● 届かない気持ち ●
真夜中、バルテルとヴィオの部屋。
静まりかえった部屋の中で、ヴィオはベッドからそっと身体を起こした。簡単に身支度を整え、
足音を立てないように部屋を出て行く。
「……」
ヴィオがドアを閉めてから、ゆっくりとバルテルも起き上がる。
「ヴィオのヤツ、今日も出かけるのか? いったい、毎日こんな時間にどこへ行ってんだ」
最近、どうもヴィオの様子がおかしい。
急にふさぎ込んだり、いらいらして兄に当たり散らしたり、そうかと思えば夜、ベッドの中で
ひっそりと、すすり泣いている事もあるようだ。
「どうしたってんだ、いったい」
順風満帆、とまではいかないまでも、ヴィオラーデンの経営は、まあわりと上手くいっていると思う。
店を尋ねるお客も多いし、売上もそこそこ伸びてきている。
カロッテ村の人口も増え、新しい店もでき、でこぼこだった土道はきれいなレンガで舗装された。
村長提案の三年連続チャリティーオークションも近隣の街で話題になるくらいに成功を収め、
オークションに一番貢献したヴィオの希望通り、村長の家の前の広場には馬鹿でっかいにんじんの
オブジェが埋まっている。
ヴィオは強い護衛を雇って国中の洞窟や遺跡を探索に出かけて、貴重な本を見つけては書かれている
内容を応用して高度な錬金術の調合を行ったりもしている。特に錬金術が行き詰まったり
している様子は見受けられない。
各地を回って友達も増えたようだし、カロッテ村に来たばかりの時はどう接していいのか
分からなかったらしいブリギットとも、このごろはよく話しをしている。
「悩み……らしい悩みがあるとも思えないんだけどな」
一番奇妙な点は、バルテルが寝静まったとおぼしい時間を見計らって、毎晩毎晩ヴィオが家を
抜け出していく事だ。
「俺に内緒で、どこへ行ってんだ」
昔の、どこへ行っても見知った人間ばっかりだった安全なカロッテ村とは、今は状況が違っている。
村が発展するにつれ、あまり好ましくない種類の人間も少しずつ増えてきている。
彼女の行動を制限するつもりは無いが、こんな真夜中に年端もいかない少女が一人で出かけるのは
決して誉められる行為ではない。
「跡を付ける、なんて趣味が悪いが、ヴィオに何かあっちゃいけないからな」
そうつぶやいたバルテルは、普段着に着替えて自分も部屋を出た。
階段を降り、店のドアから外へ出る。
「どこへ行ったかな、ヴィオのヤツ。まさか村の外へは出ていないと思うが」
辺りを見回し、ヴィオの姿が無いのを確認すると、村長の家の方へと向かう。
ヴィオラーデンの前の広場は今でも昔の古き良きカロッテ村の面影を残しているが、大通りは全く
別の街のようだった。用水路沿いにもきちんと柵ができ、夜には街灯もつく。
「しかし、いつ見てもアホくさいにんじんだよな」
ぼんやりと照明に照られている、街のシンボルの巨大にんじんは、遠くからも一目で分かる。
「村長も、何もヴィオの言う事を真に受けなくても良かっただろうに」
本当のにんじんなのか、作り物の偽物にんじんなのか、ぱっと見には分からない。
『カロッテ村メモリアルスタチュウに触らないで下さい BY:村長』の立て看板を無視して
にんじんを叩いてみた事もあったが、それでも良く分からなかった。
「ん?」
ぼそぼそ、と、男と女のしゃべり声が聞こえる。
「ヴィオ?」
片方は、ヴィオの声。もう片方は、
(えっ、なんであいつがヴィオと一緒にいるんだ)
バルテルの昔からの親友、ロードフリードだった。
二人は、閉店した量販店の店の前でなにやら話しをしている。他に辺りには人影はない。
(ここからじゃ、話しがよく聞こえねえな)
バルテルは、二人の視線がこちらを向いていない事を確認し、
(よし)
足音をしのばせ、一気ににんじんオブジェの方へ走っていった。
見つかる事もなく、無事に大きなにんじんの影に隠れると、そこで耳を澄ます。
「ヴィオ、いい子だから、もうあきらめるんだ」
「でも……、でもあたし」
ぐすっ、と鼻をすする。バルテルのいる位置からは姿を伺う事はできないが、どうやらヴィオは
泣いているらしい。
「本当に、好きなんです。どうしてもあきらめられない」
「ヴィオの気持ちは分かるよ。俺だってヴィオの思いに応えたいと思ってるさ」
(なんだ?)
