● 001.彼女の帰還 ●

「スフィアっ、お別れなんて嫌だよ!」
ファクトア神殿の地下、更にその奥。気が遠くなるような道のりを経て、辿り着いたのは
刻の精霊であるスフィアが封印されていた祭壇だった。
「ユーディー、私、ユーディーに会えてとても楽しかった。……ありがとう」
ユーディーと冒険していた時、くるくると表情を変えて子供っぽく笑っていたスフィア。
今目の前にいるスフィア、ふわりと宙に浮かんで悲しそうな、そしてどこかあきらめきった
笑顔を浮かべている大人びた彼女はまるで別人のようだった。
「ユーディーにもらったお薬と香茶、美味しかったな」
閉じた瞳から、ひとすじの涙がこぼれる。
「いい匂いでとっても甘くて、お菓子みたいだった。私、忘れない」
「スフィアっ!!」
ぱしん、と空気が弾けるような音がした。
「!」
ごうっと密度の高い風が舞い、ユーディーは思わず両手で顔を庇い、背を丸めた。
「スフィ……ア……」
一瞬の風が止んでも、ユーディーはその格好のままだった。拳をきつく押し付けた瞳から
涙が溢れてくる。
「スフィア、スフィア。そんな……そんなの、いや……、だよ……」
途切れ途切れにつぶやきながら、かくんと足が折れる。
「こんな急にお別れなんて、そんなのないよ。せっかくお友達になれたのに……」
肩をがっくり落とし、冷たい床に座り込んでユーディーは泣き続けた。


「きゃんっ」
どさっ。
聞き慣れた可愛らしい声と、何かやわらかい物が落ちた音にユーディーは目を上げた。
「あいたた……」
「スフィ……、ア?」
涙でぼやけた瞳の向こうには、しりもちをつき、痛そうに腰をさすっている少女。
桃色の長く美しい髪は床に流れ、再びその色を目にできたユーディーは歓喜のあまり
息が詰まってしまう。
「何で泣いてるの? ユーディーったらばかみたい」
ジト目でこっちを見つめるスフィアの頬は照れくささにほんのり赤くなっていた。
「え、何で、スフィア」
口元がわなわなと震え、新しい涙がこぼれるのを止められない。
「声が、聞こえたの」
スフィアは、ふっと空を仰いだ。
「時空の歪み。まだ、もう少しだけ大丈夫って言ってた」
「えっ、でも、だって」
「後は……、ユーディーのせい」
「へ? あたし? 何で」
きょとんとした顔でスフィアを見つめる。
「ユーディーがくれたお薬と香茶。人の世界の材料でできた食べ物と飲み物。
 俗世にまみれた人の世界の食べ物を食べたわたしは、身体からその毒が抜けるまで
 精霊の世界に戻れない」
「俗世にまみれ、って、何でそんな言い回し知ってるかなあ! それに毒って、あたしが
 あれだけ吟味した材料で作ったのにそんな言い方……」
スフィアは長い髪をなびかせ、ユーディーに思い切り抱き付いてきた。
「ユーディー! ユーディーがあんな素敵なお薬をくれたから、わたし、まだ
 ユーディーと一緒にいられるの!」
ユーディーの首にかじりつき、ぼろぼろと大粒の涙を流す。
「スフィア……」
「ありがとう、ありがとうユーディー! わたしの為にお薬を作ってくれて……、
 大変だったんでしょう? それなのに」
「ううん、全然。スフィアの為なら、あたし」
震えるスフィアの細い肩をぎゅっと抱きしめ、一度手放し、もう二度と手に入らないと
思った彼女のぬくもりと存在感を確かめた。
「スフィアがここにいてくれるなら、あたし……」
ふいに、スフィアが両腕を突っぱね、ユーディーから顔を離した。
「ユーディーって泣き虫なのね。引き籠もりでドジッ子の上に泣き虫。萌え要素満載だわ」
目の縁を真っ赤にして、ぐすんと鼻をすする。
「もえ? って、スフィアだって泣き虫じゃない。それにあたしは引き籠もりじゃないし、
 スフィアにだけは言われたくないわよ」
「ふーん。べー、だっ」
照れ隠しにお互い舌を見せ、それから弾けたように笑い出した。

