最後のお客さんも買い物を終え、ドアを出て行った。閉店後の片づけをしながら、
ヴィオはお店番を頼んでいたロードフリードにタンシオの美味しさを熱く語りかけていた。
「んもー、それが、美味しかったの、美味しくなかったのって!」
今日の売上金の計算を終えたロードフリードは、苦笑しつつヴィオの話しに相づちを打つ。
「いや、めちゃめちゃ美味しかったんですけどね」
カウンターを挟んでロードフリードの向かいに立ったヴィオは、話しに合わせてぱたぱた、と
手を振っている。
「あんな美味しくて贅沢なもの、あたし初めて食べましたよ」
質のいい蒸留石を採取しに、ファスビンダーの隣接地へ行った際。
腹ごしらえをしよう、と護衛のローラントがヴィオに竜のタンシオ焼きをごちそうしてくれたのだった。
「最初は、えー、舌を食べるの? とか思ったんです。だって、ベロですよ、ベロ。なんだか
こう、でかい肉のかたまりで」
ローラントが見せてくれたタンの塩漬けの固まりの大きさを思い出し、手でだいたいの形を
作ってみせる。
「それをローラントさんがナイフで適当な厚さに切って、木の串に刺して、たき火であぶって
食べたんですけど、これがまた」
じゅうじゅう、と肉の焼ける音と匂い。焼きたてのアツアツを頬張ると、コリコリとした食感と
塩の旨みが口の中に広がった。
「ああ、思い出すだけでうっとりしちゃいます。もう一度食べたいなあ」
目を閉じ、初めての目眩く体験を頭の中で反芻する。
「うん、まあ確かに竜の舌なんて滅多に食べられるものじゃないからね。竜を食べようとして、
逆に竜に食べられてしまう人の方が多いし」
興奮気味のヴィオを見て、ロードフリードが苦笑いを浮かべる。
「そう言えば、ロードフリードさんって騎士隊にいたんですよね。ロードフリードさんって
タンシオ、食べた事あるんですか?」
ぱっ、と目を開け、ロードフリードの顔をのぞき込む。
「うん……まあ。俺も昔、ローラントさんにごちそうしてもらった事があるよ」
「ええーっ!」
驚いたヴィオが大きな声を上げる。
「ずるいっ、あんな美味しいもの、一人で食べてたの黙ってるなんて!」
「一人で、って、ヴィオもついこの間、食べたんだろう?」
別にわざわざ話す事でもなかったし、とロードフリードが苦笑する。
「んー、まあ、そうですけど。でも」
「でも?」
「ロードフリードさんは、どうして騎士になるのをやめちゃったんですか?」
ふっ、と目を伏せ、ヴィオが尋ねた。
「ロードフリードさん、竜騎士になる素質あったって、ローラントさんがいつも言ってます。
騎士になって偉くなって、そうしたらタンシオだっていつでも食べ放題なのに」
「別に、騎士になったからって、いつでも食べられる訳じゃないよ」
ロードフリードが苦笑する。
「それに、俺はカロッテ村にいる方が向いているから、帰ってきた。前にも話したろう?」
「ええ、でも」
ヴィオの声が頼りなげに小さくなる。
「ハーフェンみたいな大きな街で、出世した方がロードフリードさんには良かったのかな、
って、思う時があるんです。あたしなんかの護衛をしてるよりも、もっと素敵で、
輝かしい未来があったのかな、なーんて」
「ヴィオ?」
名前を呼ばれ、ヴィオが顔を上げる。目元にほんのりと涙が滲んでいる。
「ヴィオは、俺がカロッテ村に帰ってこない方が良かったのかな?」
「そ、そんな事はありません! あたし、そんな」
ぶんぶん、と首を横に振ってみせる。
「俺は、カロッテ村の暮らしが性に合っている。カロッテ村が好きだから、自分の意志で
戻ってきたんだよ。ヴィオだって、どんな街へ出かけて行っても、ちゃんとカロッテ村に
帰ってくるだろう? それと同じさ」
「はい、でも」
「ヴィオの護衛だってやりがいがあるんだ。色々な場所へ行って、剣を振るって。
騎士隊の訓練とは違うやり方でも、俺の実力は確かに上がってきている。そうだろう?」
盗賊だらけの洞窟の中、溶岩で満たされた遺跡の中。どんな場所でも敵を確実になぎ倒していく
ロードフリードの剣さばきを思い起こし、ヴィオはしっかりと頷いた。
「一番守りたい大事なものを、いつでも守る事ができる。これ以上輝かしい事って、なかなか
無いと思うけどな」
「一番守りたい、大事なものって」
ぽっ、とヴィオの頬が染まる。ロードフリードがヴィオの目を真っ直ぐに見つめ、照れた様に頷く。
「……それに、カロッテ村には、タンシオよりも美味しい物があるんだよ」
自分の照れをごまかす様に、ロードフリードは少し早口になる。
「にんじん、ですか?」
「ああ、それも美味しいけれど」
カウンターを周り、ロードフリードはヴィオのすぐ横に立った。
「ヴィオ、舌を出してごらん」
「?」
訳も分からず、それでも言われた通りに舌を出してみせる。
ロードフリードはヴィオの肩にそっと手を当てた。顔を近づけ、ヴィオの舌をちろり、と舐めた。
「!!」
耳まで真っ赤に染めたヴィオが、ばっ、と身体を引く。
「ロ、ロ、ロ、ロードフリード……さん、な、なにを」
「竜のタンより美味しい、ヴィオのタン。味見できるのは俺だけの特権だけどね」
「た、タンって、あの、その」
突然の彼の行動に、しどろもどろになっている。
「これがあるから、俺はカロッテ村から離れられないんだよ」
「あ、そ、そうなんですか……」
にっこりと笑うロードフリードの顔を見る事ができずに、ヴィオは視線をさまよわせながら
両手で口元を押さえていた。