「お見合いを、するんです」
突然のヴィオの言葉に、ロードフリードは声を失った。
「お、お見合い?」
「そう。これからブリギットの家で」
驚くロードフリードの前で、閉店作業を終えたヴィオはにこにこと笑っている。
ロードフリードはヴィオのお店も閉店に近くなった時間、バルテルがどこかへ出かけて行くのを
見かけた。今ヴィオの店に行けば彼女と二人きりになれる、誰にも、特に彼女の兄に邪魔されずに
ゆっくりと話ができる、そう思って急いで店のドアを開けた。
護身用のフラムを買いに来たついでを装って、一緒にお茶でも、とヴィオを誘ったが、彼女は
用事があるのだ、と申し訳なさそうに笑った。
(でも、だからって、お見合い?)
ヴィオの父も母も遠い街へと行ったきりになっている。そもそも、ヴィオ本人からも、バルテルからも
そんな話しは一言も聞いていない。
(そもそも、相手は誰なんだ)
錬金術で村おこし、などと、一見途方もないように見えた計画を着々と進め、実際に過疎化していた
カロッテ村にヴィオの店は大勢の客を呼び込んでいた。その中には当然、ヴィオと年の合いそうな
若者も含まれている。
(そのうちの、一人なんだろうか)
だとしても、ブリギットの家で、というのがまた納得いかない。
(ブリギットがハーフェンの知り合いでも紹介したのか?)
ヴィオとブリギットは仲がいいらしく、二人で連れ立って歩いている姿を良く見かける。
最近では、ヴィオが錬金術の材料の採取をする時などに一緒にあちらこちらの街へも
出かけているようだ。たまたまハーフェンに立ち寄って、その時にジーエルン家の知り合いに
会って、その人に気に入られた、という可能性もあり得る。
「ロードフリードさん?」
一人で思いふけっていたロードフリードは急に声をかけられ、我に返った。
「どうかしたんですか」
「い、いや。何でもないよ」
何でもない訳がない。
「もし、よかったらロードフリードさんも一緒に行きますか?」
「えっ、いいのかい?」
お見合いに、男連れで行くなんて聞いた事がない。
それとも、自分はヴィオにとって保護者代わり、その程度にしか思われていないのか。
そう考えて少しだけ肩を落としてしまう。
(保護者と言えば、バルテルのヤツ。一応ヴィオの兄なんだから保護者と言ったらヤツだろうに)
バルテルはもしかして先にブリギットの家に行っているのだろうか。
「ええ、ブリギット喜ぶと思うし」
断ろうと思ったが、上手くいくにしろ、まとまらないにしろ、ヴィオのお見合いの相手というのを
見てみたい。
「じゃあ、お邪魔させてもらおうかな」
「わーい。じゃあ、ちょっと支度して来ますね」
そう言ってヴィオはぱたぱた、と二階への階段を上っていった。
(ドレスに着替えたり、化粧をしたりするのかな)
健康的なヴィオは、普段着のままで充分に可愛い。それでも、自分以外の男の為にヴィオが
美しく装う、となると妙に落ち着かない気持ちになる。
長い時間待たされるのを覚悟していたが、予想に反してヴィオはすぐに部屋を出てきた。
「あれ?」
服も着替えないまま、大きいカバンを肩にかけている。
「お待たせ。行きましょ、ロードフリードさん」
階段を降り、店の奥にしつらえてある小さい氷室の扉を開ける。そこから皿に乗った美味しそうな
伝統ケーキを一つ取り出す。それを両手で持って、お店のドアの前に立つ。
「ロードフリードさん?」
ヴィオが困ったように声をかける。
「どうしたんだい、ヴィオ」
「すみません、ドア開けていただけますか? ケーキ持ってたら開けられないや」
照れたような、申し訳なさそうな笑い顔を作る。
「ああ」
短く返事をして、すぐにドアを開けてヴィオを通す。
「ありがとうございます。ブリギットにお茶を淹れてもらったら、ロードフリードさんも、
このケーキ一緒に食べましょうね」
ヴィオの見合いの席で、食べ物なんか喉に通るんだろうか。ロードフリードはぼんやりと思った。
日も落ち、暗くなりかけている道を慎重に歩く。
「たびたびごめんなさい、ドアを……」
ブリギットの屋敷のドアの前で、両手のふさがっているヴィオはやはり戸惑っている。
「ロードフリードさんについて来てもらって良かったです」