「引き籠もり……、か」
まだ床に座り込んで、肩を寄せ合ったままのユーディーがつぶやく。
「ついに認めた? 自分の過去の真実の姿を」
「だから引き籠もりなのはあたしじゃなくてスフィアでしょ……、その目やめてってば!」
あきれた目でじーっと見つめられるとユーディーは慌ててしまう。
「あのね、引き籠もり。卒業、しよう」
「卒業?」
「一緒に行こうよ、外の世界に」
途端にスフィアの顔が青ざめた。
「嫌……、外は、怖い」
身体を縮め、小さく震え出す。
「それに、あたしの友達に会わせてあげる。スフィアに紹介したい人がたくさんいるんだ」
「人も……、嫌い。ユーディー以外の人になんか会いたくない」
拳を握りしめ、ぎゅっと目を閉じてしまった。そんなスフィアの目元に滲んだ涙を、
ユーディーの優しい指がそっとぬぐった。
「大丈夫。あたしが守るから」
「……」
ファクトア神殿の地下で、初めてスフィアに会った時。護衛のヴィトスとクリスタの姿を
見ただけで怯えて泣き出してしまった彼女を思い出す。
「クリスタはさばさばしてていい子だし、ヴィトスは……、そうねえ、鬼畜で悪徳な
 高利貸しで、何となく仲良くなってもまあ信用はできないけど、そんなに悪い人では
 ないと思うし多分、自信ないけど」
「それ、友達って言わない」
「そうかな?」
「ユーディーって変な人だとは思ってたけど、お友達も変なのね」
「そうかなー? クリスタは変じゃないよ、ヴィトスは変だけどね!」
ふふん、と強気で言い切るユーディーを見て、スフィアは小さな笑みを浮かべた。
「それに、あたしの大親友も紹介しなくちゃ。ラステルって言って、お菓子を作るのが
 とっても上手なの」
「お菓子」
その単語に、スフィアがぴくりと反応する。
「バターとミルクの香りがするクッキーやケーキ。クリームたっぷりなのや、フルーツ
 たっぷりのやつ。焼きたてはもちろん、冷めても美味しくてね、甘くてうっとりな……、
 スフィア、よだれ」
スフィアは慌てて口元をこすった。
「うっそだよ〜んっ」
「ユーディー!」
あははと笑うユーディーに向かって拳を振り上げたが、その手を緩めてもう一度抱き付いてきた。
「じゃあ、その、ラステル……、って人には会ってもいい」
スフィアの身体が若干強ばっているのを感じて、ユーディーはぽんぽんと軽く背中を叩いてやる。
「うん。スフィアの為にたくさんお菓子を持ってきて、って言っておくね」
「お菓子を忘れたら会わないからね」
「うん。さて、っと。そろそろ行こうか」
「……」
「大丈夫。何があってもあたしが絶対にスフィアを守るから」
しばらくの沈黙。ユーディーは返事を急かさなかった。
「……うん」
やがて、スフィアは決心した顔を上げた。

取り出したホウキにユーディーがまたがる。
「後ろ、乗って。一気に脱出するから、しっかりつかまってね」
「うん」
緊張の為だろうか、スフィアの口数が少なくなっている。スフィアがホウキの柄に腰かけ、
ユーディーのおなかにしっかり手を回すと、
「行くよっ!」
短いかけ声のすぐ後にホウキは神殿の出口に向かって行った。


