● 友達の仮面 ●

 このお話しは、ブリギットEDから、数ヶ月〜1年未満くらい経った後、という設定で書いています。
 すさまじくネタバレなので、ヴィオのアトリエをやってない・ブリED見てない人は読まない方がいいと思います。

 ちなみに、以前書いた「何かを求める心」というお話しの延長上かもしれませんが、
 前のお話しは別に読まなくても大丈夫です。

「ええーっと、突然なんだけど、ブリギットのお店番、解雇させてもらってもいいかな?」
ヴィオラーデンの商品棚をきれいに整頓していたブリギットは、ヴィオの言葉に手を止めた。
「え? え、ええ、あなたの都合ならかまわないけれど」
ゆっくりと振り向くと、ヴィオは少し困ったような笑顔を浮かべている。
「……私、何かまずい事でもしてしまったのかしら?」
「そ、そんな事はないよブリギット、全然だよ」
ぱたぱた、と手を振ってみせる。
「もしかして、私の体調を気遣ってくれているの? 私、もう身体はすっかり大丈夫なのよ、
 あなたがエリキシル剤を作ってくれたから……」


一年ほど前、血の混じった咳を吐き、倒れてしまったブリギット。ベッドに伏せったまま、
身体を起こす事もできなくなった。そんなブリギットの為に、ヴィオは凶暴な怪物や妖精の
住む森の中、陽の当たらないような奥深い場所まで命がけで薬の材料を採取に行った。
錬金術に詳しいアイゼルにヒントをもらい、探したのは滅多に人前に姿を見せる事のない
ふわふわした綿毛のような身体を持つ虫、アルベリヒ。
他にも調合に時間と手間がかかるネクタルや、材料から吟味した秘薬ウロボロスなどを使い、
ファスビンダーの採取場で採ってきた質の良い蒸留石と反応させ、肺の病気を治す為に
有効な効果を持つエリキシル剤を作り上げた。

そのエリキシル剤を病気でやつれきったブリギットに与え、数週間後。ブリギットは
小さい頃からのかかりつけの医者も驚く程に回復した。全くと言っていいほど咳の発作も
出なくなり、顔色も明るく、くすんでいた髪の輝きも増し、食欲も出て身体も健康になった。
何より一番変化があったのは、ブリギットの心だった。不治と言われる病気を抱え、ずっと
不安感と恐怖、悲しみを背負って生きてきたブリギット。病気の辛さと向き合う事ができずに、
自分の周囲に対して意地を張り、誰に対しても攻撃的な、高飛車な態度を取り続けていた。
彼女の病気が良くなるにつれ、心の中のわだかまりはゆっくりと消え去っていく。それと同時に
沸き上がってくるのは、辛かった時に自分に優しくしてくれた人達に対して取ってしまった
不作法な振る舞いへの後悔。

一番申し訳なく思ったのは、ブリギットの病気を治す薬を与えてくれたヴィオに対してだった。
カロッテ村に来たばかりのブリギットは、知らない場所で独りで暮らさなければいけない、
そんな寂しさや不安を紛らわす為に、田舎者だの世間知らずだの、思いつく限りの罵倒を
ヴィオに浴びせ、八つ当たりをした。
しかし、そんなブリギットに、ヴィオはいつも優しく接してくれた。病気が治ったブリギットは
せめて感謝の気持ちだけでも伝えたいと、美しい花であふれるプランターをヴィオラーデンに
持っていった。受け取ってもらえなくても仕方がない、捨てられてしまってもしょうがない、
そう思ったが、ヴィオは眩しい程の微笑みで、そのプランターを手に取ってくれた。
次の日、ブリギットがそっとヴィオラーデンの店先を見に行くと、プランターは一番陽の当たる
場所、お客様の目に留まる場所に置かれていた。その後も丁寧に手入れをされているプランターを
見て、ブリギットはヴィオを友達、親友だと思ってもいいのだ、という事にやっと気が付いた。

自分の方から店番や護衛を申し出ると、ヴィオは嬉しそうな顔をしてくれた。せめて今までの
無礼な行いの償いをしようと、ヴィオの役に立てる事ならブリギットはできる限りに頑張った。
自分の持っている知恵や商売の知識を活用してヴィオに有用なアドバイスをしたり、手が
空いた時にはヴィオに習った通りに掃除をしたり、香りの高いお茶を淹れてヴィオの疲れを
癒してあげたりと、まめまめしく働いていた。
特に失敗をしたり、ヴィオの気に障るような事はしなかった筈だ。それなのに、何故急に
ヴィオが解雇を申し出て来たのか、ブリギットにはさっぱり見当が付かなかった。


「ブリギットの身体、本当に良くなったよね。良かった」
ヴィオの声が、ぼんやりとしていたブリギットの意識を引き戻す。
「もう本当に大丈夫なのよ……、まあ、あなたにはあなたの都合があるんでしょうし、
 私を解雇したいと言うのなら逆らわないけれど」
釈然としない気持ちのまま、ブリギットはヴィオの申し出を承諾する。
「うん、ごめんね。でも、ブリギットが元気になってくれて、あたし、本当に嬉しい」
ふっとヴィオがうつむく。顔を下げる前に一瞬見えたヴィオの瞳は、何故だかとても
寂しそうに思えた。
「今まで本当にありがとう、ブリギット」
「ええ、こちらこそ、ありがとう」
ヴィオが顔を上げ、にっこりと微笑む。その笑顔は何だか不自然な感じがした。

どうにも腑に落ちない思いを抱えながら、ブリギットはヴィオラーデンのドアを出た。
月光亭の前を通り、村長の屋敷がある広場に差しかかると、ふとそこで足を止め、周りに
建っている豪華な屋敷や建築中の現場を見渡す。
(工事……、ずいぶん進んできたわね)
ヴィオが『カロッテ村を発展させる!』と、彼女の両親と約束してから五年以上の月日が流れていた。
(それにしても、ヴィオラートのご両親はずいぶんと厳しい考えをお持ちなのね)
ヴィオの『村おこし』、彼女や村長、村人が一丸となったチャリティーオークションなどの
イベント、ヴィオ自身のお店の評判も相まって、カロッテ村には首都ハーフェンにも匹敵
するくらい、いやそれ以上の人々が出入りするようになっていた。

しかし、遠い街から帰ってきたヴィオの両親が発展したカロッテ村を一目見るなり娘に
言い放ったのは、『お前も努力はしたようだが……、これではとても認められない』と言う、
信じられないような否定の言葉。
驚き、悲しみのあまり言葉を無くしているヴィオを無理矢理遠くの街へ引っ張っていこうとした
彼女の両親を止めたのは、ブリギットの言葉だった。
『カロッテ村は、充分すぎる程大きな街になりました。これでもご不満だと言うのなら、
 私の家……、ジーエルン家が出資して、この村を更に発展させてご覧にいれますわ!』
差し出がましいのは分かっていたが、ヴィオを遠い所、二度と会えないような場所に連れて
行かせる訳にはいかなかった。ブリギットはその後すぐにハーフェンの父親の元に出向くと、
カロッテ村に資金や人材の投入を要請した。

