「……恋ね」
「はあ?」
突然のヴィラの言葉に、クレインは間抜けな声で答えた。
「恋よ。あの娘の目、恋をしている瞳じゃないかしら?」
ヴィラは声をひそめ、カウンターにいるクレインにこっそり話しかける。
アコースの街、ヴィラの雑貨屋。店の入口に入るか入らないかの場所に立っているリイタは、
開けっ放しになっているドアから店の外を眺めている。
店の外、リイタの視線の先にはアーリンの姿があった。アーリンは目立たぬように店の壁に
もたれ、目を閉じて何か考え事でもしているようだ。
リイタはさりげなさを装っているようだったが、自分の足元を見たり、そうかと思えば
店の棚にある雑多な商品やディスプレイをいじくり回し、同時にちらちらとアーリンの方を
うかがっている。その様子は、確かにとても不自然だった。
「な、何言ってるんだ、そんな事、ある訳……」
「違うかしらねえ」
苦笑いをするクレインの耳に、
「……はぁ」
リイタの大きなため息が聞こえてきた。
そっとアーリンを見つめ、思い詰めたようにため息をつくリイタ。そんなリイタを見ている
クレインの胸に、ちくちくとした不安感が芽生えてくる。
「アーリン様〜」
店の外からパメラの声が聞こえてくる。ふわふわと街を漂っていたパメラがアーリンを見つけたらしい。
「アーリン様、うふふ、アコースにいらしていたんですね〜。一声かけて下されば良かったのに」
嬉しそうな声でアーリンにまとわりつくパメラ。アーリンは、あからさまに無視するでもないが、
相手にする様子もない。
「もうっ、アーリン様ったら、いつもつれないんだから。でも、そんな所も素敵だわ〜」
ふわり、と浮き上がったパメラが、アーリンの腕に抱き付く。実態が無いので、パメラの身体の
一部がアーリンと重なって見える。
「……うらやましいなあ、いいなあ、パメラは」
ぼそり、とつぶやいたリイタの言葉に、クレインは目の前が真っ暗になったような気がした。
「クレイン、カリカリの実ニャ〜、ガリガリの実ニャ〜」
カボックに帰る為、妖精さんの鍛冶屋さんを通るワープゾーンへと向かう途中で、ノルンが
店の軒先に鈴なりになっている赤や茶色の実を指さす。
「ああ、そうだね」
「クレイン、ねこまんま買ってニャ〜」
「ああ、そうだね」
「クレイン、牛ミルクも欲しいニャ〜」
「ああ、そうだね……」
「クレインっ! 人の話しはちゃんと聞くニャッ!」
「ん? あ、ああ。何か言ったか? ノルン」
ぼんやりしているクレインの前で、ノルンは思い切り不機嫌そうな表情を作った。
「クレイン、ぼけぼけニャ」
「そんな事は無いよ」
「リイタも何だかぼけぼけニャ〜」
「んっ?」
ノルンに指さされ、リイタが首をかしげる。
「あたし? あたしはぼけてないわよ。普通よ」
長い髪をくるくると指に絡ませる。そして、ちらりと無言のアーリンに目をやる。
「普通……よ」
それから、物憂げにため息をついた。
「え、ええと、まあいいや、行くぞ……うわっ!」
愁いの表情をたたえているリイタに気を取られたクレインは、石の階段で豪快につまづいてしまう。
「おい、何やってんだ」
バランスを崩したクレインの腕をデルサスがタイミング良くつかんでくれたので、階段に倒れ込んで
しまう事態は避けられた。
「本当にボケてるぞ、お前。大丈夫か?」
「ああ、うん、ごめん」
階段の途中でもたもたしているクレインの脇を、アーリンが無言で通り過ぎていく。
アーリンがワープゾーンへ入って行く、すぐその後をリイタが小走りで追いかけていった。
自分の横を過ぎ去っていく、リイタの長い髪。その髪に無意識に手が伸びてしまう。
しかし、勝手にそんな事をしてはいけないと思い直し、慌ててその手を引っ込めた。
(何やってんだ、オレは)
「クレイン?」
くるくると回転している緑色の光の魔法陣の中に二人は消え去ってしまう。クレインは、
