● 006.犬も喰わない ●

アルテノルトから工房のあるメッテルブルグへの帰路の途中。
普段だったら真っ直ぐヴェルンへの道を通るのだが、質の高いアステリアを採取したかった
ユーディーは、ファクトア神殿を経由した。
経由、と言っても、今回はラステルと護衛のヴィトスの三人で買い物がてらのお出かけで、
武器や薬も最小限しか用意していないので、ファクトア神殿の入口付近にアードラや盗賊が
潜んでいないのを確認して、目に付いた場所にあるアステリアを手に入れただけだった。
「ねえ、ユーディー?」
「なあに、ラステル」
群生している新鮮なアステリアをカゴに入れながら、ユーディーが返事をする。
「あのね、さっきから建物や木の陰に、緑色した何かがちょこちょこと……ええっ?」
突然ラステルが大きな声を出したので、驚いたユーディーは目を上げた。
「……妖精さん、ユーディー、妖精さんだわっ!」
両手で口を押さえ、木の茂みから、ぴょこんと顔を出している小さな子供を指さす。
「ああ、そうか。ラステルは見た事無かったな」
ユーディーの手伝いをするでもなく、ぼんやりと石の壁に寄りかかっていたヴィトスがつぶやく。
「あ、そうだったっけ。おーい!」
ユーディーが妖精さんに向かって手を振ると、その妖精さんがポテポテとこちらへ走ってくる。
「やあやあ、ユディおねえさんじゃないか。久しぶりだねえ」
ぺこり、と頭を下げると、その声を聞きつけてわらわらと妖精さんが沸いてくる。

「えっ、ユーデーおねえさん?」
「ユデェおねえさん、元気だった〜?」
「元気、元気よ!」
にこにこと挨拶するユーディーの隣で、ラステルは声もなく立ちつくしている。
「おねーさん、こっちのおねえさんは誰?」
「あのね、この子はあたしの大親友のラステル。よろしくね」
妖精さんは固まっているラステルに近付くと、
「よろしくね、ラステルおねえさん」
にっこりと微笑んだ。
「あ……、あっ」
ラステルはその場にぺたん、と膝をつく。
「ラステル?」
「妖精さん、あなた、本物の妖精さんなの?」
「どっからどう見ても、これ以上は無いってくらい本物さ」
ふふん、と偉そうな顔をする妖精さんに、ラステルはゆっくりと両手を伸ばした。
「きゃっ、きゃああっ!」
普段のラステルらしくない、興奮した声で妖精さんを抱きしめる。
「本物ね、本物の妖精さんなのね! すごいわ、やっぱり妖精さんは本当にいたのね!」
「く、くるしーよ、おねえさん……」
そう言いつつも、可愛い女の子に抱き付かれた妖精さんは幸せそうな表情をしている。

「ラステル、ドレスが汚れちゃうよ」
「だってユーディー、妖精さんなのよ!」
答えになっていない返事を返し、我も我もとやって来る妖精さんを一人一人、または複数人
まとめて抱きしめ、ラステルは夢心地だった。
「ううん、やっぱりおねえさんはいいねえ〜。ユーデーおねえさん、今度またきれいな
 おねえさん連れてきてね」
どさくさまぎれにユーディーの足にしがみついた妖精さんは、そう言って頬ずりをする。
「あの、髪が短くて身の軽いおねえさんもいいし、長い黒髪のヨロイのおねえさんもいいねえ。
 あと、ふわふわの髪の、ふわふわ浮いてるおねえさんも……」
妖精さんは言葉を切り、ちらりとヴィトスの方を見る。
「あ、おにいさんとかおじさんはどうでもいいからね」
ヴィトスに軽く睨まれ、妖精さんは慌てて逃げ出した。
「ねーねーおねえさん、神殿の中にいる僕達の仲間にも挨拶して行ってよ!」
妖精さんの一人が、ラステルのドレスの裾をくいくい、と引っ張る。
「えっ、神殿の中にもいるの?」
「うん。地下で誰かが壊した神殿を修復したり」
何かを含んだような目をユーディーに向ける。
「強いモンスターを退治する仲間もいるし、特別な部屋を護っている仲間もいるのさ」
そう言って、得意そうな顔をして見せる。