ハーフェンに住んでいた頃に父親を通じて顔見知りになっていた幾人もの資産家を屋敷に招き、
カロッテ村の今後の展望、早期に土地を確保しておく事の重要性を事細かに説明する事もした。
小さい頃から身体が弱く、家に閉じこもりきりになっていたブリギット。気晴らしと言えば
医者が許す範囲での監視付きの庭での運動と、父が持っていた経営学の蔵書を読みあさる
くらいしかできなかった。
(でも、あの時の勉強が、こんな事に役立つなんて)
村長が自分の屋敷の前に立てた、カロッテ村を訪れる人の数をやけに詳しく掲示した立て札。
新しくできた店の商品の品揃えの傾向、ヴィオラーデンを訪れるお客様の性別や年齢のデータや、
来店頻度、使っていく金額。
それらを詳しく分析し、緻密かつ分かりやすいデータにして、いかに今後のカロッテ村への
投資が有益であるかを語りかけた。

最初は『名家のお嬢様の気まぐれに付き合う』、『若く美しい娘と気軽に楽しくおしゃべりを
しに行く』程度の興味しか示さなかった資産家達も、具体的なデータに裏付けられた話しを
聞いているうちにだんだんと乗り気になっていく。
実際にハーフェンの街でも、カロッテ村の錬金術師が作る不思議で質の高いアイテムが
量販店を通じて高値で取り引きされている事は周知の事実だった。加えて、カナーラント
随一を誇る竜騎士隊の精鋭ローラントが軍事拠点においてのカロッテ村の重要性を度々
騎士団長に報告していた経緯もある。錬金術師によって村のそばに文化的に重要な遺跡が
発掘された事もあり、街の学者の興味もそちらに向いていた。
それらの背景を総合すると、カロッテ村への出資が巡り巡って自分達の懐を増やす結果に
なるのは目に見えて明白である。

資産家達の熱意が冷める前に、ブリギットは彼らをカロッテ村へと案内した。きれいに舗装
された道の脇にあるまばらに空いた土地。そこに目を付けた資産家は、自分の経営する店の
支店をカロッテ村に作ったり、まだまだ美しい自然が残る村に別荘を建てる計画をした。
ヴィオによって発展したカロッテ村は、ブリギットの手によって更に大きな街へと育ちつつある。
ブリギット自身も、そう遠くないうちに、カロッテ村に自分の店を持ちたいと思っていた。
(自分でデザインした、ドレスやアクセサリーのお店。そんなお店を作るのが、私の夢だったのよ)
しかし、今はヴィオラーデンのお手伝いをするのが楽しい。
(……楽しかった、と言うべきかしらね)
ふう、とため息をつき、ブリギットは自分の家へと足を向けた。

◆◇◆◇◆

「ええと……、そうだわ、お茶請けを買いに行こうかしら。ついでに、ハーフェンの実家から
 送ってきた新茶をヴィオラートに持って行ってあげましょう」
午後のお茶の時間。お茶菓子が何も無い事に気付いたブリギットは、ヴィオラーデンに
買い物に行く事にした。
「伝統ケーキかチーズケーキがあればいいのだけれど」
質の良い紅茶の入った缶を持ち、ブリギットは彼女の家を出る。
「あら?」
もう、名ばかりになっている中央広場。そこに差しかかったブリギットは、長く濃い色の髪、
緑色を基調にした服を着ている少女の後ろ姿を見かけた。

「ヴィオラート! 今、あなたのお店に行こうと思っていたのよ」
はしたないと思いつつ、大きめの声を出す。
しかし、少女は、さっと建物の陰へと隠れてしまった。
「……?」
発展したカロッテ村には、大勢の見知らぬ人々が日々立ち寄り、去っていく。その中に、
ヴィオと似ている服を着た髪の長い少女がいてもおかしくはないだろう。
(でも、今のは確かにヴィオラートだった筈よ……?)
まさか、親友の姿を見知らぬ誰かと間違える事はない。

首をかしげながら、ブリギットはヴィオラーデンの中へ入った。
「よう、久しぶりだな!」
店のカウンターから声をかけて来たのは、ヴィオの兄、バルトロメウスだった。
「ご無沙汰しております。今日はお買い物に来たのですけれど、ヴィオラートは……」
店の中を見回すが、ヴィオの姿はない。
「ああ、あいつなら、クリエムヒルトさんの店に材料買い出しに行くって、つい今さっき
 出てったとこだ。井戸の前辺りで会わなかったか?」
「いえ、会いません……でしたけれど」
では、自分の声を聞いて逃げてしまった少女、あれはやはりヴィオだったのだろうか。

「ヴィオに用事か? 悪かったな」
「いえ、実家からお茶をもらったので、それを差し上げようと思っただけですの。それと、
 ケーキを頂いていきますわね」
「いつも悪いな。……ええと、お前さんには特別にサービスだ。ヴィオと、他の人には
 ナイショだぜ」
普段、どんなお客様に対しても絶対に値引きなどした事がないバルテルが、ブリギットの
選んだ伝統ケーキの値をちょっぴりオマケしてくれた。
「ええっ、いいんですか?」
「ああ、お前さんはヴィオの親友だからな。俺に似ないでバカな妹だが、これからも
 よろしくめんどう見てやってくれ」

「はい……、分かりました」
言葉に表せない、複雑な思いを抱えながらも、ブリギットはお辞儀をする。
「あの、これ。ヴィオラートにお渡し頂けますか」
それからバルテルにお茶の缶を渡すと、ヴィオが作ったケーキを持って家に帰った。
自分の部屋で一人きりで食べる伝統ケーキは、どこか味気なく思えた。

◆◇◆◇◆

「……いったい、どうしたって言うのかしら」
ブリギットは自分の部屋の椅子に座ってため息を吐いた。
自分の声を聞いて逃げてしまったヴィオラートを見てから、数週間が経った。ブリギットは
足繁くヴィオラーデンや月光亭に通ったが、何故かヴィオと顔を合わせる事ができなかった。
「私、避けられて、いるの?」
自分がその場所に行くほんの一瞬前にヴィオがいた形跡を見つけた事も何度もあった。
バルテルに伝言を頼んでも、ヴィオからはまともな返事が返ってこなかった。
「私、ヴィオラートに嫌われるような事をしてしまったのかしら」
どこの街へ行っても、誰と会っても明るく挨拶をして、元気に話しをするヴィオ。彼女が誰かを
嫌っている所など、ブリギットは見た事がなかった。

そんなヴィオに、自分は嫌われてしまったのだろうか。
「ヴィオラートの事、親友だと……友達だと思っていたのは、私だけだったのかしら」
ブリギットの透き通るような肌に、一粒涙が落ちる。
病気を患っていた時の青白いものではなく、慎ましやかだが健康的な明るい肌の色。しかし、
肌の上を滑り落ちていく涙は、病気が辛くてこぼれてしまった時のものと同じく、重くて苦かった。
「病気が治って、今度こそ幸せになれると思っていたのに。私、ヴィオラートと一緒に
 いられれば幸せだと思っていたのに、そんな事も許されないの?」
見ているだけで、胸の奥からあたたかな幸福感があふれてくる、ヴィオの眩しい笑顔。その笑顔が、
二度と自分に向けられる事は無いのだろうか。

「私、どうしたらいいのかしら」
ブリギットはゆっくりと椅子から立ち上がった。部屋の中央に置いてある、ピンク色の
うさぎのぬいぐるみのそばまで歩いていくと、そこにぺたりと座り込む。
「うさこ。うさこちゃん。私は、どうしたらいいの?」
うさぎのぬいぐるみをきつく抱きしめると、濡れた顔をうさぎに強く押し付けた。
「……」
肩を丸めたまま、しばらくそうしている。
「……決まっているわ。ヴィオラートの気持ちを確かめに行かなくてはね」
やがて、ぽつりとつぶやいた。