誰もいなくなってしまった空間をただぼんやりと見つめていた。
「クレインちゃん、行くのか、行かないのか?」
「あ、ああ。行くよ」
少しあきれ顔になっているデルサスに急かされ、クレインは自分も魔法陣へと向かった。
妖精さんの鍛冶屋を通って、カボックの入口へと出る。
「……あ」
「あ、ご、ごめん」
丁度そこを通りすがったビオラにぶつかりそうになり、クレインは慌てて謝った。
「びっくりした」
たいして驚いてもいない様子のビオラは、クレインを見てわずかに表情がゆるんだように
見えなくもない。
「どうしたんだ、こんな所で」
普段、自分の店にこもりきりのビオラが外を出歩くなんて珍しい。
「ノーマンさんにお弁当箱を返しに来たの。そしたら、健康の為に少し外で散歩でもして
日に当たりなさい、って言われた」
ビオラを自分の娘のように思っているノーマン。彼の言う事なら、ビオラはたいがい
素直に従うのだった。
「ふうん……、ところで、リイタとアーリンが先に来なかったか?」
「来た。あっちに上がって行った」
めんどうくさそうに、ワイルドモスの二階を指さす。
「そ、そう。ありがとう」
二人の向かった方に踏み出そうとしたクレインの背中に、ぼそり、とビオラの声が聞こえた。
「リイタ、あの人に鞍替えしたのかしら。まあ、クレイン君にしつこくしなくなるのはいい事ね」
その言葉を聞いて、クレインは急に呼吸が苦しくなった様な気がした。
(……そっか、オレ、いつの間にかリイタがそばにいてくれるのが普通になってて)
このまま拠点へ行き、扉を開けたら、アーリンを追いかけるリイタの姿がまた目に入って
しまうかもしれない。そんな事を考えてしまったクレインは、そのまま足が止まってしまった。
「フギャッ!」
様子のおかしいクレインを気にかけ、ワープゾーンから出てすぐに立ち止まってしまった
デルサスの背中に、後から続いたノルンがぶつかってしまったらしい。
「デルサス、そんなとこに無駄にデカいずーたいを置かないで欲しいのニャ!」
「無駄にデカい図体だと? 最近言うねえ、お前さんは」
「鼻がつぶれたらどうしてくれるのニャッ」
「おや〜あ? お前さんにつぶれる程の鼻があったかねえ」
振り返ったデルサスがノルンの鼻をちょん、とつまむと、
「ムキーッ、ムカツクのニャーッ、お菓子、お菓子にしちゃうニャーッ!」
怒ったノルンが持っている杖を振り回す。
考え込んでいるクレインには全く目もくれず、こづきあいのケンカをしているデルサスとノルン。
「……うるさい。散歩の邪魔」
しかし、どう見ても散歩に乗り気には見えないビオラが、その二人に向かって胸元から出した
クラフトを投げる仕草をすると、ぴたりと言い争いを止めた。
「お、お邪魔しました。行くぞ、ノルン」
「お邪魔しましたニャ。行くニャ、デルサス。クレインも行くのニャ」
「えっ、あ、ああ」
そそくさとこの場を去ろうとする二人に追い越されざまに腕を取られ、クレインは広場の
真ん中へと引きずって行かれた。
「ああ、怖ぇ怖ぇ。ああいう静かな迫力が一番怖い」
「怒ったゼルダリア様も怖いけど、あっちも怖いのニャ」
「そうか、お前さんも怖かったか。よしよし」
ねこ耳をぺたんと寝かせ、しゅんと肩を落とすノルンの背中を、デルサスはぽんぽんと叩いてやる。
「デルサス、怖かったからお腹すいたのニャ。ゴハン食べに行くのニャ〜」
「メシならオレが作ってやるよ」
「デルサスのゴハンは遅いからダメニャ! 今すぐ食べないと倒れちゃうのニャ、ノーマンさんの
ゴハン屋さんに行くのニャ!」
ノルンはデルサスの服の袖を引っ張り、ワイルドモスの扉を指さす。
「仕方ねえなあ。クレインも一緒に行くか?」
「いや、オレは部屋に帰るよ」
「え〜〜〜」
クレインが来ない、と聞いて、ノルンはあからさまに不満そうな声を出す。
「クレインは腹減ってないんだろう。よし、三人前頼んで、オレとお前で喰っちまおう」
