● 002.不死鳥見学ツアー ●


「ユーディー、遊びに来たよ〜」
メッテルブルグの黒猫亭の二階、ユーディーの工房のドアを、ラステルは元気よく開けた。
「あら」
部屋の中では、ユーディーとヴィトスが真剣な顔で向かい合っていた。
「ごめんなさい。私、お邪魔だったかしら」
「あっ、いいのよラステル、気にしないで」
後ずさりながらそっとドアを閉めようとしたラステルを、振り向いたユーディーが引き留める。
「でも……」
ちらりとユーディーの顔を見る。それから、ヴィトスの方もうかがう。
「やっぱり、恋人同士が二人きりでいるお部屋に入っていく訳にはいかないわ」
「えっ?」
ユーディーは慌てたような声を出す。
「あ、ええっと、その、恋人、って」
「ああ……、そうだったっけ? そうだったね、うん」
ヴィトスは図々しくもユーディーの肩を抱こうとする。
(違うでしょっ)
「うっ」
肩に手が回る前に、小声で怒りながら、ユーディーは彼の脚を蹴っ飛ばした。

先日、勧められたお見合いを断る為に、ラステルはユーディーを自分の恋人だと言う事にして
父に紹介しようとした。そんな嘘はつけないと、ユーディーはヴィトスと恋人同士のふりをして、
何とかラステルの無茶な願いを突っぱねたのだった。
結果、ラステルは自力での父の説得に成功し、お見合いの話しは白紙に戻っていた。

「やっぱりユーディーとヴィトスさんって仲がいいのね。少しうらやましいな」
ラステルは懐からきれいなハンカチを取りだし、それでそっと目元を押さえる。
「ラステル、違うのよ」
ユーディーはすぐにラステルのそばに駆け寄り、彼女の肩に手を置いた。
「えっとね、そう、ヴィトスとはもう、別れたの!」
「ええっ?」
今度はヴィトスが驚いたような声を上げる。
「だから別にもう恋人でも何でもないの。今だって、借金の利子を取り上げられてただけだし」
恨みがましい目でちらりとヴィトスを睨む。
「あたしとヴィトスはただの知り合い。だからラステルが気にする事ないのよ。ねー、ヴィトス」
「ああ、うん」
『恋人』から『ただの知り合い』にまで格下げされてしまったヴィトスは、わずかに肩を落とした。
「そうなんだ。だったら私にもチャンスはあるのね」
しっかりと涙を拭いてからラステルが顔を上げる。
「チャンス?」
「ううん、何でもないわ。あら、ところでそれって」
ヴィトスの握っているオレンジ色の羽根に目が留まる。
「不死鳥のおっぽ、よね。とてもきれい」
「そう。でも、取り上げられちゃったの」

「まあ、ひどい」
「ひどいよねー」
「な、何だ何だ? 僕は正当な利子の金額の代わりとして、このアイテムを徴収しただけだぞ」
女二人の非難の目にさらされ、ヴィトスは思わず一歩後ずさる。
「正当な利子、ねえ」
「いいなあ、不死鳥のおっぽ。私も欲しいな」
ラステルは、どうやらその羽根に興味を持ったらしい。
「どこで売ってるの?」
「うーんと、アルテノルトの雑貨屋さんで、たまに売ってるかな?」
不死鳥のおっぽのような貴重品を取り扱っている店舗は少なく、入荷は安定的ではなかった。
とてとて、とヴィトスに歩み寄ったラステルは、彼が手にしている羽根をじっと見つめている。
「ふうん……、今度、ユーディーに連れて行ってもらう時に、買い占めてこようかな」
「ええっ、買い占められたらあたしが困るよ!」
ラステルの行動力と財力を考えると、アルテノルトの雑貨屋で売られているアイテムを全て、
それどころか、店を丸々買ってしまっても不思議ではない。
「そう? うーん、残念」
ラステルは、そっと手を伸ばして羽根の表面に触れた。
「ふわふわで、やわらかくて、何だかほんのり温かいわ。この鳥の羽毛でお布団を作ったら、
 さぞかし寝心地がいいでしょうね」

「うん、きっと冬なんかお布団から出てこれなくなっちゃうね」
「私はユーディーと一緒だったらずっとお布団の中でもいいけど……」
ちらりとユーディーを見て、それから恥ずかしそうにうつむく。
「ええと、もう、羽根をしまってもいいかな?」
「えっ、もう少し見ていたいんですけど、ダメですか?」
ラステルが控え目に尋ねる。
「ダメだよ、これは仕事で差し押さえた物なんだから」
「んもう、意地悪いなあヴィトスはっ! ラステルが見たいって言ってんだから、もう少し
 見せてあげてもいいじゃない」
「ダメだよ」
「うーっ」
拗ねるような声のユーディーには構わず、ヴィトスは羽根を片づけてしまった。
「ねえユーディー、もうあのお羽根は持ってないの?」
「うん、最後の一本だったのよ」
神妙な目つきをヴィトスに向ける。
「ああ、またアルテノルトに行って買って来なきゃかなあ。それともヴェルンの採取場で、
 直接不死鳥から引っこ抜いて来ようかしら」
怖い事を平気で言うユーディーだった。

「えっ? 不死鳥、って。いるの?」
「いるの、って。不死鳥って言うよりも、一般的に冒険者なんかの間ではフェニックスって
 名前で呼ばれてるけどね。その鳥のしっぽだから不死鳥のおっぽって言うんだよ。
 ラステル、見た事無いの?」
「無い! 無いわ。ねえ、ユーディーは見た事あるの? 不死鳥さん……、フェニックスさんは、
 全身があんなオレンジ色をしているの?」
「そうねえ。本当に、『燃えるようなオレンジ色』って、ああ言うのを言うのかなあって感じ。
 朝日の色と夕焼けの色を足したような、神秘的な色合いで……」
はた、とユーディーが言葉を切る。
「まあ、素敵。物語に出てくるような生き物さんなのね」
ラステルの目はきらきらと輝いている。どうやら空想モードに入ってしまったらしい。
「あー、ええっと、ラステル?」
「不死鳥って言うくらいだから絶対死なないのよね。そう言えば、昔読んだお話しに、
 死んでも火の中でよみがえる鳥さんの事が……」
「うーん、まあ、伝説だけどね。実際やっつけちゃってるし」
「ねえ、ユーディー」
ラステルはユーディーに身体を擦り付けて甘ったれた声を出す。

「ダメよ」
「ダメ、って、私まだ何も言ってないのに」
「フェニックスを見に行きたい、って言うんでしょ。フェニックス自体も危険だし、
 あの鳥がいる場所は、他にもすっごく強いモンスターが多くてとっても危険なの。
 ラステルを連れては行けないよ」
「ええーっ」
ラステルは途端に頬をふくらませる。
「でも、ユーディーは見た事あるんでしょ。ずるい。私も見たい」
「ずるい、って」
ラステルはヴィトスの方に向き直る。
「ヴィトスさんも見た事あります?」
「何度かね」
「ほら、ヴィトスさんだって見た事あるのよ。私だけ見てないなんて、仲間はずれじゃない」
ユーディーの服の袖をつかみ、くいくい、と引っ張る。
「本当に危険なんだって。ラステル、ケガしてもいいの?」
「平気よ。ユーディーが錬金術で護ってくれるもの」
「あたしはラステルが心配なの。ラステルがケガとかするの、ヤなのっ」
「ユーディーが一緒だったら心配ないわ。ねえ、ユーディー、いいでしょ、ねえってばあ」
ワガママを言うだだっ子と、困っている母親のような押し問答が続く。

何となく部屋を出るタイミングを逸したヴィトスは、
(そうしたら、僕が父親っていうポジションになるな)
そんなくだらない事を考え付いて、一人でこっそりと頷いていた。
「お願いします、ヴィトスさんからもユーディーを説得してくれませんか?」
「ヴィトス、ラステルがあきらめるように、何とか言ってやってよ」
「うーん、そうだねえ」
どちらの味方をしようかと一瞬考え、『ただの知り合い』発言をしたユーディーに少し
意地悪をする事にした。
「ユーディット、君が彼女の装備を調えてあげて、薬や爆弾なんかも準備していけば
 大丈夫じゃないか?」
「ええーっ!」
「ほら、ヴィトスさんも賛成してくれたわ!」
手を打ち鳴らし、ラステルは嬉しそうに微笑んだ。
「ヴィトスの裏切り者〜」
「僕は誰も裏切った覚えはないがね」
「ん、もう。仕方ないわね」
ふう、とため息をつく。結局、ラステルには勝てないユーディーであった。

