● 背伸びした私、等身大の私 ●

ハーフェンに着いたヴィオは、武器や防具を見たいというロードフリードといったん別れ、
新しい装飾品が欲しいと言うアイゼルと、きらきらと光り輝くようなドレスや化粧品、
アクセサリーの店を回っていた。
買い物を終えて宿屋に帰ると、すでに戻っていたロードフリードが笑いかける。
「やあヴィオ、お帰り」
「ロードフリードさん、ただいま〜、……って言うのも、何か変ですね」
慣れない石畳の上を歩いて脚が疲れてしまったが、アイゼルと楽しい時間を過ごせただけで
ヴィオは満足だった。
「店はどうだった? 目当ての物は買えたのかな」
「ええ、おかげさまで。ヴィオラートをお借りして申し訳ありませんでした」
そう言うアイゼルは、小さな紙袋を数個しか持っていない。かさばるドレスなどは、
直接カロッテ村まで配達を頼んだようだ。

「都会のお洋服屋さんってすごいんですね。あたし、びっくりしちゃいました」
「ヴィオラート、今日は買い物に付き合わせてしまってごめんなさいね。何だか嫌な思いも
 させちゃったみたいだし」
包みを抱えたアイゼルが、申し訳なさそうに声を潜める。
「いえ、全然大丈夫です。あたし、アイゼルさんとお買い物に行けただけで楽しかったし、
 普段あたし一人じゃ入れないようなお店いっぱい見れて、嬉しかったです」
押さえようとするのだが、どうにも興奮している口調は隠せない。
「ありがとう、そういう風に言ってもらえると、私も嬉しいわ」
そう言ってにっこりと笑ってくれるアイゼルを見ると、ヴィオの胸がぽっと温かくなった。
「嫌な思い?」
「ああ、たいした事無いんです。あたしがおどおどしてたから、冷やかしの客だと思われて
 追い出されかけただけで」

「……全く。以前来た時は、あんな躾の悪い店員はいなかった筈よ。どんな教育をしているのかしら」
最先端を行く服を身に着け、流行りの化粧や髪型をしている店員は、気後れしているヴィオの
野暮ったい服装を見るなりぞんざいな態度で応対しようとした。しかし、アイゼルがつかつかと
店員に歩み寄り小声で何かをささやくと、奥の部屋から店の支配人らしき人が飛び出してくる。
支配人が店員を一括するととたんに態度が豹変し、アイゼルとヴィオは豪華な調度品が置いてある
小さな部屋に通され、やわらかいソファ、香りの高いお茶と軽いお菓子まで勧められてしまった。
「部屋の中に大きな姿見があって、そこに店員さんが試着のドレスを持ってきてくれたんです。
 あたしはドレス買うつもり無かったから見てるだけにしようと思ったんだけど、あたしにまで
 ドレスを着させてくれて、髪型まで変えてもらって」

最初は遠慮したのだが、店員はもちろん、アイゼルまでヴィオにドレスを着せようとした。
襟ぐりが開き、ウエストの締まった色鮮やかなドレスを着て、軽く化粧をしてもらって髪まで
上げてもらうと、鏡の中の自分はまるで別人のように見えた。
「そうよ、せっかくお化粧までしたのに、ヴィオラートったら店を出る前に全部落として
 しまうんですもの。可愛かったのに」
「や、そんなアイゼルさん、可愛いだなんて……」
頬を染め、照れながら手を振る。
「そうだね、残念だ。俺も見たかったな」
「やですよ、ロードフリードさんまでからかって。さて、あたしは買ってきた参考書を
 読み直したいから、部屋に行ってますね」

ヴィオはぱたぱたと軽い足音を立て、自分に割り当てられた部屋に向かった。
「……ふう」
部屋に入りドアを閉める。そのドアに寄りかかり、高ぶった気持ちを抑える為に静かな呼吸をする。
「えへへ」
肩にかけていたカバンから、小さな包みを取り出す。
「アイゼルさんが違う棚を見てる時に、こっそり買っちゃったんだよね」
包みを開け、小さなルージュを取り出した。服や化粧品に興味がない訳ではない。むしろ、
美しいアイゼルをいつもすぐ側で見ていて、彼女のような素敵な女性になれたらと憧れを
持ち続けていた。

