● 依頼の即日キャンセル ●

「うーん、困ったなあ。でも仕方がない。今度はちゃんと頼むよ?」
「はい、ごめんなさい」
ヴィオはぺこり、と頭を下げた。
仕事を探しに来たヴィオが、少し多すぎるかなくらいの数の依頼を受けたのが午前中。
そんなにいっぺんに仕事ができるのかどうか危ぶんでいたオッフェンだったが、案の定、
夕方も近くなった頃にそのうちの依頼の一つを断りに来た。
「幸い、まだ依頼主にはヴィオが仕事を受けた事を伝えていないんだ。だからヴィオの評価が
 下がる事も無いと思うけれど」
すまなそうにしているヴィオに、少しだけ怖い顔をして見せる。

「本当だったら、ここから悪い評判が広がる事もあるんだぞ。自分の店を持っているなら、
 そこら辺もしっかり考えないと」
「……ごめんなさい」
オッフェンは軽く手を握ると、しゅん、としているヴィオのおでこを優しく叩いた。
「ほらほら、そんな顔をしているヒマがあったら頼まれた仕事をきちんとこなす。いいな?」
「はい!」
にっこりと笑顔を見せるヴィオ。しかしまだ、その目にはわずかに涙が滲んでいた。
「残りのお仕事、頑張ります。オッフェンさん、迷惑掛けてすみませんでした」
もう一度頭を下げると、ばたばたと落ち着きない足取りで月光亭を出て行った。

「……やりづらいな、どうも」
ヴィオが去ってから、オッフェンは軽くため息をつく。その様子を見ていたクリエムヒルトが
くすくすと笑い出した。
「オッフェンさん、どうもヴィオちゃんには甘いみたいですね」
「そうかな、これでも厳しくしているつもりなんだが」
そう言って、わざとらしく眉間にしわを寄せてみる。
「年頃の娘を持てあましている父親と、パパに懐いて甘えている娘みたいな……あら、ちょっと
 言い過ぎたかしら」
慌てて口元を押さえるクリエムヒルト。
「父親、ねえ」

ヴィオの両親が外つ国に旅立ってから、かなりの年月が経っている。しっかりしているように
見えて、ヴィオもまだまだ甘えたい盛りなのかもしれない。
「まあ、仕事は仕事。私情は私情だ」
「そうですね」
何かを言いたげだけれど、賢明にも口をつぐんだ。そんな様子のクリエムヒルトは、また
小さく笑っていた。

◆◇◆◇◆

「オッフェンさーん、依頼の仕事できあがりました!」
数日後、大きなバスケットを持ったヴィオが、月光亭のドアを開けた。
「やあ、ヴィオ。おっと、大丈夫か?」
身体の小さなヴィオは、重そうなバスケットに引きずられてよろよろしているように見える。
「はい」
短く答えるヴィオだったが、くちびるを噛んで辛そうな顔をしている。
「大丈夫そうじゃないな。無理するな」
オッフェンはすぐにカウンターを回ると、大股でヴィオに近付いてくる。
「ほら」
バスケットの取っ手を持とうとしたその時、オッフェンの指の先がヴィオの手に触れた。

「あっ」
ヴィオは小さくつぶやくと、頬を赤く染める。
「これは重いな」
そう言いつつも、普段から酒瓶やケースを運び慣れているオッフェンは、そのバスケットを
軽々と持ち上げた。
「あ、すみません。平気です、あたし持てます」
「無理するな、と言ったろう。力仕事は男の役目だよ」
バスケットをカウンターまで運ぶオッフェンのすぐ後に、申し訳なさそうな顔をしたヴィオが
ちょこちょこと付いていく。

「すみません、ありがとうございました」
カウンターの上に置かれたバスケットを見て、それからオッフェンの目を見つめ、ヴィオは
深々と頭を下げた。
「これくらい、たいした事はないよ。ところで、依頼ができたのか?」
「はい、これです」
慌てた様子でバスケットのふたを開けるヴィオ、その指先は真っ白になり、ところどころ
赤いまだらになっている。ヴィオラーデンからの短い距離を運ぶだけで痺れてしまったらしい
細い指は、バスケットの中のアイテムを取り出すのにたどたどしい動きしかできない。
「ええと、まず伝統ケーキ六個。次に祝福のワイン四本。それから、ダグザの……釜……」
ヴィオは小さなメモを確認しながら、バスケットに収まっていたのが不思議なくらいの
大きさの釜を取り出す。

「それから、宝石キャンディー三個……、あっ」
小さな青い宝石箱を模したキャンディーケースを取り出そうとする。その時、まだ痺れている
らしい指から、ケースを取り落としてしまう。
「おっと」
すかさずオッフェンが手を差し出し、ケースが転がってしまう前に器用に受け止めた。
「あ、ああっ、すみません」
慌てるヴィオの前で、オッフェンは優しく微笑んだ。
「ヴィオ。後は俺が確認するから、お前さんは少し休んでいるといい」
「休んで、って、あたし疲れてませんよ」