うさぎのぬいぐるみを抱いたまま、立ち上がる。
「このまま、ウジウジしながらみじめに泣いているなんて、私らしくないわ」
クッションの上に優しくうさぎを座らせ、涙で濡れた顔を洗いに行く。冷たい水で気分を
しゃっきりさせて部屋に戻ると、鏡台の前へ座る。
「私は、自分のしたい事が何でもできる」
鏡に映る自分を見つめながら髪のリボンをほどく。軽く頭を振ると、しなやかな金髪がふわりと揺れた。
「私は、何でもできるんだわ。ヴィオラートに……」
ヴィオの名前を口に出すと、じわり、と目元が熱くなる。ブリギットはくちびるを噛み、
滲みそうになる涙をこらえた。

「ヴィオラートに、何でもできる健康な身体をもらったから」
ブラシを取ると、髪の下の方から丁寧にとかしていく。
「だから、私はヴィオラートに会いに行くのよ。大好きなヴィオラートに」
そう口に出して、はたとブラシの動きを止める。
「そうね。私は、ヴィオラートが……、ヴィオラートが大好きなんだわ」
自分の言葉を聞いて、改めて自分の気持ちを確認する。
「私の身体の健康も、ごまかさずにヴィオラートの気持ちを確かめに行こうと思う勇気も、
 みんなあなたにもらったのよ、ヴィオラート」
ゆるく握った左手の中に、ブラシで丁寧に髪を集めていく。

「もう、昔みたいに、辛い思いを抱えてひとりぼっちで泣いてる私じゃないもの」
鏡の中の自分に言い聞かせるように。
「もし、ヴィオラートが、私の事を嫌いに……なったと言うなら……」
髪をまとめた手が止まり、小さくなる声が不安げに揺れてしまう。
「……やめましょう。分からない事について、あれこれ否定的な考えを巡らせても仕方がないわ」
ブリギットは、きつく目を閉じ、そして開いた。片手で髪を持ったまま、もう片方の手で
鮮やかな青い色のリボンを取る。暗い方向へと傾いてしまう思考を断ち切るように、髪に
巻き付けたリボンをきつく引っ張る。
リボンの長さを左右整え、蝶結びを作る。長の羽根に当たる部分を左右にぴんぴん、と引っ張り、
形を整える。

「良し」
気合いを入れると、ブリギットは椅子から立ち上がった。
「行ってくるわね、うさこちゃん」
部屋を出る前に、うさぎのぬいぐるみに挨拶をする。
「……もし駄目だったら、慰めてちょうだいね」
うさぎに向けたブリギットの微笑みには、少しだけ悲しそうな表情が混じっていた。

「普通に店を訪ねて行っても、またヴィオラートには逃げられてしまうかもしれないわ」
ヴィオラーデンへと向かう途中、ブリギットはヴィオを捕まえる方法を思案する。
「こそこそしているみたいで嫌だけれど、窓の外から中を見て、ヴィオラートがいる事を
 確認してから店に入りましょう。ヴィオラートが一人になった時を狙えればいいのだけれど」
できれば第三者、バルテルやロードフリードにさえも話しを聞かれたくない。
「ヴィオラートに会ったら、まず、何を言えばいいのかしら。ええと」
村長の家の前の広場、きれいに整った水路の手すりの縁に立ち止まり、思案する。
(私がカロッテ村に来た時には、ただの小川だったのに)
当番を決めなくても、元からカロッテ村に住んでいた住人、新しく村に移り住んできた人達が
代わる代わる清掃をしている手すりは、ほこりも無く美しい。
(みんな、カロッテ村の事が大好きなのね)
ブリギットは、きれいな手すりに手を滑らせた。

「そうね……、まず、普通に『ご機嫌よう』と挨拶をしてからお茶を淹れてもらって、座って
 落ち着いて話しをしましょう」
キッチンを使わせてもらえるなら私がお茶を淹れてもいいけれど、と小さくつぶやく。
「話しはどう切り出せばいいのかしら。『私の事、嫌っているの?』……これではあまりに
 唐突すぎるわね」
顎に指を当て、空を見つめる。
「『最近ご無沙汰していたけれど、お元気かしら』……、そうね、こんな感じで行きましょう。
 それからお店の様子を聞いて、その後に話しを切り出せばいいわ」
うんうん、と頷く。
「もし会話が続かないようだったら、お天気の話しをしてもいいし。とにかく、頑張らなくては」
くじけそうになる気持ちを励ましながら、ブリギットはヴィオラーデンへと足を向けた。

中央広場に着いたブリギットは、酒場の建物の影に隠れるようにしてヴィオラーデンの方をうかがった。
「あっ」
ヴィオラーデンの玄関を飾る、自分がプレゼントしたプランターにふと目を留めたブリギットは
驚きのあまり声を上げてしまった。
今までヴィオの態度ばかりに心を乱されて、店の様子など気にかける事もしなかったが、
改めて見てみるとプランターはきれいに磨かれていて、泥はね一つ付いてはいない。
植えられている花にも水がたっぷりと与えられているらしく、美しい花弁とつやつやした
濃い緑色の葉が咲き誇っている。
「私の事が嫌いになったのなら、プランターも捨ててしまえばいいじゃないの」
ブリギットの足が小さく震え出す。自分の震えを押さえる為に、ブリギットは自分の身体を
きつく抱きしめた。

「何故? 何故なの、ヴィオラート?」
ブリギットの事は避けているくせに、彼女がヴィオラーデンに持ってきたプランターは
丁寧に世話をしているヴィオ。
「私、あなたが何を考えているのか分からないわ」
震えが治まると、ブリギットはゆっくりと深呼吸をした。
「……分からないから、それを聞きに来たんだったわね」
不安に苛まれた心は、取るに足りないような事柄にも揺らいでしまう。そんな気持ちを
押さえ付けながら、ブリギットはそっとヴィオラーデンへと向かった。

店の中に入ろうと思ったが、どうしてもヴィオラーデンの正面玄関へ足が向けられない。
「取りあえず、外から店の中の様子を見てみましょう。ヴィオラートがいるかどうかも
 分からないものね」
いきなり店に入ってヴィオと顔を合わせてしまったら、どうしていいか分からない。
今更ながら弱気になってしまうブリギットはそっとヴィオラーデンの脇へと回った。
「どうかしら……」
店の横の壁にある窓から、そっと中をうかがう。
「ヴィオラート!」
店の中のカウンターにはヴィオとバルテル、カウンター越しにはカロッテ村の村長の娘、
クラーラがいた。三人はヴィオが作ったとおぼしいアイテムの前で、身振り手振りを交え
楽しそうに笑いながらおしゃべりをしている。

「……どうして?」
本来なら、あそこに自分もいる筈なのに。ヴィオの隣りで笑いながらお店番をしている筈だったのに。
「どうして、私だけを仲間はずれにするの? ヴィオラート」
見ているだけで心があたたかくなってくるヴィオラートの笑顔。しかし、無機質なガラス窓越し、
外から見るその笑顔は、逆にブリギットの心を冷たくしていく。
「私も、あなたと一緒にいたい。あなたのそばにいたいのよ」
ブリギットはきつくくちびるを噛み、ただ店の中を眺めていた。