「いーい、ラステル? 採取場に入ったら、あたしの言う事をきちんと聞いてね。それと、
 モンスターが出たら、ちゃんとあたしの後ろに隠れるのよ」
「ええ、ユーディーにぴったりくっついてるわ」
にこにこと笑いながら、しっかりとユーディーに抱き付く。
「今はまだいいよ。じゃあ、装備ね。着替えを……、ヴィトス、少し部屋を出ててくれる?」
「ああ、取り立ても済んだし、僕はこれで退散するよ」
「何言ってんのよ、あんたは護衛!」
「えっ?」
びしっ、と指さされ、ヴィトスが驚く。
「あんたが大丈夫、って言ったんだから、最後まで責任持ってよね。強い敵が出たら
 あんたを盾にして、あたしとラステルは逃げるから」
「おいおい、薄情だな」
「身体はって頑張ってもらうわよ。よろしくね」
くすくすと笑うユーディーに背を押され、部屋を出る。
「……まあ、いいか」
閉まったドアの横の壁に背中を預けたヴィトスは、着替えが終わるのをぼんやり待っていた。

「お待たせ」
やがて、ドアが開く。
「おや、着替えるんじゃなかったのか?」
ユーディーとラステルは、着替えをする前と同じ格好をしている。
「服の下に着てるのよ」
「うふふ、ユーディーとおそろいの極薄のドレスですものね。これだけじゃ、外歩けないもの」
「極薄……」
あらぬ事を考えかけてしまったヴィトスは軽く頭を振る。
「体力回復に、気力回復。精神力を高める魔法もかかってるのよ」
「いつもユーディーが着ているドレスを貸してもらったんです」
胸元を押さえ、ラステルは嬉しそうにはにかんだ。
「でも、ユーディーが持ってる一番良いドレスを取っちゃったら、私が悪いみたい」
「いいのよ。ラステルが無事でいてくれれば、あたしは嬉しいし。それにあたしが着てる
 ドレスだってなかなかの物なんだから、ラステルは余計な心配しなくていいの」
「ユーディー、ありがとう!」
全身で勢いよくユーディーに抱き付いたラステルは、そのまま頬ずりをする。
「ん、もう、ラステルったら」
ラステルに抱き付かれ、ユーディーはくすぐったそうに笑っている。

「あっ、そうだ、それと。ちょっと待ってね、ラステル」
いったんラステルから離れたユーディーは、自室の隅に備え付けてあるコンテナに向かう。
中から何かを探り出し、すぐに戻ってくる。
「はい、これ」
持ってきた小さな指輪をラステルに向かって差し出した。
「まあ、きれいな色ね」
乳白色の指輪は、品の良い鈍い輝きを放っている。
「お守りの指輪で、アルスィオーヴって言うの。絶対にって訳じゃないけど、敵の攻撃を
 跳ね返してくれる事があるんだ」
「すごいのねえ。ユーディーが作ったの?」
「うん、月晶石って言う宝石を使った、懇親の力作なんだ。自分でも良くできたと思ってるの。
 これ、ラステルにあげる。着けてて」
「えっ? いいの?」
ラステルは、ユーディーの手のひらにある指輪にそっと触れた。
「だって、本当にすごくきれいよ。懇親の力作って、作るの大変だったんでしょ。それに、
 月晶石ってものすごく珍しい宝石だって聞くわ。それなのに私がもらってもいいの?」
申し訳なさそうに手を引っ込める。それからまた、おずおずと指を伸ばす。

「懇親の力作で、自信作だからこそラステルにあげたいの。ラステルに着けてて欲しいの。
 だめかな?」
ラステルはぶるぶる、と首を横に振る。
「私、ユーディーがくれるものなら、何だって……、とっても嬉しいわ、どうもありがとう」
瞳を潤ませ、ユーディーの手から指輪を受け取る。それをしばらくうっとりと眺めてから、
「あの……、あのね」
消えそうな声でユーディーをうかがう。
「やっぱり気に入らない?」
「違うわ! そうじゃないの。あのね、あのね」
うつむき、もじもじと身体をくねらせる。
「あの……、ね。良かったらこの指輪、ユーディーに着けてもらいたいな、って……」
「えっ?」
「あっ! 嫌だったら別にいいのよ。ただ、ユーディーが作ってくれた指輪を、ユーディーが
 私の指にはめてくれたら、ものすごく嬉しいな、って」
顔を真っ赤にしてぱたぱたと手を振るラステルに、
「うん、分かった。指輪貸して。手、出して」
ユーディーはにっこりと笑いかけた。
「えっと、ええ。あの、お願い……」
ユーディーは指輪を受け取ると、ラステルの白く小さな左手を取った。

「あ、違った。右手か」
「私は別にこっちの手でも構わないけれど……」
もごもごと口の中でつぶやきながらも、改めて右手を差し出す。指輪は、ラステルの薬指に
するりと入って行った。
「はい。これでバッチリよ」
「うん、本当にありがとう、ユーディー」
指輪をしている手をもう片方の手で包み、しっかりと胸に当てる。
「本当に嬉しい……。私の大切な宝物よ」
「そんな大げさだなあ、ラステルは」
そう言いつつも、ユーディーは照れたような笑顔を隠せない。
「……ええと。そろそろ出発しなくていいのかな? いつまでもじゃれ合っていたいと
 言うなら、それはそれで構わないが」
存在を無視され、むっとしているヴィトスの声に二人が振り返った。
「あ、ごめんねヴィトス。そうだ、ヴィトスにはこれあげる」
きらきらと黄金色に光るトップの付いたペンダントをヴィトスに渡す。
「これもお守りなのかい?」
ヴィトスの機嫌が少しだけ直りかけたが、
「うーん、お守りって言うか、これを装備してる人が戦闘不能になると敵も倒れてくれる、
 呪いの道連れアイテムって言うか……」
説明を途中まで聞いて、また眉間にしわが寄ってしまう。

「うそ、うそうそ! ごめん、冗談だって。はい、本当はこっち。パラスメダルって言うの」
ヴィトスの手からゼーレネックレスを奪い取り、代わりに星形のメダルを渡す。
「ヴェルンの採取場に限った事じゃないけど、無理矢理ワインを飲ませるくまさんとか、
 毒攻撃や混乱攻撃とか、ヤな事してくる敵っているじゃない? そんな時、状態異常に
 なるのを防いでくれるんだ」
まあ気休め程度だけどね、と、ヴィトスに聞こえないように口の中でつぶやいた。
「ほう。なるほどねえ」
ヴィトスは受け取ったパラスメダルを、ユーディーに向かって差し出した。
「何? いらないの?」
「僕もこれを君に着けて欲しい、と思ってね」
さっきのユーディーとラステルのやりとりをからかう気持ちが半分、自分もユーディーに
構って欲しいという気持ちが半分。
「うん、いいよ。はい」
ユーディーはメダルを受け取ると、ヴィトスが腰に下げている小物入れに手を伸ばした。
袋の口を開け、ぽいっ、とぞんざいにメダルを放り込み、ぽんぽん、と叩く。
「これ、持ってるだけで効果があるから……、どしたの?」
「いや、何でもない」
てっきり服の胸元にでも着けてくれるのかと思っていたヴィトスは少しがっかりしてしまう。

「何でもないならいいや。えーと、あたしはアロマボトル持って行こう」
銀色の小さなボトルに丈夫なヒモを通し、それを腰に下げる。
「ユーディー、それは何?」
「ん、モンスターが好む匂いや、嫌がる匂いが出るの。これはモンスター避けの香りがするの」
「そうなの? 私には、あまり匂いは感じないけれど」
ラステルは腰をかがめ、アロマボトルに顔を近付ける。
「うん、あたしも何だかよく分かんないけど、まあ効くからいいかな、って。よし、出発しましょ」
「ええ」
ユーディーはラステルの手を取ると部屋を出る。その後を、しぶしぶ、と言った体の
ヴィトスが付いて行った。

◆◇◆◇◆

黒猫亭から中央広場を抜け、城門からヴェルンへと向かう街道を向かう。ユーディーとラステルは
腕を組んだままで、楽しそうにおしゃべりをしながら歩いている。
「あの時、お父様のお仕事に付いていって良かったわ。本当に偶然だけど、そのおかげで
 ユーディーに会えたんだものね」
ヴェルンで、二人が初めて会った時の話しをしているらしい。
「そうだね。でも、あの時は本当にびっくりしたのよ、ラステルが川に飛び込んじゃうと
 思ったんだから」
「川になんて飛び込まないわよ。私こそユーディーの事、妖精さんだって思ったんだから」
開いている方の手の人差し指を頬に当て、少し考えるような表情をしてからユーディーの方を向く。
「ユーディーは妖精さんじゃなくて、私の王子様だもんね」
「えっ?」
今まで二人の会話を聞き流していたヴィトスだったが、さすがにその言葉には反応してしまう。
「あ、ラステルがこないだ見たって言ってた、夢の話しなの」
驚いたヴィトスにユーディーが説明して、その後をラステルが続ける。
「そう、私の夢の中でね、ユーディーが王子様の格好をしていたの。白い馬に颯爽とまたがって、
 輝くような笑顔で私に手を差し出して」
ラステルの目は、うっとりとどこか遠くを見つめている。