「ほんとニャ!?」
寝ていた耳が、ぴん、と立つ。
「その代わり、残したら承知しねえぞ」
「うんうん、食べるニャ、全部食べちゃうニャ!」
「じゃな」
何となく浮かない顔をしているクレインに気を遣ったのだろうか、デルサスは挨拶代わりに
片手を上げると、にゃあにゃあと騒ぐノルンをワイルドモスに連れて行く。
「ああ、ごめん」
それから口の中で小さく、ありがとう、とつぶやき、クレインはガルガゼットの拠点へと向かった。
ゆっくりと、ドアを開ける。
「ねえアーリン、ゴハンとか食べに行かない?」
「……」
アーリンは床に座り、あまり表情のない顔で木の固まりと、手に馴染んだ小さなナイフを
弄んでいる。
そんなアーリンの周り、近付かず離れずの距離を、リイタがうろうろと歩き回っていた。
「アコースまで行って、疲れちゃった? だったら、身体にいい飲み物でも飲みましょうよ」
「……」
アーリンは返事をせず、顔を上げる事すらしない。
「ノーマンさんが作ってくれるランドーのカクテル、美味しいんだよ。あれを一口飲めば、
疲れなんてすぐに……」
「外の空気を吸ってくる」
リイタの言葉を遮ると同時に立ち上がり、刃先をしまったナイフと彫りかけの木片を自分の
ナップサックに放り込む。リイタには目もくれず、ドアを開けたまま立っているクレインにも
かまわずに、アーリンはさっさと外へと出て行ってしまった。
「あ……」
悲しそうな、リイタの目。その目線はやはりアーリンの背中を追いかけている。
「うるさくしすぎちゃったかな」
今更ながらその存在が目に入ったらしいクレインに作り笑いを向けながら、首を左右に振る。
さらさらと揺れる長い髪を見て、クレインは妙に落ち着かない感情がこみ上げてきた。
「ひどい奴だな、アーリンは。リイタが飯に誘ってるんだから、返事くらいすればいいのに」
無意識のうちにリイタの気を引きたくて、わざとアーリンを悪者にしてしまう。
「ううん、きっとあたしがしつこかったから」
ぺろり、と舌を出すリイタ。
「アーリンは悪くないよ」
彼をかばう彼女に対して、何故か無性に腹が立ってくる。
「そっか。まあ、何でもいいけどな」
「でも」
小さく舌を出し、リイタがはにかむ。
「こういう風にされるのも、何か嬉しいかもしれない」
「お前……」
何を言ってるんだ。そう尋ねようとしたが、彼女の答えを聞きたくなくて、クレインは
口を閉ざしてしまった。
◆◇◆◇◆
「お兄ちゃん、雪虫雪虫!」
ティンクルベリーとステンド草を採りにデランネリ村に来た一行を出迎えたのは、デルサスの
妹、ファス。
「ねえお兄ちゃん、ほら、雪虫がいっぱいだよ」
「あー、分かった分かった、うるさいな」
クレイン一行の出迎え、と言うよりも、ファスはデルサスべったりだった。ちらちらと降る雪、
その雪に紛れて漂っている雪虫を指さし、手に乗せてはそれをデルサスに見せている。
「第一、雪虫なんて珍しくもないだろう。そこかしこにいるぜ」
「そこかしこにいたって、可愛い物は可愛いんだもの」
「全く、デルサスは妹に甘いなあ」
クレインが笑うと、デルサスは渋い顔になった。
「オレが甘いんじゃなくて、こいつが兄離れできねえんだよ」
そう言って、デルサスは袖にしがみついているファスの腕を外そうとする。
「リイタも何か言ってやれよ」
この間から、どうも調子のおかしいリイタ。クレインはリイタの気を引きたくて、わざと
彼女に声をかけた。
「ん、まあ、いいんじゃない?」
リイタは微笑ましそうに兄妹を眺め、笑っている。どうやら今日は、ふいとどこかへ消えて
しまったアーリンの姿を探す事もない。その様子を見てクレインは少しだけほっとしていた。
「あ、お兄ちゃん、あれ取って。手乗り雪虫」
ファスが少し高い木の枝に引っかかっている小さな雪虫を指さした。
