● 011.見つけたくない本 ●

ファクトア神殿へと向かったユーディーとヴィトス。二人の背中が見えなくなっても、
しばらくラステルは手を振っていた。
「……」
やがて力なく落ちた手は自然に拳を作っていた。その手を自分の胸に押し当て、もう片方の
手の平でそれを包む。そうしていても胸の奥から絶え間なく沸き上がる痛みを消せる訳でも
ないが、ラステルはどうにか寂しさを紛らわそうとする。
「ユーディー」
世界で一番愛しい人の名をつぶやき、うつむいて固く目を閉じる。
「ユーディー、ユーディー」
ユーディーが自分に黙って、元の世界、二度と会えない場所へ行く筈は無い。理性では
分かっているが、もし何か事故があって彼女に取り返しのつかない事でも起きたら
どうすればいいのか。
本当は、危険な場所へなんて行かないで欲しい。自分の側から離れないで欲しい。
ずっと一緒に、美味しいお茶を飲んだりおしゃべりをしたり、ベッドの中で抱き合って、
うとうととまどろんだりしていたい。
「……ふう」
やがて、ラステルはゆっくりため息を吐いた。
「だめね、私は。我が侭を言ってユーディーを困らせてはいけないわ」
自分勝手な事ばかりを言って、一方的な願望を押し付けて。そんな事を続けていたら、
ユーディーに嫌われてしまう。

今も、この場所から駆け出して彼女を追いかけ、その背中に抱き付きたい衝動を
頑張って押さえ付けている。
「大丈夫。ユーディーは必ず私の所に戻って来てくれるって言ったんだから」
そう自分に言い聞かせ、ラステルは首をゆっくりと左右に振った。
「だから、私は待っていなきゃ。待っていて、ユーディーが帰ってきたら笑顔で
 『お帰りなさい』って言わなくちゃ」
胸に当てた手を降ろし、目を開けて二、三度まばたきをする。それから、軽いとは
言えない足取りで図書館へと向かった。
図書館の扉を開くと、古い紙の匂いとひんやりとした心地よい空気が身体にまとわりつく。
「ええと。この間は、あっちのお部屋を見終わったから」
グラムナート一の規模を誇るこの図書館には、いったい何千、何万冊の本があるのだろうか。
一つの部屋を見て歩くにも、数時間では回りきれない。
「今日はこのお部屋ね」
ラステルは目的の部屋へと向かった。
「ええと、ここは……」
ドアを開けてざっと見渡すと、どうやらここは動物の本や図鑑が置いてある部屋のようだった。
ラステルの目的は、ただ一冊の錬金術の本。錬金術の本がここにあるとは思えないが、
それでも端からきれいに並んでいる本のタイトルを眺めていく。

「あっ、猫の本があるわ」
タイトルに興味を引かれ、その本を手にとってぱらぱらとめくる。中は絵本仕立てで、
コミカルな猫の挿絵がたくさん描かれていた。
「これ、すごく可愛いわ。絶対ユーディーに見せなくちゃ」
思わず読みふけっている所に、
「よう。何か捜し物か?」
「きゃっ」
後ろからいきなり声をかけられて、ラステルは小さな悲鳴を上げてしまう。
「あっ、ごめんごめん。驚かすつもりは無かったんだけど」
振り向くと、そこには全然悪びれた様子もなく笑っている冒険者が立っていた。
「コンラッドさん、でしたね。こんにちは」
ユーディーと一緒の時に、何回か話しをした事がある男の人。ユーディーの知り合いだから
恐くない、と自分を励ましながら、ラステルは丁寧に頭を下げる。
「ああ、こんにちは。ところで今日はユーディットは一緒じゃないのか?」
「ユーディーは、ファクトア神殿に行ったんです」
「んだよ、神殿行くなら声かけてくれりゃいいのに」
ちっ、と舌打ちをする。
「あっ、でも、ぷにぷに玉を買いに行くだけだって言ってました。あまり深い所までは
 潜らないって」
それを聞いて、コンラッドはぽりぽりと頭を掻いた。

