● 囚われた時間の中で(2/2) ●

「ヘルミーナさん、お願いします。ヘルミーナさん……」
「いいから、少し黙っていてちょうだい」
「す、すみません、でも」
ユーディーのベッドに横たわっているラステルは、微動だにしない。ヘルミーナは神妙な表情で
ラステルの顔をのぞき込んだり、手持ちの魔法薬を何種類か嗅がせたり、アトマイザーから
不思議な色の付いた霧を吹きかけたりしている。
「だめだわ。一切の反応がない」
ゆっくりと頭を振ったヘルミーナを見て、ユーディーは両手で顔を覆って床にくずおれてしまう。

「そんな、あたし……、ラステル、ラステルごめんね……あたしが、過去に帰るなんて
 言わなければ、あたしが」
喉を詰まらせながら、途切れ途切れにしゃくりあげる。
「ユーディット、落ち着きなさい」
混乱しきっているユーディーに理性を取り戻させようと、先ほどからヘルミーナはわざと
きつい口調を作っている。
「もう一度、最初から。順序立てて説明してちょうだい。彼女が、どうしてこうなったのか」
「えと、あ、あの、あ」
しかし、口を開こうとすると、言葉の代わりに泣き声がこぼれてしまった。

「あ、あたし、あたしのせいで、ラステルが……、ラステル、ラステルっ」
口元を両手で覆い、かたかたと身体を小さく震わせる。
「ユーディット、しゃんとしなさい!」
突然ヘルミーナが出した大きな声に、ユーディーはびくりと全身をすくませた。
「あなたは、本当はラステルを助ける気がないのね?」
「ち、ちが……、あたし、ラステルを、ラステルを、助けたい」
首を横に振り、すがるような目をヘルミーナに向ける。
「だったら、どうしてぐずぐず泣いているの。それで物事が解決するのなら、好きなだけ
 泣いていればいいわ。私は帰らせてもらうから」

「へ、ヘルミーナさん」
「ユーディット、あなたがそんなでどうするの。ラステルを助けたいんでしょう? だったら、
 まずあなたがしっかりしないと」
弱々しいユーディーの視線を受け止め、にらみ返すくらいの勢いで見つめる。
「……」
ユーディーは、服の袖でしっかりと涙を拭いた。
「……はい、すみませんでした」
ぐっと息を飲み込み、力の入らない脚で何とか立ち上がると背筋を真っ直ぐに伸ばす。

「ラステルが、こうなったのは、あたしが作った砂時計を暴走させたから。錬金術士じゃない
 ラステルが、使用方法も分からずに、す、砂時計を……」
また涙がこぼれ落ちそうになったが、強くくちびるを噛んでそれをこらえる。涙の発作が
治まると、ゆっくりと深呼吸して先を続ける。
「術者でもないのに砂時計を使ってしまったから、予想外の事が起きた。本来ならほんの
 数秒から数分、術者以外の時間を止めるだけなのに、何故か砂時計を使ったラステルの時間
 だけが止まってしまった」
自分の感情を高ぶらせないように、わざと淡々とした説明口調で続ける。

「あたしを過去に帰らせない為に、あたしの時間を止めようとするなんて……、そんなに
 思い詰めていたなんて」
ラステルの枕元に置かれた、壊れてしまった砂時計に手を伸ばす。ガラスの部分は粉々に砕け、
中に入っていた砂は飛び散ってしまった。残っているのは、わずかにひしゃげた細い金属の
枠だけになっている。
「こんな物、作らなければ良かったのかもしれない」
またこみ上げて来る涙を、乱暴に手の甲でこする。
「でも、あなたは砂時計を作った。そしてそれを使った彼女の時間は止まり、砂時計は
 壊れてしまった。解除呪文や薬は効きそうにない。……どうしたらいいと思う?」
呪いを解く筈の秘薬ウロボロス、身体の状態を完全に回復するエリキシル剤も効き目はなかった。

「もう一度、作ります。竜の砂時計を」
ヘルミーナに向かってはっきりと告げる。
「でも、竜の角を持っているドラゴンは、絶滅してしまったのでしょう? ラステルが使った
 砂時計を作る時に使った竜の角が、最後の一本だったのでしょう」
ファクトア神殿の地下深くに住んでいた、古代竜。物知りのポストさんも、生物に詳しい
コンラッドも、その竜が多分ゼペドラゴンの最後の生き残りだろう、と言っていた。
「探します」
ユーディーはゆっくり頭を振り、そしてヘルミーナを見つめた。