「そんなの、そこら辺に落ちてるの拾えばいいじゃねえか」
「いや、あれが欲しいの。地面に落ちてない雪虫が欲しい、ねえ。取って」
甘えた声でデルサスにねだる。
「あ〜、クレインちゃん、何か言ってくれよ」
げっそりするデルサスがクレインに助けを求めるが、
「まあ、いいんじゃないか? たまには妹孝行してやれよ」
全く取り合うつもりはない。
「おいおい、冷たいなあ。じゃ、リイタ。リイタからこの甘ったれに一言意見は無いか?」
首を振り、今度はリイタに意見を求める。クレインは、てっきりリイタも笑ってやり過ごす
ものと思った。しかし、
「いいんじゃない? あたしも雪虫欲しい。デルサス、取ってよ」
ファスに負けず劣らず甘えた声を出すリイタに、クレインはぎょっとする。
「雪虫? お前がか? 喰うのか」
「食べないわよ。ファスちゃんの後でいいから、あたしにも取って」
デルサスに近寄り、ファスが見つけた雪虫を指さす。
「リイタ、オレが取ってやるよ」
慌ててクレインがリイタに駆け寄るが、
「ううん、デルサスに取って欲しいの」
冷たくあしらわれ、言葉を無くす。
「ファスちゃんもデルサスお兄ちゃんが取ってくれた雪虫が欲しいんだよね?」
「あっ、うん」
ファスは一瞬不思議そうな顔をしたが、リイタに微笑みかけられ、つられて笑顔になる。
「お兄ちゃん、取って取って! あたしとリイタさんの分」
「なるべく小さいの。あっ、それが可愛い、それファスちゃんのね」
そして、二人で楽しそうに騒ぎ出す。
「しょうがねえなあ、おい」
軽く背伸びをすると、デルサスはひょいひょい、と雪虫を何匹もつまみ、
「そらよっ」
それをファスとリイタの頭の上めがけて放り投げた。
「きゃっ」
「何するのよ、お兄ちゃん!」
「何って、雪虫欲しいんだろ? 好きなだけやるぜ、ほら」
ぽいぽい、と投げ付け、ついでにかがんで雪をすくって二人に投げ付ける。
「何するのよ、デルサス!」
「ひどーい、リイタさん、やっつけちゃいましょう!」
雪やら雪虫やら、ごちゃごちゃに投げ合う三人。
「……ふニャ」
それを見て、寒さに凍えて縮こまっていたノルンが反応する。
「ノルンも混じるニャーっ!」
「よし、三対一! やっつけちゃえ!」
わあわあと騒ぎながら、雪を投げ付け合う。
(……何だよ、アーリンの次はデルサスかよ)
楽しそうにはしゃぐみんなを前にして、クレインの心だけが重くなっていった。
◆◇◆◇◆
(面白くないな)
やがて、クレインを蚊帳の外にした雪合戦は終わり、髪や服に付いた雪をデルサスに払って
もらうファス。それを見て、リイタやノルンもデルサスに雪を払ってもらう。
(雪を払ってやるくらい、オレだって)
クレインはリイタの髪に手を伸ばそうとしたが、それも断られてしまったのだった。
その後、温かいミルクティーを淹れてやる、とのデルサスの申し出に女の子三人は色めき立ち、
きゃあきゃあと笑いながら道具屋へと入っていく。
その後ろ姿をぼんやりと見送りながら、クレインは一人でつまらない思いを抱えていた。
(何なんだよ、あいつは)
アーリンにこびを売ってみたり、デルサスに懐いてみたり。
(まあいいさ、そっちがそのつもりなら)
頭の中でぐるぐると回っている思考を、一瞬中断させる。
「リイタが……どんなつもりなら、オレはどうするって言うんだ?」
そして、小声で自分に尋ねる。
クレインは、村の入口にある結界、安全なキャンプの中に一人で潜り込み、隅の柱にそっと
寄り掛かった。
「クレイン〜、オイラもミルクティー飲みに行ってもいいかい?」
きらきら、と小さな光の粒をまといながら、ポポが顔を出す。
「ああ、好きにしなよ」
ポポは何も悪くないのに、少しだけ八つ当たりする口調になってしまう。
「クレインも一緒に行こうよ」
「オレはいいよ」
多分、今頃リイタはまたデルサスにべたべたしているに違いない。そんな光景を想像するだけで