「私の手を取って引っ張り上げて、馬に乗せてくれたの。でも私、馬に乗った事ないから
 バランスを崩しそうになってね。そうしたら、ユーディーが後ろから抱きしめて支えてくれて」
目を閉じ、はああっ、とため息を吐く。
「私がユーディーの腕の中で振り向いて、ありがとう、ってお礼を言ったら、ユーディーは
 私の顔のすぐそばで笑ってくれて、それから、それから……」
「それから?」
ユーディーに続きを促されたが、
「ええっと、すごく優しくしてくれたの。それだけ」
ラステルは何故か顔を真っ赤にして、そこで話しを終える。
「そんな夢を見るなんて、ラステルは本当にユーディットが好きなんだね」
特に深い意味もなく言った言葉だったが、
「ええ、だって私達、お友達ですもの。好き、って言っても、お友達だから大好き、って
 そういう意味の好きなのよ」
何故かおろおろと言い訳がましくなる。
「あたしも、ラステル大好きよ。あたしの、すっごく大切な親友だもの」
そう言うとユーディーは立ち止まり、ラステルの身体をきゅっ、と抱きしめる。
「ありがとう、ユーディー。私とても嬉しい」
ラステルもユーディーの身体に手を回し、頬をすり寄せた。

「あたしも、ラステルがいてくれて嬉しいよ」
「ユーディー……」
親友同士の抱擁、と言うわりには少し濃密すぎるような気がしたが、ヴィトスはあえて
何も言わずにいた。
やがて、だんだんと日が暮れてキャンプをする事になった。やわらかい草地の上に座り、
そこでヴィトスの作った夕食を、二人はにこにこと笑いながら美味しそうに食べた。
食事が終わると、ヴィトスは簡単なテントを手際よく張った。
「さて、君達はこの中で寝るといいよ」
さすがに女性がいるテントの中に一緒に横になるのは気が引ける。
「僕はテントの外で見張りをしているから」
「えっ? ヴィトスも中で寝ればいいのに」
「そうですよ、外でなんか寝たら、ヴィトスさん風邪引いちゃいますよ」
しかし、ユーディーとラステルは気にもしていないようで、ヴィトスを誘う。
「でも、いいのかい?」
「いいも何も、明日に備えてさっさと寝ましょうよ」
ユーディーがテントに潜り込むと、すぐにラステルが続く。ヴィトスがもたもたしていると、
テントの入口からユーディーが顔を出す。
「おいでよ」
そう言って手招きをしてから、すぐに引っ込んだ。

「うん、じゃあ、お邪魔させてもらうよ」
遠慮がちにテントの中に入ると、ユーディーとラステルは一枚の毛布に仲良くくるまっていた。
「ヴィトス、おやすみ〜」
「おやすみなさい、ヴィトスさん」
「ああ、おやすみ」
ヴィトスも自分の毛布を出して、横になる。目を閉じると、小さな笑い声が聞こえてきた。
「ユーディーも、おやすみなさい」
「うん、ラステル、おやすみ」
「ユーディー、おやすみのキスして」
「こら、ラステルったら。甘えんぼだなあ」
ささやくような声だったが、静まりかえったテントの中ではヴィトスの耳にもはっきり届く。
「やん、ちゃんと抱っこして」
「もう、しょうがないなあ。はい、おやすみ」
「えへへ、ありがとう……、ユーディーにもおかえし」
もぞもぞ、と毛布と布のこすれる音が聞こえる。
「くすぐったいよ、ラステル」
「ユーディーのほっぺって、やわらかい」
うふふ、と笑い合ってから、ラステルは少し真剣な声で話し出す。

「私、ユーディーに会えて良かった。本当に良かった」
「あたしもラステルに会えて良かったよ」
「なんて言うか、お友達は今までにもいたけど、ユーディーは特別なの……」
「ラステル、どうしたの?」
すすり泣くような声が聞こえてくる。
「泣かないで、ねえ、ラステル」
「ん、ごめんね。ユーディーが私の側にいてくれるんだ、って思ったら、嬉しくて」
ラステルが、ぐすっ、と鼻をすする。
「ユーディー、大好き」
「うん、あたしもラステルが大好きだよ」
「いつまでも、ずっと一緒にいてね」
「……」
そのまま、ユーディーからの返事はなかった。

ユーディーが返事をできないでいるのは、ラステルに明確な答えを告げられなかったからなのだろう。
二百年前に帰りたいと言う希望、それを実現させればラステルとは永遠に離れてしまう事になる。
自分の願いと、ラステルの思い。どちらかを叶えれば、もう一方は潰えてしまう。
「ユーディー……」
そんなユーディーの心の葛藤を感じ取っていたのか、ユーディーの正直な気持ちを聞きたく
なかったからなのか。ラステルは無理に返事を求めはせずに、ただしっかりとユーディーの
身体を抱きしめた。
「おやすみなさい。本当に大好きよ、ユーディー」
やがて、二人の規則正しい寝息が聞こえてくる頃、ヴィトスも眠りについていた。

◆◇◆◇◆

翌朝、ヴィトスが目を覚ました時、ユーディーとラステルは抱き合った格好でまだ眠っていた。
「……」
ユーディーの鼻でもつまんで無理に起こしてみようかと思ったが、楽しい夢でも見ているのか、
お互いの頬をすり寄せるようにして幸せそうな笑みを浮かべている二人を、もうしばらく
そのままにしておいてあげよう、と考え直す。
「朝食でも、作っておいてやるかな」
ラステルばかりを気にかけているユーディーに、少しだけ苛立つ事がある。それと同時に、
無二の親友と戯れている時の、輝くようなユーディーの笑顔はとても魅力的で、ヴィトスも
ついつい見惚れてしまう事がある。
「見惚れる、と言うのは語弊があるな。見ていると面白いから、飽きないだけだ」
何故か一人で言い訳をしてしまう。自分でも良く分からない気持ちを持てあましながら、
ヴィトスは小さな鍋に水と野菜、干し肉を入れ、軽い塩味のスープを作った。
「んっ、んん〜」
スープが美味しく煮えたタイミングを見計らったように、ユーディーが眠そうな目を
こすりながらテントから這い出てくる。
「ううっ、いい匂いがする」
四つん這いのまま、くんくんと鼻を動かしながら、スープの香りを辿ってヴィトスに近寄ってきた。

「やあ、ユーディット、お早う」
「ヴィトス、ごはん〜」
「朝起きたら、まず、お早うございます、だろう」
軽く拳を握り、ユーディーの額をこつん、と叩く。
「ん。お早うございます」
まだ寝ぼけているのか、単に痛くも何ともなかったからなのか、叩かれた事を怒りもせずに
素直にぺこりとおじぎをする。
「ヴィトスさん、お早うございます。ユーディーも、お早う」
続いてテントから出てきたラステルはもう完全に目が覚めているようで、きちんとヴィトスに
挨拶をする。それから草の上に膝を付くと、開かない目をこすりながらむにゃむにゃと何かを
つぶやいているユーディーを抱きしめ、頬や額にキスを降らせる。
「ん? んっ?」
不思議そうな表情をしながらも、ユーディーは大人しくされるままになっている。
「お早うの挨拶の後はお早うのキスよ、ユーディー」
「そっか。じゃあ、ラステルにもキスするぅ」
「ええ、お願い」
まだぼんやりとした目をしているユーディーは、ラステルを抱きしめ返すと、ちゅっ、ちゅっと
しつこいくらいにキスを繰り返し、
「えっ? ……きゃああ!」
そのまま、どさり、とラステルを押し倒した。

「ちょっ、ユーディー、だめ……、だめよ」
「うふふ、ラステルってやわらかくて、いい匂い〜」
頬ずりをしながら、手のひらでラステルの顔や髪、身体中をなで回す。
「だめ、ヴィトスさんが見てるわ、ユーディー、こんな所じゃいやよ……」
頬を真っ赤に染め、目を潤ませているラステルは、いやだと言いつつもユーディーにしっかりと
しがみついている。
「いつまで寝ぼけているんだ、ユーディット」
「んにゃ?」
ラステルの肩の辺りに口づけていたユーディーの首根っこをつかみ、引きはがす。
「大丈夫かい、ラステル?」
「あ、えっと、はい。私は別に……」
慌てて起き上がり、少し残念そうな表情でドレスに付いてしまった草を払う。
「それにしても、ユーディットはこんなに寝起きが悪かったかな。ほら、朝ご飯を食べて目を覚ませ」
「ん……」
たき火のそばに座らせると、
「こぼすなよ」
熱いスープの入ったカップに、冷たいシャリオミルクを注いで温度を下げてから、スプーンと
一緒にユーディーに渡す。