やがて、クラーラがお辞儀をして店を出て行くそぶりを見せた。すると、バルテルがクラーラの
買った商品を持ち、彼女と一緒に外へ出るような仕草をしている。
仕方ないなあ、とでも言いたげなヴィオを残し、バルテルとクラーラは店を出て行ってしまった。
店の中にぽつん、と残されたヴィオは、錬金釜の方へと歩いていく。
「ヴィオラートが、一人になったわ。今なら」
せっかくのチャンスが訪れたと言うのに、足がこわばって動かない。
「……しっかりしなさい、ブリギット!」
ブリギットは両の手の平で自分の頬をぴしゃりと叩くと、重い足をひきずり、玄関へと向かった。

閉じられたドアに手をかける。
「この扉、こんなに重かったかしら」
そう思いながらドアを開けると、からん、と涼やかなベルの音が響く。
「いらっしゃいま……」
ベルの音を聞きつけ、振り向きながらにこやかに挨拶をするヴィオの表情が凍った。驚いた、
ばつの悪そうな顔をゆっくりと背ける。その仕草を見た瞬間、ブリギットの心が弾けた。
「ヴィオ……ラート……、何故、私を無視するの」
家からここに来るまでに考えてきた、ヴィオに話そうと思ったあれこれは全て消し飛んでしまう。
「私の事が嫌いなら、はっきりそう言えばいいじゃない。こんな……こんな、私を無視するような
 事しなくても、あなたが私の顔を見たくないならこの村を出て行くわよ!」

(私、こんな事言う筈じゃ……)
病気が治ってからは、カロッテ村を出て行く、なんて考えた事もなかった。それなのに、
激しい言葉があふれ出してしまう。
「私なんか、ここにいない方がいいんでしょう? ヴィオラートは、私の事が嫌いなのよね?」
そう言って、ブリギットはヴィオを睨み付けた。
「……」
少し青ざめた顔のヴィオは、口を開きかけたがすぐに閉じてしまう。
「何? 言いたい事があるならはっきり言いなさいよ。こそこそ逃げるような真似はしないで、
 私の事が嫌いだったら、はっきりそう言ったらどうなの?」
「嫌いなんかじゃ……、嫌いなんかじゃないよ、ブリギットの事」
ヴィオの全身がかたかたと震えている。青白く見える頬に、涙が落ちる。

「嫌いなんかじゃない、好きだよ、あたしブリギットの事大好きだよ! だから、村から
 出て行くなんて言わないで!」
「ヴィオ……ラート……?」
わあわあ、と泣きながら、ヴィオはブリギットに飛びついてきた。
「あたし……、あたし、ブリギットがいなくなったら嫌だよ、だからお願い、どこにも
 いかないで! あたしの事、嫌いにならないで!」
しっかりとブリギットに抱き付いて、ヴィオは泣きじゃくる。
「な、何、よ……、私、てっきり……私、あなたに嫌われたのかと……、だから私のお店番を
 解雇して、私と顔を合わせないように、したんじゃなかったの?」
喉を詰まらせながらも、ブリギットは抱えていた疑問を口にする。

「違うよ……、あたし、あたし、ブリギットのお友達になる資格なんかないから」
「資格? 資格がないって、どういう意味なの」
ブリギットの質問は、ヴィオの涙声にかき消される。
「あたしなんかブリギットのそばにいるのにふさわしくないからって、そう思って、
 でもあたし、本当は」
ブリギットの身体にしがみついているヴィオの手に力が入る。
「あたし、本当はブリギットに会いたかった……、ブリギットとお話ししたかった」
嘘偽りのかけらはみじんさえ感じられない、明らかに本心を素直に語っているヴィオの言葉。
その言葉を聞いた瞬間、ブリギットの心にわだかまっていた、もやもやとした黒い気持ちが
ゆっくりと溶け出し始めた。

「……馬鹿ね、ヴィオラート」
ブリギットはにっこり微笑むと、ヴィオの身体に腕を回し、小さく震えている彼女を抱きしめた。
「ごめん、ね。ごめん、ブリギット」
ぐすん、と大きく鼻をすすり上げるヴィオの背中を、ブリギットはぽんぽんと優しく叩いてやる。
「本当に馬鹿なんだから、あなたは」
「うん、ごめん、なさい」
「あなたは、私がそばについていないとダメなのよ。ね?」
「うん……」
ブリギットの腕の中でしっかりと頷く。
「……私も、あなたのそばにいないとダメなのよ」
その言葉に、ヴィオは濡れた顔を上げた。

「会いたかったの。寂しかったのよ、私」
わなわなと震えているブリギットのくちびる。頬には大粒の涙が落ちている。
「会いたかったんだから。本当に会いたかったんだから」
「ブリギット……」
「本当に、本当に、私」
「うん……、うん」
今度はヴィオがブリギットを抱きしめる。
「こんな思いはもう嫌よ。もう二度と、私に寂しい思いをさせないで」
「分かった、ブリギット。ごめんね」
「ヴィオ、ヴィオラート……、好き。あなたが大好きよ」
「あたしも、ブリギットが大好きだよ」
お互いの涙が止まるまで、しばらくの時間がかかった。

「……お客様が、入ってこなくて、良かったわ」
ようやく泣きやんだブリギットが涙で濡れた頬をこする。
「そ、そうだね」
ヴィオはぐすん、と鼻をすすり上げた。
「ヴィ、オラート、あなた目が真っ赤よ」
涙は止まったものの、落ち着かない呼吸をしているブリギットはきれいなハンカチを出すと、
それで優しくヴィオの顔を拭いてやる。
「ブリギットだって……よし、もう今日はお店、お終いにしちゃおう」
「いいの?」
「うん、だって、こんな顔、お客様に見せられないもん」
小さく舌を出し、困ったような笑顔を浮かべる。

「ちょっと待っててね」
うつむき加減になり、片手で顔を隠したヴィオはぱたぱたとドアの方へ走っていく。身体半分を
ドアに隠したままで外へ手を伸ばし、店の営業を案内するプレートを『閉店』に掛け替えると、
すぐにブリギットの方へ戻ってきた。
「これで良し。ね、ブリギット」
「なあに?」
「あたし、ブリギットの淹れてくれたお茶が飲みたい。……いいかな?」
甘えるように首をかしげる。
「ええ。その代わり、私はあなたが作ったケーキが食べたいわ。いいかしら?」
「もちろんだよ!」
まだお互いのまつげは涙で濡れているが、にっこりと笑い合う笑顔は屈託なく、晴れ晴れとしていた。

ブリギットは店番を手伝っていた時と同じように、無駄とためらいの無い動作でやかんに
お湯を沸かす。いつもお茶の葉を置いている棚を開けると、先日バルテルに託したお茶の缶が
置いてあった。その缶を手に取りながらヴィオの友情を疑っていた自分を思いだし、もう
ほとんど残ってはいない不安感を払うように首を振る。
「あら?」
缶のフタを開けると、お茶の葉はほぼ手つかずと言っていい状態だった。
「このお茶、お口に合わなかったかしら?」
「えっ、ううん、そんな事無いよ!」
プチ氷室からとっておきらしいチーズケーキを取り出しながら、ヴィオが慌てて否定する。
「だって、あまり減っていないわよ」
「そのお茶、とっても美味しくて……すごく高級そうだし、もったいなくて、少しずつ飲んでたの」

