● 012.流れ星 ●

ファクトア神殿から帰ってきたユーディーと合流し、ヴェルンからメッテルブルグへ
向かう途中のキャンプ。食事を終え、焚き火に当たりながらつまらない会話をしている途中。
「あっ、流れ星」
ラステルの言葉に、ユーディーとヴィトスは空を見上げた。
「あっ、あの、ラステルとずっと一緒にいられ……、あああっ、流れちゃった、もうっ!」
ユーディーは悔しそうにくちびるを噛むと、立ち上がって腕を振り回す。
「もう一回! もう一回、やり直し〜」
「やり直しって言われても、流れ星も困ってるよ」
くすくすと笑うヴィトスは、座ったままでじっとうつむいているラステルに目を留めた。
「どうした?」
「あっ、いえ、何でもないです」
火に当たっているからか、ラステルの頬は赤く染まっている。
「あの、ねえ、ユーディー?」
それからラステルは、おもむろにユーディーに声をかけた。
「んっ?」
「私達が始めて一緒に見た流れ星、覚えてる?」
「んー……」
ぼんやり考え込み、
「覚えてないや。ごめん」
本当に申し訳なさそうにラステルのすぐ隣りに座る。

「ううん、いいの。気にしないで」
何故かラステルは嬉しそうに微笑んだ。
「君達が始めて流れ星を見た時、何かあったのかい? 僕もそこにいたかな」
今度はラステルが考え込む。
「……ごめんなさい、覚えてないです」
「うん、まあ、いいよ。そんなものだろう」
「誰もヴィトスの事なんか覚えてないよーだっ」
べえ、と舌を出す。
「ほう。僕がオオカミの群れにかじられていた君を助け出した事も覚えていないのかな?」
「誰がいつ、オオカミにかじられたのよっ」
ユーディーは軽く拳を握ると、ヴィトスを叩く真似をする。
「後は、そうだな。君が野良猫にヒゲを切られそうになった時も助けてあげたよね。
 それから、氷室で凍りそうになった時も……」
「そんな事されてないです、凍ってないですっ! 第一、あたしヒゲなんか生えてないもん」
いつものヴィトスの軽口と、真っ赤になってそれに答えるユーディー。
「……」
二人の会話を聞き流しながら、ラステルはぼんやりと、あまり遠くない過去を思い出す。

(あの時ユーディーは、『絶対過去に帰れますように!』って言ったんだよ)
流れる星を見た時、一瞬もためらわずに自分の隣りでそう叫んだユーディー。
(私は、『ずっとユーディーと一緒にいられますように』って、そう言おうと思っていたのに)
ユーディーが過去へ帰る事を望めば望む程、自分の気持ちがユーディーに届かないのだと
実感してしまう。ユーディーが無意識に発する心ない言葉、それがラステルの気持ちを
どれだけ傷付けているのか、ユーディーには分かっているのだろうか。
(もちろん、ユーディーは私を傷付けるつもりなんて無い筈だけれど)
無意識だから、口に出てしまう。無意識だからこそ、ラステルは余計に傷付いてしまう。
(いいの。いくら傷付けられても、私はユーディーのそばにいられれば)
むしろ、ユーディーにだったらいくら傷を付けられてもいいと思う。それも心や身体に
一生残るような酷い傷を。
ユーディーが自分に傷を付ければ、それを気にしたユーディーがずっとそばにいてくれるかも
しれない、そんな風に考えた事もある。ユーディーに苦悩を負わせ、それを足枷にして彼女を
ずっと縛っておけるかもしれない。残酷で我が侭だけれど、そんな空想に身をゆだねるのは
してはいけない、だからこそ甘美な誘惑だった。
(……でも、ユーディーは)
ついさっき流れ星を見た時、彼女がとっさに口にした言葉。
『ラステルとずっと一緒に』
確かに、ユーディーはそう言った。

今まで、いくら望んでも求められなかった物。自分とユーディーの、未来への約束。
(ユーディーは、過去の世界よりも私の方を選んでくれるの?)
泣きたいくらいの嬉しさがこみ上げ、じわじわと体温が上がっていくような気がする。
今すぐにユーディーの気持ちを確かめたい。もう一度、ずっと一緒に、って言って欲しい。
それでも、今この場で彼女の気持ちを確かめるのは恐い気がする。
「ねえラステル、ヴィトスがいじめるんだよ〜」
ユーディーが口に出した言葉が何かの間違いだったら。そんな風にユーディーに言われて
しまったら、心の奥のかすかな希望の光を失ってしまう。
「ラステル?」
それだったら、今のユーディーの言葉をずっと胸に刻んで、いつか本当に心の底から
彼女がここに留まりたいと願う日が来るのを祈っていた方がいい。
「ねえ、ラステルってば」
「きゃっ!」
いきなりユーディーに抱き付かれ、それと同時に耳たぶにくちびるを寄せられて、ラステルは
小さな悲鳴を上げてしまう。
「もう、どうしちゃったの、ぼんやりして」
「あっ、あの、な、何でもない」
自分の顔のすぐ側、本当のキスができるくらいに近い場所のユーディーの顔がある。
そんな事を考えてしまったラステルの頬が熱くなってしまう。