しかし、実際に化粧品を選ぶとなるとどうしていいのか分からない。取りあえずアイゼルが
付けているのと同じような色のルージュを選んではみたものの、
「あれ……? これ、こんなに色が濃かったっけ」
きらびやかな店内で見るのと、飾り家具の少ない宿屋で見るのとでは全く印象が違う。
もう少し軽い色だと思ったのだが、改めて見てみると、かなりにきつい紅色だった。
「まあ、いいや」
ドレスの店で化粧をしてもらっている時は、わくわくと胸が弾んだ。しかし、慣れない化粧を
いつまでも肌の上に乗せているとどうしても違和感を覚えてしまう。自分なんかがそんな
化粧をして街を歩いていいのかどうかも分からなくて、あの時は店を出る前に全部落として
もらったが、化粧をした顔をみんなに誉められて悪い気はしなかった。

「ええと」
部屋に備え付けの鏡台の前に座る。
「よし、塗ってみよう」
ルージュを数センチ繰り出してみる。見れば見る程、色が濃いような気がする。
「んん……」
くちびるを軽く突き出して、そっとルージュを当ててみる。
「あ、くちびるは軽く開くんだっけ」
今度は、鏡に向かって不自然な笑顔を作ってみる。
「むずかしいなあ、あ、そう言えば、お店でやってもらった時は小さくて細いブラシでやって
 もらったよなあ」

ルージュを買うと言う初めての行為に舞い上がり、細々した備品の事までは全く頭が回らなかった。
「まあいいか、試しに塗ってみるだけだし」
胸をドキドキさせながら、上くちびるにルージュを当てる。くちびるの形を意識しながら、
輪郭に沿ってルージュを持つ手を動かす。
「……ん」
緊張した手が震える。ヴィオのくちびるのラインから、赤い色は見事にはみ出してしまった。
「ありゃ」
失敗をごまかそうと思ってルージュを塗り重ねてみると、よけい酷い事になってしまう。
「あ……」
一心不乱にルージュを引いていた手を止める。
ふと鏡に目をやると、くちびるだけが真っ赤に染まった自分が、今にも泣き出しそうな表情で
こちらを見返していた。

「やだ、もう。何これ」
店員さんに化粧をしてもらった時とはあまりに違う。まるで、お母さんの化粧品をいたずらした
子供の顔みたいになっている。
「落とさなきゃ……」
ルージュを塗る前のわくわくしていた気持ちはどこかへ消えてしまった。代わりに、やはり
自分が美しく装うなんておこがましいのかもしれない、そんな消極的な暗い気分になってしまう。
「そうだ、お店ではクリームで落としてもらったんだっけ。でも、お化粧落としのクリームなんか
 買ってきてないよ」
仕方なく、やわらかい布でごしごしとこすってみたが、ルージュは消えるどころかくちびるの周りに
汚く伸びていってしまった。

「洗ったら、落ちるかな」
洗面所に行き水でくちびるを洗ってみるが、油分の強いルージュは水などで落ちる筈もなく、
こすった手まで赤く染まってしまう。
「どうしよう、落ちないよ」
きつく口を閉じ、思い切って泡立てた石けんを付けて水で流す。それでもくちびるの上には、
まだらに赤い染料が残っている。
「ど、どうしたらいいの? これじゃ、外に出れないよ」
中途半端に赤くなった口元。口の中は、かすかに石けんの味がする。
「あたし、馬鹿みたい」
こすりすぎたくちびるは、ひりひりと痛んでいる。それでもまだ布でこすり続ける。

「……あたしが、アイゼルさんみたいにきれいになりたいだなんて、所詮無理だったんだわ」
鏡台の前に戻り、椅子に座る。出しっぱなしのルージュを見ると、ぽろりと涙が頬に落ちた。
「あんな風になれるかもしれないって、ちょっとでも思ったあたしが馬鹿だったのよ」
錬金術においても、女性としても魅力的で、素敵な人。
少しだけでいいから、憧れの人に近づきたかった。決して、過ぎた願いでは無い筈だ。
それなのに、今の自分は滑稽な顔をして泣く事しかできない。
「馬鹿みたい。ルージュなんか、買わなきゃ良かった」
涙の止まらない目元をごしごしと手でこすっていると、トントン、とドアを叩く音がした。
「……」
普段だったら元気に返事をするのだが、とても大声を出す気にはなれない。それに、誰が
来ているとしても、こんな顔を見られたくない。