「大丈夫か?」
「うん」
肩を丸めたユーディーは、スプーンを使わずカップに直接口を付けてスープをすすっている。
「ほら、君にも」
ユーディーの隣りに座ったラステルにもカップを渡す。
「ありがとうございます」
ラステルは、スープを飲みながら、ちらちら、とヴィトスの方をうかがう。
「何か?」
「いえ、ヴィトスさんって、ユーディーに優しいんだなあ、と思って」
「……そうかい? 別に、誰に対してもこんなものだよ」
「そうですか? でも」
「ラステル、これあげるね」
話しの途中、ユーディーは小さな声でそうささやくと、スプーンで自分のカップに入っている
にんじんをすくい、それをラステルのカップに移し始めた。
「こら、ユーディット。にんじんはきちんと食べないと。好き嫌いはダメだろう」
「別に、好き嫌いしてる訳じゃないよ。ただ、ちょっと苦手なだけだもん」
「そう言うのを好き嫌い、と言うんだよ」
「私は別に構いませんよ」
言い争いになりそうな二人に割って入る。

「いや、いいんだ、ユーディットを甘やかさないでくれ。ほら」
ヴィトスは鍋の中からにんじんだけを重点的に拾い上げ、ユーディーのカップに注ぎ込んだ。
「あう〜」
「せっかく君にも食べやすいように細かく切ったんだから、食べなさい」
「細かくすると、余計にんじんの味がするんだよ」
「だったら、大きな固まりのままであげようか?」
「……」
これ以上逆らっても無駄だと思ったのか、ユーディーは背中を丸めて、いやいやにんじんを
口に入れる。その姿を見て、ラステルはくすくす、と笑った。
「やっぱり、ヴィトスさんはユーディーに優しいわ」
「優しくないよ、こんな奴」
拗ねたように頬をふくらませるユーディーは、わざと嫌な顔をしてにんじんを飲み込む。
「そうだね、こういうのが優しさ故の愛の鞭、と言うのかもしれない」
「そうよ、ユーディー。ヴィトスさんの言う通り、にんじん食べなきゃね」
「あうぅ、ラステルまでぇ」
楽しそうな二人に挟まれ、ユーディーは何とかスープを飲み干した。

食事を終え、完全に目も覚めたユーディーは、キャンプの片づけを終えると、手持ちのカゴから
何かを取りだした。
「さてと、お腹もいっぱいになった事だし。ヴェルンまで、これでひとっ飛びしましょ」
どういう仕組みで収納されていたのか分からないが、カゴよりもはるかに大きなホウキを
持って、それをヴィトスとラステルに見せる。
「きゃ、空飛ぶホウキね。素敵」
嬉しそうに手を打ち鳴らすラステルの隣りで、ヴィトスは不思議な顔をしている。
「……そんな便利な物があったなら、何で最初から使わないんだい?」
「ん、だって、ラステルがキャンプしたいって言ったから。ね」
「ねー」
向かい合って首を傾け、にっこり笑い合う。
「それに、ユーディーがいつもヴィトスさんが作ってくれるお食事が美味しい、ってお話し
 してくれるから、私も是非頂いてみたいと思って。本当に美味しかったです」
改めてラステルはごちそうさまでした、と頭を下げる。
「ああ、そうなんだ」
自分のいない所で、ユーディーが自分を誉めていてくれたと思うと、妙にくすぐったいような
気恥ずかしさを感じる。

「ね、本当に美味しかったでしょ、にんじん以外は」
「一言余計だよ、君は。他人様に作ってもらった食事に文句を言うんじゃない」
そう言いつつ、ユーディーが嫌がるのを知っていてわざとメニューににんじんを組み込んでいる
ヴィトスは、別に気分を害しているようでもない。
「文句じゃないよ、単なる感想だよ。えーと、乗る順番はどうしようか」
「ユーディー、私、ホウキの上からだと景色がどう見えるのか、知りたいわ」
「ん、じゃあ、一番前はラステルね。と、身長差から、真ん中はあたしか」
バランスを取る為に、まずユーディーが腰の高さに浮かせたホウキの中心にまたがる。
「さ、ラステル。こっち来て」
「ええ」
「ゆっくりでいいから、落ち着いて乗ってみてね」
裾の長いドレスを着ているラステルはユーディーのすぐ前に横座りになり、腰をひねって前を向く。
「大丈夫かしら、落ちてしまったりしないかしら」
不安そうな顔で振り向くラステルに、ユーディーはにっこりと笑ってみせる。
「きちんとホウキにつかまってれば平気よ。それに、あたしがこうやって支えててあげるから」
ラステルの脇に手を通すと、彼女の細いウエストにしっかりを腕を回して抱きしめる格好になる。
「あ……」
途端にラステルは頬を真っ赤に染め、うつむいて黙り込んでしまう。

「あ、ヤだった? それとも、お腹くすぐったいかな。肩を押さえようか」
背中にぴったりと貼り付いている為に、話す時はラステルの肩へあごを乗せる形になる。
そうするとますます身体がくっつき、
「えと、あ、平気……」
更にラステルの顔が赤くなってしまう。
「私の見た夢で、王子様のユーディーが支えてくれたの、丁度こんな感じだったの」
「ふうん。夢じゃなくてもちゃんとあたしが支えてるから、安心してね」
「ええ」
ラステルはしっかりと頷いた。
「で、ヴィトスはあたしの後ろ。ほら、さっさと乗って」
両手はラステルを抱きしめている為、あごをしゃくってヴィトスを促す。
「僕も落ちてしまったりしないかな?」
ユーディーの後ろにまたがり、一瞬むき出しのお腹に手を回そうと思ったが、さすがにそれは
図々しいような気がして躊躇してしまう。
「ん、もし落っこったら、自力でヴェルンまで歩いて来てよ」
ラステルの時とあまりに態度が違うが、いちいち相手にするのも馬鹿らしいので言い返さない。
「落ちたくなかったら、あたしに適当につかまって」
「うーん……、うん」

もう一度、ユーディーの腰に手を回そうとしてためらう。肩をつかもうと思ったが、袖がたっぷりと
ふくらんだデザインの服のどこに手を当てていいか分からない。
「もう、早くっ」
振り向いたユーディーはヴィトスの片手をつかみ、それを自分の腹に回させる。あまりに何気ない
仕草に、自分は男として意識さえされてないのかと思いかけた瞬間、
「やっぱダメ。こっち」
ラステルに負けないくらいに頬を赤くして、慌ててヴィトスの手を襟元付近に乗せさせる。
(……ふうん)
「あ、あんまりくっつかないでよね」
「くっつかないで、って言われても、離れたら落ちてしまうだろう」
「それはそうだけど。あ……」
身体をよじり、更にユーディーの背中に密着すると、ぴくり、と彼女の身体が緊張するのが分かる。
「それとも、こうした方がいいかな」
ラステルの身体を抱いているユーディーの肘当たりまで手を伸ばし、後ろから彼女に覆い
被さるような格好をしてみる。
「う……、や、えと、あっ……、うん」
あからさまにヴィトスを拒否する事もできず、ユーディーは困ったように曖昧に頷くと、
「じゃ、じゃあ行くわよ」
頼りなさげにそうつぶやいた。

「ユーディー、どうしたの? 大丈夫?」
「う、うん。飛び立つ時には少しだけ集中力がいるから。じゃ、行くよ」
ラステルに、返事になっていない返事を返すと、ゆっくりとホウキが宙に行く。
「しっかりつかまっててね」
言われた通りにヴィトスがユーディーを抱く腕に力を入れると、ぐらり、とホウキが大きくかしぐ。
「きゃっ」
「ごめん、ラステル」
すぐに何とか体制を立て直し、ホウキは更に高く登っていくと、ゆっくりと前に進み始めた。
(ユーディットの反応はなかなか面白いけれど、あまりやりすぎるとホウキに乗せてもらえなく
 なるだろうな)
ホウキがある程度軌道に乗ると、ヴィトスは少しだけ身体を引いた。
風になびいたユーディーのやわらかい髪がヴィトスの頬をくすぐると、甘い香りがふわりと漂う。
もちろん、そんな事を感じる余裕があったのは最初だけで、普通に歩けば何日もかかる距離を
ほんの数分で駆け抜けるホウキから地上を見下ろすと、そのあまりの速さに目が眩みそうになる。
はじめのうちは、きゃあきゃあと楽しげな声を上げてはしゃいでいたラステルも、だんだんと
言葉少なになってくる。
「ラステル、だいじょぶ?」
声を出さず、こくん、と首の動きだけで答えるラステルの肩はどう見てもこわばっている。
びゅんびゅんと風を切って走っていくホウキの上で、どうやら景色などを眺める余裕は無いらしい。