「もしかしたら、あの竜は最後の生き残りなんかじゃなかったかもしれない。それに、
 ファクトア神殿は謎の多い神殿です。まだあたしの見ていない部屋があって、そこに
 竜の角が落ちているかもしれない」
背をかがめ、ラステルの頬に手を当てる。
「ファクトア神殿の他に、竜が住んでいる場所があるかもしれない。絶対に竜の角を見つけて、
 それで砂時計を作って、あたしの思いを……」
そのまま、冷たい頬に指を滑らせた。
「ラステルを助けたいっていう、あたしの強い思いを込めて、砂時計を彼女に掲げます」

「そんな事で、彼女の時間は動き出すのかしらね」
「分かりません、でも、やってみます。ラステルを助ける為なら、ラステルの笑い声を
 もう一度聞く為なら、あたし、どんな事だって」
自分の考えを口に出して説明しているうちに、ユーディーはだんだんと落ち着きを取り戻してくる。
「それでダメだったら、別の方法を探します」
「ねえ、ユーディット。こんな風には言いたくないけど、ラステルは、自分の我が儘を通す為に
 あなたを束縛しようとしたのよ」
「束……縛?」
「ええ、あなたが自分の世界へ帰りたいという願いを、”時間を止める”だなんて無茶な
 方法で阻止しようとした。そんな自分勝手な子なのよ」

ユーディーは真っ直ぐな目をヘルミーナに向ける。
「……分かってます。それでもあたし、ラステルの事が好きだから。ラステルを助けたい」
迷いのない返事を聞いて、ヘルミーナは肩の力を抜いた。
「あなたがそこまで言うなら、仕方ないわね。私もできる限り、協力させてもらうわ」
「ヘルミーナさん?」
「過去へと作用する、世界霊魂。その効果を上手く引き出せれば、彼女を砂時計を使う前の
 状態へ戻せるんじゃないかしら。もちろん、物事はそんな簡単に運ばないかもしれないけれど」
「あ、そ、そうかもしれませんね!」
”思いを込める”などという漠然とした提案よりも具体的な考えを聞かされ、ユーディーは
驚いたような声を上げる。

「図書館に何か関連した書物がないかも調べてみるわ。竜の砂時計の事が書いてある本は
 なかったけれど、時間を操る方法……せめてそのヒントくらいは見つかるかもしれないから」
「は、はい、ありがとうございます! ……待っててね、ラステル。絶対助けてあげるから」
ユーディーはベッドの前の床に膝をつくと、ラステルの頬に自分の頬を寄せる。
「……どちらが幸せなのかしらね」
「えっ?」
「満足そうな顔してるもの」
ヘルミーナの声に顔を上げる。それから、もう一度ラステルの顔を見つめる。
「もしかしたら、彼女は自分に都合のいい夢でも見ているのではないかしらね。そうだとしたら、
 無理矢理現実に引き戻すのと、このまま彼女を自分勝手な夢の中に留まらせてあげるのと。
 どちらがラステルにとっては幸せなのかしら」

「あ……っ」
目を見開き、ユーディーは息を飲んだ。
「……ごめんなさい、あなたを迷わせるような事を言ってしまったわね。忘れてちょうだい」
ヘルミーナがユーディーに背を向けると、色の濃い、長い髪が揺れる。ドアを開け、部屋を
出て行くヘルミーナを視線の隅でぼんやりと感じながら、ユーディーはもう一度ラステルの頬に
自分の頬を合わせた。
「ラステル、ごめんね」
ひやりとした肌に頬ずりをする。
「でも、絶対。絶対約束する、あたしはラステルの時間を取り戻すって」
ユーディーの瞳から涙の粒がこぼれ、ラステルの頬に落ちた。

「ラステルがあたしの時間を止めようとした事、あたし、怒ってないよ。そんな事をしようと
 思うくらい、ラステルはあたしの事が好きなんだもんね」
ラステルの手に自分の手を伸ばし、指を絡ませる。
「大好きよ、ラステル。ラステルが元気になったら、また沢山お話ししようね。ラステルに
 お菓子をいっぱい作ってもらって、それを持って一緒にピクニックへ行こうね。それから、
 それから……」
ユーディーはラステルの手を強く握る。
「ラステル、大好き」
つぶやく声は涙に飲まれ、消えてしまいそうに小さかった。
 夢を見ているのは、ユーディーとラステル、どっちでしょう。
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