● 009.神様と魔王様 ●

「こんにちは、ラステル」
メッテルブルグの中央広場をお散歩していたラステルに声をかけると、
「あっ、ユーディー。こんにちは」
立ち止まり、こちらを向いて小さくお辞儀をした。
「ねえ、ユーディー」
「どうしたの、ラステル?」
「あのね、私思ったんだけど」
可愛らしく首をかしげるその仕草に、ユーディーの頬も自然に緩んでしまう。
「思ったって、何を?」
「ユーディーって本当は神様とか、魔王様とか、そういう人なんじゃないのかなあ、って」
そう言って、ラステルはにっこり微笑んだ。
「へ?」
普段から、ラステルの突拍子もない言動には慣れている。慣れている筈なのに、その
慣れを上回る程の不思議な発言に、ユーディーは思わず間抜けな声を出してしまった。
「えっ、何? ど、どうして急にそんな事」
慌てるユーディーと対照的に、ラステルは普段通り、ぽややんとしたお嬢様的微笑みを
浮かべている。
「どうして、って言われても、何となくよ。そうだったらいいなあって思ったの」

「……な、何が? 何が、どういいの?」
「だって、ユーディーは二百年もの時を越えてここに来たんでしょう?」
「うん、まあそうだけど。だからって」
「だったら、少しくらい普通の人と違っててもおかしくないじゃない」
ユーディーの質問には全く答える気がないらしく、両手を組んで夢見る瞳を宙にさまよわせる。
「普通の人が少しくらい違くなった所で、神様や魔王様にはなれないと思うけどなあ」
「それに、ユーディーが神様だったら、私のお願いを聞いてもらうんだもの」
「ラステルのお願い? どんな?」
ちょっとした興味が湧き、尋ねてみるとラステルはほんのりと頬を染める。
「それは、ナイショよ」
「えー、教えてよう。それとも、あたしには言えないようなお願いなのかな?」
「そ、それは……」
ますます頬を赤くするラステルを見て、ユーディーはにやにやと笑みを浮かべる。
「教えてくれなかったら身体に聞いてもいいのよ。後であたしのお部屋に連れて行って、
 白状するまでくすぐっちゃおうかな」
「そ、そんな」
ユーディーはラステルの肩に手を置き、内緒話でもするように首筋にそっと顔を寄せる。

「それとも、こうやって」
「きゃっ」
耳元に、ふっ、と息を吹きかけると、ラステルがぴくりと肩をすくめる。
「ラステルの弱い所をじっくり攻めてあげてもいいのよ……、きゃっ」
いきなり後ろから、ぽかりと頭を叩かれてユーディーは小さな悲鳴を上げる。
「なっ、何するのよ!」
怒った顔で振り向き、そこにヴィトスが立っているのを見て、息を飲む。
「それはこっちの台詞だよ。こんな人通りの多い道の真ん中で、真っ昼間から
 何をしているんだ、君達は」
軽く拳を握り、もう一度叩く真似をするとユーディーは両手で自分の頭をかばった。
「えーん、ラステルぅー。ヴィトスがあたしをいじめるよう」
「別にいじめてなんかいないよ」
ラステルは二人のやりとりを聞きながら、楽しそうに笑っている。
「嘘、いつもいじめるじゃない。ああ、あたしが神様だったら良かったのに。そうすれば、
 借金なんて無かった事にして、いや、そもそもヴィトスを……、ふっふっふ」
「何か不穏な事を考えているようだね、君は」
「別に不穏な事なんて考えてないよ。それとも、魔王様になって、ダラクさせた方がいいかな?
 あっ、だったら」
「きゃ」
急にラステルの身体を抱きしめると、ユーディーは意味深な笑いを浮かべる。