面白くない。
「ふうーん……」
何か言いたげだったが、ポポはそのままキャンプを出て行った。
「やれやれ。やっぱり独りは落ち着くな」
そう口に出してはみるものの、ポポの存在さえ感じられない空間はがらんとして、たき火を
たいている筈なのに薄ら寒ささえ感じる。
「うるさいのがいないと、ほっとするよ」
心に大きな傷を抱え、それでも普段はそんな悩みを微塵も感じさせずに元気に笑っているリイタ。
リイタの長い髪、濃い色の瞳。
「……何で、あいつは」
彼女の、命の源とも言える赤水晶。それを無くして、どうしてあんな風に笑えるのだろう。
「ちぇっ」
彼女の行動を制限する権利は、自分にはない。彼女は彼女の思うまま、したいようにしたい事を
すればいいのだ。
「だから、あいつが誰といても、誰といたくても」
ごちゃごちゃとした思いを抱え、自分の気持ちを整理しようと思うと余計に心が乱れてしまう。
「何でオレ、こんなにイライラするんだよ」
クレインは無造作に髪をかき上げた。
彼女自身の気持ちを尊重したい。
彼女には、自分だけを見つめていてもらいたい。
「えっ」
矛盾する気持ちの中で、ふっと沸いてきた感情。
「オレ、は」
多分、リイタが好き、なのかもしれない。
「まさか、でも、あんなヤツ」
そもそも、誰かを好きになると言う感情が分からないクレイン。
「ポポが好きとかばあちゃんが好きとか、デルサスやアーリンやノルン……、仲間が好き、
ってのとは違うよ……な?」
仲間と言えば、リイタも仲間だ。
「ちょっと待てよ、でも」
自分の感情に思考が追いつかない。
「だからって」
頬や首筋、背中がじわじわと熱くなり、汗ばんできたような気さえする。
「好きって、そんな。違うだろ? 普通……」
普通はどうなるのだろう。考えた事も、実感した事もなかった。
「ただ、オレはリイタが」
クレインは自分の目の前に両手を持って行くと、手のひらを思い切り開いて、ゆっくり閉じた。
この手で、リイタの髪に触れたい。頑丈そうに見えて意外に華奢な身体を抱きしめたい。
それから、やわらかそうな手や頬、くちびるを……。
「待て待て待てっ!」
大声を出し、自分の妄想に待ったをかける。
「……きゃ」
その時、キャンプの入口から、小さな可愛らしい声。
「えっ?」
熱くなっていたクレインの頬が、ぼん、と火を噴くくらいに更に熱くなる。
「な……、何を待つの?」
それから入口を見つめると、そこからちょこんと顔を覗かせたのはリイタその人だった。
「あの、もしかして……、入っちゃマズかった?」
妙におどおどした様子でこちらをうかがっている。
「いやいや、気にするな。独り言だよ」
「なあんだ、びっくりしちゃった。お茶、こぼしちゃうとこだったよ」
くすくす、と笑いながらリイタが入ってくる。その手には、二つのカップ。
「待ってたのに、来ないんだもん」
「来ないって、何が」
カップから、スパイスが利いているらしいミルクティーの良い香りが漂ってくる。
「何が、ってクレインが。ほら、あんたの分」
リイタはクレインに歩み寄ると、カップを一つ渡した。
「待ってたって、オレをか?」
「他に誰を待つのよ」
リイタに渡されたカップを持った手は、すぐに温かくなっていく。
「アーリン、とか」
「アーリンはどこか行っちゃったじゃない。剣の修行かな? だったら邪魔しちゃいけないし、
このお茶甘いから、アーリンが飲むとは思えないし」
自分から話題をふった筈なのに、彼女の口からアーリンの名が出ると妙に苛立たしくなる。
「何だか、この間からアーリンにご執心のように見えるけど」
そう言うと、はっ、とリイタが息を飲む。
「あれ。分かっちゃってた? やだ」
カップを両手で抱え、リイタはクレインの足元に腰を下ろした。
「やだ、って」
胸の奥から、苦しいくらいの黒くねじれた痛みがこみ上げて来る。
「何か、似てるんだ」
