● 018.ささやかなおまじない ●

「はい、これで大丈夫よ」
ラステルの膝に薬を塗りおえたユーディーはにっこりと微笑み、立ち上がった。
「ありがとう」
太い木の幹にもたれかかって座っていたラステルは恥ずかしそうにお礼を言うと、
膝上までめくっていた山吹色のドレスを手早く直す。
「ヴィトス、ありがと。終わったわ」
「ああ」
薬を塗っている間、ヴィトスは彼女たちに背を向けて新しい敵が来ないか見張りをしていた。
見張りと言ってもたかだかぷにぷにくらいしか出ない道だし、そもそもラステルのケガと
言ってもそのぷにぷににぶつかられた程度だった。
「ラステル、もう痛くない? 歩ける?」
「ええ。すごいわ、全然痛みが無くなってる」
立ち上がり、ケガをした方の脚でとんとんと地面を蹴ってみる。後ろを向き、そっと
ドレスの裾をめくって膝を見てみたら、先ほどまであった赤い腫れはすっかり引いて、
ケガの痕跡はちっとも残っていなかった。
「すごいお薬なのね。ユーディーが作ったんでしょう?」
「いや、あはは、確かに作ったのはあたしだけどね、複製してくれたのはアルテノルトの
 お薬屋のおじいちゃんだし」
褒められ、謙遜しながらもてれてれと嬉しそうにしている。

「しかし、ぷにぷににぶつかられたくらいでエリキシル剤ねえ」
「だって女の子の肌なのよ、傷が残ったりしたら大変じゃない」
「ところでユーディット、僕は先ほどアードラに襲われた時の傷が痛むんだがね」
「えっ?」
ユーディーはヴィトスの正面に回り込んだ。
「そんなケガしてたっけ。確かにくちばしで突っつかれてたけど、って早く言ってよ。
 どこ? みせて!」
慌てるユーディーに左腕の袖をめくって見せる。
「えっ、どこ?」
「ここだよ、ほら。うっすら赤くなってる」
「ん〜?」
ヴィトスが指し示した場所に目をこらしたが、肌の他の部分と変わりない。
「どこよ」
「ここだよ。君は目が悪いんだな」
「目は普通よ。分かんないってば」
困ったように見上げたヴィトスの顔は笑いを我慢しているようだった。
「何よ! からかったの?」
「からかってなんかいないよ。痛かったのは本当だし」
こらえきれず、ヴィトスはあははと笑い声を上げる。
「そんな傷でもない傷なんか、ほうれん草かブランクシチューでも食べればすぐ治るわ」
そう言いつつも本当に痛みを隠しているのではないかと、彼の表情をちらちらうかがう。

「おやおや、ラステルの時とずいぶん対応が違うね」
「だってラステルはあたしの大切な人だもん。ヴィトスは適当に治ればそれでいいもん」
ユーディーはラステルの手をしっかりと握った。
「適当にって、ひどいね」
「ヴィトスは男の人だし、丈夫だからいいの。傷って男の勲章なんでしょ?」
「ユーディー、それは言い過ぎよ」
二人はいつもの軽い言い合いのつもりだったが、言葉を真面目に受け取ってしまった
ラステルがユーディーをたしなめる。
「ヴィトスさんはいつも私達を護ってくれるんだから、そんな言い方しちゃダメ」
ラステルに怒られ、ユーディーはしょんぼりしてしまう。
「んー、ごめん。まあ、本当に大変なケガしたり、傷になったら言ってよね。ちゃんと
 お薬塗ってあげるし」
「うん、僕も本当に痛かったらすぐに言うよ。大げさに言って悪かった」
ケンカではないと分からせる為に、お互い素直に謝った。その様子を見たラステルは
すぐに笑顔になり、つられて二人にも明るい笑顔が戻ってくる。
「でもアードラに攻撃されて平気だなんて、すごいんですね」
「ヴィトスはツラの皮が厚いから、他の所の皮膚も厚いんだよね〜」
「うん、何か言ったかい? ユーディット」
「べっつに〜」
ヴィトスの指がユーディーの頬をつまもうとしているのを見て、慌てて顔を背ける。

「私はぷにぷににぶつかられただけでとても痛いのに。もっと我慢しなくちゃいけませんね」
「ラステルはいいんだよ、痛いのは仕方ないし、あたしすぐ治してあげるって」
「まあ、男と女じゃ筋肉の付き方も違うから、痛みの感じ方も違うんだろう。痛いのに
 無理して我慢する事はないよ」
そう言えば、ユーディーもラステルがいる時といない時では痛みを訴える回数が違うな、と
ヴィトスはぼんやりと考えた。ラステルがいる時には敵に攻撃されても平気な顔をしているが、
自分と二人きりの時にはあそこが痛いだのここが痺れただのといちいち文句を言ってくる。
「そうそう。無理して歩けなくなっちゃったりしたら大変だもん。それに、ラステルを
 傷物にしたくないし」
「傷物になったら、責任取って君がラステルをお嫁にもらえばいいじゃないか」
「えっ」
「あ」
冗談だったが、ラステルとユーディーは顔を赤くして黙り込んでしまう。
「そっか……。でも、うん」
「やっ、い、いやですよヴィトスさんったら」
二人はもじもじしながらお互いを見つめていた。
「うん、大丈夫だよ、ラステルのケガはあたしが治すし。でも万が一って事があれば」
「そんな、責任を取ってもらうとかは無いわ、でも……、いいえ、そんな」
その時、低い茂みの向こうから水色のぷにぷにが顔を覗かせた。