「だったらヴィトスよりラステルの方がいいなあ〜。快楽と背徳の美酒に酔いしれさせて、
 あたしの思うさまに操っちゃうの」
「そんな、ユーディー」
ラステルは言葉を詰め、真っ赤になってうつむいてしまう。
「ねえ、ラステルはどんな風に誘惑されたい?」
「えっ?」
ユーディーは意味ありげに息を詰め、ラステルの耳元に再びくちびるを寄せる。
「あたし、ラステルが望む事なら何でもしてあげるよ。あっ、もちろん、他の人に
 酷い事をしたりとか、物を盗んだりとかそういうのは無しだけど」
それから、ちらっとヴィトスの方を見る。
「あ、ヴィトスに酷い事をするならいいかも……、きゃあ〜」
ヴィトスが握った拳を振り上げると、ユーディーは笑いながら肩をすくめる。
「全く、君はろくな事を考えないね」
ふう、とため息を吐くが、何かを思いついたらしく、ユーディーとラステルににっこりと
笑みを向ける。
「ああ、そうだ。僕も一部では悪魔だの何だの言われていてね」
「えっ」
「うん、知ってる。あと、鬼畜とか冷血漢とか、人非人とか守銭奴とか言われてるよね!」
妙にユーディーが調子づくが、ちらりとヴィトスに睨まれ、口をつぐんでしまう。

「まあ、それはそれとして。僕が悪魔だったら、君達を誘惑するのもいいなと思って」
「ええっ?」
少し不安な表情を浮かべるラステルをかばうように、ユーディーは一歩進み出る。
「へ、変な事したら承知しないわよ」
「変な事なんてしないよ。ただ、快楽と美酒で誘惑、って言うのも悪くないと思ってね」
「そんな、ヴィトスの誘惑になんか乗る訳ないじゃない!」
「さて、どうかな」
ヴィトスはゆっくりと片手を上げると、階段広場の方面をゆるやかに指さす。
「何? あっちに何かあるの?」
「階段の少し手前に、緑色の屋根のレストランがあるだろう?」
「あっ、知ってる。ラステルとランチを食べに行った事があるよ」
明るく清潔感があり、いつでも美味しいお料理を出すレストランはいつも大勢のお客で
混み合っている。ランチを食べに行った時も、数十分並ばないと入れなかった。
「あそこの店で、今度スイーツを作るらしいんだけれどね」
「嘘! あたし、そんなの知らないわ。ラステルは知ってた?」
尋ねられ、ラステルは首を左右に振る。
「ランチ食べに行った時もデザートが無くて、ユーディー物足りないって言ってたものね」
「知っている筈は無いよ。まだ試作段階だからね」
「じゃあ何でヴィトスが知ってるの?」
お菓子の話しになると、途端に興味津々になる。

「あそこのレストランとは若干取引があってね。それで、試作品のお菓子の味を見て
 もらいたいらしくて、いつでもいいから若い女の子を連れてきてくれ、って言われて
 いたのを思いだした」
「えーっ、何でそんな大事な事忘れてるのよ! ねえ、いつでもって今からでもいいの?」
「ああ、丁度ランチもディナーも時間が外れているから問題ないだろう」
ユーディーの目はきらきらと輝き、ヴィトスを見つめている。
「じゃあ行こうか、ラステル」
ヴィトスはそんなユーディーをわざと無視して、ラステルに微笑みかけた。
「えっ?」
「へっ、あたしは?」
「美味しいお菓子を食べるのは快楽だろう? 上質なリキュールも使ってるだろうから、
 美酒と言っても間違いではないし」
うん、と曖昧にユーディーは頷く。
「快楽と美酒。君は僕の誘惑には乗らないんだろう? 残念だったな」
笑いを噛み殺しながら、ヴィトスは首を振る。
「ええーっ!」
「そうですね。残念だったわねユーディー、じゃあヴィトスさん、行きましょうか」
「ちょっとちょっとラステルまでっ!」
歩き出そうとする二人の前に回り込み、ユーディーは怒った顔を作る。

「やだー、ラステルだけなんてずるいよー、ねえヴィトス、あたしも誘惑してよー」
ヴィトスのマントを掴み、ぐいぐいと引っ張る。
「何だかそういう風に言われると、とても意味深に聞こえるんだが」
「えっ?」
「いやいや、何でもないよ。仕方ないなあ、ユーディットも連れて行ってやるとするか」
「わーい、やったぁっ!」
「ユーディー、本当に嬉しそうね」
その後、みんなは何種類ものお菓子をご馳走になり、おみやげまで持たせてもらったのだった。


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