「似てるって?」
リイタはクレインを見上げ、片手でちょいちょい、と隣りに座るように促す。
「あのさ、あたしって、こんなじゃない?」
クレインが横に座ると、そう言って少し悲しげな表情をして、首を傾ける。
「ああ」
彼女の口から言われなくとも分かる。人造物。かりそめの、不安定な命を与えられたホムンクルス。
「もちろん、あたしとアーリンは、生み出された時の、生み出した者の感情は違う」
リイタを作った錬金術士は、自分の作品を『娘』と呼び、研究を重ねた結果、命に継続性を与えた。
「それでも似てるの。分かるでしょ?」
「お前は、別に、普通じゃないか。どこもおかしい所なんて無い」
「あたしは、普通よ。おかしい所があるなんて言って無いじゃない」
ほんのわずかに、リイタの声が険しくなる。
「……ごめん。そう言うんじゃないんだ。ただ、あたしとアーリンは似ている所がある。
言葉じゃ上手く説明できないんだけど」
それから、とても優しく微笑んだ。
「ああ、うん」
曖昧にクレインは頷いた。
「例えば、そうだな、クレインとルローネは錬金術士。似てるでしょ?」
「うーん……、どうなんだろう」
「似てるって言うと語弊があるかもしれないけど、そうね、親近感がある。こう言い換えたらどう?」
「そう言われれば、分かる、ような気がする」
まだ納得いかないクレインだったが、
「もしかしたら、アーリンってあたしのお兄さんでもおかしくないのかな、って思って」
リイタの言葉を聞いて、また驚いてしまう。
「お、お兄さん? アーリンがか?」
「そ、そんなに驚かないでよ。もしも、もしもの話しよ」
慌てたクレインを見て、リイタも焦ってしまった。
「錬金術士の試験管とビーカーの中で作られたあたし達。作った人は違うけど、作られた者、
って立場は同じだと思うの」
「うん……」
良く分からないなりに、クレインは相づちを打つ。
「だから、親近感が強いのかもしれない。もちろんあたしの思い込みだけどね。だから」
リイタは首を下げ、傾けたコップの中身をちびりと飲んだ。
「家族、って言うか。あたし、家族って分からないけど、そういう人がいたらアーリンみたいな
人なのかなって」
それから、自分の言った事がおかしかったのか、髪を揺らしてくすくすと笑う。
「でも、話しかけても冷たくされちゃって。そういう関係も兄妹では有りなのかな、って
思ってたんだけど」
ふいに、クレインは思い当たった。アーリンに素っ気ない態度を取られて、嬉しそうに
はにかんでいたリイタ。
「……でも、さっき、デルサスとファスちゃん見たら、うらやましくなっちゃって」
リイタは、見えない筈のキャンプの外にぼんやりと目をやる。
「お兄ちゃん、ってあったかい感じなのかなあ、って。あ、アーリンは『お兄さん』で、
デルサスは『お兄ちゃん』って言う感じなんだよね」
「だからデルサスに雪虫取ってくれとか言ってたのか」
「そう。ちょっとだけ、妹気分を味わいたかったの」
小さく笑って、舌を出す。
「ありがとう、ごめんね」
「えっ。何が?」
急に礼と謝罪を言われ、クレインが戸惑う。
「あたしの髪の雪、払ってくれようとしたのに断っちゃって」
「えーっと……、そうだったっけ? 覚えてないな」
クレインがさんざん気にしていた事。
「覚えてないけど、きっと妹気分に浸りたかったんだろう?」
忘れたふりをするが、かえってしらじらしくなってしまったような気がする。
「うん。それにね」
「それに?」
「クレインに髪触られると、何だか照れちゃうって言うか、恥ずかしくて」
ほんのりとリイタの頬が赤くなっているように見える。
「オレに触られるの、嫌って事か?」
「ううん、嫌なんかじゃない、嬉しいんだよ!」
そう言ってしまってから、リイタは落ち尽きなくクレインの顔から視線を外し、それから彼が
握りしめたままのコップを見る。
「嬉しい、のか? オレに」