ヴィオが黙り込んでいると、ドアが勝手に開いた。
(あ、あたし、ドアに鍵かけてなかったんだ)
日頃の習慣で、ヴィオはめったに鍵をかけない。開いたドアから、一番今の姿を見て欲しくない
人が入ってきた。
「ヴィオラート、そろそろお夕食の時間よ……あら?」
口元にルージュで汚れた布を当て、涙を流しているヴィオを見て、アイゼルは驚いた声を上げた。
「何をやっているの?」
「えっと、あの、あの……」
ごまかそうと思ったけれど、どんな言い訳をしたらいいのか、思いつきもしない。

「ルージュ、落ちなくて」
仕方なしに正直に告げる。
「ふうん……、そうなの」
アイゼルはそうつぶやくと、きびすを返してしまう。そのまま、ぱたり、とドアは閉じられた。
「……」
呆然としたヴィオの頬に、新しい涙が流れる。
「……アイゼルさんにも、愛想尽かされちゃった」
みっともないヴィオの顔を見て、呆れてしまったのだろう。

「ドアの鍵、かけなきゃ」
沈んだ気持ちに引きずられ、身体まで重くなってしまったような気がする。ヴィオはのろのろと
椅子から立ち上がると、他の誰かが部屋にやってくる前にドアの鍵をかけてしまおうとした。
「でも、どうしよう。明日になったら取れるかな」
いくら何でも、この宿屋に閉じこもってばかりはいられない。
「このまま一生、こんな風に変に赤くなったままだったらどうしよう」
ゆっくりとドアに近づき、ノブに手を伸ばす。
その時再び、がちゃり、とドアが開いた。
「あっ!」
戻ってきたアイゼルを見て、ヴィオは両手で慌てて口元を隠した。

「ア、アイゼルさん、あの、あたし」
自分を見つめているアイゼルの美しい緑色の目。白くてきめの整った肌、ゆるくウェーブが
かかった濃い色の髪、その全てを引き立てるようなきりりとしたルージュの色。
(やっぱり、あたし、アイゼルさんみたいにはなれないんだ)
そう思うと、新しい涙が溢れてくる。
「あたし……」
どうして自分の部屋に戻って来たのか、そう聞きたかったけれど、涙で喉が詰まってしまう。
(あたしの変な顔を笑いに来たのかな)
アイゼルなら、決してそんな事はしないと分かっている。分かっているけれど、ナーバスに
なった心は、いろいろな事を疑ってしまう。

「ヴィオラート、いらっしゃい」
アイゼルは泣いているヴィオの手をそっと握った。そのまま鏡台の前へ連れて行き、椅子に座らせる。
「アイゼルさん、あたし、あたし」
「おしゃべりは後」
肩を落としているヴィオの傍らに立ったアイゼルは、鏡台に投げ出されたルージュに目を留めた。
「……せっかくこんな素敵な色のルージュを買ったのに、クレンジングは安物を選んでしまったのね」
馬鹿にされるか、怒られるか。そう思って萎縮していたヴィオは、アイゼルの声のあまりの
優しさに、はっと顔を上げた。
「私が調合したクレンジングクリームを使うといいわ。以前、あなたのお兄さんのお洋服の
 染み抜きをした事があるでしょう、その薬を肌にも使えるようにしてみたのよ」

アイゼルは、小さなポーチを持ってきていた。その中から小ぶりのビンを取り出すとフタを開ける。
中に入っている白いクリームをたっぷりと指にすくうと、それをヴィオのくちびるに乗せた。
そのまま、小さく円を描くようにマッサージを始める。
「……」
穏やかなアイゼルの指の動きを感じていると、情けなくて落ち込んでしまった気持ちが
少しずつ薄らいでいくような気がした。
白いクリームはだんだんとルージュの色を含んで、薄いピンク色へと変わっていく。
「この布、使ってもいいわよね」
あちこちルージュの色が付いてしまった布の、まだきれいな面を表にしてたたむと、そっと
ヴィオのくちびるをぬぐった。

