● 010.離れられない気持ち ●

「うーん、ぷにぷに玉が足りないなあ」
ネクタルや神丹の材料、ひとくちだんご。そのひとくちだんごの材料になる、大切な
ぷにぷに玉の在庫が底を突いてしまった。
「困っちゃったなあ。採取場に行って、ヴィトスにちょこちょこっと取ってきてもらおうか。
 でも、そこら辺のぷにぷにから取ったヤツだと、質も悪いし変な従属が付いてたりするし」
いくつも調合機材の乗ったテーブルの前で、ユーディーは首をひねる。
「だったらユーディー、ファクトア神殿に行ってきたら?」
「へ?」
調合作業の邪魔にならないようにとベッドに腰かけて本を読んでいたラステルに声を
かけられ、ユーディーは振り向いた。
「ファクトア神殿には、ぷにぷに玉を売っている妖精さんがいるんでしょう? 前に
 ユーディー、話してくれたじゃない」
「あ、そうだった。ラステルってば良く覚えてるねえ、あっ、でも」
もごもごとユーディーは口ごもってしまう。
「でも、あたしが出かけたら、ラステルが一人になっちゃうよ……」
「私の事だったら大丈夫、ファクトア神殿に付いていきたいなんて言わないわ。ユーディーが
 帰ってくるまで、安全な場所でお留守番しているから」
「ああ、うん、ごめんね」
ラステルはかたわらに本を置いて立ち上がると、ユーディーに歩み寄る。

「ユーディーは、ちゃんと私の所に帰って来てくれるよね?」
「もちろんだよ! だって、ラステルのいる場所が、あたしの帰る場所だもん」
「嬉しい」
ユーディーの正面に立ったラステルは、ふわり、と彼女に抱き付いた。
「だったら、ユーディーが信頼してる、ユーディーを守ってくれる人と一緒に行ってきて。
 私、ちゃんと待ってるから」
「ラステル……」
以前、危険な採取場に行きたいと駄々をこねたり、ユーディーの護衛をしてくれる人に
焼き餅を焼いたラステル。もちろん今でも我が侭を言いたい気持ちはあるが、それを
こらえて優しい笑みを浮かべる。
「……」
ラステルの耳元で、ユーディーがささやいた。
「えっ、何?」
「ラステル、大好き」
「ええ、もちろん私もユーディーが大好きよ」
「うん、嬉しい」
ユーディーの腕がラステルの背中に回り、華奢な身体を抱きしめる。
「何かいつも、ごめんね」
「ううん、ユーディーが謝る事なんて無いわ。全然よ」
「だって、あたしいつも……」
ふっと言葉が途切れ、微妙な沈黙が訪れる。

「……」
「あっ、そ、そうだ、ユーディー!」
何となくだが、ユーディーは言いづらい事を口に出そうとしているのではないだろうか。
そんな風に感じてしまったラステルは漂っている重苦しい空気に耐えられなくなり、
わざと明るい声を作った。
「ファクトア神殿に行くのにヴェルンを経由して行かない? そうしたら、ヴェルンの
 街まで私を連れて行ってくれないかしら」
「ヴェルンの、街?」
今現在ユーディーの工房のあるメッテルブルグからファクトア神殿に行くには、
プロスタークかヴェルンを通らなくてはならない。
「ええ。私、図書館に行きたいの。探したいご本があるから、ユーディーが神殿に行って
 いる間、ヴェルンの図書館にいるわ」
「そうなんだ。だったら丁度いいね、そうしたら、ぷにぷに玉を手に入れたらまた
 ヴェルンに戻ってきて、ラステルに合流できるし」
ラステルを抱いているユーディーの手に、力が入る。
「じゃあ、ヴェルンまで一緒に行こう。それから、ヴェルンから帰ってくるのも、一緒」
「ええ」
「……」
また、ユーディーは無言になってしまう。

「ユー……」
どうしたのか尋ねようとしたが、消えそうなユーディーの声が耳に入り、ラステルは言葉を飲む。
「ラステルと、離れたくないよ」
「……」
ずきん、とラステルの胸の奥に切ない痛みが響いた。
「ええ、わ、私もユーディーと、離れたくないわ……」
自分の声が震えているのが分かる。
「うん」
二人はしばらく、抱き合ったままでいた。

◆◇◆◇◆

「さてと。ヴェルンに到着〜!」
メッテルブルグを出てから数日経ち、ユーディー、ヴィトス、ラステルの一行は無事に
ヴェルンの中央広場に着いた。
「じゃあ、私はここで。ユーディー、頑張ってね」
ユーディーが神殿から戻ってくるまでの数日間、ヴェルンに宿を取り滞在する予定の
ラステルは、ユーディーににっこりと笑いかけた。
「うん、頑張るよ」
張り切るユーディーに、ヴィトスが声をかける。
「ところで、ラステルはここに置いていくとして。後一人、護衛はどうするんだい?」
「ああ、それは大丈夫なの。ファクトア神殿入ったとこにメルさんがいる筈だから、
 護衛をしてもらうよ」
ファクトア神殿に入ってすぐの所で、剣の修行をしているらしいメルをよく見かける、
ユーディーはそれを当てにしているらしい。
「でなかったらクリスタとか、コンラッドとか。ヘルミーナさんも……、いやいや、
 それはまあ、最後の手段に」
あははと笑って、それからうっかり本人に聞かれなかったか、左右を見回す。
「ユーディー」
ラステルがユーディーに歩み寄る。