やがて、ヴェルンの街に近付くに連れ、ホウキの速度は遅くなっていく。
「さて、到着」
街の入口で完全に止まったホウキの上で、ユーディーは明るい声を出した。
「ラステル、本当に大丈夫?」
「え……、ええ」
地面に脚の着く高さまでホウキが下りても、ラステルはじっとしたままでいた。ヴィトスでさえも
ホウキから下りる時には若干脚が揺らいだ。
ヴィトスの次に降りたユーディーがけろっとした表情で両手を差し伸べると、その腕の中に
ラステルがよろよろと倒れ込んでくる。
「ラステル、顔青いよ。スピード出し過ぎちゃったかな、ごめん」
「平気。私は平気よ」
しっかりとユーディーに抱き付きながら、ラステルは大きく深呼吸をする。
「……少しびっくりしちゃっただけ。でも残念ね、私、途中で目を閉じてしまったから、
 あまり景色が見えなかったわ」
何度か深呼吸をした後、そう言って無理に笑顔を作る。
「帰りは、もう少しスピードを落としてくれる? そうしたら、平気だと思うの」
「うん、分かった。ねえ、ラステル、歩ける?」
風で乱れてしまったラステルの髪を、簡単に指で梳いてやる。
「ええ」

ホウキをしまったユーディーと手をつなぐと、ラステルはまだおぼつかない足取りながらも
何とか歩いていく。
「ところでユーディット、あんなスピードなのに、よく帽子が飛ばないもんだね」
「ちゃんと、深くかぶってるからね」
「……そういうものかねえ」
「ねえユーディー、レヘルンクリームを買って、持って行ってもいいかしら?」
まだ若干顔色が悪いラステルが、中央広場の食料品店を指さす。ヴェルンの食料品店には、
ユーディーが錬金術で作った品質のいいアイテムがいくつか登録されている。
「クリームを持って採取場に入ったら、溶けちゃうよ。不死鳥のおっぽ、手に入れたら
 みんなでゆっくり食べよ」
そう言ってから、
「あ、でも、クリーム食べたら気分が良くなるかな? 採取場に入るのは少し休んでからにしようか」
気遣うようにラステルの頬をなでる。
「ん……、もう大丈夫。そうね、ユーディーの言う通り、レヘルンクリームは目的を達成した後の
 ご褒美に取っておいた方がいいかもしれないわ」
ユーディーに優しくなでられて、ラステルは嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ、その代わりにデニッシュを多めに買っておくからね。お腹が空いたらすぐに言ってね」
用心の為、体力、精神回復用のデニッシュを複数まとめ買いする。
「琥珀湯も持ってきたし、これくらいあれば平気よね」
街外れへ行き、採取場に入る前に、もう一度採取カゴの中のアイテムを確認する。

「デニッシュ、良し。琥珀湯、良し。フラムも湿気ってないし、ブリッツスタッフの魔力充填も
 完了してるね、うん」
「何だか、いつもよりやけに念を入れているね」
普段、ヴィトスや他の護衛と採取場に入る時は、こんなに丁寧な所持品チェックはしない。
「だって、ラステルを連れてくんだもん。あたしの大事なラステルに万が一の事があったら
 困るじゃない」
「ユーディーの、大事な……」
ユーディーの言葉を口の中で繰り返し、ラステルが真っ赤になる。
「うん。あたしの大事な、一番大切なお友達。何があってもあたしがラステルを護ってあげるからね」
「嬉しい、ユーディー」
ぎゅっ、とラステルがユーディーに抱き付く。
(何だか、だいぶ慣れて来たなあ)
まるで熱愛中の恋人同士のような熱い抱擁に最初は驚いたものの、何度も見ていると別段
気にならなくなってくる。
「じゃあ、行こ。足元、石とか枝が落ちてる所もあるから気を付けてね」
「ええ」
二人はしっかりと手を握り合う。その後にヴィトスが付いていく形で、道を進んでいった。
採取場に入ると、魔法の草やニューズが散らばっていた。品質の良さそうな物だけを選んで
ユーディーはカゴにしまっていく。

「ねえユーディー、これ、いらないの?」
ラステルが目に付いた魔法の草を摘んでユーディーに差し出す。
「ん、どれどれ? うん、すっごく質がいいね。ありがとう、ラステル」
「うふふ」
ユーディーに誉められ、ラステルは嬉しそうにはにかんだ。
「ユーディット、あそこ。ぷにぷにだ」
鬱蒼と茂った木々の奥に、ぷるぷると震えるゼリー状の生き物が見えた。
「あっ! ラステル、あたしの後ろに隠れて!」
ヴィトスの声を聞いて、ユーディーが自分の身体の背後にラステルを隠す。
水色や緑色の最弱のぷにぷにが飛び出してくると、ヴィトスはすぐに切れ味鋭いナイフを
ひらめかせ、ぷにぷにに攻撃の隙も与えずに倒していく。
「……ヴィトスさん、すごい」
ラステルが防御態勢を取る前に、ヴィトスは全てのぷにぷにをやっつけてしまった。
「ユーディット、これを」
おまけに、倒れたぷにぷにが持っていたとおぼしい『ぷにぷに玉』まで手に入れたようだ。
「あ、ありがと」
「ヴィトスさんって、すごい! ぷにぷにを一人でやっつけちゃうなんて、強いんですね!」
ぷにぷに玉をカゴに収めるユーディーの後ろから、ラステルが興奮した声を上げた。

「どうしてあんなに早く動けるんですか? それに、攻撃がちゃんとぷにぷにに当たるし、
 アイテムまで手に入れちゃうし。ヴィトスさんがいれば、採取場でも安心ですね」
「そうかな。まあ、たいした事はないよ」
可愛い女の子に手放しで誉められて悪い気はしない。
「……あたしだって、強いんだよ。たまたま今はチャンスが無かっただけで」
ラステルをかばう為に行動が遅れたユーディーが、少しむっとした表情をしながら手に馴染んだ
疾風の鞭をぶらぶらさせている。
「ええ、今度はユーディーが敵を倒す所が見たいわ」
「うん、見せたげる。行こっ」
ユーディーは自分からラステルと手をつなぐ。ついでにヴィトスの方を振り向き、小さく舌を
出してみせる。
「何だ? 僕は何か、ユーディットを怒らせるような事をしたかな」
「べっつにぃ」
ついさっきまで上機嫌だったのに、今は拗ねた顔をしている。
「僕が君のお姫様の前で活躍したのが気に入らないのかな?」
「別に。ぷにぷになんか、たいした敵じゃないもん。あたしだって、ぷにぷにの一匹や二匹、
 五匹や十匹くらい簡単に倒せるもん!」
冗談で言ったのに、どうやら図星だったらしい。ユーディーは頬をふくらませている。
(全く、ラステルに焼き餅を焼かれたり、ユーディットに焼かれたり。忙しいな、僕も)

どちらにしても愛情の対象がヴィトスではない、という所が悲しい気もするが、あまり
深くは考えないようにする。
「僕は、相思相愛の君達の邪魔をするつもりは無いよ。今度の獲物はユーディットに譲るから、
 機嫌を直してくれ」
「相思、相愛……」
その言葉を噛みしめるように、ラステルはもごもごとくちびるを動かした。
「当然よ。あたしは王子様なんだから、あたしの姫はあたしが護るの」
真っ赤になっているラステルを抱きしめ、耳元にくちびるを寄せる。
「ユ、ユーディー」
「浮気しちゃダメよ、ラステル」
「あ、ああぁ……」
敏感な耳にささやかれ、ラステルは身体を小さく震わせながら、かすれたような声を上げた。
「う、浮気だなんて。私はユーディー一筋よ」
ぶるぶる、と首を横に振り、それから、こくこくと何度も頷いてみせる。
「だったらいいわ。行きましょ」
何だか立場が逆転してしまったようで、次の獲物を見つけようと鼻息荒いユーディーに
ラステルが引きずられていく格好になる。

「おい、ユーディット、あまり物音を立てるなよ」
採取場を歩く時にはモンスターの気を引かないように音を殺して歩くのがセオリーだが、
早くラステルにいい所を見せたいのか、ユーディーは派手に小枝や枯れ草を踏みしめて
ずんずんと歩いていく。
「あっ、くまさん!」
その音に気付いたらしいピンク色のくまさんが、のっそりと姿を現した。
「きゃ、可愛い」
「可愛いけど、手強いのよ。ラステルは下がっていてね」
ピンク色のくまさんなど、強さの面ではぷにぷにとあまり差がない。しかし、ラステルの前で
格好を付けたいらしいユーディーの気持ちを汲んで、ヴィトスはあえて何も言わない。
「ユーディー、大丈夫?」
「うん、ラステルの為なら平気よ」
少しの間意識を集中し、それから呪文を唱える。
「……エンゲルスピリット!」
白い空気の固まりがくまさんに向かって走っていく。その固まりが当たった瞬間、くまさんは
ばったりと倒れた。
「……? な、何? どうしたの、ユーディー」
「精神を削る呪文を唱えて、気絶させたのよ」
ユーディーは倒れたくまさんにすたすたと歩み寄る。

