーディーの口元に寄せる。
「えっ、別にいいよ。何でもないし」
なぜか焦り始めるユーディー。
「僕は今のところ、意地悪な人という評価を受けたままだからね、それは困る。このままだと、
 線のこっちにも入ってこられないし」
「もう入ってるじゃない!」
「いやいや、今は暫定的な立場だよ。君の許可が出ないと、僕も落ち着かない」

「うーっ」
少し拗ねたように、小さくうなる。
「ほら、ユーディット。さっき、何て言ったんだい? 僕に教えてごらん」
「ううう。んー」
もじもじ、と所在なげに身体を揺らす。
「僕に言えないような事なのかな? 内緒の事なのかい?」
「内緒、って訳じゃないけど。うーんと……」
うつむき、指の先でこちょこちょとちぎれた草や折れた小枝を弄ぶ。
「ヴィトスは、優しくしてくれないから意地悪。そう言っただけ」
早口にそれだけ言うと、ぷいと顔を背けた。

「優しくしてない、って? 充分優しくしてるだろう、お金を貸してあげてる事もそうだし、
 君の護衛だってちゃんとしてるし」
「そう言うんじゃないもん」
一瞬ヴィトスの方を向いたが、すぐにまた目をそらす。
「じゃあ、どういう事をすれば優しくなるのかな」
「んんー。ええと、んー」
ヴィトスから目線を外したままで、
「……さっきみたいに、ぎゅって抱っこしてくれたら、優しいかも」
照れながら、もごもごと口の中で答える。

「君を、抱っこしたら優しいのかい?」
「ん、そう、かも」
拗ねたようにつぶやくが、照れ隠しにそんな口調になっているのは明らかだった。
「こんな風に、かな」
ユーディーの肩を抱こうとして手を伸ばすと、少しだけ彼女の表情が緊張する。
「……」
ヴィトスは伸ばした手を引っ込めると、ゆっくりと立ち上がった。
「……?」
不思議そうな目をしているユーディーから離れ、踏み心地の良さそうな下生えを持つ大きな樹まで
歩いていくと、その樹に寄り掛かるように座り込む。

「えっ、あれ、何してるの?」
「何してるって、座ったんだよ」
「座ったのは、見れば分かるけど」
立ち上がったユーディーは、少し不機嫌そうな顔をしている。
「抱っこ、して欲しかったのかい?」
「えっ、あ……、う」
素直に肯定できず、だからと言って否定もできずに、ユーディーは曖昧にうなった。
「だったら、こっちにおいで」
ユーディーの方へ向かって手を伸ばす。

「だって、でも」
「あのまま肩を抱いてあげても良かったのだけれどね。また何か君の気に障る事をして、
 エッチだの意地悪だの言われても困る」
「言わないよ、そんな事」
多分、と小さく付け加える。
「だから、抱っこして欲しかったら、君の方から僕の所までおいで」
「ううーっ」
頬を赤くしてうつむいてしまうユーディーだったが、やがて思い切ったように早足でヴィトスの
座っている場所まで歩いてくる。

「……やっぱり、意地悪」
それだけ言うと、すとん、とヴィトスの隣りに腰を下ろして、身体をひねって彼にしがみついた。
自分の首に顔を埋めるユーディーの背中に、ヴィトスはそっと手を回した。
「こうして欲しかったのかい?」
返事はないが、頬を擦り付けてくるユーディーの仕草に、ヴィトスは満足感を覚える。
「でも、これで分かったろう? 僕が優しい男だって事が」
「……ん」
聞き逃してしまいそうな程、短くて小さな返事。それでも確かにユーディーはヴィトスの
腕の中で頷いた。

気持ちのいい風に吹かれているうちに、ヴィトスは少しばかり眠気を覚える。ユーディーは
先に眠りに入ってしまったようで、徐々にくずれるようにヴィトスにしなだれかかって来る。
彼女の身体の重みを感じながら、ヴィトスもゆっくりと目を閉じた。

◆◇◆◇◆

「ふあ、あ」
小さなあくびと同時にヴィトスは目を覚ました。眠っていた時も感じていたが、ユーディーの
体温、肌に触れる銀紫色の長い髪が、目を冷めてもやはり腕の中にある事を改めて認識し、
妙にくすぐったいような気分になる。
「ん?」
ユーディーの顔に視線をやると、急いで目を閉じるのが見えたような気がした。
「ユーディット、起きているのか?」
優しく声をかけると、
「うっ、うーん……」
少しわざとらしいくらいの寝言をつぶやきながら、ぎゅっとヴィトスに抱き付いた。