「あ」
アイゼルが丁寧にクリームを拭き取った後には、ヴィオのいつもの健康的なくちびるの色が現れた。
「あ……」
安堵感で、ヴィオの肩の力が抜けた。
「ついでに、こっちも」
クリームの付いた布でヴィオの手の甲を軽くこすると、そこに付いていた色も消えていく。
「後は顔を軽く洗って、肌に残ったクリームを落とすといいわ」
「あ、ありがとうございます! あの、でも」
またヴィオの声が不安そうになる。
「……アイゼルさん、笑わないんですか?」
そう聞かれ、アイゼルは形のいい顎に指を当て、少し首をかしげる。

「何をかしら? ……あなた、面白い冗談か何か言った? だったらごめんなさい、
 聞き逃してしまったわ」
「違います、あの、あたし、こんな変な色のルージュ塗って……お店で見た時は、もっと
 薄い色だと思ったのに」
目元にじわり、と熱がこみ上げる。
「口の周りに真っ赤にして。子供みたいなのに……馬鹿みたいなのに」
アイゼルは鏡台に手を伸ばすと、ヴィオが出しっぱなしにしていたルージュを取った。
「変な色じゃないわ、とってもきれいな色よ。普段使いじゃなくて、パーティーや何かの時に
 フルメイクで使うにはぴったりだわ」
ルージュの筒を回して、きちんとフタをすると、鏡台に戻す。

「それに、お店で見た色と家に帰ってから見た色が違うのは、良くある事よ。室内の明るさが
 違うし、それにお店でお買い物をする時は、舞い上がってしまうもの」
「え、アイゼルさんでも、お買い物で舞い上がっちゃうなんてあるんですか?」
くすっ、とアイゼルが微笑む。
「ええ。欲しい物がいっぱい置いてあったら、どれを買おうか目移りして、結局自分が
 欲しかったのとは違う物を選んでしまう、なんてね」
ふっと何かを思い出したような顔をして、持ってきたポーチを探りながらヴィオに声をかける。
「……ヴィオラート、顔を洗っていらっしゃい」
「はい」

ヴィオは洗面台に行くと、言われた通りに顔を洗った。涙で濡れ、はれぼったくなっているような
気がする目元まできちんと水で冷やす。
(アイゼルさん、あたしにすごく気を遣ってくれてるんだ)
普段は結構きつい事を言われたりもする。しかし、心底落ち込んで悲しい思いをしている時には
ヴィオの心が軽くなるようにと優しい言葉をかけてくれる。
(本当に素敵だな、アイゼルさんって)
やわらかい布で顔の水気を切り、アイゼルの側に戻る。アイゼルは小さな金色の筒を手にしていた。
「私もルージュを買ったの。でも、付けてみたら印象が違っていて……、もう一度座ってみて、
 ヴィオラート」
アイゼルが筒のフタを開ける。筒をくるくると回すと、明るいパールオレンジが現れた。

「あ、きれいな色」
「薄付きだから、このまま塗っても大丈夫よ」
背をかがめ、ルージュをヴィオのくちびるに当てようとして、ふと手を止める。
「一度、私が使ってしまったんだけれど。大丈夫かしら?」
「は、はい」
そう聞かれるまでは気付かなかったけれど、アイゼルのくちびるの上に乗ったルージュが
自分のくちびるにも触れるのだと思うと、妙に意識してしまう。
「緊張しないで。大丈夫だから」
アイゼルはやわらかく微笑むと、ルージュをそっとヴィオのくちびるに当てた。そのまま
横線を引くように、すっと動かす。

「どうかしら?」
「あ……っ」
軽くなぞっただけなのに、くちびるには自然なオレンジ色が映えていた。先ほどまでしょぼしょぼ
していたヴィオの表情が、見違えるように明るくなった。
「え、何で? すごい」
あからさまに化粧品を塗っているという印象はない。それなのに、肌のつやまで良くなった
ように見える。
「オレンジ色は健康的に見えるのよ。いつも元気なヴィオラートにはぴったりじゃないかしら」
アイゼルはルージュにフタをすると、それをヴィオの手に押し付けた。