「ねえ、ユーディー、危ないわ!」
「もう平気よ」
くまさんの脇に落ちている蜂の巣をめざとく見つけ、それを拾って帰ってくる。
「それは何?」
「蜂の巣。これはね、こうやって」
蜂の巣の横に指で穴を開け、そこから黄金色のねっとりとした液体をすくいとる。
「ハチミツ。知ってるでしょ?」
「ええ、ハチミツって蜂の巣から採れるって言うのは知ってたけど、実際に蜂の巣から
 出てくるのを見るのは初めてだわ」
ハチミツと言えば、きれいなガラス瓶に詰められて食卓に上がるもの、という認識しかなかった
ラステルは、嬉しそうにユーディーの指を見つめる。
「舐めてみる?」
「えっ、舐めてもいいの?」
自然の物をそのまま口に含むのは少し抵抗があるらしいラステルは一瞬ためらった。
「うん、大丈夫。とっても美味しいのよ。あ、心配だったら、あたしが先に毒味しようか?」
「ううん、ユーディーが大丈夫って言うなら、舐める」
おそるおそるユーディーの指に顔を近付け、舌先でぺろりと舐めてみる。不安そうだった
表情が、途端に驚きと喜びに変わる。

「美味しい! とっても甘いわ」
「ね?」
ユーディーは、ラステルが舐めた指をハチミツに浸すと、それをしゃぶった。
「あ……」
「甘〜い! それに何だか、いい香りがするね」
ラステルがくちびるを付けた指を、ためらいもなく口に含むユーディー。それを見たラステルが、
また頬を染めている。
「ん? ラステル、もっと欲しい?」
「えっ、あ、ええっと……、うん」
「じゃ、はい」
ハチミツをすくった指を、再びラステルの口元に持っていく。
「……ふうん、呪文一発でくまをやっつけて、蜂の巣まで手に入れるなんて。すごいね、君は」
交互にハチミツを舐めている二人に、ヴィトスが話しかける。
「まあね。たいした事は無いけどね」
少し大げさなくらいのお世辞を聞いて、ユーディーは得意そうな顔になった。
「本当。ユーディーってすごいのね」
「うん、すごいでしょ……、あ、ヴィトス、ナイフ持ってるでしょ。貸して」

「ああ」
鞘に入ったナイフを渡す。ユーディーは切れ味鋭そうなナイフを手に取ると、それで
蜂の巣を少し切り取った。
「おい、何をするんだ、君は」
「はい、ヴィトスの分。ハチミツ、甘いよ」
そう言って、蜂の巣のカケラと、ハチミツにまみれたナイフを返す。
「ああ……」
ナイフは糖蜜でべっとりと濡れてしまった。ヴィトスは仕方なく、そこいらに生えている
大きな葉をちぎって、それでナイフを丁寧に拭った。
「ナイフの刃がなまってしまうじゃないか」
「まあ、あんまり細かい事気にしないでよ」
「気にするよ」
文句を言いながら、ナイフを鞘にしまう。
「ふーんだ。せっかく蜂の巣あげたのに……、ラステル、行こっ」
ふい、と背を向けたユーディーは、ラステルの手を取って更に進んで行く。ヴィトスは
受け取った蜂の巣のカケラを持てあましながら、後を付いていった。

途中、ふわふわと宙に浮かぶゲシュペンストに道をふさがれる。
「こんなの、あたし一人で充分ね」
「ああ、頼んだぞ」
ヴィトスが持っているナイフには、精神攻撃ができる魔法がかけられていなかった。肉体を
持っていないゲシュペンストに対して、魔法で強化されていない武器をいくら振り回しても
全くダメージを与える事はできない。それを知っているヴィトスは、素直にユーディーに
活躍の場を譲る。
「ヴィトスはラステルをお願い」
防御態勢を取りつつ、ヴィトスはラステルを背後にかばう。
「エンゲルスピリット!」
先ほど、くまさんを倒した呪文を使うと、ゲシュペンストは気の抜けたようなかすれた
悲鳴を上げながら、空気に紛れるように消えていってしまった。
「ユーディーって、本当にすごいのね!」
「えへへ、それ程でもないよ」
ゲシュペンストを倒してしまうとすぐに、ラステルがユーディーに駆け寄ってそのまま抱き付く。
「私でも、あんなくまさんや幽霊さんを倒せるようになるかしら?」
「うーん、どうかなあ。危ないから、やめておいた方がいいと思うけど」
「そうかしら? ユーディーと一緒にいたら、何だか力が付いてきたような気がするんだけれど」
そう言って、ラステルは杖を片手で持って控え目に振り回す。

「だめだめ。それに、あんまり力が強くなると、筋肉が付いて腕が太くなっちゃうのよ。
 あたしなんかね、力付きすぎて女の子らしくないって言われちゃいそうなんだから」
ふっ、とユーディーは一瞬遠い目をする。
「ふうん。どれどれ」
「きゃっ!」
ヴィトスがユーディーの腕に手を伸ばし、袖のふくらんだ部分のすぐ下をふにふにと握る。
「な、何するのよ!」
顔を赤くしたユーディーは身体をねじり、慌ててヴィトスの手を払う。
「服の上から触った感じだと、別に太くないと思うよ。充分女の子らしいんじゃないかな」
「うっ……」
言い返していいものか、素直に賛辞と受け取っていいものか分からず、ユーディーは困ったように
くちびるを噛んだ。
道の途中の亀裂をホウキに乗って飛び越え、どんどん採取場の奥に入って行く。ユーディーの
持ってきたアロマボトルは品質が良く、ほとんどモンスターを寄せ付けなかった。ヴィトスが
ナイフを抜く事もないまま、一行はいよいよフェニックスが出現する地域に到着する。
ここまで来るとさすがにユーディーも真剣な顔つきになり、先ほどまでのように足音を立てる
事もなく、とりあえず近場の様子をうかがえる場所にある茂みの裏にしゃがんで身を隠す。

「ええと、ここからはちょっと真剣ね。ラステル」
ラステルの顔を正面から見つめ、小さな声で話しかける。
「ラステルは、ここでじっとしててね。ここからだったらフェニックス見えるから。でも、
 出てきちゃダメよ」
「えっ、でも」
「さっきまでのモンスターとは違って、本当に危ないの。フェニックスはあたしとヴィトスで
 やっつけるから、ラステルは見てるだけ。ここから絶対動かないのよ」
「でも、あたしもお手伝いしたい……」
ユーディーはやわらかい草の上に膝をつき、ラステルを抱きしめる。
「モンスター退治は王子様に任せて。お姫様はここにいて、王子様の帰りを待っているのよ」
「あっ、う、うん」
耳元でささやかれ、ラステルは頬を真っ赤に染めた。
「ヴィトス、大丈夫?」
ラステルを抱きしめたままで、ユーディーは顔だけをヴィトスに向ける。
「正直、フェニックス相手に二人だと心細いんだが」
今までの経験から考えると、フェニックスは単体では現れない筈だった。凶暴で大きなくまさんや、
回復魔法を使うドライアドと群れている事が多い。
ヴィトスは、ユーディーを見つめているラステルの方に目をやる。
「まあ、できるだけ頑張ってみよう」
ユーディーを心の底から信じ切っているラステルの澄んだ瞳は、わずかに潤んでいる。

「君のお姫様の期待を裏切る訳にはいかないからね」
「お願いします、ヴィトスさん」
「ああ」
ラステルの真剣なまなざしに見つめられ、ヴィトスは頷いた。
「ええっと、おおまかな作戦なんだけど」
ユーディーはカゴの中身を改めて点検する。
「まず、あたしがエンゲルスピリットでくまさんをやっつけるわ。ヴィトスはドライアドを
 お願い。くまさんが倒れたら、あたしもアイテムでヴィトスに加勢するから」
フェニックスに有効な、氷の魔法が封じ込められたブリッツスタッフをぎゅっと握りしめる。
「周りのモンスターをやっつけてフェニックスが一匹になったら、ヴィトスが羽根を
 手に入れて来てくれるかな」
「ああ、分かったよ」
作戦に異存はなく、ヴィトスは頷いた。
「じゃ、行ってくるね、ラステル」
ユーディーが立ち上がるのを見て、ヴィトスも彼女に続く。
「必ず不死鳥のおっぽ取ってくるから」
にっこりと笑うと、ラステルは重ねた両手を胸元に押し付け、少しだけこわばった笑みを作った。
ラステルが隠れている茂みから数メートルの距離を歩き、少し開けた場所に立つと、
「さーて、フェニックスはどこ? 姿を見せなさーい!」
ユーディーは口元に手を当てて大声をあげる。