「ユーディット」
もう一度名前を呼び、彼女の肩を抱いている手に力を込めると、ユーディーの頬がほんのりと
赤らんでくる。
「しめしめ、よく寝ているようだな。エッチな事をするなら今のうちかな」
彼女の狸寝入りを確信し、聞こえよがしにそう言うと、
「あっ! お、おはようっ! うーん、いいお天気だねっ」
がばっ、とユーディーが飛び起きた。
「やあ、ユーディット、おはよう」
「お、おはようヴィトス。……何か言った?」
妙に警戒した顔で、ゆっくりと身体を離す。

「別に何も言ってないよ。どうしたんだい、そんなに怯えて」
「べっ、別に怯えてなんてないよ。うーん、よく寝たなあ。気分すっきり」
立ち上がると、腕を振り回して大きく伸びをする。
「ユーディット、酔いは覚めたのか?」
ヴィトスも立ち上がり、赤くなっているユーディーに顔を近付ける。
「酔いって。あたし、酔ってなんかないよ」
「くまにワインかけられたじゃないか。覚えてないのか?」
「ワインかけられたのは覚えてるけど、別に酔ってなかったもん」
「ふうん」
顎に指を当て、ヴィトスはしげしげとユーディーを見つめる。

「な、何よ」
「いや、酔ってないのに、シラフなのに僕に抱きしめて欲しい、なんて言ってくれたなんてね。
 僕はとっても嬉しいよ、ユーディット」
にっこりと笑って見せると、ユーディーは更に顔を赤らめる。
「そんな事、言ってないよ。あたし、覚えてないなあ」
「そうなのかい? おかしいなあ、抱きしめてくれなくちゃ意地悪だとか何とか言って、
 君、境界線まで作ったじゃないか」
地面にわずかに形を残している小枝や草の残骸を指さすと、
「えーっ? そんなの覚えてないなあ。それに、こんなの落ち葉が散らばってるだけだもん」
靴の先でそれをぐしゃぐしゃと散らしてしまった。

「そんな事より、そろそろ帰ろうよ。もう日が暮れちゃうよ」
これ以上眠る前の言動をつつかれたくないのか、ユーディーはくるりと背中を向けてしまう。
「そうだな。その前に、もう一度抱っこしてあげようか、ユーディット?」
「えっ?」
焦った顔で振り向き、
「何言ってるの、あたし、別に抱っこして欲しいなんて言って無いじゃない」
慌ててぱたぱたと手を振った。
「別に、君が言ったなんて言ってないじゃないか」
「……あ、そうか」
いちいち予想以上の楽しい反応が返ってくるのが面白くて、ヴィトスはそれと気付かせないよう
ユーディーをからかい続ける。

「ただ、僕がしたいからそうしたいだけだよ。捕って喰うとか、そう言うつもりも無い」
「そ、そうなの?」
手を後ろで組み、もじもじしている。
「うーんと、そうねえ、じゃあ、ちょっとだけならいいかな?」
もったいぶった態度を取ろうとはしているが、明らかに期待している口調。
「うん。じゃあ、ほんの少しだけ」
「ほんの少し、って……、そんなに遠慮しなくてもいいけど」
ヴィトスが近付くと、少し緊張した面持ちで目を閉じる。

からかいついでに、ユーディーを置いてここから一人で去る真似でもしてみようかとも
思ったが、だんだんと落ちていく夕の日に照らされる彼女の姿を見ていると、どうしても
もう一度、その小さな身体を腕の中に閉じこめたくなってしまう。
何か声をかけようと思ったが適切な言葉が見つからず、無言のままでユーディーを抱きしめる。
腕の中に大人しく収まっているユーディーはとても抱き心地が良く、
「……」
ヴィトスは、このまま時が止まればいい、などと陳腐な事を考えている自分に気付き、少し驚いた。

「……ね、そろそろ、帰ろうよ」
やがて、ユーディーが控え目につぶやいた。しかし、そう言っておきながら、自分から身体を
離そうとはしない。
「ああ、そうだな。帰ろうか」
そう言うヴィトスも、彼女を手放す事ができなかった。
「ね、ねえ。ヴィトスって、あたしの事」
「うん?」
「もしかして、あたしの事……?」
「僕が、ユーディットの事を?」
「ううん、何でもない」

名残惜しそうに、やっとユーディーがヴィトスの身体から離れていく。
「帰ろうよ」
すぐにヴィトスに背を向け、歩き出そうとした。
「ユーディット、君の方こそもしかして、僕の事を?」
その後ろ姿に声をかけると、驚いた顔で振り返る。
「あたしが、ヴィトスの事?」
濃い紫色のリボンでたばねられた髪が揺れ、ユーディーの背中にゆっくりと落ちてゆく。
今すぐに彼女の気持ちを確かめたら、自分の気持ちを彼女に告げたら。そうすれば、もう一度
あの髪を自分の腕に抱く事ができるだろう。
「……いや、何でもないよ」
それでもヴィトスは、何事もなかったように肩をすくめ、帰りの道を歩き始めた。