「美味しかったら、どんどん飲んでくれて良かったのに」
「だって、ブリギットにもらった大切なお茶だし」
テーブルの上にケーキを置いたヴィオが、取り皿とナイフ、フォークを取りに流しに来る。
「えっ、そんなに葉っぱを入れるの?」
温めたポットの中にお茶の葉をたっぷり入れているブリギットを見て、少し驚いた声を上げた。
「これくらい入れた方が味が出るのよ。それに、このお茶気に入ってくれたのなら、
 飲み終わったらいつでも新しいのをあげるから」
沸いたお湯をポットに注ぎ入れてフタを閉め、ふきんをかけて保温しながら葉を蒸らす。
そのポットとカップ、こまごました食器をトレイに乗せ、テーブルへと運んだ。
「二人で半分こね」
ヴィオはチーズケーキにナイフを入れる。四等分にして、扇形を二つずつ取り皿に乗せた。

「お茶も、そろそろいいかしら」
ブリギットはポットを覆っていたふきんをとると、自分のカップに少しだけお茶を注ぐ。
色と香りがしっかり出ているのを確認し、二つのカップに交互にお茶を淹れた。
「わあ、すっごい良い香り。やっぱりブリギットが淹れると違うんだなあ」
ヴィオはカップに顔を近付け、お茶の良い香りを吸い込むとやわらかく微笑んだ。
「あなた、入れてるお茶の葉の量が少ないんじゃないの? お茶の葉を入れる前にポットを
 温めてる? それに、お湯をポットに注いでからちゃんとふきんで保温しているの?」
「してない。何かめんどくさくって」
「それだけでもだいぶ違うのよ。もう、めんどくさがっていたら、いつまでも美味しいお茶は
 淹れられないわよ」

「うん、美味しいお茶はブリギットに淹れてもらうからいいや。その代わり、あたしは
 美味しいケーキを作るから、いいでしょ?」
ケーキ作りには自信があるらしく、ふふん、と得意そうに笑う。
「そうね。それでちょうど役割分担、って事になるわね」
目を合わせ、同時に軽やかな笑い声を上げる。
「じゃあ、美味しいお茶が冷めないうちに、美味しいケーキを頂きましょうか」
お茶を淹れたカップをソーサーに乗せ、それをテーブルに置いた。
「はーい。あ、あたし、ブリギットの隣り」
ヴィオは椅子を動かし、二人で並ぶ位置に直してからそこに腰を下ろした。
「えへへ」
すぐに隣りにブリギットが腰かけると、ヴィオはくすぐったそうに微笑む。

「何か、嬉しい」
「ええ、私も嬉しいわ」
ほんの他愛のない会話、それをまたヴィオと続けられる。これからも彼女と一緒に日常を
過ごす事ができる。そう思うだけで心があたたかい気持ちで満たされていく。
「本当に、嬉しい。じゃ、いただきます」
「うん、いただきまーす」
ブリギットは小さくお辞儀をすると、ケーキにフォークを入れた。
「……美味しい」
ケーキを一切れ口に運んだブリギットは、とろけるようなため息をついた。

「お茶も、すごく美味しい。やっぱりブリギットが淹れてくれたお茶が一番」
ヴィオも香り高いお茶を口に含んでから、幸せそうにつぶやく。
「あの……、あのね、ヴィオラート」
濃厚なチーズの味を、さっぱりとしたお茶で流したブリギットは、ためらいがちに声をかける。
「ん?」
「さっき、あなた、私の友達になる資格なんかない、って言ったわよね。あれはどういう事なの?」
何も、美味しいお茶とケーキを頂いている時に口に出す話題ではないのかもしれない。それでも
ブリギットはどうしてもヴィオに尋ねたかった。
「あ、あの、えっと、それは……」
口ごもってしまうヴィオに、ブリギットは言葉を続ける。

「私、何かあなたの気に入らない事をしたの? それとも、あなた何か悩みでもあるの?」
「ううん、別に、そんな事はないけど」
歯切れの悪いヴィオに、ブリギットは多少おおげさとも思えるくらいの表情で笑いかけた。
「何かあるなら私に話してごらんなさい。だって、私とあなたは親友なのよ? もう、資格が
 どうこう、なんて関係ないくらい、仲良し。そうでしょう?」
先ほど、ブリギットの胸の中で泣き崩れてしまったヴィオ。普段の明るく朗らかな姿からは
想像できないくらいに弱々しく震えていた彼女の細い肩。
「あなたが、何の悩み事も無しに涙を流すなんて、親友の私には考えられなくてよ」
ヴィオの気持ちを少しでも軽くしようと、ブリギットはわざといたずらっぽい口調を作る。

「ブ、ブリギット、あたし」
ヴィオが自分に対して取っていた不自然な態度は、ヴィオの自信の無さから生まれたもの。
自分の病気に引け目を感じ、弱い心を隠す為にずっと周囲に強がりを見せ続けていたブリギットは、
やっと今その事に気付いた。
「私も馬鹿ね。私がもう少ししっかりしていれば、あなたの悩みにもっと早く気が付く事が
 できたかもしれないのに」
ヴィオが、理由も無しに誰かを嫌う筈がない。ましてや親友である自分を。
分かっていた筈なのに、いつも、誰にでも元気に振る舞って見せるヴィオの真意を見抜けなかった。
辛い病を抱え、荒んだ心をごまかす為に付けていた、見かけ倒しの偽りの仮面。それを外させ、
さらけ出されたもろい自分を丸ごと認め、包みこんでくれたヴィオラート。
(今度は、私があなたの仮面を外して、あなたを包みこんであげる番だわ)

「……ごめんなさいね、ヴィオラート」
「えっ、何で? ブリギットが謝る事ないよ、あたしの方こそ……」
ヴィオはフォークをお皿に置いてから、ブリギットの腕にそっと触れる。
「あたしの方こそ、ごめんなさい」
「駄目よ。いくら謝っても、許して差し上げられないわ」
つん、とそっぽを向いてみせる。
「ええっ!?」
「あなたの悩みを全部話してちょうだい。そうしない限り、私はあなたを許さなくてよ」
すぐにヴィオの方に向き直り、彼女の手に自分の手を重ねてからにっこりと笑う。

「話せば、楽になる事だってあるのよ。私の病気だって、あなたに話して、あなたが楽に
 してくれたでしょう? だから」
ヴィオの手を、強く握る。
「だから、今度は私が、あなたの力になりたいの」
真っ直ぐに、ヴィオの瞳を見つめる。
「ブリギット……」
ヴィオの瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
「うん。あのね」
ぐすっ、と鼻をすすってから、ヴィオはぽつりぽつりと話しを始めた。

「あたし、何か、自信なくなっちゃって」
ゆっくりと、せかす事なく。ブリギットはヴィオの話しに相づちを打つ。
「ブリギットは、何でもできてすごいなあって。それに比べて、あたしなんか、って思っちゃったら」
うつむいてしまうヴィオの声が震えている。ブリギットはヴィオの頭に手を伸ばし、そっと
長く濃い色の髪を指で梳いた。
「あなただって、何でもできるじゃない。お料理だって、お洗濯だって。お掃除の仕方だって、
 私あなたに教えてもらったでしょう?」
ブリギットの手をはらわないように、ゆっくり。ヴィオは左右に首を振った。
「それに、お店だって経営しているし。何より、あなたは錬金術が……」
「錬金術なんて、駄目だよ!」
突然のヴィオの大声に、一瞬ブリギットの手が止まる。