「ぷにぷに玉かあ、しっかしあいつも、いつも変なもん欲しがるよな」
「そうですね、変ですよね」
思わず笑ってしまうと、なんとなく気分が軽くなっていくような気がする。コンラッドの
少々砕けたテンポの良いしゃべり方は聞いていて気分が良かった。
「ふうん、猫の本か。しかしあんたら猫好きだな」
ラステルの持っていた本に目を留める。
「ユーディットなんか、猫見るたびにしゃがみこんでこねくり回してるからな。
 よっぽど可愛がってんだなあ」
それはこねくり回してるんじゃなくて、多分ヒゲを……。そう思ったがラステルは黙っていた。
「ところで、何か探してる本とかあるのか? 俺もこの図書館はちょっと詳しいからな、
 もし捜し物があるんなら手伝ってもいいぜ」
親指を立て、少し得意そうな顔で自分を指す。
「あっ、いえ、あの、大丈夫です。捜し物はあるんですけど、見つけたい訳じゃなくて。
 えっと、そうじゃなくて、あ、ごめんなさい」
思わず正直にしゃべってしまったが、当然コンラッドは不思議そうな顔をする。
「探してないけど見つけたい物? 何かのなぞなぞとかか? うーん」
「いえ、そうじゃないんです、ご、ごめんなさい」
誰にも話すつもりはなかったのに、軽快な口調に乗ってしまい、ぽろりと言葉がこぼれて
しまった。恥ずかしくなってしまったラステルは、うつむいてしまう。

「……何か訳ありか? 何だか面白そうだな。良かったら聞かせてくれないか?」
指を顎に当て、コンラッドは少し考え込むような表情をする。訳の分からないラステルの
発言を茶化すでも馬鹿にするでもなく、本当に純粋に興味を持っている様子を見て、
ラステルは少しだけ安心した。
「笑わないで下さいね。錬金術の本を、ユーディーの書いた本を探しているんです」
思わず声を潜めてしまう。
「本? ユーディットが本なんか……、おっと」
驚いて若干声が大きくなってしまったコンラッドは、慌てて自分の頭を両手でかばい、
不安そうな表情で自分の上の空間を見回す。
「どうしたんですか?」
「いや、この図書館さ、大声出すと幽霊に本落とされるんだ。あ、気にしないでくれ」
気にしないでと言われても、幽霊の話しにもそれこそ興味をそそられるが、自分の話が
途中になってもいけないのでそちらを優先する。
「それで、あの、ユーディーが二百年前から来た、ってお話しは聞いてますか?」
「ああ、うん、まあな。俺としては今ひとつ……、何て言うか、あれだけどな。でも
 あいつが作るアイテム、あんなのはどの場所でも見た事無いし」
腕を組み、うーんと首をかしげる。
「二百年前から来たのは、本当なんです。それで、ユーディーは二百年前に帰る為に、
 りゅ、『竜の砂時計』を作る為に……」
砂時計の事を口に出すと、若干、語尾が震えてしまう。

「そう言えばそんな事言ってたな。竜の角がどうとか、ゼペドラゴンがどうとか
 聞かれたっけ」
ファクトア神殿奥深くに住むと言う巨大化した古代竜。その破壊力、凶暴さは想像を
はるかに上回る。決して手を出してはいけない程危険だと説明したが、その話しを聞いて
なお、ユーディーは古代竜を倒しに行く覚悟だと言う。
根本的に勘違いをしているのかもしれないが、彼女がそこまでして成し遂げようとする程の
決意を持っている事は、コンラッドには分かっていた。
「それで、ユーディーが二百年前に……、帰ったら」
本当は帰ってなんて欲しくはないけれど、と口の中でつぶやく。
「本を書くって言ってるんです。錬金術の本を」
なんとなく顔がこわばっているのが分かる。それをほぐそうと、ラステルはゆっくりと
意識して、落ち着いた呼吸を心がけた。
「本だったら、大切に保管されれば百年とか二百年とか、保ちますよね?」
「うーん、どうかなあ。そんな古い本は見た事無いから良く分からないけど」
「でも、ユーディーだったら紙が痛まないような魔法をかけられるかもしれません。
 ただ困るのは、ユーディーのいた時代にはヴェルンの街がまだできてないらしくって」
「ふうん」
コンラッドは曖昧に返事をする。

