● 何かを求める心 ●

「夜はとっても冷えるわね」
カロッテ村からファスビンダーへと向かう途中。やわらかな草の生えている空き地で夕食を終え、
たき火に当たっていたブリギットは自分の肩を抱きしめて大げさに身体を震わせた。
「そうかな、別にそんなでもないよ」
たき火をはさんでブリギットの正面に座っていたヴィオは、けろっとした顔をしている。
「ハーフェンでは、夜はこんなに寒くはならないわよ。それに、ヴィオラートは……」
田舎育ちだから鈍いのだ、と言いかけて、自分とヴィオの間に座っているロードフリードも
その田舎村出身である事を思い出す。

「こほん。自然あふれる場所でのびのびとお育ちになったから、どんな環境でもすぐに適応できるのね」
「そんなに誉められたら照れちゃうよ、ブリギット〜」
にこにこしているヴィオに聞こえないような小声で、誉めてないわよ、とつぶやいたブリギットは、
もう一度身震いをする。
「これ、使うかい?」
ロードフリードは自分のナップザックから薄い毛布を取り出した。
「膝にかけるといいよ。それとも、肩の方がいいかな?」
立ち上がり、ブリギットの後ろまで行くと、たたんだ毛布をそっと彼女の細い肩にかけてやる。

「ありがとうございます、ロードフリード様」
肩にかけられたやわらかい毛布にそっと手を当てたブリギットは、瞳をうるませながら頬を染める。
「良かったね、ブリギット。……くしゅん」
口元を手で覆い、ヴィオは小さなくしゃみをした。
「ほら、あなただって身体が冷えてしまったんじゃないの?」
「うー、そうかな」
ぐすぐす、と鼻をすすってから、ヴィオは自分の毛布を取り出して膝にかけた。

「そうだね、だいぶ冷えてきた」
ロードフリードはもと自分が座っていた場所には戻らず、ヴィオのすぐ隣りに腰を下ろす。
「俺も毛布を貸してもらうとするか」
そのまま、ヴィオが使っている毛布に脚を入れた。
「……!」
その様子を見て、ブリギットが息を飲む。
「ロ、ロードフリードさんっ」
「あったかいね、ヴィオ」
「はい……」

二人で、寄り添うようにして一枚の毛布を使っている。ほんのり顔を赤くするヴィオを見て、
ブリギットの胸がちくちくと嫉妬に痛んだ。
(な、何よ。私だけ仲間はずれって事かしら?)
カロッテ村に来る前のブリギットだったら、不満があっても自分の感情を押し殺し、愛想笑いでも
浮かべてみたところだ。しかし、元気で積極的なヴィオと行動を共にするにつれ、無意識のうちに
活発な彼女の真似したい、と思う気持ちが芽生えていたのだろう、
「あら、本当に暖かそうですわね。私もそちらに入れて頂こうかしら」
そう言ってすかさずロードフリードに肩を寄せた。彼の足元を覆っている毛布を引っ張り、
そこに強引に脚を入れる。

「ロードフリード様、私の毛布も使って下さいませ」
更に、自分の肩にかかっていた毛布の端を持ち、それをロードフリードの肩に回す。
「ありがとう、ブリギット」
ロードフリードの微笑みに、自分も笑顔で返事をする。
自分でも自分の大胆な行動に少し驚くが、ロードフリードに触れている部分に身体のぬくもりを
感じると、思い切ってみて良かった、と心の中で頷いた。
「……ブリギットって」
ふ、とヴィオがつぶやく。

「な、何?」
ヴィオは身体を前に乗り出し、ロードフリード越しにブリギットの顔を見つめている。
(何よ、私が図々しい事をしたとでも言いたいのかしら)
ロードフリードは、いつでもヴィオの事を一番気にかけている。彼の態度の端端から感じる、
ヴィオへの想い。普段はそれに気付かないふりをしているが、どうしてもヴィオへの嫉妬心は
消し去る事ができない。
(これくらい、いいじゃないの)
「だって、ロードフリード様も寒そうだったんですもの」
ブリギットは拗ねた口調を隠すように、つん、とした表情を作る。

「いけないかしら?」
挑むようにヴィオへ顔を向けると、当の彼女はにこにこと笑っている。
「ううん。ブリギットって、優しいなあ、って思ったの」
「えっ?」
「自分だって寒いのに、ちゃんとロードフリードさんに毛布を分けてあげてるし。それに、
 さっきだってあたしの事誉めてくれたし」
田舎云々の話しは誉めた訳ではない、と言おうと思ったが、ヴィオの屈託のない口調に
言葉を返せなくなる。

「でも」
ヴィオは、毛布をそっと避けて立ち上がった。そのままブリギットの方へと歩いてくる。
「な、何よ」
「あたし、ブリギットの横がいいな」
ブリギットの隣りに、すとん、と腰を下ろす。驚いているブリギットの毛布を持ち上げ、
そこに入ってくる。
「えへへ、あったかい」
身体をすり寄せながら、ブリギットの手をそっと握る。

「ヴィオラート……」
「ヴィオとブリギットは、本当に仲がいいんだね」
ちょっぴり残念そうに聞こえる、ロードフリードの口調。
「はい。だって、友達だもんね、ブリギット」
「え、ええ、まあ、はい」
ロードフリードとヴィオにはさまれる形になったブリギットは曖昧に頷く。
(何なのよ、もう。調子狂うわね)
いっその事、ヴィオを嫌いになってしまえればすっきりするかもしれないのに。そんな風に
思ってしまう事もある。

