● 揺らぐ気持ち(1/1) ●

「何が入ってるのかなあ、うう、ワクワクする」
ファクトア神殿のかなり深い階層。ユーディーと護衛のコンラッド、アデルベルトは
豪華な宝箱を見つけた。
神殿の入口付近などに多い簡単な木箱ではなく、深く青い色をして、細かく工夫をこらした
装飾をされている金属の箱。もちろん、その分やっかいなトラップを仕掛けられている確率も高く、
解除にも手間がかかる。
「ああ、ちょっと待っていてくれよ。こいつは慎重に行かないとヤバいからな」
宝箱の前にしゃがみ込んだコンラッドは、まずいろんな角度から宝箱の様子をうかがう。
見た目に不審な点がなければ、そっと手を触れてみる。

「……ふうん」
鍵穴の形を調べた後、ゆっくりと持ち上げる。ほんの少し、一ミリか二ミリ程ゆすって
中の音を聞く。底を見てから、また下ろす。
普段のコンラッドからは想像も付かないような丁寧な行動と真面目な顔つき。
「うん、平気そうだ」
やがて、コンラッドがほっとしたような声でつぶやいた。
「罠、かかってないの?」
「いや、かかってるよ。複雑だから時間はかかりそうだけど、手順を踏んで落ち着いてやれば、
 解除できると思う。爆発の危険が無いとは言えないが……どうする?」

ここまで来る間に、爆弾を投げ付ける敵や、自分達が使った技や魔法の影響で、もろく
崩れやすいファクトア神殿の壁からは、ぽろぽろ、と小石混じりの砂が落ちてきている。
ユーディーはゆっくりと石の壁に囲まれた部屋の中を見回した。
「あと一回……って所ね」
多分、あとほんの少しの振動が加われば、神殿は崩れてしまうだろう。
「うん、お願いする。コンラッド、信頼してるわよ」
にっこりと笑みを浮かべるユーディーに、
「おう、分かった。任せておいてくれ」
コンラッドも笑顔で答える。

宝箱を相手に真剣な顔をしているコンラッドから数歩後ずさったユーディーは、嬉しそうな顔で
アデルベルトの方を向いた。
「あたし達は邪魔しないように大人しく見てましょ。でも、楽しみだなあ、難しい宝箱に
 入ってるのは貴重品、って相場が決まってるもんねえ」
「ああ、そうだね」
笑っているユーディーに釣られて、ついついアデルベルトも笑顔になる。
「世界霊魂とか入ってないかなあ。世界霊魂、あと二つあれば『竜の砂時計』が作れるのに」
『竜の砂時計』、その言葉を耳にして、アデルベルトの顔がわずかに曇った。

「そうだよね、『竜の砂時計』ができれば、ユーディットは元の世界に帰れるんだよね」
「そうよ。こっちの世界へ来てから長い道のりだったけど、やっと帰れるんだ、あたし……」
ふっ、と宙に泳いだユーディーの瞳は、どこか遠い場所を夢見ているようだった。
もともと、ユーディーが暮らしていた場所。アデルベルトにはあずかり知らぬ場所。
(僕は、決して触れる事のできない、ユーディットだけの時間)
ユーディーがこの世界から去ってしまったら、二度と彼女と自分の時間が交わる事はないだろう。
未だにユーディーが二百年もの時を旅して来た事は信じられない。
(信じられない、と言うよりも、信じたくないという気持ちの方が本当かも知れない)
それを信じると言う事は、彼女がいなくなると言う事実を認めなくてはならないからだ。

「うふふっ、楽しみ。こういう時って、コンラッドは本当に頼りになるのよね」
コンラッドの手元を見て、小さく笑うユーディー。
「ユーディット、君は」
言いかけ、アデルベルトは言葉を切る。
「ん?」
「ううん、何でもないよ」
この世界と、アデルベルトと別れる時になっても。やはり彼女はもと住んでいた場所へと
帰る事を喜んで、こんな風に笑うのだろうか。

彼女が帰りたいと言うなら、祝福して見送ってあげるのが礼儀だと、理性では分かっている。
(でも、ユーディットがいなくなると言うのに、僕は素直に笑う事はできないよ)
だからと言って、無理矢理に引き留め、彼女の意志を曲げさせるのも本意ではない。
(それとも、僕が引き留めたら、ユーディットは考えを変えてくれるのかな)
ユーディーと一緒に行動するようになって、運が向いてきた自分。自分の求めている幸福の星、
それはもしかしたらユーディットその人ではないかと考え、最近ではそれを確信するように
なっている。
(でも、幸運の星だとか、そうじゃないとかは関係ない。僕は、ユーディットが)
自分の気持ちを彼女に告げたなら、彼女は過去へ帰りたいと言う思いを考え直してくれるだろうか。