「疲れている疲れてないじゃなくて……、そうだな、ジュースをおごってやるから、そこに
 座ってゆっくり飲むといい」
良く見ると、ヴィオの顔には少し疲労の色が浮かんでいる。これだけの依頼を受けてから、
まだ数日しか経っていない。よっぽど根を詰めて仕事をしたのだろう。
「でも」
「それとも、俺のおごりじゃ飲めないとでも?」
「いえいえっ、あの、頂きます!」
オッフェンは棚からきれいなグラスを出すと、そこに冷やしたにんじんジュースを注ぐ。
「ほら。ヴィオの好きなにんじんだぞ」

「わあっ」
嬉しそうに笑顔を見せるヴィオは、グラスを受け取るとカウンターの席に腰かける。
「後は、アントヴォルト箱、ヘルフェンダイス。よし、全部揃っている」
ヴィオのメモと自分の仕事台帳を付け合わせ、全てを確認するとオッフェンは頷いた。
「どれも品質もいいし、文句の付けようがない。偉かったな、ヴィオ」
それから、美味しそうにちびちびとにんじんジュースを飲んでいるヴィオの頭に手を伸ばし、
前髪をぐしぐしと撫でてやる。
「あっ……、えへへ」
ヴィオは恥ずかしそうに微笑んだ。

「それにしても、あんな短期間でよくこれだけの仕事ができたな。正直、驚いたよ」
「あ、はい、でも、以前に作って置いておいたのもあったし、全部を一から作った訳じゃ
 ないんですけど」
それから、少し照れたように、
「お仕事、頑張らなきゃって思うんです。お客さんには少しでもいい商品を買ってもらいたいし、
 質の良いアイテムを作って、それを買って喜んでくれたお客さんの笑顔を見ると嬉しいし。
 やれば結果が見えるお仕事ができるって、すごく幸せな事だと思うし」
そう言ってからにんじんジュースを飲んだ。
「ほう」

誰に教わった訳でもなく、『お客様を大事にする』と言う、商売において大切な事を自力で
学んだヴィオに、オッフェンは感心する。
「あと、いいお仕事するとオッフェンさんに誉めてもらえるから。あたし、それがすごく
 嬉しくて。本当に嬉しいんですよ」
「そうか。いい仕事をすれば、俺はきちんと評価してやるからな。頑張れよ、ヴィオ」
「はい!」
月光亭に入った時に見えた疲れは、ヴィオの顔からすっかり陰を無くしていた。
「だが、無理はするな。荷物が重い時は俺が取りに行ってやるから」
「そ、そこまで図々しい事はお願いできませんよ」
ぱたぱた、と両手を振ってみせる。

「気にするな。何だったら、父親代わりに思ってもいいんだぞ」
先日、クリエムヒルトと話していた会話の内容を思い出し、冗談交じりでちらりと言ってみる。
「父親……、父親、ですか」
ふいに、ヴィオは寂しそうな顔をする。
「あ、ああ、ええと」
曇ってしまったヴィオの表情。やはり、遠くへ行っている両親の事が愛しいのだろうか、
特に深い考えもなく『父親』などと言ってしまったのは失言だったかもしれない。
「そうだヴィオ、新しい依頼があるんだが」
オッフェンはその場を取りつくろうように、注文帳を広げた。

「はい、見せて下さい。うーんと……」
すぐに明るい声を出すヴィオを見て、自分の杞憂だったか、とオッフェンは胸をなで下ろす。
「ええと、じゃあ、これとこれとこれ。あと、このお仕事と……」
「おいおいヴィオ、そんなに一気には無理だろう」
客からの依頼が書いてある帳面を見て、上から全てを指さしていくヴィオ。
「大丈夫ですよ。あと、フェスト石の採取と、これとこれもやります」
「ヴィオ」
オッフェンは声を低くして、窘めるような口調を作る。

「無理するな、と言ったばかりだろう。いくら何でも、これだけの仕事をいっぺんに受けるのは
 無茶だ。お前さんも分かっているだろう?」
「できますよ」
そう言うヴィオの声は、少しばかり自信が無さそうだった。
「また、この間みたいに、受けたはいいけれどその日のうちにキャンセル、とか言い出したら
 承知しないぞ」
「……」
くちびるを噛み、うつむいてしまうヴィオ。