「お、おい、ユーディット」
「あたしに怖じ気づいて隠れても無駄よ! さっさと……きゃああっ!」
突然、背後から襲ってきた熱風に、ユーディーの声は遮られた。
「ユーディット!」
ヴィトスは腕を上げ、顔をかばいながら風が吹いて来た方を向く。
そこには、まるで燃えさかる火のような翼を持った、巨大な鳥が羽ばたいていた。
「だいじょぶ、こんなの全然何でもないわ! 行くわよっ」
ラステルを安心させる為にわざと大声を張り上げる。
予想通り、空を舞うフェニックスの下には、数匹のくまさんとドライアドがひしめいている。
「エンゲルスピリット!」
ユーディーの呪文に、大きなくまさんが倒される。
「よし、僕も……おや?」
続いてドライアドにナイフをふるおうと思ったが、ヴィトスのナイフは鞘から抜けなかった。
「な、何だ、どうしたんだ」
左手に鞘を握り、右手でナイフのつかを握りしめてぐいぐいと力を込めるが、ぴったりと
くっついたそれはお互いに離れようとはしない。
「ヴィトス、何やってるのっ」
一瞬ヴィトスに目をやり、それから慌ててドライアドの攻撃を避ける。
「何って、ナイフが抜けなくて……、もしかして、さっきのハチミツか?」
先ほど、ユーディーがヴィトスのナイフで蜂の巣を切り取った。その時のハチミツを完全に
拭き取る事ができず、そのまま固まってしまったのだろう。

「ハチミツ?」
「ああ、君が僕のナイフを使った時に」
「何よっ、あたしのせいにするの?」
「ユーディットのせいって、誰もそんな事……、危ない!」
「きゃあっ!」
ドライアドの触手がユーディーを襲ったが、ヴィトスが彼女の腕を引っ張り、それを間一髪で
避けさせた。
「ケンカは後だ、ユーディット、倒せる敵から倒してくれ」
「う、うん」
ユーディーが呪文を唱える間にヴィトスはもう一度鞘からナイフを抜こうとしたが、無駄だった。
仕方なく鞘が付いたままのナイフを構え、それでドライアドの幹を狙って殴りかかるが、
当然効果的なダメージは与えられない。
「ユーディット、フラムを」
「分かった。……えいっ!」
カゴからフラムを出し、くまさんとドライアドがいる中心あたりをめがけて投げ付ける。
どかん、と大きな爆発が響き、
「やったあ!」
思わずユーディーが歓声を上げるが、ドライアドは次々に回復呪文を唱え、仲間と自分自身を
回復してしまう。

「嘘っ……、あああ!」
驚き、一瞬攻撃の手を緩めたユーディーに向かって、フェニックスが先ほどよりも明らかに
温度の高い熱風を吹き付けてくる。
「熱っ」
「ユーディット、大丈夫か?」
熱風や敵の攻撃を受けながら、それでもヴィトスはユーディーの心配をする。
「うっ……、あ」
数歩後ずさるユーディーの脚がもつれ、よろよろと地面にへたり込んでしまう。そこに向かって
ドライアドの触手が伸びるが、ユーディーは背中を丸め、両手で頭をかばうしかできない。
「だめーーーっ!」
突然、茂みの奥からラステルが飛び出してきた。
「ラステル!」
「だめ。だめ! ユーディーをいじめちゃだめ!」
大声で叫びながら、涙をこぼしている。
「やめてやめてっ! ユーディーにひどい事しないで!」
そう言って、ドライアドとユーディーの間に割り込み、自分を盾にしようとする。
「ラステル、来ちゃだめ!」
「だって、ユーディー……、痛そう、ケガ……」

「平気だって。ラステル、隠れて」
熱と痛みで動けない身体を無理に引きずり、それでもユーディーはラステルをかばおうとする。
「だって、だって、あ、危ないわ!」
ドライアドは太い触手を振りかぶり、二人を打ちのめそうとする。それを見たヴィトスはとっさに
ナイフを投げ付けた。触手が落ちてくる向きは変えられた物の、ヴィトスは武器を失ってしまった。
「……仕方ない」
ユーディーとラステルは地面にぺったりと座ったまま、お互いの身体を抱きしめ合っている。
ヴィトスは大股でそちらに近付くと、
「ここは僕が食い止める。逃げろ」
二人の前に立ちはだかり、そう告げる。
「に、逃げろって。ヴィトス、武器無いじゃない!」
「いいから。早くしろ!」
「いやよ、ヴィトスを置いてくなんてできないっ」
ユーディーがヴィトスの脚にしがみついた。
「そうです、そんな、一人で残るなんてだめ!」
「僕の事は構わなくていい、だから……おっと」
もう片方の脚にラステルがしがみつき、おかげてヴィトスはバランスを崩してしまった。
前のめりに倒れ、地面に手をついてしまう。ヴィトスが顔を上げると、フェニックスが
燃える大きな翼にたっぷりと空気をため、それを自分達に向けて吹き付けようとしている
所だった。

◆◇◆◇◆

かすかに聞こえてくるやわらかな歌声に、ヴィトスはぼんやりと目を開けた。
身体はうつぶせにされ、頭には枕代わりにやわらかい布が当てられている。
歌が聞こえる方へと顔を向け、二、三度瞬きをする。山吹色のスカートをゆったりと広げて
座ったラステルが、眠るユーディーの頭を膝の上に乗せ、小さな声で優しい歌を歌っている。
「僕は……、ええと」
頭を上げようとしただけで、ぐらり、と視界が歪む。
「あ、ヴィトスさん。もう少し、寝ていて下さい」
歌を止めたラステルが気遣うように告げる。
「歌には不思議な力があるんです。ユーディーの作ったお薬みたいに、すぐに元気にと
 言う訳にはいきませんが、それでも」
そしてまた、歌を続ける。
ヴィトスは横になったまま、歌が聞こえるままに身を任せた。傷付き痛む身体に心地よい歌が
染み込んでいくと、少しずつ楽になっていくような気がする。
「うみゅ……」
やがて、ユーディーが小さくうなった。
「ユーディー?」
目を開けたユーディーの頬を、ラステルは小さな手でそっと包んだ。

「あたし」
うすく目を開けたユーディーは、ゆっくりと腕を持ち上げてラステルの腰に回した。
「あたし。この歌を聴く為に……、あなたに会う為に、ここに来たんだ」
そうつぶやき、ラステルに固くしがみつく。
「ユ、ユーディー?」
真っ赤になり、はた目にも分かる程うろたえるラステルに構わず、ユーディーはそのまま
すう、と寝息を立て始めた。
「あ、あの、あの」
きょろきょろ、とあちこちに目をやり、偶然ヴィトスと目が合ってしまうと、
「あ、違うんです。あの、違うの……」
消えそうな声でつぶやき、うつむいてしまう。
何がどう違うのか分からないが、ラステルは歌の続きを歌おうとした。しかし、先ほどまでの
なめらかな歌とは違い、歌詞はつっかえつっかえ、音程も外れてしまう。
それでもラステルの言う通り、歌の癒しの力なのか、ヴィトスは身体を起こせる程に回復した。
自分が寝かされていた草の上に座り直し、枕にしていた布に目をやる。
「ああ、これ。どうもありがとう」
ヴィトスの頭に当てられていたのは、ラステルのワイン色のストールをたたんだ物だった。
「いえ、あの。こちらこそ」
ストールを返すと、ラステルもおじぎをする。

「ところで、僕達は……?」
辺りをざっと見回す。ここはどうやら、採取場と言っても街にかなり近い場所のようだった。
フェニックスと会った場所からは、かなり離れている。
「ええと、あの、くまさんが」
「くまさん……?」
「すごい熱い風が吹いて、ヴィトスさんが倒れて。ユーディーも倒れてしまって、私も
 もう駄目かって思ったんです。そうしたら、くまさんがいっぱい出てきて」
顔に疑問符が浮かんでいるのがラステルにも分かったらしい。
「わ、私も、どうしてくまさんがいっぱい来たのか分からないんです。でも、あっと言う間に
 私達の身体が担ぎ上げられて、そのままここまで運ばれて……」
「ふうん」
とても信じられない話しだった。ラステルは夢でも見ていたのかもしれない。しかし、
実際に誰か、もしくは何かの手によって、ここまで運ばれたのは確かだった。
「う、うぅん」
ぱちぱち、と瞬きをしてから、再びユーディーが目を覚ます。
「ユーディー!」
「ラ、ラステル。大丈夫だった? ケガしてない? 痛い所はない?」
がば、と身を起こすなり、自分の事より先にラステルを気遣う。ラステルの肩や腕をさすり、
心配そうにラステルの目を見つめる。