「ねえ、ユーディー。妖精さんが……」
「だめよ。今日は入口にちょこっと入るだけ、って言ったじゃない」
妖精さんとラステルの会話を聞いていたユーディーは、首を左右に振った。
「それに、今日はクリスタもコンラッドもいないから、トラップ解除できないもん。神殿の
 中に入っても先に進めないよ」
「ええっ、そんなのつまらないわ」
ラステルは頬をふくらませる。
「つまらないとか面白いじゃなくて、危ないの。宝箱なんかねえ、開けた瞬間爆発するんだからね。
 うっかり落とし穴に落ちて冷たい水に漬かっちゃったら最低だし」
「おねーさん達がトラップに引っかかる度、神殿が壊れていくんだよねえ……」
妖精さんがため息を吐く。
「あー、ほらほら、妖精さん達にも迷惑かけちゃうし。今日のところは帰ろ。ね?」
「えーっ、おねえさん、帰っちゃうの?」
「ユーディー、帰っちゃうの?」
「ねーねー」
何人もの妖精さんとラステルが一緒になってユーディーに甘えた声を出す。
「うん、またね。ラステル、ほら、さよならの挨拶して。ばいば〜い」
ユーディーはラステルの手をつかむと、無理矢理ばいばいをさせる。

「おねーさん、ばいば〜い」
それを見た妖精さん達も、仕方なさそうに手を振って、それからぽつぽつと散り始めた。
「さ、ラステル、帰ろ」
「……」
最後の妖精さんを見送った後になっても、ラステルはつまらなそうな顔をしている。
「ラステルぅ」
「ユーディー、ずるい」
「ずるい、って?」
「だって、私が妖精さんを探してるの知っていた筈なのに、今まで内緒にしてるなんて」
「内緒……ってのは違うと思うんだけど」
えへへ、と愛想笑いをしてみるが、ラステルの機嫌は直らない。
「それに、さっきの妖精さんの話しだと、クリスタさんやエスメラルダさん、パメラさんは
 ここに来た事があるんでしょう? それなのに」
ラステルはゆっくりと目を伏せる。
「私だけ、連れてきてもらった事がないなんて」
そして、悲しそうに小さくつぶやいた。
「だ、だってそれは、危ないし。街からも遠かったし」
ついさっきまで、妖精さんに囲まれてにこにこしていたラステル。そのラステルがくちびるを
噛み、今にも泣き出しそうになっている。

「今度さ、クリスタと一緒に来よう。あっ、でも、あたしとクリスタとラステルじゃ、
 攻撃面でちょっと頼りないかなあ。もう一人剣士を……でもそうすると、ラステル連れて
 来れないし……」
「もういい」
ラステルは、妖精さんにばいばいをさせられた時から自分の腕を握っていた、ユーディーの手を
振りほどいた。くるり、とユーディーに背を向け、ヴェルンへ向かう道をすたすたと歩き出す。
「ラ、ラステル、待ってよ!」
「……」
すぐにラステルの後を追いかけるユーディー。しかし、ラステルは振り向こうとしない。
「ごめん、気を悪くしたんなら謝るよ、でもあたしは本当にラステルの為を思って」
「……」
ユーディーが横に回り込むと、ぷい、と顔を背ける。
「だって、ヴェルンの採取場でアードラに遭った時も危なかったじゃない! ラステルをまた
 そんな目に遭わせたくないの!」
ぴくり、とラステルの肩が震え、足が止まる。
「そっ、か……、そうよね。ごめんなさい」
「ラステル?」
ラステルの瞳に、じわりと涙が滲んだ。