「あっ、フタ、開きそうかな?」
明るい彼女の声に、空想から現実に引き戻される。
「ああ、もう少しだ。ここで焦らず、ゆっくりと……」
一番難しかったと思われるトラップを解除し、少し余裕ができたのか、コンラッドはユーディーの
問いに答えながらフタを開いていく。
「ううっ、この焦らされてる感がたまらないわ。背中ゾクゾクしちゃう。ねえ」
ユーディーに笑いかけられ、
「そうだね」
アデルベルトは心ここにあらずな曖昧な笑みを返した。

「世界霊魂、かな」
「きゃあ!」
コンラッドの一言に、ユーディーは可愛らしい悲鳴を上げる。
「だったら」
ユーディーの嬉しそうな声を聞いた瞬間、アデルベルトの身体は動き出していた。
「だったら僕も手伝うよ」
あらかたのトラップは外したとは言え、当然、過剰な振動を与えてはいけない。そんな宝箱に
走り寄ると、コンラッドが手をかけているフタに自分も手を伸ばし、思い切りこじ開ける。

「おい、おま」
「アデルベルト、何……」
あっけにとられた二人が言いたい事を言い終わる前に、ぼん、と大きな音を立てて宝箱は爆発した。

◆◇◆◇◆

「……」
ユーディーが慌ててカゴから取り出した脱出用の空飛ぶホウキにつかまり、間一髪で瓦礫の
下敷きになる事態は免れた。
「最悪。お前なんかこうしてやる」
「痛い、痛いよ、コンラッド」
首に腕を回され、思い切り引き寄せられてこめかみにぐりぐりと拳をねじり込まれる。
「もうっ、何て事してくれるのよ、宝箱台無しじゃない。世界霊魂、世界霊魂ーっ!」
半泣きになっているユーディーにマントをぐいぐいと引っ張られ、アデルベルトは返す言葉がなかった。

「許さねえ。絶対許さねえ、俺はこれから一週間、メッテルブルグの宿に泊まって豪遊してやる。
 滞在費用はお前が全部払え」
「じゃああたし、レヘルンクリーム奢ってもらう! メッテルブルグのは美味しくないから、
 リサまで付き合ってよね。当然道中の雇用費は払わないわよっ」
わあわあ、と好き勝手に騒いでいる二人とは目を合わせずに、
「うん、ごめん。コンラッドの豪遊一週間は払いきれないと思うけど、できる限り言う事聞くよ」
アデルベルトは消沈しきった声を出した。
「何だよ、お前」
コンラッドはアデルベルトの首から手を離すと、肩を落としている彼の目をのぞき込む。

「何か、変。どうしちゃったの、アデルベルト?」
もともと、アデルベルトは思いつきのイタズラをしたり、わざとユーディー達を困らせるような
行動を取るタイプではなかった。
「さっきの宝箱、開けきっちゃいけない訳でもあったのか?」
まさか自分の見落としたトラップを、アデルベルトが見つけられる筈はない。コンラッドは
心の中でそう自負していたが、アデルベルトの行動からして、宝箱の中に、見てはいけない
ような物でも入っていたのだろうか。
「いや、あの、別に。宝箱も、開けちゃいけなかった事は無いよ、ただ」
アデルベルトは首をゆっくりと左右に振った。

「中に、世界霊魂が入ってたみたいだから。それをユーディットに手に入れて欲しくなかったんだ」
「何で、あたしが世界霊魂欲しがってるの知ってるくせに」
「だからだよ!」
急に大声を出され、ユーディーとコンラッドは驚いてしまう。
「だって、世界霊魂が手に入ったら、『竜の砂時計』を作る事ができる。『竜の砂時計』を
 作ったら、ユーディットはもとの世界に帰ってしまうんだろう?」
ユーディーの目を見る事ができず、自分の足元に視線を落とすアデルベルトの声が震えている。
「そうしたら、もう二度と、ユーディットとは会えなくなってしまうじゃないか。そんな、
 そんなの嫌だよ、僕……」

言葉を詰まらせるアデルベルトを見て動揺してしまったユーディーが、どうしたらいいのか
助けを求めるようにコンラッドに顔を向ける。
「……」
しかし、何となくアデルベルトの気持ちを察したコンラッドは、
「俺、先に帰ってるわ」
肩をすくめてそれだけ言うと、ユーディーに背を向けた。
「ちょっと、コンラッド」
呼び止めるユーディーの声を無視して、コンラッドはヴェルンに向けての街道を、一度も
振り返らずにさっさと歩いて行ってしまった。

「ね、ねえ、コンラッド行っちゃったよ。どうしよう」
深い緑が生い茂る、ファクトア神殿入口付近の空き地。そこに二人で取り残され、ユーディーは
不安そうにきょろきょろと辺りを見回した。
「ユーディット」
今まで聞いた事の無いような真剣な声で名前を呼ばれ、ユーディーはアデルベルトの方を向く。
「は、はい?」
「僕、君が」
さらさら、と穏やかな風が吹き、草や葉、ユーディーの長い髪を揺らしていく。