「アイゼルさん?」
「あげるわ。私よりも、あなたに似合いそうだから」
「えっ……、でも」
「私、実はオレンジ系が似合わないのよ。無駄にしちゃうのももったいないでしょう?
 だから、もらってちょうだい」
ルージュをヴィオの手のひらに落とすと、自分の腕を引っ込めてしまう。
「本当に、いいんですか? 嬉しい、あたし」
両手でルージュを包み、その手を胸元に当てるだけで心の中が温かくなってくるような気がする。
馬鹿な自分、そんな自分に優しくしてくれるアイゼルの気持ちを思うと、ヴィオの目にじわりと
涙がこみ上げてくる。

「アイゼルさん……、あたし」
手を丸め、ぐしぐしと目元をこする。
「あ、そうだわ。このクレンジングあげておくわね。私は予備があるから」
「アイゼルさん」
顔を上げ、真っ直ぐにアイゼルの瞳を見つめる。
「あたし、ごめんなさい、何だかいつも馬鹿みたいで」
涙をこぼさないように、また目をこする。
「さっきだってあたし、大人っぽいルージュ塗ればアイゼルさんみたいにきれいに、素敵に
 なれると思って……、こんなんじゃ、いつまで経ってもアイゼルさんに追いつけませんよね」

ぐすん、と鼻をすするヴィオの耳に、
「……あなたって、結構どんくさいのね」
呆れたようなアイゼルの声が聞こえた。
「え」
「あなたが、私みたいになれる筈ないじゃないの」
「は、はぁ」
いきなりの冷たい言葉に、まるで突き放されてしまったような気がして、ヴィオは肩を落とした。
「あなたは、あなた。私になる必要はないわ」
「え、っ?」

アイゼルはヴィオの頬を優しく両手で包んだ。今度はアイゼルの方からヴィオの目を見つめる。
「あなたはあなたのままで充分素敵よ。無理に誰かの真似をする事はないの」
そう言って笑いながら、親指でヴィオの涙をそっとぬぐった。
「……」
ヴィオの首から頬へ向かって、皮膚がちりちりと熱くなっていく。多分真っ赤になっている
頬に当たっているアイゼルの手のひらは心地よい冷たさだった。
「と言っても、私も人の真似をして、そんな色を買ってしまったのだけれどね」
手を離し、ヴィオの手の中にあるルージュを見つめる。

「えっ?」
「前に話した事があったかしら。私の友達……、いつも元気で、明るく前向きで。その子が
 オレンジ色がとても似合うのよ」
アイゼルにしてはめずらしく、少し照れたような口調になっている。
「えっと、あの、チーズケーキを作るのが得意な方ですか?」
返事の代わりにアイゼルは小さな笑みを浮かべる。
「少し元気すぎたりもするのだけれどね。でも、私もあんな風になれたらって思って、
 オレンジ色を買ってみたのだけれど」
ゆっくりと首を振ると、色の濃い髪がふんわりと揺れる。
「でも、やめたわ。あんな風に脳天気になると困るもの」

「脳天気……」
言葉はきついものの、友達を語るアイゼルの口調はとても優しかった。
「アイゼルさん、そのお友達の事、本当に好きなんですね」
ぽつり、と口に出すと、アイゼルの頬がほんのり赤くなる。
「す、好きって、そんなじゃないわ。ただ、そうね、いい子よ。とても素直な、いい子」
気恥ずかしくなってしまったのか、アイゼルは少しだけ早口になっている。
「……あなたに少し似てるのよ。素直で、真っ直ぐで。とてもいい子」
アイゼルはぼんやりと部屋の窓の外に顔を向けた。遠く離れた故郷を思い出しているのだろうか、
ほんのちょっぴり寂しそうな目をしている。

「あの、アイゼルさん」
名前を呼ばれ、アイゼルはヴィオの方へ向き直る。
「アイゼルさんがあたしに錬金術を教えてくれたのって」
アイゼルとの会話の途中、たびたび出てくる”親友”の話し。その見知らぬ誰かを、ヴィオは
ずっと羨ましいと思っていた。
「あたしに声をかけてくれたのって、あたしがそのお友達さんに似ていたからですか?」
自分の知らないアイゼルを知っているであろうその人。
「あたしってもしかして、その人の……代わりなんですか?」
自分と知り合う前のアイゼルの人生に関わっていた人に対して焼き餅を焼いても仕方がない。
それは分かっていても、ヴィオの胸の中にはちくちくする小さなトゲが芽を出してしまう。