「あ、あの……、オッフェンさん」
「何だ?」
「ごめんなさい」
消えそうな声で、小さく頭を下げる。そんなヴィオを見て、オッフェンはため息を吐いた。
「全く、どういうつもりなんだ。仕事を軽く見ているのか? さっき、お客様が喜んでくれると
 嬉しい、って、ヴィオのこの口から言ったばかりだろう?」
そう言って、そっとヴィオの頬に触れると、びくん、と身体をすくめた。
「仕事を受けて、中途半端にして投げ出すのは、一番お客様に失礼な行為なんだぞ、ヴィオ?」
「ご、ごめんなさい……」
震えるヴィオの言葉には、ほんの少し涙声が混じっていた。

「オッフェンさん」
その時、小さな声でクリエムヒルトが彼の名を呼ぶ。
「あ、ああ」
少しばかり言い過ぎた、それを諭され、オッフェンはこほん、と咳をする。
「まあ、次から気を付ければいい。今日の所は、お前さんへの依頼は無しだ」
「でも」
ヴィオの瞳は涙で縁取られ、潤んでいる。
「一晩ゆっくり考えて、頭を冷やして。そして、また明日うちに来い。その時、できる依頼を
 改めて頼む事にするよ。いいな?」

ほんのりと赤くなっているヴィオの頬に当てていた手を離し、そのまま彼女の頭を撫でる。
「はい、あの、分かりました」
頭を撫でてやると、素直に返事をする。
「だったら、そんな顔をするな。おじさんは、いつもにこにこ笑っているヴィオが好きだぞ」
「えっ」
更に頬を赤くするヴィオが、顔を上げる。
「本当ですか?」
「本当だ。だから、元気を出せ。な?」
こくん、と頷くと、ヴィオは両手でぐしぐしと目元をこすった。

「あ、あの、オッフェンさん」
「うん?」
「あたし、お仕事を軽く見てるつもりなんかなくて」
「ああ、それは俺も言い過ぎた。すまん」
ヴィオは首を横に振る。
「いえ、でも結果的にそう言うふうになっちゃったから、ごめんなさい、でも」
ぐすん、と鼻をすすり、たどたどしく続ける。
「あの……、あたし、こう言うと変かもしれないんですけど、あの」
もごもごと口ごもり、通りが悪くなった喉を湿らせる為に、飲みかけのにんじんジュースを
全部飲んでしまう。

「ぷは。あの、ですね」
口元ごしごしとこすり、恥ずかしそうな顔をする。
「何て言うか、オッフェンさんに叱ってもらうと、あの……ちょっとだけ、嬉しいって言うか」
不思議そうな顔をするオッフェンに、慌てて言い直す。
「あの、全然変な意味とかじゃなくて、オッフェンさんに叱ってもらうと、ちょっぴり、ううん、
 すごく悲しくなっちゃうんだけど、でもものすごく頑張らなくちゃ、って思えるんです」
顔を真っ赤にして、上手く言葉にできない思いを何とか形にしようとする。
「だから、ごめんなさい。わざと怒ってもらえるように、依頼を……、ごめんなさい」

仕事を受け、すぐにキャンセルをしていたのは、オッフェンに叱ってもらう為。
「ええと……」
そんなヴィオの気持ちが理解できず、オッフェンは困ったようにうなった。
「うーん」
「ごめんなさい」
申し訳なさそうに肩をすくめてしまうヴィオ。そんな仕草をすると、ただでさえ小さい彼女が、
もっと小さく頼りなくなってしまったように感じる。
「うーん、そう言うものかな」

「……私は、何となく分かるような気がするけれど」
ぽつり、とクリエムヒルトがつぶやく。
「えっ」
「あっ」
「あら、口をはさんでごめんなさい。でも」
釈然としないオッフェン、更に顔を赤くするヴィオ。
「何となく、ヴィオちゃんの気持ちは分かるわ。好きな人に誉めてもらうのも嬉しいけれど、
 叱ってもらうのも、何となく、ね」
クリエムヒルトは、ヴィオに向かって優しげに微笑んだ。

「あああっ、あたし、帰らなきゃ。夕ご飯を作らなきゃいけなかったー!」
がたん、と大きな音を立て、ヴィオがイスから立ち上がる。
「クリエムヒルトさん、さようなら。また来ます」
うつむき、顔を合わせないようにしてオッフェンの方へ空になったグラスを押しやる。それから
オッフェンには挨拶もせずに、慌てて酒場から出て行った。
「……」
「あら。言っちゃいけなかったのかしら」
今更ながら、わざとらしく口を押さえるクリエムヒルト。

「なるほど。俺はやっぱり父親代わり、って訳か。父親代わりに、俺に叱って欲しいんだな」
まだ納得いかないながらも、オッフェンは自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
「どうでしょう。ヴィオちゃんも女の子ですよ」
何かを含んだ目で、クリエムヒルトはオッフェンをちらりと見る。
「ああ、確かに男には見えない」
「そう言う意味じゃなくて……、ふふ」
そう言って、クリエムヒルトは意味深な笑いを口の中にとどめた。


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