「飲まないの? 美味しいよ。スパイスが独特かもしれないけど。身体が温まるんだって」
リイタはクレインの質問を遮るように、ぱたぱたと片手を振った。
「ああ、うん、頂くよ」
言われて、コップに口を付ける。ミルクと紅茶の濃い味と、刺激性のあるスパイスが何種類も
混じっているらしい芳香、それから強い甘みを感じる。
「うわ、何だこれ」
「不思議な感じだよね。初めて飲んだ」
微妙に口をゆがめるクレインを見て、リイタが尋ねる。
「クレインは、嫌い?」
「えっ。好きだよ」
尋ねられ、反射的に言葉が口をついてしまった。
「そっか、良かった。意外に美味しいよね」
「あ、ああ、そうだね」
(う、わ。オレ、何を)
クレインは、てっきりリイタが『自分の事を嫌いなのか?』と尋ねたのだと思い込んでしまったのだ。
彼女は紅茶の味を聞いただけだと言うのに。
(ちょっと待ってくれよ。オレは)
嫌いか、と言われればそんな事は無いと思う。だからと言って、そんなストレートに自分の
気持ちが飛び出すとは思わなかった。
「甘みがクセになるんだよね。ハチミツだって」
「うん、そうだね」
リイタがもぞもぞと身体を動かし、座り直す。彼女のつややかな髪、細い肩がクレインに触れる。
「ええっと、リイタは? リイタは、嫌いか?」
自分でも、何を尋ねているかも分からずにそんな事を言ってしまう。
「好きだよ。好きって言ってるじゃない」
目を細め、リイタはまた紅茶を一口飲む。
「ああ、うん、お茶がね」
「うん、お茶」
そのまま、何となく会話が途切れる。
(何だよ、アーリンもデルサスも、オレの思い違いだった、って事か)
リイタが二人を気にしていたのは、愛情からではない。肉親を知らないリイタが、得る事の
できなかった家族を夢見ていただけの話し。
(何だよ)
そう思うと妙に気が抜けてしまい、クレインの心が軽くなっていく。
「あ……、あのさ」
「なあに?」
首をかしげてこちらを見つめるリイタはとても可愛らしくて、クレインは言葉に詰まってしまった。
「いや、あの、行かなくていいのか?」
「行くって、どこへ」
「デルサスとか、みんなの所へ」
それから、ちょっと言い換える。
「デルサスお兄ちゃんの所へ。ここは寒いだろう?」
「もう、ばか」
照れたようにリイタは、クレインを軽くこづいた。
「だったら、クレインも一緒にあっちへ行く? クレインだって寒いでしょ」
「いや、オレは」
ここで、リイタと二人きり。そんな状況を崩したくない。
「いいよ、ここで」
「だったらあたしもここでいいよ」
リイタも、自分と一緒にいたいと思っていてくれているのだろうか。
「あ、ところで」
「ん?」
クレインは、だいぶ舌に馴染んできたミルクティーを一口すする。
「お兄ちゃん……って、オレじゃダメかな?」
アーリンでもデルサスでもいいなら、自分でもいい筈だ。そんなやきもちから出た言葉。
「はあ?」
「たまにだったら、オレだってお兄ちゃんの代わりになってやってもいい、って言ってるんだよ」
「……」
黙り込んでしまうリイタ。
「ううん、いいや」
それから、ゆっくりと首を左右に振る。
「オレじゃお兄ちゃんの代わりにはなれない、のかな」
何となく、リイタに拒否されるとさみしくなってしまう。
「ううん、クレインは、お兄ちゃんじゃ困るの」
「えっ?」
「だって、お兄ちゃんじゃ……、ええっと」
それからリイタは片手を空け、その手でそっとクレインの肘に触れる。
「とにかく、お兄ちゃんじゃ困るの。クレインは、誰かの代わりじゃなくて、クレインのままで
いて欲しいから」
「ああ、うん、そういうもんかな」
リイタに触れられている場所が、じわじわと熱くなっていく。
「だって、兄妹じゃダメじゃない?」
そう言って、リイタは指をクレインの手の方へと滑らせる。
「ダメって、何が」
「鈍いわね。分かりなさいよ」
