● 晴れと雨の交わる場所(1/2) ●

リサの酒場、千年樹亭から出てきたアデルベルトはため息をついた。
「ああ、本当に僕はついてないなあ」
一言つぶやいてから、酒場の裏手、あまり人目に付かない空き地にとぼとぼと歩いていく。

『リサでは良質のオオオニブドウが採れるから、ワインも美味しいんだよ』
そんな話しをユーディーに聞いて、酒場でグラス一杯のワインを注文したまでは良かった。
カウンターに運ばれてきたグラスに手を伸ばそうとして、うっかりそのグラスを倒してしまう。
慌ててグラスをつかもうとして、勢い余ってそばにあった封も切っていないワインのボトルを数本、
ついでに置いてあった花瓶もろともなぎ倒す。
ガチャガチャン、と景気のいい音を立てて床に落ちるワインボトル、酒場中に立ちこめる
芳醇なワインの香り。

一口も飲んでいないグラスとボトルのワイン、花瓶の料金まで弁償し、それでも申し訳ないような
気がして、床の掃除も手伝ってきた。
「ユーディットにもらった護衛のお金、全部パーになっちゃったよ……」
彼女の護衛をしてこつこつと貯めたお金は、ほとんど財布から消えてしまった。

人の来ない場所なら、誰にも迷惑をかける事無く、一人静かに落ち込めるだろう。
そう思って、空き地の隅にある大きな切り株に座り込む。
「はあ」
もう一度、大きくため息をつく。膝に肘を乗せ、がっくりと下がってしまう顎を両手で支える。
「僕の幸運の星……、どこにあるんだろうなあ」
一時期、ユーディーが自分の幸運の星なんだ、と思った事があった。思うどころか確信して、
彼女にもそう話した事がある。

「でも、何か違うような気もするんだよなあ」
ユーディーに誘われ、彼女の護衛をしていても、ろくな事がなかった。
戦闘になると必ずモンスターの集中攻撃を受け、毒や爆発のトラップには必ず引っかかる。
ファクトア神殿の深い階層にまで連れて行かれて、崩れ落ちる瓦礫にあやうく押しつぶされそうに
なった事も一度や二度では無い。
「なんだか、彼女といると、よけいなトラブルに巻き込まれるような感じもするし」
今日のワインだって、ユーディーに話しを聞かなければ注文しなかったのに、と、
アデルベルトは自分の不運をぐちぐちと人のせいにしだす。

「どうせ、どうせ僕はダメなヤツなんだ」
今までの人生、数え切れないくらいに起こった不幸を思い返してみる。
「いつも……、あの時も……、あの時だって」
ネチネチと自分を責めていると、胸がチクチクと痛む。そのかすかな痛みに、アデルベルトは
まるで治りかけのかさぶたをそっとはがす時のような自虐的な快感を覚えてしまう。
「そうだ、僕は……、いつだって……、辛いなあ」
辛い、と言いつつ、その辛さを舌の上で転がしていると、やがて数々の不幸な思い出は、
苦みを含んだ甘美な味に変化していく。

「僕は本当に、不幸な星の下に生まれてしまったんだなあ」
不幸な状況を楽しんでいる行為そのものが、無意識に不幸を呼び寄せる結果につながる。
そんな事には全く気付かずに、アデルベルトはしょぼしょぼとさまざまな思いを巡らせていた。

「おい、そんな所にいたのか!」
突然、豪快とも言える元気な声が響いて、アデルベルトは身をすくめた。
顔を上げると、リサの畑を管理している大柄の農夫、マルティンが大股で近づいてくる。
「探したんだぞ、アデルベルト」
「えっ? えと、あ」
何か彼に迷惑をかけたっけ、と、一瞬アデルベルトの頭の中がパニックになる。

(ああ、そう言えば)
以前、ユーディーとリサの畑に行った時の事。
それまで雲一つ無く晴れ渡っていた青空に、にわかに暗雲が立ちこめ、ごうごう、と音を
立てるくらいの土砂降りになった事があった。
(まさか、あの雨で作物が傷んじゃったのかな。ユーディットは『いい事をした』なんて
 訳の分からない事を言っていたけど、ああ、そう言えばまた僕の不幸にユーディットが
 絡んでいるじゃないか)

てっきりマルティンに怒られるものだと思い、アデルベルトは覚悟して
「あ、あの時はごめんね!」
先回りして頭を下げる。
「僕、生まれついての雨男で……、あんなに降るなんて思わなくて、君の畑に迷惑かけたよね」
「迷惑? 何を言っているんだ?」
しかし、マルティンは不思議そうな顔をする。
「俺がいつお前に迷惑をかけられたんだ? まあ、そんな事はどうでもいい。すまないが、
 俺と一緒に来てはもらえないだろうか?」

「一緒に? いいけど、どこへ? うわっ」
マルティンがアデルベルトに手を差し伸べる。あっと言う間に手をつかまれ、引っ張られる。
「リサの畑の裏から続く、採取場だ。しかし、ユーディットに聞いたんだが、まさかそんな
 都合のいい話が……」
最後の方は、独り言のようにつぶやき声になる。
(ま、またユーディットが絡んでるのか?)
またユーディーのせいで、訳の分からない目に遭ってしまうのだろうか。

びくびくしているアデルベルトに構わず、マルティンは真剣な顔をしている。その表情は、
少し不機嫌そうにさえ見える。
(もしかして、ユーディットの護衛でここに来た時、貴重な植物を傷付けたりしちゃったのかな)
どんどん採取場の奥へと進んでいくマルティンに引きずられながら、アデルベルトはあちこちを
きょろきょろ、と見回す。歩く度に、地面に落ちている葉がかさかさ、と音を立てる。
(ここの所天気がいいから、落ち葉も乾燥しているんだな……、でも)
ふっ、と空を見上げる。つい先ほどまでは気持ち良く晴れていた筈なのに、空の端の方から
いやな感じに灰色をした雲が忍び寄っている。

「あっ、ねえ、マルティン」
「なんだ?」
「僕、雨男なんだ。行く所行く所、必ず雨が降るって言うか……、僕と一緒にいると、君まで
 雨に降られてしまうかもしれないよ」
「分かっている」
「分かっている、って」
ぽつり、と、アデルベルトの鼻先に水滴が落ちてくる。

「うわ、やっぱりだ」
「本当だ。でも、まさか」
マルティンも顔や腕に雨の滴を受け、驚いた声を出す。
「だから言っただろう、濡れちゃうよ。今のうちに引き返すか、雨宿りできる所を探さないと」
「あっちにオオオニブドウの木がある」
指さした方に、大きな木が立っている。次第にぽつぽつ、と落ちるのが早くなってくる雨を
手で避けながら、二人は早足でその木の陰に逃げ込んだ。
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