「あっ、大変!」
「君たちはそこで大人しくしててくれ、僕が片付けてくる」
返事も待たずにぷにぷにに近づき、素早くナイフで切り付ける。しゅわっと気の抜けた
音を立てて溶け崩れたぷにぷにの身体の水分は地面に吸い込まれていった。
「ヴィトス、大丈夫?」
「何でもないよ、これくらい」
敵からの攻撃を受ける前に片を付けたヴィトスが戻ってくる。
「ヴィトスにケガが無くて良かったよ。ラステルも何もなくて良かったね」
「ええ」
にっこり頷き合うユーディーとラステルだった。
「そんな事言わないで、またラステルのケガをみてあげればいいじゃないか」
「え? だってラステル、ケガしてないし」
「どこも痛くないですよ、お薬を塗ってもらったばかりですし」
不思議そうな顔をする二人にヴィトスが意味深な顔で笑いかける。
「それじゃ、いつものおまじないとか言ってキスするやつ、あれはやらないのかい?」
「ええっ、何それ」
驚いたユーディーの顔が赤くなる。
「べ、別にしませんよ」
「僕がいるからと言って遠慮しなくてもいいんだよ。まあ、今更僕がいてもいなくても
 関係ないとは思うけれどね」

「何それ、ヴィトスったら変なの」
そう言いつつ、ユーディーとラステルの頬はますます赤くなっている。ほんのささいな
ちょっかいでこれだけ愉快な反応が返って来ると、充分にからかいがいがあった。
「おまじないをしておかないと、次はユーディットがケガするかもしれないね」
「そ、それはダメです!」
ネガティブな思い込みをさせるのはあまり良くないような気もするが、二人のじゃれ合いを
見たいヴィトスは難しい表情を作った。
「それともラステルか。まあ、ユーディットがケガの治療を口実にラステルの肌を見たいとか
 触りたいって言うのなら止めないけれど」
「ヴィトスっ!」
先ほど見張りをしている途中でこっそり振り向いた時、ラステルの脚をさするユーディーの
手の動きは良く言えば丁寧、言葉を悪くすればねちっこいような気がした。
「わ、私はユーディーなら、そんな口実なんか無くてもいつでも……」
「ラステルもこんな悪徳高利貸しの言う事を真に受けないの!」
「ご、ごめんなさい」
ヴィトスの言葉を本気に受け取ったのはむしろユーディーの方だった。
「じゃあほら、さっさとおまじないを済ませた方がいいよ。道の途中でいつまでも
 こんな事をやっていたら日が暮れてしまう」
「こんな事って、誰のせいよ。はい、ラステル、おまじない」
ラステルを抱きしめて目を閉じ、耳元に軽いキスをする。

「私も、おまじない」
ユーディーの頬にキスを返したラステルは、すっかり照れてうつむいてしまう。
「これでいいんでしょ。さ、行きましょ」
下を向いているラステルの手を取り、ユーディーはわざと大股で歩き出した。
「これでいいって、僕は知らないよ。僕は『おまじないをしないのかい』って聞いただけで、
 別にどうこうしろなんて命令した覚えはない」
「なっ……!」
「あ、そう言われれば確かに」
「ラステルは鬼畜高利貸しの肩を持たなくていいの!」
「ごめんなさい、ユーディー」
しゅんとしてしまうラステルを見て、ユーディーは慌ててしまう。
「違う、ラステルは悪くないよ、キツい言い方してごめんね。悪いのはヴィトスよ、
 そんなにあたしをからかうのが楽しいの?」
「そりゃもう」
「……」
にこにことした笑顔に拍子抜けしたユーディーは喉元まで出かかった文句を引っ込めてしまった。
「そうなんだ、だったら勝手にすればいいじゃない」
「うん、勝手にさせてもらっているよ。しかし、君といると本当に楽しくて仕方がないな」
「うううう」
ヴィトスを言い負かせなかったユーディーは不満そうなうなり声を上げた。

「ふーんだ。今度ヴィトスがケガしても、お薬とか塗ってあげるのよそうっと。丁度
 腐りかけてるほうれん草があるから、これでいっか」
独り言よりは大きな声で聞こえよがしにつぶやく。
「僕が倒れたら被害は君やラステルにも及ぶけど、それでもいいのかな」
「そ、それはダメっ!」
ラステルの身体をきつく抱きしめる。
「だったら僕が体調を万全に保てるように君も協力しないと。ああ、夜になったらまた
 マッサージでもしてもらおうかな、疲れてナイフを使う腕が動かなくなると困るし」
わざとらしく、ぐるぐると肩を回す。
「うううーっ」
「ユーディーったら、本当にヴィトスさんには弱いのね」
ユーディーの拗ねた顔があまりに可愛らしくて、ラステルもついつい笑い出してしまった。
「弱いとかそう言うんじゃないよ、ヴィトスは……」
「僕は?」
またヴィトスが親指と人差し指をわぎわぎと動かしているのを見て言葉を切る。
「うう、あたしが弱いんじゃなくて、ヴィトスが嫌な方向で強すぎるんだよ」
肩を落としながらも、どうにか一矢報いてやろうといろいろ考えを巡らせた。


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