どこからか聞こえてくる少女の澄んだ歌声に、ラステルはふと歩みを止めた。メッテルブルグの
中央広場から少し離れた場所にたたずむ二人の少女、そのうちの一人の声のようだった。
「ららら……」
控え目だが、耳に届くと心地よい声。大人しい桃色の服を着た長い髪の少女が歌を歌い、
正面にいる薄い緑色の服の少女は目を閉じてその声に聞き入っている。
「きれいな歌」
邪魔をしてはいけないと思ったが、あまりにやわらかなそのメロディがどうしても気になった
ラステルは少女達の見た目が自分の年齢に近い安心感もあり、二人がいる場所へと近付いていった。
「らららら……、あ」
歩いてきたラステルに気付き、少女は歌を止める。
「あっ、ごめんなさい、気にしないで。とても素敵だったから」
慌ててラステルが謝ったが、桃色の服の少女は頬を染めて口を閉じてしまう。
「素敵ですよね。なのにイシスったら、あまり歌ってくれないんです」
ポニーテールを結っている緑の服の少女はイシスと呼ばれた少女の服の袖を軽く引っ張った。
「ねえ、私以外の人もイシスの歌を素敵だって言ってくれてるのよ。もっと自信を持っても
いいと思うんだけどな」
「でも、本当に恥ずかしくて。タニトの前ならいいけど、他の人の前で歌うなんて無理よ。
本当はおうちの外で歌うのも嫌だったのに」
二人が揉め始めたのを見て、ラステルは恐縮してしまった。
「本当にごめんなさい、邪魔をしてしまったみたいね」
「いいえ、いいんです。素敵な物は素敵だって、イシスに認めさせてやって下さい。
私、この子の歌声大好きなんです。こんなきれいな声を私独り占めじゃもったいないわ」
「だからって王国祭の歌声コンテストに出るなんて、絶対に無理よ」
歌の上手い内気な少女イシスと、それを世間に知ってもらいたいタニト。多少歌の心得がある
ラステルは二人に興味を示した。
「それじゃ、私にもその歌を教えてもらえないかしら」
「えっ?」
「私も歌が好きなの。みんなで歌えば恥ずかしくないわ」
いつもの自分の行動から一歩踏み出した大胆な提案。図々しく思われないだろうか、
ほんの少しの不安とどきどきした鼓動を隠しながらラステルは笑顔を作った。
「でも」
イシスは困った表情になる。
「それはいい考えだわ。二人で歌ってみなさいよ、私が聞いてあげるから」
「あなたも歌うの」
「えっ?」
ラステルにいきなり顔を向けられて、タニトも驚いてしまう。
「私歌えないわよ。下手だもの、恥ずかしいわ」
タニトは大げさに手を振って見せる。
「例え下手でも三人なら平気よ。それに恥ずかしいのはみんな一緒だし」
「確かにそうだわ」
イシスがくすくすと笑いだし、今度はタニトが困った顔をしている。
「私だけ恥ずかしい思いをさせようなんて、そうはいかないわ。タニトも一緒よ」
「うーん、仕方ないなあ」
緊張がほぐれたらしいイシスはラステルに笑顔を向けた。
「じゃあ、簡単にメロディを覚えて下さい。歌ってみますね。ららら……」
二、三回程繰り返されたメロディをラステルはすぐに飲み込んだ。
「ららら……、こんな感じかしら」
「そうそう、上手だわ。ほら、あなたも」
イシスがタニトをせかす。
「私は、二人が歌ったらそれに合わせて歌う」
「仕方ないわね。ちゃんと歌うのよ」
先ほどまでは恥ずかしがっていたのに、心強い味方ができたのと友人をからかう楽しさから
今度はイシスの方が積極的になっているようだった。
「じゃあ、いきますね。一、二、三……」
「ららら……」
「ららら……」
「らら……」
ラステルとイシスのメロディが重なると、すぐにタニトが追いかける。微妙に音が
ずれていたが、三人分の声が合わさるとそれも独特な深みに聞こえなくもない。しばらく
歌っていると、通りすがりの何人かが足を止め、聞き入ってくれた。
「ららら〜」
最後のフレーズを歌い終わると、数人から拍手までもらってしまった。
「上手だったよ」
「ありがとうございます」
お褒めの言葉に三人が頭を下げる。ラステルがちらりと二人を見ると、イシスよりも
タニトの方が顔を赤くしていた。やがてぱらぱらと見物客も散っていく。