「錬金術なんて、あたしの錬金術なんて駄目だよ。何の役にも立たないじゃない。村おこし
 だってできなかったじゃない。あたし、あたしは……」
ヴィオの瞳から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれる。
「村おこし? だって、あなたは立派にやり遂げたわ。この村、今のカロッテ村をごらんなさいよ。
 もしかしたらハーフェンより大きな規模になっているかもしれないわよ?」
「だって、だって」
ヴィオは手の甲で乱暴に頬に流れる涙をぬぐう。
「ファスビンダーや、ホーニヒドルフまで。カロッテ村の何が有名なのか、カロッテ村が何て
 呼ばれているのか、みんなが噂してるのを聞いた事があるでしょう? 『錬金術の村』よ」
「でも、だって」

「それに、あなたの作った道具の複製品が、ハーフェンでどれだけ人気になってるか知らないの?
 売り切れたら入荷待ちなのよ。それに、遠くからあなたの作った品物を買いに、たくさんの
 お客様が来て下さってるじゃない」
「そう、だけど……、でも」
ぐっと息を飲み込み、ちくちくとしたトゲで覆われたイガを吐き出すかのように辛そうな
表情で、ヴィオは次の一言を口にした。
「でも、あたしのお父さんとお母さんは、認めてくれなかった」
「……」
とっさにヴィオにかける言葉が見つからず、ブリギットは身体を固くこわばらせた。

「あたしの事、駄目だって。こんなんじゃ全然、駄目だって。あたしがずっとやって来た事、
 頑張って来た事、……む、無駄だって……」
がたん、と大きな音を立て、ブリギットは椅子から立ち上がった。そしてすぐ、弱々しく
肩を震わせているヴィオの後ろに立つと、彼女を背中から抱きしめる。
「ねえブリギット、あたし、頑張ったんだよ? できる限りの事はして、村だって、立派に
 なったと思ってたのに。それなのに」
「ええ、ええ。あなたは頑張ったわ。それは、私が一番よく知ってる」
ブリギットはヴィオの頭に頬を寄せた。
「でも、あたしなんか全然駄目だったんだよ。今のカロッテ村だって、村を発展させたのは
 ……あたしじゃなくて、ブリギットだもの」

「……ヴィオラート」
ブリギットはヴィオから身体を離した。
「ブリギット、痛いよ!」
それから、ブリギットらしくない少し乱暴とも思える仕草でヴィオの腕を掴むと、彼女を
無理矢理椅子から立ち上がらせる。
「ヴィオラート。あなたの目は、いつからそんなに曇ってしまったの?」
ヴィオに自分の方を向かせ、彼女の両肩をきつく掴み直す。睨むような強く厳しいまなざしで、
彼女の顔をじっとのぞき込む。
「……?」
「このカロッテ村が、今のカロッテ村が、例えばハーフェンやメッテルブルグに比べて、
 どこに引けを感じると言うの? 思いつくなら言ってごらんなさい」

「あの、だって、どこの街からも遠いし」
「それでも、いくらだって人はやってくるわ。遠くても魅力のある村なのよ」
「流行……にも、疎い気がするし」
「最近ハーフェンで自然石をお守りに持ち歩くのがブームになっているのだけれど、あれは
 カロッテ村のヴィオラーデンが火付け役らしいわよ。流行に疎いどころか、カロッテ村が
 情報の発信地になってるのよ」
数ヶ月前、ブリギットやロードフリードと共に採取場で色や形のきれいな石を集めまくり、
それをお店で売りさばいていた覚えのあるヴィオは、言い返す言葉がなかった。
「名産、って言うか、村が誇れるものも、思いつかないし」
仕方なさそうに、もごもごと口の中でしゃべる。

「あなた、にんじんの食べ過ぎで頭までにんじんになってしまったの? あなたの首の上に
 乗っているこれは、にんじん頭なの?」
ことさら驚いたような顔を見せ、こつこつ、とヴィオの頭を軽く叩くブリギット。
「頭までにんじん、って、ブリギットひどいよ! あたしがにんじん頭なら、ブリギットなんか、
 ええと、ええと……、ぷっ、ぷにぷに頭だよ!」
「ぷにぷに頭? なあに、それは」
「……なんだろう?」
二人で首をかしげた後、一緒に笑い出す。
「い、いくら何でも、ぷにぷに頭は無いでしょう」
「そうだね……、あ、あたし、何でそんな事言っちゃったんだろう、あはは」
まだ濡れているヴィオの瞳に、今度は笑いすぎて涙が滲む。

「ああ、もう。ヴィオラートって本当に面白いんだから」
自分の目にも浮かんでしまう涙をこすりながら、ブリギットはまだ笑っている。
「だって、ブリギットがにんじん頭なんて言うから」
「だって、カロッテ村と言ったら、にんじん。決まってるでしょう?」
「あっ」
カロッテ村の名前の由来にもなっている、にんじん。
「まさかあなたがそれを忘れる訳は無いわよね。ああ、そう言えばハーフェンの最新の
 グルメ情報誌に、カロッテ村のカロッテマガストの特集が組んであったわよ。ご当地に
 行かないと味わえない本格派、とか書いてあったわね。後でその本を持ってきてあげるわ」
「うん、そうだよね。にんじん。あたしの大好きなにんじん」
大声で笑ったおかげで、ヴィオの顔色が若干明るくなったような気がする。

「いい、ヴィオラート。カロッテ村をここまで大きくしたのは、誰でもない、あなたなの。
 村をお花に例えるなら、土を耕して、種を植えて、水をやって肥料の世話をして、きれいな
 大きな花を咲かせたのはあなた。私はほんのちょっとだけ、花がもっときれいに見えるように
 植木鉢を磨いたとか、その程度のお手伝いしかしていないわよ」
ヴィオラーデンの店先に飾ってあるプランターを思い浮かべながら、ブリギットはヴィオに
優しく語りかける。ヴィオは自分の事を嫌っていた訳ではない、その証拠に、あのプランターは
あんなに美しく手入れをされていたのだ。
「でも、村にハーフェンの人を呼んだのは、ブリギットだよ」
「土台があったからよ、あなたの作った土台が。私が来たばっかりの時のカロッテ村は、
 よっぽどの事情がなければ好きこのんで引っ越して来たいような村ではなかったわよ。
 それを魅力的にしたのはあなた」

「……うん」
ヴィオは、ブリギットの言葉を噛みしめるように頷いた。
「多分、あなたのお父様とお母様は、自分の娘がした事にとても驚いてしまったのではないのかしら」
「驚いた……?」
ブリギットはしっかりと頷いた。
「自分達が捨てた村を、娘がこんなに立派に作り直してしまった。しかも、お父様とお母様の
 力を借りずに。こういう風に言うのはとても失礼だとは思うのだけれど、あなたのご両親は
 あなたに嫉妬して、それでついあんな事を言ってしまったのかもしれないわね」
「嫉妬? だって、そんな」
「嫉妬、と言うと言葉が悪いけれど。ただ単に、独り立ちしてしまった娘を前に気恥ずかしく
 なってしまったのかもしれないし、それとももっと単純な話しで、カロッテ村への滞在が
 短すぎて、村の良い所を全部見て回れなかっただけかもしれないし」

少し驚いたような顔をしているヴィオに、
「客観的に見て、カロッテ村は村と名が付いてはいるけれど、今では充分に大きな都市よ。
 ハーフェンで生まれ育った私が断言するんだもの、間違ってはいない筈よ」
そう言ってブリギットは笑いかける。
「そっか、そういう考え方もあるんだ……」
ぽつり、とつぶやいたヴィオは、心なしか肩の力が抜けたようだった。
「あたし、ずっとお父さんの言葉が耳に残ってて。あたしを認められない、って、ずっと
 その事ばかり気にして」
「仕方ないわよ。ご両親にあんな事言われたら、誰だってびっくりしてしまうわ」
ブリギットはヴィオの長い髪に手を伸ばすと、細い指先でその髪をそっと梳く。ヴィオは
目を閉じ、ブリギットの指の優しい動きを感じていた。