そして、クレインの指に自分の指を絡ませた。
「鈍くて悪かったな。分からないよ」
ぎゅっ、と手を握られて、クレインは自分の心臓がばくばくと大きく脈打つのを感じた。
「じゃ、分からなくていい」
「何だよ、それ」
口調は少し怒っているようだったが、リイタはクレインの肩に自分の頭を寄せる。長い髪が
揺れ、クレインの頬をくすぐる。
クレインは自分の傍らにコップを置くと、そっとその髪に指を伸ばした。
「あっ」
髪に触れられたのに気付き、リイタが小さく肩をすくめる。
「あ、ごめん、つい。きれいだったから」
「きれい?」
「うん」
リイタの瞳がきらきらと輝いている。
「きれいだから、触りたかった?」
「うん。お前が嫌だったらやめるけど」
本当は、ずっと触れていたい。ずっと触れたいと思っていた。
「いいよ」
ふふん、とリイタは少し得意そうに微笑んだ。それから、クレインとつないだままの手を
しっかりと握り直す。
「兄妹だったら、こんな事できないじゃない」
「えっ?」
「手、つなぐとか。髪触るとか」
「そうかな」
言いつつ、なめらかな髪を指に絡めてみる。
「そうだよ。だから、クレインはこのままでいいの」
「……そうか」
「そうよ」
クレインは、やっとリイタの言いたい事が何となく分かったような気がした。
(オレは、兄や家族の代わりじゃなくて、一人の男として認めてもらった、と考えても
いいのかな)
確信はないけれど、今はリイタの体温を感じ、彼女の髪に触れられるだけで充分だった。
◆◇◆◇◆
「恋ね。恋をしている目だわ」
客足が途絶えた間に、陽の光を浴びようと店に出てきたヴィラは、そこに漂っていたパメラに
向かってそう告げた。
「まあ〜、やっぱり分かっちゃいますぅ?」
てれてれと微笑むパメラを素通りして、首をかしげながらブレアのいるパン屋に向かう。
「……!! 何の用ですの?」
「あらあら、ここはいつでもヒマそうな事で、うらやましい限りだわ」
店の中を見渡すように首を回しながら、ヴィラの顔を見た途端臨戦態勢になるブレアに
皮肉っぽい挨拶をする。
「ヒマじゃありませんのよ。たまたま今は、私が新しいパンの研究に打ち込んでいる情熱の
オーラに圧倒されて、お客様が来店をご遠慮なさっているだけですわ!」
「ふうん。それはそれは」
ふと言葉を切ったヴィラは、ブレアの正面に立つと彼女の顔をじっと見つめる。
「な……、何か、用ですの?」
目を見られると気恥ずかしくなり、ブレアは拗ねたように顔を背けようとする。しかし、
ヴィラはさっと手を伸ばすと、ブレアの顎をしっかりとつかまえた。
「な、いきなり、何を」
「これだわ。恋する目!」
「えええっ!?」
驚いて真っ赤になるブレアの顔に自分の顔を寄せ、彼女の瞳をまじまじと見据える。
「こ、恋ですって、そんな、私はそそそんな破廉恥な」
「パン作りに一途な瞳。パンに恋をしていると言っても過言ではないわ。やっと見つけた、
愛のポエムノートの題材に相応しい瞳」
焦りのあまり、身動きの取れなくなったブレアの前で、ヴィラはめらめらと創作意欲を燃やす。
「ポ、ポエムノートですって? あなた、また悪い癖がお出になったんですの?」
「悪い癖とは何よ」
一瞬ひるんだ自分を励ましながら、ブレアは自分の顎をつかんだままのヴィラをにらみ返す。
「また、いもしないアダルトな殿方に捧げる、とかおっしゃって、変な詩をお書きになる
……い、いたひ、いたひですわぁ〜っ!」
ヴィラは顎をつかんでいた指を頬に移し、そこをむにむにと左右に引っ張った。
「いもしない、とは何よ。私の理想のアダルトな方は、必ずどこかにいらっしゃるのよ」
「だ、だってこの間だって、カボックの……」
「それは言わないで!」
店の中から聞こえる、殺気だった声と痛みを訴える悲痛な泣き声。
二人の声をおそれて、コケモモにはますます客が寄りつかなくなるのであった……。