「私、またユーディーにわがまま言って、ユーディーを困らせちゃうところだった。ごめんなさい」
「ラステル、泣かないで。あたし困ってないし、泣かなくていいから。ね?」
「うん」
ユーディーは優しい声をかけながら、涙をこすっているラステルの頭や肩を優しく撫でる。
「いつか、あたしがうんと強くなって、敵を一掃できるアイテムとか作れるようになって、
 ラステルに絶対ケガさせないって自信が持てるようになったら、その時は必ずラステルを
 ファクトア神殿に連れて行くから。ね?」
「うん」
ラステルはしっかりと頷いた。
「その時は、ユーディーもケガしちゃ嫌よ。私、ユーディーが痛い思いをするのは嫌」
「うん、あたしも、ラステルも。二人で無事に行って帰って来ようね」
「ええ。ユーディー、約束よ」
ラステルが片手の小指を立てて見せると、すぐにユーディーも自分の小指を絡める。
「うん、約束」
それから、絡んだラステルの指に軽いキスをした。
「そうすると、もう一人はやっぱりクリスタかな。攻撃性が高くて、攻撃回数たくさんついてる
 武器を精製して……」
つぶやいてから、思い出したように後ろを振り返る。

「ね、ヴィトス。ヴィトスって、トラップ解除できたっけ?」
今まですっかり存在を忘れられていたヴィトスは、肩をすくめた。
「いや、残念ながら」
「そっか。手先器用だし、できてもおかしくないのにな」
「僕はもともと遺跡とかその手には興味がなかったものでね。今までの人生の中で、宝箱を
 開ける必要性に迫られた事がなかったんだ」
「うーん、そっか。四人……だと、戦闘の時の並び方に不都合があると言うか、横に広がると
 通路いっぱいになっちゃって、動きにくくなりそうだしなあ」
「うふふ」
すっかり涙が乾いたラステルは、ユーディーの腕に自分の腕を絡めた。
「ありがとう、ユーディー」
「んっ?」
「私のお願い、すごく真剣に考えてくれて、嬉しい」
にっこりと笑って、ラステルはユーディーの頬にキスをする。
「えっ? いやぁ、まだ結論って言うか最善策は見つかってないから、そんな」
「ううん。私の事考えてくれるだけで嬉しいの」
はにかむラステルに、今度はユーディーがキスを返す。

「そう? だってあたし、いつでもラステルの事考えてるよ。ラステルの事大好きだもの」
「私もユーディーの事考えてるわ。ユーディー、大好き」
軽いキスを繰り返している二人を見て、
「……やれやれ、犬も喰わないってのは正にこれだな」
ぽつり、とヴィトスがつぶやいた。
「犬?」
「いや、独り言だ。気にしないでくれ。ところで、道を急いだ方がいいんじゃないのか?
 ここいらは、日が暮れるとオオカミが出る場所だぞ」
「オオカミ! ラステル、行こっ」
ユーディーは開いている方の手で、自分達が行く方角を指さした。
「あっ、ねえヴィトス、さっきの話しだけど、犬って言えば聞きたい事があったんだ」
「んっ?」
今度は歩みを止める事なく、会話が続いていく。
「あのさ、いつだか、びっくりアイテム展覧会に出てた時の『ツネっても鳴かない犬』っての。 
 あれ、どうやってんの?」
「ああ」
ヴィトスはしばらく黙り込んでいたが、
「……企業秘密だよ」
それだけ言うと、小さな笑いを浮かべる。

「何それ。気になる、気になるっ! 第一、ワンちゃんをツネるなんて、そんな酷い事
 しちゃいけないんだからね」
「でも、ユーディーも猫さんのおヒゲを抜いてるわ」
「あっ! あ……、それは……」
一瞬遠くに目をやるユーディー。
「いやいやいや、あれは、ちょこーっと切ってるだけよ。錬金術の為には必要な、最小限の
 尊い犠牲なのよ、うん」
それから、ちらりと後ろを向く。
「それよりも犬よ。ねえ、どうやってんの? 教えてよ」
「まあ、実のところ、ツネる時にちょっとしたコツがあってね。何なら、君で試してみて
 あげてもいいけれど」
手を上げたヴィトスは、親指と人差し指をちょんちょん、と動かした。
「あっ、いやあ……、ええっと、今日はいいや。遅くなるとオオカミ怖いし、行こっ、ラステル」
「きゃっ」
すたすたと早足になるユーディーと、それに引きずられるラステル。その二人の背中を
護るように、ヴィトスが後ろを歩いていった。
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