「本を書いてからヴェルンができるまで百年くらいかかるのかしら? その間本がどこに
 保管されるか分からないんですけれど、この図書館ができたら、きっとここに来ると
 思うんです。だからここなら探せる筈なんです」
ラステルは形の良い顎に指を当る。
「何だか、スケールの大きな話しだなあ。俺には良く分かんないけど」
不思議そうな表情で首をひねっているコンラッド。そんな彼を見て、ラステルはうっかり
しゃべり過ぎてしまった事に気付いた。
「ご、ごめんなさい! 私ったら、一人で勝手にお話しを」
かああっ、と頬が熱くなる。
「ええと、そういう訳なんです。一方的におしゃべりをしてしまって、ごめんなさい」
慌ててぺこぺこと頭を下げ続ける。
「あっ、いや、そんなに謝らなくてもいいよ」
「でも」
「気にすんなよ。そもそも、聞きたいって言ったのは俺の方だし。なるほどねえ、それで
 ユーディットの書いた本を探しているって訳だ」
うんうん、と頷いたコンラッドだったが、
「あれ、ちょっと待てよ。さっき、見つけたい訳じゃないって言わなかったか? 探して
 るんだろ、それなのにどうして」
「えっ、あの、それは」
熱くなっている頬が、更に熱くなる。

「あの……、見つからなければいいな、って思ってるんです」
「へ? だって今、ヴェルンでなら探せるって言ったばかりじゃないか」
「そ、そうなんですけど。あの、あの」
自分がずっと抱えてきた思い。ユーディーにさえ秘密にしていた行動を第三者に
説明するもどかしさ、恥ずかしさ。それでも、いつか誰かに聞いてもらいたいと
心の底ではわずかに思っていた。
「ヴェルンには、いろいろな本が集まりますよね。ここに無い本は無いってくらいに」
「まあ、そうかもしれないな」
「だから、この図書館で本が見つからなければ」
じわり、と喉に熱いかたまりがこみ上げる。
「この図書館にユーディーの書いた本が収められていなければ、ユーディーは過去で本を
 書かなかった、つまり……、過去に帰らなかったって事になると思うんです」
その本が見つかってしまえば、ラステルの希望は打ち砕かれてしまう。それでも
本が見つからない間は、ユーディーが過去に帰らないと信じていられる。
「でも、あれだろ? 見つけたくないんだろ、だったら探さなきゃいいんじゃねえの?」
「それはずるい気がするんです。もしユーディーの本が存在するとしたら、それを
 見つける努力をしないで、最初から無い事にするなんてしちゃいけないと思って」
「……」
コンラッドは、難しい顔をして考え込んでしまった。

「あの……、あの、変な事をいっぱい言ってしまって、ごめんなさい」
心の中で思い詰めれば詰める程、考えは独りよがりになっていく。それを上手く言葉に
できなくて、言葉にするとまるで言いたかったのとは違う事を言ったみたいで、
哀しくなってしまったラステルはくちびるを噛んだ。
「いや、変じゃないよ。ただ、俺は頭が悪いから、ちょっと分からなかっただけで。
 何か、いろんな事考えてるんだな」
ふっと肩の力を抜くと、コンラッドは自分のズボンのポケットに手を入れた。
「これ、やるよ」
それから、何かを握ったその手をラステルに差し出す。
「はい?」
その動作に釣られて出したラステルの手の平に、きれいな包み紙でくるまれた飴玉が
三個落とされる。
「ありがとうございます。でも、三個も?」
少し驚いているラステルに、コンラッドは優しい笑みを見せた。
「ああ。お前さんが本を探しながら舐めるのが一個。ユーディットが帰ってきてから
 一緒に舐める分が二個。本当は図書館で物喰っちゃいけないんだけど、こんぐらいなら
 バレないだろう」
「あっ、ありがとうございます」
慌てて頭を下げる。お礼の意味もあったが、照れてしまった顔を見られないようにする
気持ちもあった。

「あのさ、見つかんないといいな、本。……って言うのも変だけどさ、頑張れよ」
「はい」
挨拶代わりに片手を上げ、コンラッドは部屋を出て行った。
「……」
片方の手には、三個の飴玉。もう片方の手は、コンラッドと話しを始める前からずっと
持ちっぱなしだった猫の本。
「うふふっ」
ラステルは小さく笑うと、飴玉と本をしっかりと抱きしめた。


 ユデアトの1回目のエンディング(帰っちゃうED)で、最後にラステルが
 読んでいる本は、ユーディーが書いた本なんじゃないかなあ、と。
 200年後の世界(ラステルのいる世界)では本なんて書いてなかったし、
 ユーディーが帰る前にユーディーの書いた本を見つけるイベントも無かったので、
 あれはユーディーが帰った後、ラステルが一人で見つけた本なんだと思います。
 (もしくは、めざといヴィトス辺りが見つけたかもしれないですが)

 このラステル×ユーディーシリーズは、帰らないEDの方をベースにしているので、
 ラステルはユーディーの書いた本を見つける事はありません。


ユーディー×ラステルSSへ  TOPへ戻る