「でも、俺はどうしても、ヴィオの気持ちを叶えてあげる事はできないんだ」
二人の真剣な声に、バルテルは少し緊張してしまう。
「それに、こんな事がバルテルに知られたら、俺は」
兄の名を出され、ヴィオは一瞬息を飲んだ。
「でも、それでもあたし、どうしても、自分の気持ちに嘘はつけない……、好きなんです」
(ヴィオが、ロードフリードに告白?)
話しの流れからすると、ヴィオがロードフリードの事を慕っていて、しかしロードフリードは
それを拒んでいる、ようだ。
「ヴィオ、でも」
戸惑っているようなロードフリードの声。
「……ロードフリードさん、あたしがの思いがどんなに強いのか、全然分かってないんですね」
「分かってるよ。だから毎晩、こうやってヴィオに付き合っているじゃないか」
「それは、感謝してます。姿を見れるだけで嬉しい、でも」
(毎晩、家を抜け出して、ロードフリードに会っていたのか?)
「あたし、こんなに好きなのに……、触れる事すら、させてもらえないじゃないですか」
「ヴィオ、泣かないで」
「だって……だって」
それからしばらく、ヴィオの静かな泣き声だけが響いていた。
(ロードフリードのヤツ……)
小さい頃から、バルテルとロードフリード、ヴィオは仲良く村中を走り回っていた。
ロードフリードが精錬所へ行っていた時期はさすがに疎遠になっていたが、彼がカロッテ村に
戻ってからはまた三人一緒の付き合いが始まった。
村へ帰ってきてからのロードフリードは以前にも増してヴィオの面倒を見るようになった。
彼の時間の都合が許す限り、店番でも護衛でも、いつでもヴィオの側にいた。
人当たりは良く、店の中の事にも気がつき、剣の腕も立つ。
そんなロードフリードにヴィオが惹かれても、仕方がないと言えば仕方が無いだろう。
(まあ、人格的にはヤツより俺の方が数段優れているがな……、ん?)
ようやく泣きやんだらしいヴィオが、何かを決心した様な声を出した。
「ロードフリードさん、お願いがあります」
「なんだい? ヴィオ」
「ほんのちょっとだけ……くちびるを、触れてもいいですか。ほんの少しでいいんです」
「ヴィオ?」
(な、なんだって!?)
ヴィオが、ロードフリードにキスをねだっている?