ロードフリードは代わりにドアベルを鳴らしてやった。
「ブリギット〜、来たよ〜!」
同時にヴィオが大きな声で呼びかけると、
「そんな大声出さなくても聞こえるわよ」
すぐにブリギットがドアを開けた。
「あら、ケーキを持って来てくださったのね」
「この間、うちで買っていってくれた伝統ケーキ、美味しいって言ってくれたでしょう。
だから、ブリギットの為にと思って、もっと美味しいのを作ってきたんだよ」
「私は田舎のお料理が珍しかっただけよ。それに、もっと美味しく作れるんだったら、その
美味しいケーキをお店に置いたらどうなのよ。まあいいわ、すぐにお茶を用意するから」
すました顔を作ってはいるものの、それでも嬉しそうな表情は隠せないようだ。
「ええと……あなたのケーキに合うお茶は、渋めの方がいいのかしら、酸味が利いていた方が
いいのかしら? 丁度、家から送ってもらった新茶があるのよね」
ブリギットはあれこれ楽しそうに考え始めた。
「別になんでもいいよぉ」
「なんでもいい、じゃ困るのよ。ケーキとお茶の組み合わせは重要なのよ。甘いケーキを
美味しくいただく為に、口の中をサッパリとさせつつもケーキの風味を邪魔しない……」
はっ、とヴィオを玄関に立たせたままなのに気付く。
「ほらあなた、いつまでぼーっと突っ立っているの。外は寒いわ、早く部屋に入りなさいよ」
優しく気遣うようにヴィオの肩に手を触れる。
「なんでもいいって、三つ淹れてくれれば」
「三つ……? って、ロ、ロードフリード様!」
背の小さいヴィオの後ろに立っているロードフリードの姿に今更ながら気付いて、ブリギットが
驚いた声を出した。
「こんばんは、ブリギット」
「こ、こんばんは、ロードフリード様」
途端にブリギットはしおらしくなる。
「えへ。一緒に来ちゃった。いいでしょ?」
にっこりと笑うヴィオ。
「ええ、別に私は構わないけれど……」
「もしお邪魔なようなら帰りますが」
妙にもじもじしているブリギットに声をかけると、
「いえ! 気にしないでくださいまし。どうぞ、ロードフリード様も中へ」
ヴィオとロードフリードを部屋に通した。
そこはブリギットがカロッテ村に来た時に招待された会食用の客間ではなく、ブリギット個人の部屋だった。
(ええっ、と)
女の子の部屋を見回す、などと言う事は不作法だとはわかっているが、ついちらちらと見てしまう。
どうやら、バルテルは来ていないようだった。
「今、お茶の用意をしますから、どうぞ座って楽にしていてくださいませね。ヴィオラート、
ケーキはテーブルの上へお願いするわ」
「うん、わかった」
言われた通りにヴィオは広いテーブルの上にケーキを置いた。
(ここでお見合いをするのか?)
散らかっているとは言えないにしろ、ぬいぐるみとクッションがあちこちに置いてある室内は
お見合いの場として適当だとは言えない。
そもそも、お見合いの相手はいつ来るのだろうか。ヴィオの隣の椅子に座ったものの落ち着かず、
あれこれ考えているとブリギットが銀色のトレイにカップとポット、お皿とフォーク、ケーキナイフを
乗せて部屋に入って来た。
「ちょっとヴィオラート、何してるのよ!」
「えへへ、味見、味見」
こっそりとケーキの端のクリームを指ですくっていた所を見とがめられ、ヴィオはばつの
悪そうな笑顔を作る。
「全く、しょうがないわねえ。ほら、ナイフ。好きなように切りなさい、あなたが一番大きいのを
取っていいから」
ブリギットはヴィオにナイフを渡す。
「えっ、いいの?」
「そもそも、あなたが持ってきてくれた物でしょう?」
「わーい、嬉しいなあ」
ヴィオは早速ケーキにナイフを入れる。だいたい三等分にして、ブリギットの分、ロードフリードの分を
丁寧に取り分ける。最後に自分が指を付けた部分を自分の皿に盛った。
その間にブリギットはポットからカップへとお茶を注いでいる。いい香りのするお茶をテーブルに
置くと、ヴィオの正面に座った。
(お見合いの、相手の分は取っておかなくていいのかな)
「いっただっきまーす!」
ロードフリードの心配をよそに、ヴィオとブリギットはすぐにケーキを食べ始める。
「まあ……これは」