「ヴィオラート」
アイゼルは正面からヴィオの顔を見据える。
「あなたが私の友達の代わりになれるなんて、そんな事思っているの?」
「えっ……」
厳しい口調に、一瞬ヴィオがたじろぐ。
「あなたは誰かの代わりになる事はできない。誰も、あなたの代わりにはなれない。そもそも、
 誰かが誰かの代わりになんてなる必要ないわ。あなたはあなた。ヴィオラートはヴィオラート、
 だから私はあなたが好きなのよ」
アイゼルの言葉を聞いて、ヴィオは胸が詰まりそうになった。

「あたしも」
緑色の美しい瞳の色。今、その目は自分の姿だけを映している。
「あたしも、アイゼルさんが大好きです」
自分の瞳にも、アイゼルだけが映っている。そう考えるだけで、ヴィオの心の中が温かい
満足感でいっぱいになる。
「ありがとう……、ふふ、何だか少し照れくさいわね」
恋愛感情とは違う、それでも相手を愛おしく、大切に思う気持ち。
「はい、何だか恥ずかしいです」
また自分の頬が熱くなっているのを感じたが、アイゼルの頬もほんのりと赤くなっているのを
見て、妙に安心してしまう。

「ねえ、ヴィオラート」
「はい?」
「あなたの髪。触ってもいいかしら」
アイゼルは顎に指を当てて首をかしげる。大人びた、それでも可愛らしい仕草。
「あ、どうぞどうぞ、こんなで良ければいくらでも」
ヴィオが顔を前に出すと、アイゼルの細い指が近づいてくる。長い髪に指先を絡め、
「……きれいね」
そうつぶやいてから、するりとほどく。
「私が、あなたに声をかけたのは……、そうね、あなたが困っているようだったから、と
 言うのもあるけれど」

「はい」
「……なんだか、面白そうだったのよ、あなた」
「はあ?」
ヴィオの髪から手を離し、アイゼルはくすくすと笑う。
「お、面白いですか? あたしって」
「ええ。言っておくけど、誉め言葉よ」
「は、はあ……そうですね。はい、誉め言葉として受け取っておきます」
あまり誉められているという感じはしないが、アイゼルとの会話の中ですっかり自信を取り戻した
ヴィオは、アイゼルに負けないように微笑み返した。

「あ、そう言えば」
ふと、アイゼルが困ったように眉をひそめた。
「私、あなたをお夕食に誘いに来たんだったわ」
ヴィオの部屋に来た本来の目的を思い出し、ぽつりとつぶやく。
「彼、ずっと待たせてしまっているかもしれない」
「あっ。ロードフリードさん。もしかして、食堂で待ちぼうけですか?」
「そうかもしれないわ。悪い事をしてしまったわね。でも、これだけきれいなヴィオラートを
 連れて行けば、許してもらえるんじゃないかしら」
まだ少し赤らんでいるヴィオの頬にそっと指先を触れる。

「もうっ、アイゼルさんったら。何言ってるんですか」
ロードフリードに薄化粧した顔を見られるのが恥ずかしいのか、アイゼルに誉められた事が
照れくさいのか。それをごまかす為にヴィオは拗ねたような口調を作ってみせる。
「ふふ。それじゃ、行きましょうか」
「あっ、アイゼルさん、待って下さい〜」
ヴィオは自分が買ったルージュとアイゼルにもらったルージュを丁寧に鏡台に並べた。
それから、ドアを開けかけているアイゼルの腕に、思い切って自分の腕を絡める。
「あら」
振り向いたアイゼルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「腕を組んでいると、とっても仲良しみたいな感じがするわね」
「はい、あたしとアイゼルさんは仲良しですから」
にっこりと微笑みながら、ヴィオは何回も頷く。
「そうね。じゃ、仲良し同士で行きましょうか」
「えへへ。行きましょう」
ヴィオはどうしてもこぼれてしまう笑みを押さえながら、歩調を合わせてアイゼルと部屋を出た。


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