◆◇◆◇◆

採取場から工房へ帰ったユーディーは、一通り荷物の整理が終わると、調合作業をするのに
足りないアイテムの確認をする。
「ええと、蒸留石と、にんじんと、ゼッテル。後、井戸の水を汲みに行かなくちゃ」
ぶつぶつとつぶやきながら部屋を出て、酒場への階段を降りる。
「蒸留石と、にんじんとゼッテルと井戸の水……」
「やあ、ユーディット」
酒場のカウンターにもたれているヴィトスに声をかけられ、ユーディーは頬を赤らめた。
「あ、ヴィトス。さっきは、ありがと」
護衛をしてもらったお礼に頭を下げたが、何となく気恥ずかしくなってそのままやり過ごそうとする。

「買い物かい、ユーディット?」
しかし、ヴィトスは彼女の足を引き留めるように声をかけてくる。
「うん。買う物忘れちゃうから、今話しかけないで」
ばいばい、と手を振るユーディーの態度を気にもかけず、ヴィトスは話を続ける。
「忘れるくらいなら、メモに書いてくればいいのに。ところでユーディット、どうだい、一緒に
 飲まないかい?」
「えっ? 飲むって何を。ジュース?」
足を止め、びっくりしたような顔で振り返る。

「飲む、って言ったら普通お酒だろう。そうだ、ギルドの倉庫に一級品のワインがあったな。
 今から飲みに行かないか?」
「ギルド? ギルドって。それに、何でお昼間からヴィトスと一緒にお酒なんか飲むのよ。
 第一あたし、採取から帰ったばっかりで疲れてるんだから」
困っているユーディーの側に近付くと、
「美味しいお酒を飲めば疲れなんか吹っ飛ぶよ。それに、君が酔うといろいろと面白いからね。
 君の不可解な行動をつまみにワインを飲むのも悪くないと思って」
ユーディーにしか聞こえない程度の声でささやいた。

「面白い、って。そんなあたし、ヴィトスの前で酔った事なんかないじゃない」
「そうだったっけ? さっき採取場で酔っぱらった時、僕に抱きしめて欲しい、なんて
 言ったじゃないか」
「えっ? あっ、あーっ! 知らないよ、何の事か、分かんない」
大声を出し、ヴィトスの言葉を遮る。
「あたしはお買い物に来ただけなんだから。ええっと……」
雑貨屋のカウンターへ向かう段差を降り、そこで足を止める。
「……」
「何を買いに来たか忘れたんだろう」
からかうように言うと、ユーディーは少し拗ねたような顔でそっぽを向く。

「覚えてるもん。にんじんと、蒸留石と」
それでも指を折りながら買い物を思い出そうとするユーディーを遮り、
「後、クラフトとぷにぷに玉と、ほうれんそうと魔法の草とサシャの織物だっけ」
ヴィトスは彼女を混乱させようとでたらめにアイテムの名前を並べる。
「あーもうっ、どうして意地悪するのよっ」
こぶしを握ってヴィトスの胸をこづこうとするが、その手を簡単につかまれてしまう。
「僕は意地悪でもエッチでもないと思うけれどね、ユーディット」
「え、えっ?」
身体を引き寄せられ、ユーディーの頬が赤く染まる。

「君がどうしても言いがかりを付けたいと言うなら仕方がない。僕がそんな男じゃないって事を、
 お酒でも飲みながらゆっくり説明してあげるよ」
「別に言いがかりなんて付けてないじゃない。それに、何でお酒を飲まなきゃいけないのよ」
ヴィトスに握られた腕をわずかに上下に動かすが、振りほどこうとはしない。
「まあ、いいじゃないか。もし遅くなっても僕が一緒なんだから、心配ないだろう?」
「だから何であんたとお酒なんか……」
正面から瞳を見つめたヴィトスが、ふいににっこりと微笑む。
「……しょうがないなあ、あんたのおごりだったら、いいけど」
その笑顔に負けたユーディーは、ヴィトスに酒場のカウンターへと引きずられて行った。
 こうしてイタイケな少女は高利貸しのお兄さんの毒牙にかかってしまったのでした(謎)

 何だかやたらユーディーさんをお酒に誘うヴィトスさんですが。
 何でそんなに飲ませたいんだろう。怪しすぎるぞ。
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