「僕、君が『竜の砂時計』を作ったら……、君がここからいなくなったら、嫌だよ」
声を詰まらせながら、それでもアデルベルトはずっと抱えていた気持ちを口にする。
「君にとっては、過去に帰るのが正しいのかも知れない。それが君の幸せなら、僕に邪魔する
 権利なんかないのは分かってる。それでも、僕は、どうしても」
アデルベルトは、ゆっくりとユーディーに近付いた。言葉を無くしているユーディーの正面に
立つと、しっかりと彼女の目を見つめる。
「『竜の砂時計』を、作らないで欲しい。過去に帰らないで欲しい。もちろん僕のわがままだし、
 君は僕の言う事を聞く必要なんてないけれど、それでも」
それから、自信無さそうにゆるやかにユーディーから目をそむける。

「……」
ユーディーの頬が、ほんのりと赤く染まっていく。
「あ、ええと」
口を開きかけ、それでも何を言ったらいいのかとっさには言葉が出なくて、またくちびるを閉じる。
「……ごめんね、勝手な事言って。でも、どうしても言いたかったんだ」
戸惑っているユーディーの様子を見て、アデルベルトは彼女を安心させるように、優しい
笑顔を作った。
「本当に、君が気にする事はないんだ。ただ、変な僕がちょっと変な事を言ったと思って、
 聞き流してくれればいいよ」
しかし、その笑顔はとても寂しげで、見ているユーディーの胸が締め付けられる気がした。

「あーっ、コンラッド、先に帰っちゃったな、追いかけなくちゃ。メッテルブルグで豪遊か、
 とほほ……」
空元気を出しながら、アデルベルトはユーディーの横をすり抜けようとする。
その時、ふいにユーディーがアデルベルトのマントをつかんだ。
「あっ、ユーディットにはレヘルンクリームだよね。安心して、覚えてるから」
「あのね、あたし」
ユーディーは、真っ直ぐにアデルベルトの目を見つめた。
「あたし、『竜の砂時計』は作るよ。だって、レシピや材料集め、みんなに手伝ってもらって、
 やっと完成できそうなんだもん」

「ああ、うん……」
揺るぎのないユーディーの返事を聞いて、アデルベルトの心が砕けそうになる。
「そうか、やっぱりね。うん、それがいいよ。だって、君の望みだし」
白々しい言葉は、ところどころ声が引きつり、それがいっそうアデルベルトの本心と違う事を
言っている、と証明しているようなものだった。
「でも、『砂時計』を作ったからって、過去に帰るとは限らないから」
「えっ?」
ユーディーはわずかに首を傾ける。
「揺れてるんだ、あたしの気持ち。過去に帰るのが幸せか、ここにこのまま留まるのが幸せなのか」
それから、にっこりと可愛らしく微笑んだ。

「あっ、そうなんだ」
何となくどぎまぎしてしまうアデルベルトのマントを離し、ユーディーは小さく握り拳を作る。
「今のアデルベルトの言葉で、ものすごく大きく揺れた。かなり傾いだ」
それから、その拳で、こつんとアデルベルトの胸を叩いた。
「え、あ、そ、そう……なんだ。傾いだって、どっちに?」
「どっちって、こっちに決まってるでしょ」
とんとん、と片足で地面を叩く。
「そう」
じわじわと頬が熱くなっていくのを感じて、アデルベルトは手を丸めて口元を隠した。

「あっ、でも、あとレヘルンクリーム一個食べれば、もっと傾くかな?」
「本当? だったら、一個と言わず、何個でも……」
そこでアデルベルトは言葉を切り、ユーディーに背を向ける。胸元から新しい黒い皮の財布を
出し、その中身をこそこそと調べてからまた元の場所に戻す。
「ええと、四個とか、五個くらいまでなら」
「そんなに食べられないわよ。おなか壊しちゃう」
くすくすと笑いながら、ユーディーはアデルベルトの腕を取った。

「わっ」
「取りあえず、プロスタークに行きましょ。そこからリサへ行って、クリーム奢ってもらわなくちゃ」
「でも、コンラッドはヴェルンに行ったよ」
自分の腕にしっかりとしがみつくユーディーのしなやかな髪が揺れると、ほんのりと甘い香りが
漂うような気がする。
「コンラッドに見つかったら、もっともっと奢らされちゃうわよ。ほとぼりが冷めるまで
 会わない方がいいんじゃない?」
今更ながら、ユーディーとアデルベルトに気を遣ってくれたコンラッドの思いやりに、心の
中でこっそりと感謝する。

「それとも、あたしと二人で行くより、他に誰か一緒にいた方がいい?」
「や、そんな事はないけど。僕は、ユーディットと二人きりの方が嬉しいよ」
言ってしまって恥ずかしくなり、アデルベルトは開いている方の手でぽりぽりと頭を掻く。
「だったら、行きましょ。ねっ?」
「うん、そうだね」
二人は腕を組んだまま、緑に囲まれる道をゆっくりと歩いて行った。
 >胸元から”新しい”黒い皮の財布を
 きっと、前に使ってたお財布は、落としたかスられたかしたんだ。
 だから、アデルベルトのお財布は、いつも新しい筈。
   ユーディーSSへ