「絶対、無理はしないで。それだけ約束して」
「うん、絶対に無理はしない。約束する」
小指を出すと、ラステルもそれに倣う。二人は小指を絡ませ、しっかり約束をした。
「それから、必ずラステルのとこに帰ってくる。それも約束するね」
「……ええ」
しっかりと頷くラステルの耳元に顔を寄せ、ユーディーは軽く口づけた。
「あっ」
頬を赤くして、ラステルはうつむいてしまう。
「ラステルもして。あたしが無事に帰ってくるように、おまじない」
それから、自分の耳を指さすと、ラステルは言われるままにキスをする。
「うん、じゃ、行ってくるね!」
「行ってらっしゃい、ヴィトスさんもお気を付けて」
返事の代わりに肩をすくめるヴィトスと、いつまでも手を振るユーディー。ラステルは
二人の姿が見えなくなるまで、ずっと見守っていた。

◆◇◆◇◆

「……」
「どうしたんだい、ユーディット」
「どうしたって、何が?」
ヴェルンの門を出て、ファクトア神殿へ続く道を向かう。道と行っても石畳で舗装された
歩きやすい道ではなく、森の中を分け入っていくような細い道だった。
もう、ヴェルンは見えない。それなのにユーディーは何度も何度も後ろを振り返る。
「ラステルは付いて来ないよ。何だか急に物わかりが良くなったみたいだし、街で
 大人しくしてるんじゃないかな」
「へ?」
きょとんとした顔でヴィトスを見つめる。
「ラステルがこっそり後を付けてこないか心配しているんだろう? さっきから、ずっと
 後ろを気にしているじゃないか」
「ラステルは来ないよ、安全な場所にいるって約束したもの」
「だったら、何で」
「何でって、きゃっ!」
これで何度目か、後ろを向いた拍子にユーディーの身体がバランスを崩す。
「危なっかしいな、君は」
ユーディーが山道で転んでしまう前に、ヴィトスはさっと彼女の方へ向き直り、手を伸ばした。

「あ」
ヴィトスの胸に倒れ込んでしまったユーディーはかぼそい声を上げる。
「大丈夫か、ユーディット?」
期せずして、ユーディーを抱きしめる形になってしまう。
「あっ、うん、へい……き」
しかし、ユーディーはヴィトスから離れようとはしない。
「ユーディット?」
ユーディーの肩が震えている。やがて、ひっく、ひっくと小さなすすり泣きが聞こえてきた。
「どうしたんだユーディット。足首でもひねったか? それとも僕が何か気に障るような
 事を言ったかな?」
「ち、ちが……」
弱々しく首を左右に振る。
「あたし、あたし……、何だか最近、おかしいの」
君は初めて会った時から相当おかしかった、そんな茶化すような言葉をヴィトスは飲み込んだ。
「おかしいって、何がだい?」
確かに、ユーディーが自分に対してこんな無防備に涙を見せるなんてただごとではない。
「あたし、ラステルが好きなの。本当に好きで、大好きで」
「それは知ってるよ」
ぐすん、とユーディーは鼻をすする。

「最初はね、ラステルと一緒にいれば幸せだなあ、って思ってたの。でも、このごろは
 ちょっとでもラステルと離れると、何だか、む、胸が苦しくて、辛くて……」
その後の言葉は涙に飲まれ、聞き取れなくなる。
「今だってあたしの都合で神殿に出かけるのに、やっぱりラステルと一緒におうちに
 いれば良かったって、そんな事を考えちゃうの。後ろを向いたってラステルがいないのは
 分かってるよ、それなのに、どうしても気になって」
「……」
馬鹿にしていいのか、なぐさめていいのか。とりあえずヴィトスは、ユーディーの髪を
優しくなでてやった。
「うっ……、うっ、く」
ユーディーの手がゆっくりと上がり、ヴィトスの胸元にしがみつく。
「ずっと、毎日ずっと、ラステルと一緒にいても、いなくても、ラ、ラステルの事しか
 考えられなくて……」
特に返事もせず、ヴィトスはユーディーの髪をなで続ける。
「何だか、あたしどうしちゃったんだろう。こんなの変だよね、でも気持ちが止まらないの」
確かに、ユーディーとラステルがお互いを想う感情は、仲の良い友達という域を
大きくはみ出しているような気がする。
「このままじゃあたし、『竜の砂時計』ができても元の世界に帰れないよ。ラステルの
 いない場所になんか、行かれない」
元の世界に帰れない。その言葉を聞いてヴィトスの肩がぴくり、と動く。

