● 100コールの価値(1/1) ●
「ええと……、そうだな、今日はこのフラムを頂いていくとするか」
妙につやつやしたフラムをユーディーのカゴから取り上げ、ヴィトスは満足そうな顔をした。
「ふーんだ。勝手にすればあ?」
椅子に座っているユーディーは彼の手の中にあるフラムをちらっと横目で見ると、拗ねた顔で
机に突っ伏してしまった。
「ふーんだっ」
これでもう数度目になる借金の取り立てに不満はあるが、いくら文句を言った所で彼が
利子を負けてくれる事など無い。
机に顔を埋めたまま、くやしまぎれに足の裏でぱたぱたと床を蹴る。
「どうしたんだい、ユーディット。あまりご機嫌麗しくないようだが」
「べっつにぃ。……はあ〜あっ」
聞こえよがしに大きなため息を吐いた。
「何だか元気もないようだね、普段脳天気な君らしくもない」
「……」
「何か困ってる事でもあるのかい? 何なら相談に乗ろうか。特に金の工面だったら
君の力になれると思うよ」
ユーディーは無言のまま、ちらりとヴィトスを見ると、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「ふむ」
ヴィトスはふてくされているユーディーのすぐ隣まで歩いてくる。テーブルに手をつき、
身体を傾けてユーディーの顔をのぞき込む。
「……な、何よ」
「大丈夫かい、ユーディット」
「だから何が」
「いや、嫌みを言っても反応が芳しくないからね、よっぽど落ち込んでいるのかなと思って」
「落ち込みもするわよ、そりゃ」
近い場所で目をのぞき込まれ、妙に気恥ずかしくなってしまったユーディーは彼から視線をそらせた。
「借金は返せない、利子代わりとかなんとか言って不当にアイテムは取り立てられる」
手を上げ、一つ、二つと数えながら指を折る。
「いや、利子の取り立ては全く持って公明正大だと思うよ」
うんうん、と頷いているヴィトスの言葉を無視して先を続ける。
「元の世界に帰る為の方法が分からない、唯一手がかりになりそうな竜の砂時計だって、
ゼペドラゴンが絶滅しちゃったらしいこの世界では作れないかもしれないし」
四本の指を折った所で、その手をぱたり、と力なくテーブルに落とした。
「……」
そのまま、しばらく黙り込んでしまう。
「ユーディット?」
名前を呼ばれても応えずに、両手をテーブルの上に組んでその中心に顔を沈める。
「ユーディット」
「あたし、何やってるんだろうなあ」
再びヴィトスが名前を呼ぶのとほぼ同時に、彼女らしくない心細そうな声が聞こえた。
「一生懸命頑張らなきゃって思って、頑張れると思ってたのに」
ユーディーが首を振ると、長くしなやかな銀紫色の髪がやわらかに揺れる。
「結局、空回りしてるだけみたい」
いつも元気に笑っているユーディーの声とは対照的な、暗い口調。
「ねえ、ヴィトス」
首を少しだけ傾け、頬に流れる髪の間からちらりと覗くユーディーの瞳はわずかに
涙でうるんでいる様な気がした。
「あたしって、何でここに来たのかなあ。あたしがここにいる意味って、あるのかな?」
「……さあねえ」
「さあねえ、って」
気のないヴィトスの返事を聞いて、がばっと顔を上げる。
「もうちょっと、何か言い方とかないの?」
「何か言い方、って。そんな、君の存在意義なんか僕に聞かれても分からないし、答えようがないよ」
「うーっ」
怒った上目遣いでヴィトスを睨む。
「それとも、君はこの世界になくてはならない人なんだとか、運命が君をこの時代に引き寄せたんだとか、
そんな根拠のない、本当かどうか分からない世迷い言を聞きたいのかい?」
「……」
「そもそも、僕の口からそんな歯の浮くような言葉を聞いて、君は満足するのか? それでも
いいって言うんなら、お世辞の一つ二つ言ってもいいけれどね。お世辞はいくら並べても
お金がかからないし」
「……ヴィトス、嫌い」
不機嫌な顔をヴィトスに向けても、彼は飄々としている。
「まあ、こんな職業柄、嫌われるのには慣れている」
仕方ない、とでも言いたげにヴィトスは肩をすくめた。普段通りの彼の仕草、それを見て
張り詰めていたユーディーの心が少しだけやわらかくなる。
「うふふっ」
思わず小さな笑いが漏れ、その笑いに引きずられる様に強ばっていた顔がゆるんでしまう。
「もう、ヴィトスったら相変わらずだなあ。なんか気が抜けちゃったよ」
先ほどまでの悩みが、急にたいした事ではない様に思えてくる。
「あーあ、もう悩むのなんかやめよっと。あたしらしくないし、ウジウジしてても時間の無駄だわ」
ユーディーは両腕を頭の上に高く上げ、
「ふああ」
大きなあくびをしながらのびをする。
「そうだね。そんなくだらない事考えているより、お金儲けを考えた方が効率がいい」
「くだらない事って、言ってくれるわね」
元気よく椅子から立ち上がると、ヴィトスの正面に立って彼の胸をこん、とこづく。
「ありがと。何か、元気出ちゃった」