「ねえタニト、一緒に歌声コンテストに出ましょうよ」
「ええっ、私が?」
イシスの突然の申し出にタニトが驚きの声を上げる。
「だって私下手よ。あなたのように歌えない」
「ううん、充分上手だったし、私、タニトと歌って楽しかった。あなたと歌いたい」
「でも……、ううん」
悩んでいるタニトをそのままにしておいて、イシスはラステルに頭を下げる。
「ありがとうございました。私、自分がこんなに歌えるなんて思わなかった。タニトと
歌うのが楽しいなんて知らなかった」
「いえ、私は何も。私も一緒に歌わせてもらって楽しかったし、素敵な歌を教えてもらって
こちらこそお礼を言いたいくらいだわ」
今覚えたばかりのメロディが、ラステルの頭の中で軽やかに踊っている。
「これ、大好きな人といつまでも一緒にいられますように、って歌なんですよ」
イシスはタニトの方を振り向き、彼女の手を取った。
「大好きな友達とずっと一緒にいられますように。私はタニトとずっと一緒にいたい」
「イシス……」
歌の誘いの困惑とは違う感情から、タニトの頬が熱くなってしまう。
「大好きな人と一緒に。とても素敵な歌ね」
ラステルは自分の一番大切な親友の姿を思い浮かべて微笑んだ。
◆◇◆◇◆
工房でラステルの歌を聞き終わったユーディーは、ぱちぱちと拍手をした。
「すごい、きれいな歌だね。ラステルって本当に歌が上手いなあ〜」
ユーディーの部屋に来る前にラステルが出会ったという少女達の話しを聞き、その少女に
教わったばかりの歌を聞かせてもらったユーディーはとてもご機嫌だった。
「その子は、王国祭の歌声コンテストに出るつもりなんですって」
「へえ、あたしもその歌覚えて出てみようかな。ら〜、らら、らぁ〜」
調子外れな、歌とはとても呼べない声。
「あっ、でもユーディーはびっくりアイテム展覧会やキノコ狩りの方が楽しいでしょう?
武道会もあるし。ユーディーの腕を試すチャンスじゃない」
「そうかなあ」
ユーディーは首をかしげる。
「それよりもね、この歌って、大好きな人と一緒にいられますようにって歌なんですって。
好きな人といつまでも一緒にいられたら素敵よね」
「うん、そうだね。好きな人とは一緒にいたいよね〜」
微妙に話題をずらしたがユーディーは気付かないようだった。
「……」
「どうしたの、ユーディー」
ユーディーに顔をまじまじと見つめられ、ラステルの頬が熱くなってしまう。
「ラステルのお人形があればいいのに」
「えっ、お人形? 私の? 何で」
「あっ、いやいや、そんな深い意味はないんだけど」
驚くラステルに釣られてユーディーも慌ててしまう。
「ん、あのね。ラステルがずっとあたしのそばにいてくれて、そんであたしの為に歌って
くれたら素敵だなあって思ったの。あたし、ラステルの歌声大好きだから」
「そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」
褒められ、ラステルは恥ずかしくなってしまった。
「ラステルの歌声をずっと聞いていたいなあって。でも、ずっと歌ってるのは大変だから」
「ええ」
それでも、ユーディーが望むならラステルはいつまででも歌い続ける覚悟があった。
「ラステルの声が入ったお人形があればいいなあって。そうすれば、好きな時に大好きな
ラステルの声を聞けるから……、ごめんね、何言ってるんだろうねあたし」
あはは、と照れ笑いを浮かべる。
「いやほらもちろん、ラステルの歌ってアルテノルトの酒場でも人気だし、きれいな歌は
みんなの財産だよね〜、って思うけど」
ユーディーはゆっくりラステルに近付くと、彼女をそっと抱きしめた。
「あたしが独り占めしたいって思っちゃう時もあるんだよね。わがままなのは分かってるけど」
「ユーディー……」
やわらかな抱擁に、ラステルはうっとりと目を細める。
「そんなわがままだったら、いつでも大歓迎よ。私、ユーディーの為なら」
「ラステル」
ラステルはユーディーの頬に自分の頬をそっと合わせる。
「ユーディーが喜んでくれるならどんな事でもするわ」
「またまた、そんな事言っちゃって〜」