(友達なんかいらないわ。私は、自分の中に図々しく踏み込んでくる人は嫌いなのよ)
肺の病気について、他人にとやかく言われたくなくて、自分でも意識しない程幼い頃から、
気を張り詰めて生きてきた。
馬鹿にされるのは腹立たしいし、同情されるのもお断りだ。ずっと、病気の事を誰にも
知られたくないと思っていたブリギットは、自分のそばに近づこうとして来る全てを拒んできた。
(一人だって、寂しくなんかないわ)
ロードフリードの事は、好きだ。好きだけれども、いざ自分の気持ちを彼に告げる機会が
あったとしても、自分の病気に関して積極的に話そうとは思わない。

殻にこもるようにして閉ざしてしまった自分の気持ちを、心の奥、一番深い場所にある
小さな部屋に押し込め、何重にも鍵をかけた。
誰かに分かって欲しい、誰かに優しく触れてもらいたい、そんな弱く情けない感情は跡形もなく
切り捨ててしまった筈だった。
(なのに、なんで)
ブリギットの手を握っている、ヴィオの小さな手。振りほどこうと思えばできない事も
ないだろうに、その手のぬくもりを拒否できない。
捨ててしまった筈の感情が、どこかで悲鳴を上げている。悲しくて、悔しくて、切なくて、
そして、寂しい。認めたくない自分の一部は、泣きながら何かを求めている。

「……いつまで私の手を握ってるつもりなの、ヴィオラート?」
すました表情の下で荒れ狂う、どうにもならない気持ち。
(そんな訳の分からない感情に支配される程、私は弱くない筈よ)
言い聞かせても、ごまかしの言葉に真実みはない。
「だって、ブリギットの手って、やわらかいから好きなんだもん。……だめ?」
好きなものは好き、したい事はしたい。いつでも自分の気持ちに正直なヴィオラート。
(うらやましくなんか、ないわ)
今更感情をむき出しにするなんて、そんな怖い事ができる訳はない。

他人向けに作り上げた、余所行きの、偽りの仮面。それがどう思われようと、たいした事はない。
しかし、もし自分の真実をさらけ出して、それが認められなかったら。
(そんなみっともない真似、できる訳ないじゃない)
他人を拒否する事には慣れているが、自分を拒否されたくはない。拒否されたくないから、
最初の一歩を踏み出さない。

「ブリギットの髪も好き」
自分の手を嫌がられなかった事に気をよくしたヴィオは、ブリギットの肩にそっと頭を寄せる。
「きれいだし、とってもいい匂いがするし」
ブリギットの腕に、ヴィオの髪が落ちる。
「……あなたの」
さらさらとまっすぐな、濃い色の髪。
「あなたの髪も素敵だと思うわよ」
言ってしまって、自分の言葉に自分で驚いてしまう。

(私、こんな事、言うつもり……)
ヴィオが、びっくりしたような顔でブリギットを見つめる。
「何よ。私、おかしい事言った?」
挑発的になるのは、弱くて自信のない自分を隠す為。
「ううん」
わざと言葉に含ませた険を、解かしてしまうようなくらいにあどけない返事。
「ブリギットにそんな事言ってもらえるなんて、あたし、嬉しくて」
ほんのり頬を赤くして、ヴィオはうつむいてしまう。

(なんで、私が誉めたくらいでヴィオラートが嬉しくなるのよ)
照れたような顔をしたヴィオを見て、ブリギットの胸が、ずきん、と痛む。
(それに、なんで照れたヴィオラートを見て、私の胸が苦しくなるのよ)
痺れてしまった脚を戻した時、皮膚の下の血管に温かく新鮮な血液が流れてぴりぴりするように、
不快感を伴った内側からの刺激。
脚の痺れは、血液の滞りから起こる。それと同じように、無理にゆがめてしまった心の中で
感情の流れが滞り、痺れて身動きができなくなっているブリギットは、じわじわとこみ上げて来る
慣れない痛みに耐えかね、胸にそっと拳を当てた。

(いやだわ、また発作が出るのかしら)
いつもの咳の発作が出る時の身体の痛みとは違って、胸の奥で何かが疼いている。
「ブリギット?」
黙り込んでしまったブリギットを心配して、ヴィオはもう一度、手をしっかりと握り直した。
「まだ寒いの?」
「平気よ。たき火も毛布も、暖かいわ」
「……うん!」
自然にこぼれてしまったブリギットの小さな微笑みを見て、ヴィオは途端に嬉しそうな顔になる。

(それにしても、ロードフリード様がすぐ隣りにいるのに、どうしてヴィオラートばかり
 気になってしまうのかしら)
痺れをやりすごしたら、普通の、健康な状態に戻る事ができる。
(……ふん)
たき火でも、毛布でもない、ブリギットを芯から温かくしてくれるもの。
自分に、本当に必要なもの。それに自分から歩み寄って行けないもどかしさ。
(ヴィオラートと一緒にいると、なんだか心が乱れてしまうような気がするから嫌なのよ)
ふう、とため息をついて、首を振る。

「えへへ」
「何?」
「今、ブリギットの髪が揺れてね、あたしのほっぺに当たったの」
くすぐったそうに笑うヴィオ。
「やっぱり、いい匂いがする」
「ふ、ふん。そう?」
ヴィオから顔を背けると、ロードフリードと目が合ってしまう。

「本当に、仲がいいんだね。少しうらやましいよ」
「そ、そうですか?」
「でも、ロードフリードさんだって、お兄ちゃんと仲いいじゃないですか」
(ロードフリード様が言いたいのは、そういう意味じゃないのよ)
私達の仲の良さじゃなくて、ヴィオに懐かれている私をうらやましい、と言っているのだ。
(それにしても、本当に暖かいわね)
火と、毛布。そして、ヴィオラートの手。
(……? ヴィオラートの手は、関係ないわ)
ごちゃごちゃした思いから意識を反らそうと、ブリギットは赤く揺らいでいる火を見つめた。


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