上品にケーキを口に運び、それを噛みしめながらブリギットが感心したような声を漏らす。
「うん、上出来、上出来。ね、ブリギット、どう?」
「そ、そうね。ハーフェンで売っているケーキ程の繊細さは無いけれど、田舎の澄んだ空気の中では、
なんでも美味しく感じるのかも知れないわ」
そう言いながらもお茶を飲むのも忘れてフォークを動かしている。
「確かに、しっとりしてて、重みがあって、しつこくなくて。美味しいよ、ヴィオは本当に
料理が上手なんだね」
「料理じゃないです、錬金術ですよう」
「ああ、そうだね、すまなかった」
「それにしても、確かにあなたのお店で買ったケーキは悪くはなかったけれど、ここまででは
無かったわよ。味に奥行きがあるというか……本当に、これをお店に出せばいいのに」
ブリギットの言葉を聞いて、ヴィオが得意そうな顔になる。
「だって、これは材料が違うんだもん。これは、ブリギットに食べてもらおうと思って
特別な材料を使ったの。お店でこんなケーキ出したら、赤字になっちゃうよ」
「特別な材料?」
「うん。一度、チーズケーキを作るのね。そのチーズも絞りたてのミルクを一生懸命ぐるこんして
熟成させたやつなの」
いったんフォークを皿に置くと、テーブルの上に両手を出す。ヘラかしゃもじを持つ真似をして、
ぐるぐるとかきまぜる仕草をする。
「それとホーニヒドルフで採ってきたハチの巣で作った美味しいハチミツでしょ」
「ハチは、すぐ服の中に入るからイヤだわ」
ブリギットが何かを思いだしたように肩をすくめる。
「そうやってできたチーズケーキを材料に、また焼き直して伝統ケーキを作ってみたの。
美味しいって言ってもらえて良かった、けっこう自信作だったんだよ」
「へえ、すごいのね」
ロードフリードもお店番を頼まれた時に、ヴィオがお店の商品にする伝統ケーキを調合して
いるのを見た事がある。その時は小麦粉とシャリオミルクを混ぜていただけだったので、
どうしたらそこからケーキができあがるのか不思議な気がしたものだったが。
「錬金術ってすごいんだね」
「うん! でも、あたしなんてまだまだ。もっと頑張って、人をいっぱい呼んで、カロッテ村も
ブリギットが満足するような大きな都会みたく素敵な場所にしちゃうんだから」
「……あまり、都会の真似をするのもどうかと思うわ。田舎は、身分相応に田舎のままでいいのよ」
少しだけ、ブリギットの声がかげる。
「うん、そうだね。カロッテ村はカロッテ村らしいのが一番。さて、ごちそうさまでした」
ヴィオが空になったお皿とティーカップを置く。ブリギットとロードフリードも食べおわったのを見て、
「さ、ブリギット。お見合いしよっ」
自分の座っていた椅子の足元に置いていたカバンを手に取る。
「ええ、いいわよ。でも、ロードフリード様は退屈じゃないかしら?」
ブリギットは簡単にテーブルを片付けながら、少しだけ恥ずかしそうにロードフリードの方を伺う。
「え、ああ、うん」
ロードフリードはどう答えていいかわからずに、とりあえずいい加減な返事をした。
「ロードフリードさんも一緒にお見合いしましょうよ。ね?」
「えっ? でも……それに、相手はどこにいるんだい?」
くつろいでいるブリギットの様子から、これ以上客が増えるとも思えない。
「そうね。じゃ、ロードフリード様は、この子」
ブリギットは立ち上がり、床に置いてあったぷにぷにの形をしたぬいぐるみを拾ってロードフリードに
押し付けた。きょとん、としている彼に構わず、今度は小さなクッションに座らせていたうさぎの
ぬいぐるみを愛しそうに抱き上げ、きゅっ、と抱きしめる。
「ほら、ヴィオラート。早くお相手をお呼びなさいな」
「うん」
ブリギットが椅子に座ると、ヴィオはカバンの中から彼女がいつも一緒に寝ているうさぎの
ぬいぐるみを取り出した。
「じゃーん。アレックス君です。今日はお日柄も良く〜」
片手でぬいぐるみの脇を持ち、もう片方の手で頭を下げさせてかしこまったおじぎをさせる。
それを見たブリギットは、自分のぬいぐるみにまるでドレスをつまませるような仕草をさせた。
「本日は、わたくしのお屋敷にようこそいらっしゃいました。わたくし、うさこと申します」