ユーディーの笑い声には少しだけ不自然さが混じっているような気がした。
「そんな事言ったら、あたし本当にわがまま言うよ。ラステル困っちゃうよ」
「ユーディーに困らされるのなら構わないわ。だって私、ユーディーが大好きだから」
頬を滑らせ、ユーディーの耳元にそっとくちびるを当てる。
「あたしも、好き……、よ。ラステルが」
「嬉しい」
ユーディーの腰に腕を回し、身体を一層すり寄せる。
「私をいつでもユーディーのそばに置いて。私、ユーディーが望むならユーディーだけの
お人形になって、いつでもユーディーが好きな歌を歌うわ」
「ううん、ラステルは今のままでいいんだよ、ただそのままのラステルでいてくれれば。
でも、もしもラステルが」
続きを言わずにユーディーは黙り込んでしまう。
「ユーディー?」
少しうつむいて、考え事をしているらしいユーディー。
「ううん、何でもない。……でも、でもね」
ユーディーはゆっくりと顔を上げ、ラステルを真っ直ぐに見つめる。
「もしもだよ。ラステルが、あたしを」
頬を染めているユーディーの瞳からラステルも視線を外せなかった。
「ユーディー……」
少しずつユーディーの顔が近付いてくる。
「ええ、私、ユーディーだったら」
ユーディーが何を言いたいのか、何をしたいのか分からなかったが、彼女が自分を求めて
くれるならどのような形でもラステルはそれを受け入れるつもりだった。
「ラステル、好きよ。本当に好き。だから……」
意識はしていないのに、ラステルは目を閉じた。すぐそばにユーディーの吐息を感じる。
その時、がちゃりと部屋のドアが開いた。
「うわ」
「きゃ」
びくり、と二人が飛び上がる。
「やあ……、ええと、すまない、取り込み中だったか」
うっとりと抱き合っていた二人に水を差してしまったヴィトスはきまり悪そうに頭を掻く。
「借金の取り立てを、と思ったんだが。また次の機会にするよ。じゃあな」
いつもいちゃいちゃとじゃれている二人の邪魔をしてはユーディーに文句を言われる
ヴィトスは、またユーディーが騒ぎ出す前に退散しようとした。
「や、やあっ、ヴィトス! よく来てくれたわね、どうぞどうぞ」
「あん」
しかしユーディーはラステルの身体を離すと、大げさなくらいのわざとらしい態度と言葉で
ヴィトスを歓迎する。
「借金の取り立てかあ、う〜ん、くやしいけど仕方ないな。何を持っていくのかな?」
テーブルの上に置いてあった採取カゴを手に取り、わざわざヴィトスの所まで運んでいく。
「いいのかい? 何か込み入った話しの途中だったように見えたけど」
顔を真っ赤にしたまま取り残されているラステルの方へ顎をしゃくるが、
「いいのいいの、ラステルとのお話しはまた後で。ねー、ラステルっ」
「あ、え、ええ」
何となく二人は気まずそうにしている。
「それならそれでいいんだが。じゃあ、このグラセン鉱石を頂いていくか」
「グラセン鉱石かあ、もうっ、借金なんて嫌い〜!」
「さて、頂く物も頂いたから僕は帰るよ。後は二人だけでゆっくり楽しんでくれ」
すぐに退散しようとしたが、ユーディーにマントをつかまれる。
「まあまあ、そんなに急ぐ事もないでしょ。お茶でも飲んでいけば?」
「いや、でも。せっかく君達が仲良くしてる中に割って入っては悪いし」
「そ、そうですね。私、すぐにお湯を沸かします」
ユーディーの提案を受け、ラステルはぱたぱたとキッチンへ走って行く。
「ほら、ラステルもああ言ってるし。遠慮しないで。ねっ」
「そう言われれば遠慮はしないけど、いいのかい? さっきは本当に良いムードの所を
邪魔してしまったし」
「べ、別に良いムードとかじゃないもん!」
「良いムードとか、そういうんじゃないです!」
ユーディーと、キッチンにいるラステルが同時に叫ぶ。
「ふうん……、まあ、君達がそう言うんならいいんだけれど」
「じゃあ決まり。こっち座って、ねっ」
ヴィトスをぐいぐいと引っ張り、テーブルに付かせる。やがてラステルがお茶を運んで来ると
二人はヴィトスを挟んで左右に分かれて座った。お茶は美味しかったが、何となくぎこちない
ユーディーとラステルの間にいるヴィトスは若干居心地が悪かった。