「いけないよ、ヴィオ、そんな」
「これきりであきらめます。だから、お願いします」
「駄目だよ。そんな事をしたら、止まらなくなってしまう」
「本当に、これ一回きりで終わりにします。だから……」
思い詰めたヴィオの口調。それに押され気味になるロードフリード。
「ちょ、ちょっと待て!!」
耐えきれずに、バルテルは大声を上げてしまった。巨大にんじんの影から飛び出し、二人の
前に走っていく。
「お、お兄ちゃん!」
突然現れた兄の姿に、ヴィオは目を丸くして驚く。
「バルテル、何故こんな所に」
「ああ、いや、ええとその、なんだ。それはどうでもいい、何してるんだ、お前ら」
「何してる、って、お兄ちゃん」
バルテルの顔を見た途端、ヴィオは頬を赤く染める。ロードフリードもばつの悪そうな表情を
浮かべ、どきまぎ、としている様子がありありと見て取れる。
「何してる……って。何でもないよね、ヴィオ」
「そうそう、何でもないですよね、ロードフリードさん」
ロードフリードの言葉に、ヴィオはこくこく、と頷いてみせる。あからさまに怪しい。
「さて、夜は冷えるし、そろそろ帰ろうか。送っていくよ、ヴィオ」
「そうですね、帰りましょう。お兄ちゃんも帰った方がいいよ」
バルテルに背を向けるヴィオの首根っこをつかむ。
「きゃっ!」
じたばた、と手足を動かして逃れようとするが、
「ヴィオ、お前、俺がいったいどれだけ心配してると思ってるんだ!」
いつにない、バルテルの真剣な怒り声に、ヴィオの動きが止まる。
「……お兄ちゃん?」
「ロードフリード、お前もお前だ。俺は、お前を信用してヴィオを預けているんだぞ。
それなのに、思わせぶりな態度を取りやがって」
「バルテル?」
「ロードフリード、お前がどうしても嫌だ、って言うなら仕方ない。確かにヴィオは俺と
違ってワガママだし、性格もひねくれているし、背も小さい」
「お兄ちゃん」
ヴィオの声に棘がこもる。
「でも、俺の大事な妹なんだ。お前は俺が一番信頼している、大切な友人だ。だから、もし
お前さえ良ければ、ヴィオの気持ちに応えてやってくれないか」
「お兄ちゃん……」
(ヴィオだって、いつかは俺の手を離れて独り立ちして行かなきゃいけないんだ)
多分、これでいいのだろう。バルテルはそう思う。
「いいの?」
「ああ、俺が認める。男に二言はねえ」
バルテルは大きく頷く。
「ちょっと待て、バルテル。いいのか? 俺は、正直あんまり気が進まないんだが……」
口ごもるロードフリードに、
「お前も男だろう! しっかり腹くくれ!」
厳しく一括する。
「ありがとう、お兄ちゃん……、あたし」
ヴィオの目には涙さえ浮かんでいる。
「あたし、ずっとずっと夢だったの。ありがとう!」
そう言いながら、ヴィオは巨大にんじんに駆け寄った。
「……本当に、俺は知らんぞ」
その背中を見つめながら、ロードフリードがぼそり、とつぶやいた。
「えっ?」
てっきり、ヴィオはロードフリードに抱き付きでもするのだろう、と思っていたバルテルが
間抜けな声を上げる。
ヴィオは石垣を乗り越え、満面に笑みをたたえて巨大にんじんにしがみついた。にんじんの
表面を服の袖でこすり、
「いっただっきまーす!」
大きな口を開け、かぷっ、と噛みついた。
「……」
「にんじんがあそこに埋まってから、ヴィオは毎日眺めに来てたらしいんだ」
「固い、でも甘いよう」
がりがり、とにんじんの側面をかじり続けるヴィオを見ながら、ロードフリードが説明する。
「ヴィオがこっそりと、にんじんをかじろうとした所を偶然俺が見つけて。毎晩見張りついでに、
食べないようにと説得していたんだが」
「やっぱり思った通りだ、美味しい〜!」
「ずいぶん我慢してたんだろうなあ。目の前にあんなにんじんがあるのに、食べられないのが
辛い、って、さっきも泣いてたし」
「嬉しい、夢みたいだよぉ。夢だったの、こんなに大きなにんじん独り占めするの」
ロードフリードの神妙な口調とは対照的な、嬉しさで踊るようなヴィオの声。
「少しでも口を付ければ、ヴィオの事だ、ああなるだろうと分かっていたんだ」
はた目に見ても分かる程に削られていくにんじんを指さす。
言葉を無くしているバルテルに、ロードフリードがたたみかける。
「お前、村長に、ヴィオがにんじんを食べないように見張ってろ、って言われてたよな。
俺は一応止めたんだからな。後は知らんぞ」
「あ、ああ……」
呆然と立ちつくすバルテルをよそに、かりかり、こりこり、と固そうなにんじんを
噛み砕く音だけが、夜のカロッテ村に響いていた。
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