「ごめんなさいね、私ばかりしゃべって。せっかくのケーキとお茶がぬるくなってしまうと
 いけないし、いただきましょうか」
「そうだね」
かたん、と音を立てて引いた椅子に腰かけると、それぞれお茶に口を付ける。
そのまましばらく、お互いに無言になったまま。やがて、ヴィオが口を開いた。
「あの……ね、ブリギット。さっきの、あたしがブリギットのお友達になる資格がない、って
 言った事。お話しが途中になってごめんね。でも、やっぱりブリギットには聞いて欲しい」
ブリギットはしっかりと頷いた。
「ねえ、ブリギット。ブリギットは、都会が好きだよね。ハーフェンが好きだよね」
「え? え、ええ、そうね」

「ハーフェンの環境が身体に合わなくてカロッテ村に来てくれたけど、元気になったら、
 ……もう元気になったから、この村じゃなくても、ハーフェンでも暮らせるんだよね?」
ブリギットの方を向くヴィオの瞳は、とても悲しそうに見える。
「そう……ね。そう言われてみれば、そうかもしれないわ。あなたの作ってくれた薬のおかげで、
 もうすっかり体調は良くなったものね」
ヴィオは、ゆっくりと首を振った。しなやかな長い髪がさらり、と揺れる。
「ねえ、ブリギット。ブリギットは、ハーフェンに、帰っちゃう?」
「えっ」
とても辛そうな表情のヴィオ。
「だって、ブリギットが生まれて育ったのは、本当のおうちがあるのはカロッテ村じゃないもん。
 ハーフェンだもの」
うつむいたまま、言葉を続ける。

「フライングボードもあるし、近道も覚えたし、ハーフェンにはすぐ行けるよ。でも、あたしは」
顔を上げ、改めてブリギットの瞳を見つめる。
「この村に、あたしのそばにブリギットがいてくれなきゃ嫌なの」
普段、わがままや好き嫌いをほとんど言った事のないヴィオが、そうはっきり言い切った。
「もし、ブリギットが、あたしにハーフェンにいらっしゃい、って言ったら、『遊びにおいで』
 じゃなくて『ハーフェンに住みましょう』って誘われたら、あたしはこの村を捨てて
 行けるかどうか分からない」
ブリギットは、小さく頷くとヴィオの真っ直ぐ、揺らぎのない瞳を横から見つめ返す。
「でも、でもね。ブリギットにはハーフェンに帰らないで欲しい、ずっとこの村にいて欲しい、
 ってそんな自分勝手な事ばかり考えてた」
ゆるやかにブリギットから目線を外し、ヴィオは自分のカップを両手で包みこんだ。

「それに、あたし、ブリギットが病気してる時、咳や発作を起こして辛い思いしてたの知ってる。
 苦しんでるブリギットの姿、覚えてる。それなのに」
言葉を切り、息を大きく吸い込み、そして吐き出す。
「……あたしが肺の病気を治すエリキシル剤を作らなければ、ずっとブリギットはこの村に
 いてくれたかもしれないのに、って、そんな、そんな意地の悪い事考えてた」
「ヴィオ、ラート……」
カップを握るヴィオの小さな手が、ぶるぶると震えている。
「あたしはわがままで、自分本位で、汚い心の持ち主なんだよ。大好きなお友達の苦しい姿を
 望むなんて。そんなあたしが、ブリギットの友達になんかなれないよ。友達どころか、
 顔を合わせる資格さえ無いって、そう思って、あたし……」
その後は涙に飲まれ、ヴィオは話しを続けられなくなってしまう。

「……あなたは」
何かを言いかけたブリギットは、口をつぐむ。がたがたと椅子を動かすとヴィオのすぐ隣りに
ぴったりとくっつき、泣いている彼女の肩に手を回してきつく抱きしめる。
「あなたは真面目すぎるのね、ヴィオラート」
「ごめん、ごめんね、ブリギット」
「謝る事はないわ。それは、あなたの持っているとても素晴らしい資質なのだから」
ブリギットはヴィオの頬に顔を寄せ、そっと頬ずりをした。
「人間なんて、心の中ではそりゃあ勝手なものよ。私だって、いろんな……そう、いろいろな事を
 考えているわ」
ヴィオを安心させるように、落ち着いた声で。

「あなたのお店を乗っ取って、私が店主になってやろう、とかね」
「ええっ?」
驚くヴィオに、優しく微笑みかける。
「……さすがにそれは冗談だけど。心の中に暗い感情がこみ上げてくる事は多かれ少なかれ
 誰にでもあると思うし、それを止める手段は無いと思うわ」
肩に回していた手が、ヴィオの頭に移る。慈しむような仕草でヴィオの頭をなでる。
「でも、心の中で思う事と、それを誰かに対して実行する事とは違う。実際に、私の病気を
 治してくれたのはあなた。他の誰でもない、ヴィオラート、あなたでしょう」
小さく、それでも確かにヴィオが頷くのを感じて、ブリギットは話しを続けた。

「いつまでも私がここで静養しているように、と私の病気が治らない事を望む気持ちを
 ヴィオラートは持っている、って言ったわね。でも、それと同時に、私の身体を治したいとも
 思っていてくれたのでしょう?」
また、ヴィオは無言で頷いた。
「だって、あんな危険な場所に行って貴重な材料を採取して来てくれて、調合の難しい薬を
 作ってくれたんだもの。あなたは、私を助けてくれた。そこに疑問をはさむ余地はないわ」
「ブリギット……」
今度は、ヴィオの方からブリギットに頬をすり寄せる。
「もしかして、私の為の薬を作らなければ、その時間を村おこしにあてていれば、あなたの
 お父様やお母様が満足するような結果を出せたかもしれない、って思う時があるの」

「えっ」
「五年間という定められた期間のうち、あなたの貴重な時間を私の為に消耗させてしまった。
 私の事なんか放っておいて、あなたはあなたの為だけに時間を使う事もできたのよ」
「だって! だってあたし、ブリギットを助けたかったんだもん!」
顔を近付けていたブリギットが驚くくらいの大きな声で、はっきりとヴィオは言い切った。
「うふふ」
その答えを聞いて、ブリギットはくすくすと笑い出す。
「ほら、それがあなたの正直な気持ちよ。ね? そしてあなたはそれを実行した。そうでしょう?」
「……うん」
口をへの字にして、ヴィオはぽたぽたと涙をこぼした。

「だったら、何も気に病む事はないわ。それに、そんなに意地の悪い事を考えてしまうくらい、
 あなたは私を好きなんでしょう?」
自分で言って照れてしまうが、
「うん。あたし、ブリギットが大好き」
ヴィオはしっかりと返事をした。
「私も、ヴィオラートの事が大好きよ。ねえ、ヴィオラート。私、あなたの事を親友だと
 思っていていいのよね?」
「も、もちろんだよブリギット」
こくこく、と大きく何度も頷く。
「あたしの方こそ、ブリギットを親友だって思っていいの?」
「もちろんじゃない、今更聞くまでもないわよ」
ブリギットは指先でヴィオの涙をぬぐってやった。