「僕は何もしてないよ。礼を言われる筋合いはない」
「はいはい」
ユーディーは背中で腕を組むと、左右に首をかしげる。
「あの……あのね、つまんないような事聞くようだけど」
「つまらない事なら聞かないでくれるかな」
言葉はきついけれど、明らかにユーディーとの会話を楽しんでいるヴィトス。
「ヴィトスから見て、あたしってどれくらい価値があるのかな。えーっと……、もしあたしに
値段を付けるなら、いくらくらい?」
「本当につまらない事を聞くね、君は」
顎に指を当て、一瞬ヴィトスは考え込む。
「そうだな、100コールってところかな」
「うわっ! 安っ!」
当然ろくな返事は期待していなかったが、それでもあまりの値付けの安さにユーディーは
がっかりした声を上げた。
「ううっ、ひどい。どうせあたしは100コール分の価値しかない女なのね」
芝居がかった仕草でよろよろと数歩歩くと、風に飛ばされた枯れ葉のように壁に寄り掛かる。
「いいわよいいわよ。どうせあたしなんか100コールよ。ふーんだ」
背中を丸め、指の先でかりかりと壁を引っ掻いた。
「ユーディット、そんな所で爪を研いではいけないよ」
「100コールの女のする事です、気にしないで下さい」
くすくすと笑いながらヴィトスが近付いてくる。
「自分で認めるんだね。だったら、100コール出せば僕は君を買えるのかな?」
「はいはい、どうぞ。お買いあげまいどありー」
べえっと舌を出して見せ、それからまた壁を引っ掻いて、いじけた気持ちを表現してみる。
その間、ヴィトスは腰に吊した小物入れに手を入れ、何かを探し出す。
「んっ?」
壁を掻いているユーディーの手を取ると、ふいに何かを握らせた。
「なに、これ」
「何って、お金だよ」
ユーディーの手のひらには、100コールが乗せられている。
「お金なのは見れば分かるけど」
「これで、君は僕の物になった、って事だね」
「ええっ?」
ヴィトスは片手をユーディーの肩に回すと、そのまま彼女の身体を引き寄せた。
「あ、あの、えっ? ヴィトス?」
ふわり、とヴィトスの両腕がユーディーの身体を包みこむ。
「100コール、なんて嘘だよ。君に値段なんか付けられない」
「……は、はぁ」
優しいけれど力強いヴィトスの腕の中で、ユーディーは曖昧な返事をする。
「で、でも、値段が付けられないって事は、やっぱりあたしには価値がないって事……な、の?」
緊張し、自分の頬が熱くなっていくのを感じる。
片手はユーディーの背中を抱いたまま。ヴィトスのもう片方の手が、ユーディーの頬にそっと触れる。
「時々、君を無性に奪ってしまいたいと思う事があるんだ」
指の先で、軽くユーディーの顎を持ち上げる。瞳を真っ直ぐに見つめられ、ユーディーの身体は
更に固くなってしまう。
「僕が君を奪いたいと思うって事は、君には奪われるだけの価値があるって事だと思うよ」
何かを言い返したくて、ユーディーの紅いくちびるがかすかに開いたり閉じたりする。しかし、
熱に渇いた喉からはどんな言葉も出てこなかった。
「だから」
顎を持ち上げていた手が離れる。その手が、ぽん、とユーディーの頭を叩く。
「君はつまらない事なんか考えずに、せいぜい頑張って仕事に励むといいよ」
身体を抱くヴィトスの手に、少しだけ力が入ったような気がした。しかし、次の瞬間ヴィトスは
ユーディーから身体を引いて、何事もなかった様に人を食ったような笑みを浮かべている。
「な、何よ」
「何って、何が?」
すっかり冷静な様子のヴィトスに対して、ユーディーの頬は燃える様に熱くなっている。
「何がって、その、ええと、ヴィトスはあたしの何を、う、奪いたいって言うのよ」
「さあねえ」
ヴィトスがもう一度頬に指を伸ばそうとすると、びくり、とユーディーの身体が震えた。
「……教えて欲しいのかい?」
思わせぶりに息を詰めると、ユーディーはぶんぶん、と左右に激しく首を振る。
そんなユーディーを見て、ヴィトスはおかしそうに笑った。
「君をからかうと楽しくてね。僕の気分転換になるって言う、それだけでも充分に役に立っているよ」
「何かあんまり嬉しくないなあ」
先ほどのヴィトスの言葉は本気なのか冗談なのか、確かめたい気持ちと知りたくない気持ちとが
半々に混じり合っている。
「おっと、そうだ」
ふいにヴィトスの手がユーディーの手をつかんだ。
「きゃっ」
思わず悲鳴を上げてしまったユーディーの手から、ヴィトスは自分が渡した100コールを取り上げる。
「これは返してもらうよ」
「もうっ、しっかりしてるなあ」
握りしめていた事も意識から外れてしまっていた、数枚のお金。
お金が離れてしまった手のひらには、未だにほんの少しだけ汗が滲んでいる。
「ちぇっ、ケチ。後でレヘルンクリームでも買う時の足しにしようと思ったのに」
ユーディーは口をとがらせ、動揺してしまった自分をごまかすように強がりを言った。
ユーディーさんが100コールで買えるんなら、100人くらい買うよな。(そしてハーレム…)