「真っ赤になってるよ、ラステル」
「そうかしら? 自分では分からないけれど」
頬が燃え出すくらいになっているのは自覚しているが、わざととぼけて見せる。
「赤いよ。どうしたの、何かやましい事でも考えていたのかな?」
「やましいって、分からないわ、そんなの」
どぎまぎと焦るラステルを見て、ユーディーはにやりと笑ってしまう。
「ふーん、分からないんだ。ねえ、何考えてたか教えてよ」
「何って、別に何も考えたりしていないわよ。ちょっと、ぼーっとしていただけで」
「怪しいなあ〜。あたしに隠し事しちゃダメよ、ラステル」
「してない、してないわ」
「本当かな? 幸いここには誰もいないし、身体に聞いてもいいのよ」
「あっ」
ユーディーの手がラステルの身体をそっと押し倒す。やわらかい草の上にあおむけに
され、その上にユーディーがのしかかってくる。
「僕がいるけれど、いいのかな?」
「ヴィトスは数に入ってないもーん」
嬉しそうにラステルの頬に自分の頬を擦り付ける。
「ほう、そうか。それじゃ君がどうやってラステルを襲うのか、見学させてもらうとしよう」
「襲ってる訳じゃないよ。ただ、ラステルが本当の事話しやすいように、ちょっとだけ
 身体をほぐしてあげようかなあって」
にやにやと笑いながら、ユーディーの手の平がラステルの髪や頬をなで回す。

「あっ、あの、ユーディー、だめ」
「だめじゃないでしょ。こういう時は、もっとしてっておねだりするのよ」
ユーディーの肩に手を当てて押しのけようとするが、彼女の顔が近付くたびに力が萎えていく。
「……何だか君達、最近やらしいね」
「やらしい? そんな事ないわよ。あたしとラステルは健全なお付き合いだもん」
ユーディー本人はそう思っているのかも知れないが、敏感な部分や、本来ならば他人の
手が触れないような場所までまさぐられてしまうラステルには、これがとても健全な
行為とは思えない。
「ユーディー、だめ……、あっ、流れ星!」
とっさにラステルは何もない宙を指さした。
「えっ、あ、ラステルと一緒……、ぐ」
釣られて勢いよく振り向きながら口に出した言葉は途中で止まってしまう。
「ユーディー?」
片方ずつの手で口元と首筋を押さえ、固く目をつぶったユーディーがゆっくりラステルの
上から自分の身体をどける。
「ユーディー、どうしたの?」
そのまま背を丸め、じっとしているユーディーにラステルが声をかける。
「……舌噛んだ。首ひねった」
短く言うと、ユーディーは目に涙を滲ませて黙り込んでしまう。

「本当に面白いねえ、君達は」
少し呆れた口調のヴィトスに言い返しもせず、ユーディーは必死でダメージに耐えている。
ラステルはこの隙に半身を起こし、乱れてしまった服を軽く直した。
「ユーディー、大丈夫?」
「うー……」
少しばかり行きすぎた行為を止めさせようとして流れ星が見えたと嘘を吐いたが、
ユーディーに痛い思いをさせるつもりなど無かった。
「ごめんなさい、ユーディー」
ラステルは優しくユーディーの肩をさする。
「や、別にラステルのせいじゃないし。って言うか、ヴィトスが悪い」
「何で僕が」
「八つ当たりよ、気にしないで」
ヴィトスはため息を吐きながらそっぽを向いた。
「ああ、でも今度こそ、ラステルと一緒にいられますようにって言おうと思ったのになあ」
「あ、あのね、ユーディー」
「ん?」
まだ痛む場所に手を当てたまま、ユーディーは返事をする。
「流れ星は、またいつでも見れるわよ。そうしたら、その、一緒にお祈りしましょ?」
「うん、そうだね」
ユーディーは、自分の肩をさすっているラステルの手に自分の手を重ねた。

「今度はちゃんとお祈りできるように頑張るわ。あたしとラステルが一緒にいられます
 ように、って。ラステルもお祈りしてくれなくちゃダメよ?」
「ええ」
しっかりとラステルは頷いた。
「ねえ、ヴィトスもちゃあんとお祈りしてね。あたしとラステルが末永く幸せに
 暮らせますようにって」
残っている痛みを払うように軽く首を回してから、ユーディーはラステルの身体を
しっかりと抱きしめた。
「……何で僕が」
「何でって、それくらいしてくれてもいいでしょ」
「そうはいかないよ。僕には僕の願い事があるんだからね」
「えっ、ヴィトスでも願い事なんてあるんだ。ねえねえ、どんな事?」
興味津々で尋ねるユーディーに、ヴィトスはさも当然と言った風に答える。
「もちろん、ユーディットが早く借金を返してくれますように、ってさ」
「やっぱりそこか。うー」
それを聞いた途端、ユーディーは嫌そうに顔をしかめた。


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