「うん、でもちゃんと聞きたかったの」
「ええ。私も聞きたかったわ……ほら、いつまで泣いているの、ヴィオラート。あなたが
 こんなに泣き虫だなんて、今日まで知らなかったわよ」
すました笑顔を作りながら、ブリギットは自分の頬に落ちた髪をゆるやかにかき上げた。
「あたしだってブリギットが泣き虫だったなんて知らなかったもん」
まだ濡れている目元をぐしぐしとこすりながら、ヴィオは口を尖らせて拗ねた顔を作る。
「うふふ。私はもう泣いてなんかいないわよ」
「じゃ、あたしだって泣いてないもん」
「じゃあ、そういう事にしておきましょうか」
二人で同時にカップに手を伸ばし、くすっ、と笑い合う。それからすっかり冷めてしまったお茶を
飲み干すと、やはり二人同時に満足そうなため息をついた。

「新しいお茶、淹れましょうか」
「うん、そうだね。お願い」
ブリギットが席を立ち、カップを持ってキッチンに向かうと、すぐ後にヴィオも付いてくる。
「どうしたの、ヴィオラート?」
「ん、ブリギットがお茶淹れるとこ、見てるの」
お湯を沸かすブリギットの後ろに立ったヴィオが、
「ねえ、ブリギットは、ハーフェンに帰らないの?」
少しためらいがちに尋ねる。
「……そうね」
ティーポットに入っていたお茶の葉を捨て、新しい物を入れる。

「あなたも知っていると思うけれど、ジーエルン家は、カロッテ村に多大な投資をしたのよ」
「うん、そうだね。そのおかげであたしはブリギットのいるカロッテ村から離れずに済んだんだよね」
「そう、あなたと私が育てたカロッテ村で、変わらずに一緒にいられるようになったのよね」
まだヴィオは少しだけ複雑な気持ちを感じているようだったが、何も言い返さずに頷いた。
「私はもっと経営学を勉強して、このカロッテ村にお店を開きたいと思っているのよ」
「それって、それって、カロッテ村にずっといてくれるって事?」
「そういう事になるわね」
ポットに沸いたお湯を入れ、振り返るとヴィオは嬉しそうな、泣きそうな顔をしていた。
「そっか。えへへ、そうなんだ」

「それに、カロッテ村に投資したお金は、お父様のお金。私のお金じゃないのよ。だからそれを
 返済するまで、この村を離れる訳にはいかないわ」
しかし、その言葉を聞いて、ヴィオの表情が少しだけ曇ってしまう。
「……ブリギット、そんな、お金を返すまでこの村にいなくちゃいけないなんて、それじゃ
 まるでブリギットに足枷を付けたみたいじゃない」
不安そうなヴィオに、ブリギットはふふん、と不敵に微笑んで見せた。
「足枷? 私がそんなものを甘んじて受けるように見えて?」
「えっ、でも」
「私は、私の意志でお金を返そうと思っているのよ。多分父は受け取るのを拒否すると思うわ。
 それでも、このままじゃいつまでもお父様に保護されているようで、嫌なのよ」
ブリギットはヴィオの頬に指を伸ばし、彼女の濃い色の髪をくすぐった。

「まあ、でも。そんな事は言い訳かもしれないわ」
真っ直ぐにヴィオの目を見つめる。
「私は、ヴィオラートの側にいたいの。あなたが愛している村で、あなたと一緒に暮らして
 いきたいの。ダメかしら?」
「だ、だめって、駄目な訳無いよ。ブリギットがあたしの側にいてくれる、って言って
 くれてるのに、そんな嬉しい事言ってくれるのに、駄目な訳ないじゃない」
「良かった」
にっこり笑いながら、ブリギットはヴィオの身体を抱きしめる。
「うん、あたしも、良かった」
ヴィオも、一番の友達の存在を確かめるように、しっかりとブリギットの身体に腕を回した。

「さあ、そろそろお茶も飲み頃ね」
「うん」
お互いに少しだけ照れながら身体を離し、それからカップに注いだお茶を持ってテーブルに帰る。
「あたし、ブリギットと一緒に、ケーキ食べたかったんだ」
すっかりやわらかくなってしまったチーズケーキにフォークを刺しながら、ヴィオはつぶやいた。
「自分で会わないようにしてたのに、会えなくて辛かった」
それからカップに口を付け、美味しそうにお茶を飲む。
「私もヴィオラートとおしゃべりしたり、こうやってお茶を飲んだりしたかったのよ」
「うん。ねえ、ブリギット、またお店番に来てくれる?」
「ええ、でもその代わり、お茶の時間には美味しいお茶請けを用意してくれなきゃいやよ」
「もちろんだよ! あたし、頑張って美味しいケーキ作っちゃうから、二人で一緒に食べよう」

ぬるくなったチーズケーキは、冷たい時の物と比べ、チーズの良い香りが更に濃厚に感じられる。
「やっぱり、カロッテ村はいい所だわ。もしハーフェンに戻ったら、あなたのケーキ、
 一番美味しい作りたてで食べられなくなってしまうものね」
チーズケーキを頬張るブリギットを見て、ヴィオは得意そうに笑った。
「そっか。じゃあ、ブリギットがどこへも引っ越す気がおこらないように、あたしすっごく
 美味しいケーキ作ろうっと」
「お願いね、期待してるわよ」
くすくす、と笑い合っていると、ばたん、と少し乱暴に店のドアが開いた。

「おい、今日はもう閉店か? 全く、サボってばっかりだなお前は……おっ」
村長の家から帰ってきたバルテルが、仲良さそうにケーキを食べている二人に気付く。
「久しぶりだな」
「はい、ご無沙汰しております」
座ったままながらも、ブリギットは丁寧にお辞儀をする。
「うんうん、やっぱりヴィオと違ってブリギットお嬢様は礼儀がきちんとしているな。ヴィオ、
 お前も少し礼儀作法を教えてもらえ。ブリギットを見習って立派なお嬢様になるんだぞ」
「何よ、お兄ちゃんには言われたくないわよ」
頬をふくらませるヴィオを、ブリギットはちらりと横目で見る。

「それにしてもお前ら、美味そうなケーキ食ってるじゃないか。どれ」
バルテルはヴィオのチーズケーキに指を付けようとする。その一瞬前にブリギットが手を伸ばし、
さっ、とチーズケーキの皿を取り上げてしまう。
「ん?」
「バルトロメウスお兄様、お食事の前にはきちんと手を洗って、椅子に座って下さいませ。
 それがジーエルン家の作法でございます」
つん、とすまして見せるブリギットを見て、ヴィオは声を立てて笑い出す。
「あはは、そうだよ、バルトロメウスお兄様。手はきちんと洗わないとね」
「何だよ、二人して」
困ったようにぽりぽりと頭をかくバルテル。

「二人だけ仲良しで、俺は仲間はずれか。そうかそうか」
「誰もそんな事言ってないじゃない、焼き餅焼かないでよ、お兄ちゃん」
ヴィオはブリギットから皿を受け取ると、わざと一際美味しそうな顔でケーキを食べる。
「ああ、美味しいなあ〜。ブリギットのお茶で食べるあたしのケーキは最高!」
「そうね、ヴィオラートのケーキと私のお茶の相性は最高だわ」
くすくす、と楽しそうに笑い合う二人を見て、バルテルはやれやれ、とため息をつく。
「しかしお前ら、本当に仲いいんだな。これが親友ってやつか?」
「はい!」
笑顔のブリギットは自分の心と同じ、曇りない澄み切った声で返事をした。


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