(これは……、罰)
記憶を無くしたのは自分のせいではないと言え、永い時間仕事を放棄していた事。
関わりを持ってはいけない、人間と交流を持ってしまった事。人間の食べ物を口にして
身体が穢れ、刻を守る巫女としての力が弱まってしまったのは嘘ではない。それでも、
覚悟を決めてなお世界と一つになれなかったのは。
(人間と……、ユーディーと過ごすこれからの時間。いくつもいくつも、数え切れないくらい
 できるだろう思い出。本当に世界の揺らぎを止めなくてはいけなくなった時、私が封印の
 祭壇に戻らなければならなくなった時に、今以上に苦しむのが私への罰)
その時が来たら、今以上に増える、たくさんの大切な思い出を振り切っていかなければ
ならない。未来の自分は捨てる物が少なかったあの時に祭壇に戻っていればと、
今の自分を責めるだろう。
時間を重ねれば重ねるほどに積もっていく思い出と幸せが、そのままスフィアの心を
圧迫していく。失うのが分かっているのに求めずにはいられない、そして手に入れた幸せは
未来のスフィアを苛む茨となる。
(それでも、わたしはユーディーと一緒にいたい。ユーディーのそばで一緒に笑っていたい)
「ねえスフィア! もうすぐだよ」
溌剌としたユーディーの声にスフィアは顔を上げた。
明るい日ざしが眩しすぎて、思わずきつく閉じてしまった目に涙が滲む。目頭から鼻の奥までが
痛み、それが治まってくるとおそるおそるまぶたを開けてみた。
「あ……」
青い空、流れる真っ白い雲。爽やかな風にそよぐ草木、遠くに聞こえる鳥の鳴き声。
ファクトア神殿の入口に着いたユーディーはホウキを止め、ひらりと飛び降りた。
戸惑っているスフィアに手を差し出し、地面に降り立たせる。
「ようこそ、あたしの世界へ! なんちゃって」
いたずらっぽく片目をつぶるユーディーだったが、
「あ、スフィアは知ってるのかな」
刻の精霊としてのスフィアの役割を思い出し、言葉を切る。
「うん、あ、でも、こうやって、自分の目で見るのは初めて」
薄紫に冷たく光る無機質な回廊。崩れた岩やがれきの散乱する数え切れない数の部屋と、
そこに澱んだ重く湿った空気しか見た事の無かった自分。
「風が、気持ちいい」
自分の髪が風に揺らされ、それが面白くてスフィアはくすくす笑い出した。
「んもう、可愛いなあ、スフィアってば」
「え……、えへへ」
手放しに褒めてくれるユーディーが差し出した手を、スフィアは嬉しそうに握る。
「まずはアルテノルト……、いやいや、ヴェルンの方がいいかな。あそこは大人しい人が
 多いから、徐々に慣れていこうよ」
「うん」
自信なさげにうつむくスフィアの手に少しだけ力が入る。
「ユーディーが……、守ってくれるんだよね」
「もちろんだよ! あたしの奇跡の杯さばきを見たでしょ?」
「奇跡の杯で街の人を吹き飛ばしちゃったら問題になるでしょ」
「そういう意味じゃないってば!」
また笑いがこみ上げて来る。ひとしきり笑うとスフィアも心が軽くなったようで、
若干足取り勇ましいユーディーの手をしっかり握りしめ、歩いて行った。


 人の食べ物を口にしたあやかしは元の世界に帰れなくなる、と言うお約束があるのかと思ったけど
 そうでもなかったので捏造しました。
 あと、「私」と「わたし」の表記は間違っていない…筈。
 ・自分以外にユーディットを「ユーディー」と呼ぶスフィアに焼きもちを焼くラステル(でもすぐに仲良しになる)
 ・スフィアにペースを乱されるヴィトス
 ・ユーディー、ラステル、ヴィトス、スフィアの四角関係
 みたいなのが書きたいのでそのうち書きます。
 某ショップ予約特典の、ヴィトスの眼鏡をかけているスフィア、あのシーンも何か絡めて書く。

 追加エンディングは、手の届かない所へ行ってしまうスフィアと残されるユーディーってのが
 まんま、1周目エンディングの過去に帰るユーディーと残されるラステルだなあって思って、心にぐっと来ました。
 あと、スフィアがお仕事に戻らなくてもユーディーは過去に帰れるので、お仕事ちょっとぐらいほっぽっても
 平気かな〜みたいな感じで。
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