「まあ、無理に気持ちを押し殺す事も無いんじゃないかな」
「……えっ?」
「君はラステルの事が好きなんだろう。だったら、それでいいじゃないか」
「で、でも」
ユーディーがちらりとヴィトスを見上げる。涙で濡れて濃く光るまつげ、哀しそうに
うるんだ瞳。紅潮した頬、少し早くなっている呼吸。
「君はラステルが好き。ラステルは君が好き。それで何かいけない事があるのかい?」
ユーディーをこの世界に引き留めたい。しかし素直にそうとは言えず、そんな感情を
認めもしたくないヴィトスは、微妙に問題の中心をずらす。
「いけなくはないと思う……、けど」
「じゃあ大丈夫だよ。君は、君の思う通り、したいようにすればいい」
「あっ、う、ん。うっ……」
ユーディーの瞳に、じわりと新しい涙がこみ上げ、
「うっ、あ、ああんっ……」
そして再びヴィトスの胸に顔を埋め、激しく泣き始めた。
「いいよ、泣きたいだけ泣いて」
わずかに、こくりと頷くユーディーの背中を、ぽん、ぽんと優しく叩いてやる。
「うっ、うくっ、えっ……」
自分の腕の中で震えているユーディー。彼女の肩はこんなにも小さいんだな、そんな事を
ヴィトスは考えてしまう。

「うっ、ぐすっ、ぐすっ……」
「ユーディット?」
やがて、ユーディーの泣き声が徐々に収まってくると、ヴィトスはそっと声をかけた。
「顔を上げてごらん、ユーディット」
ヴィトスの手が、ユーディーの背中から首の後ろに移る。それから耳元、あごへと
伝っていく。先ほど自分を見上げていた濡れた瞳を思い出し、それをもう一度見たくて
彼女の顔を上げさせようとするが、ユーディーはいやいやをする。
「泣き顔を見られるのが恥ずかしいのかい? 大丈夫だよ、ここには僕しかいないから」
ただ顔を上げさせるだけではなく、ほんの少しなら彼女のふっくらとしたくちびるに
触れても許されるかもしれない。決してやましい気持ちではなく、あくまで泣いている
彼女をなぐさめる目的で。最初は驚くだろうが、自分にこんなにしっかり抱き付いてくる
くらいだから、ユーディーもその気が全くないと言う訳でもないだろう……。
「あ、あの、ね」
うっかり自分勝手な楽しい空想に浸っていたヴィトスは、ユーディーの声で我に返る。
「は、はにゃが……、何か拭くの、ちょうだい」
それから、何となくロマンティックと言えなくもなかった雰囲気をぶちこわしにする、
ずびびっ、と鼻をすする音。
「……君は」
「早く、早くぅ、た、垂れる」
眉間に寄ってしまうしわを隠しもせず、ヴィトスは懐から薄い水色のハンカチを出し、
それをうつむいているユーディーに渡した。

「ありがと」
短く言うとユーディーは自分の顔にそのハンカチを押し付けた。後ろを振り向きながら
数歩離れ、ちーん、と豪快に鼻をかむ。
「それ、返さなくてもいいからね」
「ん、ありがと」
その言葉に甘え、ユーディーは気が済むまで顔を拭いていた。
「その代わり、新しいのを請求させてもらうから」
「ええーっ! そんなのってないよ、これ新品じゃないでしょ?」
さんざん泣いてすっきりしたのか、ヴィトスの方へ向き直ったユーディーは腫れぼったい
目をしながら言い返す。
「新品かそうでないかなんて関係ないよ、それ気に入っていたんだ」
「ううう、ごめん」
困った顔をしながらも、先ほどの寂しそうな表情は消え去っているように思える。
それに安心して、ヴィトスはやれやれと言った風に首を振った。
「それと、さっさと泣きやんでくれないかな。今誰かに会ったら、まるで僕が君を
 いじめていたように思われるじゃないか」
「もう泣いてないよ。それに実際、ヴィトスいつもあたしをいじめてるじゃない」
ぷん、とくちびるをとがらせて見せるが、すぐにはにかんだ笑顔になる。

「えへへ、でも、本当にたま〜にだけど、優しいよね。ありがとう」
「たまに、は余計だよ」
こぶしを軽く握り、叩く真似をするとユーディーは首をすくめた。
「きゃっ。恐いよう〜」
くすくす笑いながら、数歩走っては立ち止まり、ヴィトスを振り返る。
「こら、あんまり走ると転ぶぞ。転んで泣いて鼻を垂らしても、今度はハンカチ無いからな」
「転ばないよ。あたしが転ぶ訳ないじゃない」
つい先ほどつまづいて、ヴィトスに抱き留められた事はもう失念しているらしい。
「全く、君は」
ぶつぶつと文句を言いながらも、楽しそうにはしゃぐユーディーを見ていられるなら、
ハンカチ一枚程度惜しくはないかもしれない、などと考える。
「まあいい、ラステルが待っているんだろう? 早く行って用事を済ませて、早く帰ろう」
「うん!」
元気なユーディーの返事を聞いて、ヴィトスの頬が緩んだ。


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