「だ、大丈夫よ。ユーディーがくれた指輪が守ってくれたのね、痛い所はどこも、ケガも……」
ラステルの瞳に涙があふれ、大きな粒になってぼろぼろとこぼれ落ちる。
「ラステル! やっぱり、どこかケガを」
「ごめんなさい!」
ユーディーの言葉を遮り、大きな声でラステルが謝った。
「ごめんなさい、フェニックスを見たいなんて、お羽根が欲しいなんて、ワガママ言って
 本当にごめんなさい!」
泣きながらユーディーの身体にしがみつき、何度も、何度も謝る。
「ラステル……」
「わ、私のせいで……、ユーディーにも、ヴィトスさんにもケガを……、私、私」
ひっくひっくとすすり泣くラステルの髪を、ユーディーは優しく、ゆっくりとなでる。
「大丈夫。あたしは平気だし、ヴィトスも全然何ともないから、ラステルは泣かなくていいのよ」
ユーディー一人が相手なら憎まれ口の一つも叩く所だが、身体を震わせて泣きじゃくっている
ラステルを前にしたヴィトスはそんな事が言える筈もなかった。
「そうだよ、僕なら大丈夫だ。それに……」
ヴィトスは軽く肩をすくめる。
「フェニックスを見に行こう、なんて無茶な計画を推したのは僕だ。責めは僕になされる
 べきだと思うけれどね」
その言葉を聞いて、ユーディーは少し驚いたような顔をした。

「何か?」
「ううん。少しだけ、あんたの事見直した」
「えっ?」
「何でもない。ラステル、もう泣かないで……そうだ、街に帰って、みんなでレヘルンクリーム
 食べよう。ね?」
丸めた手の甲でごしごしと顔をこするラステルが頷く。ユーディーはラステルに手を貸してやり、
立ち上がらせた。
「歩けるかな?」
「うん」
二人はしっかりと手をつなぎ、街への道を向かう。時たまラステルがしゃくりあげると、
その度にユーディーは立ち止まり、彼女を抱きしめて頭をなでてやった。
ヴェルンの街外れ、きれいな水の流れる橋の上を通り、中央広場へと向かう。
「すみませーん、レヘルンクリーム三つくださーい」
食料品店のお姉さんに元気よく告げる。
「まあ。ずいぶん派手にやったみたいですね」
ぼろぼろになった三人の姿を見て、お姉さんは小さく笑った。
「えへへ……、まあ。えっと、いくらですか?」
ユーディーはいったんラステルの手を離し、お財布をしまってあるカゴの中をさぐった。

「あれ?」
お財布を握った手と一緒に出てきたのは、鮮やかなオレンジ色の羽根。それがふわりと道に落ちる。
「あ……」
ラステルはその場にしゃがみ込み、その羽根をそっと拾った。
「は、はい。お金です。ヴィトス、クリーム一個持ってぇ」
ユーディーはお金を渡し、代わりにレヘルンクリームを両手に一つずつ受け取る。その間にも
目線はちらちらとラステルが握った羽根の方を向いている。
「そこに座っちゃお」
図書館の前にある低い階段の隅の方に、ユーディーが真ん中になって三人で並んで腰かける。
「ラステル、はい。ラステルの分」
「ええ」
ラステルは羽根を膝の上に置き、ユーディーからクリームのグラスを受け取った。
「これ」
「うん」
「不死鳥さんのおっぽ、よね」
「そうだね」
少し小さめではあったが、ふわふわの手触り、手の上に乗せた時に感じる熱は、確かに
不死鳥のおっぽ以外の何ものでもなかった。

「いつの間に、カゴに入ってたんだろ。ヴィトス、羽根むしったっけ?」
ヴィトスは横に首を振る。
「フェニックスさんが、くれたのかしら?」
「ううん、どうだろう? でも」
ユーディーはクリームを一さじすくうと、ぱくり、と口の中に入れた。
「ううっ、冷たくて美味しいなあ。ラステルも、ヴィトスも早く食べなよ」
「ああ。頂くよ」
「うん……。あ、美味しい」
クリームをひとくち口に入れたラステルが、とろけるようなため息を吐いた。
「でもきっと、あたしのカゴに入ってるんだからあたし達の物だよ。だからこれは、ラステルの
 戦利品だね」
「えっ、私? ……いいの?」
「もちろん!」
「ユーディットがいいと言って、君に異論がなければ僕は反対しないよ」
二人の返事を聞いて、ラステルは嬉しそうに羽根を握りしめた。
「んもーっ、ヴィトスはどうして素直に『良かったね』とか言えないの?」
「いや、全くもって僕は素直な人間だと思うよ。誰かさんと違ってね」
「誰かって誰?」
「さあねえ」
ふい、とそっぽを向くヴィトスのグラスのクリームに、ユーディーは自分のスプーンを突っ込んだ。

「こら、何をするんだ、ユーディット」
「素直じゃない人から徴収〜」
大きなクリームの固まりを奪い取ると、ヴィトスに取り返される前に自分の口の中に入れてしまう。
「そうか。だったら僕も君から徴収しよう」
「だめーっ」
ヴィトスのスプーン攻撃を避け、ユーディーがグラスを高く上げる。その様子を見て、ラステルが
くすくすと笑っていた。
「ああ、美味しかった。ごちそうさま〜」
クリームを食べおわると、
「私、グラス返して来ますね」
ラステルが立ち上がり、三人分のグラスを集めて食料品店の方へと持って行った。
「あのさ、ヴィトス、さっきね」
その隙に、ユーディーが小さな声でヴィトスに話しかける。
「フェニックスにやられちゃったのはラステルのせいだー、なんてヴィトスが言ったら、
 あたし、あんた蹴っ飛ばしてあそこに置いて帰ろうと思ったの」
「言わないよ、そんな事」
突然何を言い出すのかと、ヴィトスは苦笑する。
「うん、ヴィトスはそんな事言わないよね。ごめんね」
ぺこり、と小さく頭を下げる。

「構わないよ、別に」
「それだけじゃなくて。いろいろ迷惑かけてごめん」
更に声を潜め、
「それから……、ありがとう」
照れたようにつぶやくと、元気よく立ち上がった。
「ラステルー!」
こっちへ向かってくるラステルに大きく手を振る。
「ユーディー」
それに応えてラステルも手を振り、小走りに駆け寄ってユーディーに抱き付く。
「クリーム食べたら、すっかり元気になっちゃった」
「私も! ええと、これからメッテルブルグへ帰るの?」
「ううん。プロスタークへ行こうかなって思ってるの」
ちらり、とヴィトスに目をやる。
「ヴィトスのナイフ、あたしが駄目にしちゃったから。弁償しなくちゃ」
「いや、そんなに気を遣ってもらわなくても」
「いいのいいの。あたしが太っ腹になってる時は、大人しく恩恵を受けなさい。ラステルは、
 都合とか大丈夫?」
「ええ、私はユーディーの行く所ならどこへでも行くわ」
にっこりと笑いながら大きく頷く。

「プロスタークか。じゃあ、旅の途中、アルテノルトを回って、不死鳥のおっぽを買って
 行ったらどうだい?」
「んー、そうだねえ。でもせっかく命がけでおっぽ手に入れたのに、お店で簡単に買っちゃうと
 ありがたみが無くなるような気がするなあ」
あごに指を当て少し考えてから、ユーディーはヴィトスがくちびるの端に笑いを浮かべているのに気付く。
「う。あたしにそういう高級品を買わせて、工房に戻ったら利子として取り上げる気ね」
「いやいや、そんな事はないよ。そうだ、プロスタークに行くならついでに、竜の化石と
 グラセン鉱石も買っておいたらどうだい?」
「買ーわないっ! 行こっ、ラステル」
片目をつぶり、べえっと舌を出したユーディーはラステルの手を取った。
「あの……ユーディー?」
「ん?」
「さっき、あのね、ユーディーが私のお膝で寝てる時に言った事って、あの……、本当?
 本当にそう思ってる?」
「へ?」
ユーディーはきょとん、とした顔をしている。
「あたし、何か言った? 寝ぼけてたのかな。変な事言ってたら、ごめん」
「お、覚えてないの?」

「んー、ごめん。あたし、何言ったの?」
「……ううん、何でもないわ」
ラステルは首を小さく横に振ると、
「行きましょ」
にっこり微笑んで、ユーディーの手をしっかりと握り返した。
「何、あたし何言ったの、ねえ、ラステル」
「うふふ、教えてあげない」
「ラステル〜。ね、ねえヴィトス、ヴィトスはあたしが何か言ったの聞いてた?」
困ったようにヴィトスに尋ねる。
「知りませんよね、ヴィトスさんも」
「さあねえ。何を言ったんだろうねえ、君は。ラステルが知らないと言うなら、僕も知らないな」
ヴィトスが自分に調子を合わせてくれるのを見て、ラステルはくすくすと笑っている。
「ううっ、何よ。もう、ラステルもヴィトスも知らないからね」
そう言いつつも、ユーディーは握ったラステルの手を離さない。
「私の事、知らない?」
ラステルがいたずらっぽく首を傾ける。
「うーん……。ラステルの事は、知らなくない。そっちの人の事は全然知らない」
空いている手でヴィトスを指さす。

「おやおや。また僕だけ仲間はずれかな」
「うん」
「ふうん。だったら、今日の夕食、そちらの髪の長いお嬢さんはにんじん五割増だな」
「うっ……」
返事に詰まるユーディーを見て、ラステルとヴィトスが笑う。それに釣られてすぐにユーディーも
一緒に笑い出した。


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