ぷにぷにのぬいぐるみを抱いたまま、今ひとつ状況が飲み込めないロードフリードはただ
二人のやりとりを見ている。
「おお! うさこ様。あなたのお噂はかねがね。話しに違わず、なんとお美しい」
ヴィオが低い声を作りながらアレックス君をぴこぴこと動かす。
「まあ、いやですわ。そんな事を言われたら、わたくし、照れてしまいます」
ブリギットがうさこの両手を持ち、顔を伏せてもじもじしているような格好をさせる。
「え、ええっと……、何をしているのかな?」
お互いにうさぎのぬいぐるみを持ち、そのぬいぐるみに会話をさせている振りをしている、らしい。
それはわかるのだが。
「何って? お見合いですわ」
「そう。あたしのアレックス君と、ブリギットのうさこちゃんがお見合いをしているんですよ」
「ぬ、ぬいぐるみのお見合い?」
「ぬいぐるみじゃないです! アレックス君ですっ」
「そうですわ。私のうさこちゃんですわ」
二人で怒ったような顔をしてロードフリードを見つめる。
「あ、す、すまない。アレックス君に、うさこちゃんだね」
慌てて言い直すと、二人同時に『よろしい』、とでも言いたげな表情になる。
「おお、うさこ様。僕はあなたに一目惚れをしてしまいました、どうか僕のお嫁さんになってください」
アレックス君が片足をつき、うさこにプロポーズをする。
「ええ、お気持ちは嬉しいですわ。でも……」
声を詰めたブリギットが立ち上がる。たたっ、と小走りにテーブルを回って、所在なさげな
ロードフリードが抱えているぷにぷにのぬいぐるみにうさこを押し付ける。
「ごめんなさい、アレックス君。わたくし、この方に恋をしてしまったようなの」
「ええーっ!」
うさこの突然の行動に、ヴィオ=アレックス君が驚いた声を上げる。
「そんな! そんな、ひどいです、うさこ様!」
「ごめんなさい。愛はいつでも無情な物なのよ」
うさこは、ぷにぷににすりすりと頬ずりをしている。というか、ブリギットがさせている。
「ロードフリード様、何かおっしゃってくださらないと、お話しが続きませんわ」
そう言われても、どうしていいかわからないロードフリードは、とりあえず握っているぷにぷにを
小さく上下左右に動かしてみる。
「ほらっ、うさこ様、ぷにぷに氏も困っているではありませんか。どうか、僕と結婚してください」
「いえいえ、わたくし知っているのですわ。あなたは、わたくしではなく、エン…ルク様という
方に惹かれている、という事を」
「それ、お兄ちゃんが持ってる本に出てくる人の名前じゃなーい! なんで知ってるの?」
「いいのよ、この際名前なんかどうでも」
ヴィオも負けずに立ち上がる。ロードフリード越しに手を伸ばし、向こう側のうさこにアレックス君を
抱き付かせようとする。
「僕の心はあなた一人です、うさこ様」
「ごめんなさい、本当にわたくしって罪な女ね。それで、ぷにぷに氏の気持ちはどうなのかしら?」
「そうだ! 僕もそれを聞きたい。どうなんだい、ぷにぷに氏っ!」
うさことアレックス君に詰め寄られ、ロードフリードは仕方なく、
「ええっと……そうだな、僕はアレックス君が好きだよ」
適当に答えながらぷにぷにのぬいぐるみをふるわせた。
「ええーっ!」
「まあ、三角関係ね!」
「そんな、困ります。僕は男……って、ねえブリギット、ぷにぷに氏って男の子?」
「さあ、知らないわ。水色だから、男の子かしらねえ」
「アレックス君、ピンチ! 強力なライバル出現!」
そう言いながら、ヴィオはごそごそと自分のポケットをさぐった。
「じゃじゃーん! うさこ様、僕のお嫁さんになったら、この宝石を差し上げましょう」
小さな石を取り出し、アレックス君に持たせる。
「宝石って、これコメートの原石じゃない! しかもクズ石ね」
「だって、磨いてくる暇なかったんだよお」
「女心がわからない方ね、アレックス君って。そんなの、つーん、ですわ」
うさこがあきれたように、そっぽを向く。
「えーん、うさこ様〜」
ブリギットとヴィオに抱き付かれるようにはさまれ、
(ヴィオの恋愛どうこう、を心配するのはまだ早かったかな)
ロードフリードは少しだけ安心したような、曖昧な笑みを浮かべた。