● せつない片想い ●

「ああっ、ロードフリード様……どうしてあなたはロードフリード様なの?」
お店の商品棚に品出しをしているヴィオのすぐ後ろに、突然思い詰めたような声が響いた。
「パ、パメラさん?」
振り向くと、パメラがいた。急に背後に立たれて驚くヴィオには構わず、床から数センチ
離れた所に浮いたまま、するする、と滑るように移動していく。
「あなたの事を思うと、息も止まる程に胸が締め付けられるの」
「って、パメラさん、息してないじゃないですか」
「ロードフリード様……お名前をつぶやくだけで、私、もう」
ヴィオの突っ込みも無視して、憂いげに目を伏せるパメラであった。

◆◇◆◇◆

険しく長い鉱山道を突破して、やっとたどり着いたメッテルブルグ。至る所が工事中で
バリケード代わりの樽だらけだったが、それでもその街の大きさに圧倒されたヴィオだった。
『酒場ならあそこに。幽霊亭って言うんだ』
街の人に不吉な名前を聞き、なんとその名の通りに幽霊が出るらしい、と言われてビクビクしながら
宿を取った所、はたして噂の幽霊が現れたのだった。
「まあ、あなたって錬金術師さんなのね!」
がくがく、と歯の根も合わない程にふるえ、怯えているヴィオには構わずに楽しそうに手を
打ち鳴らす仕草をするパメラ。
「あたし、あなたに興味が出てきちゃった……うふふふ」
にっこりと笑われる。その笑顔を見る限り、とても幽霊とは思えないのだが。

それでも彼女を仲間にして、カロッテ村へと帰る途中、手強いモンスターに襲われた時に
彼女の真価は発揮された。
森の中から現れたハイエルフと馬の姿をした怪物からの、息も継がせてもらえないような
過酷な攻撃に、ヴィオも護衛のアイゼルもあっけなく地面に倒れてしまった。
「氷の矢……見くびっていたわ。私達、ここで終わりなのかしら」
くやしそうに、頬を土で汚したアイゼルがつぶやく。
あらゆる物質の性質を理解し、それを組み合わせ、効力を引き出して操る錬金術師。火、雷、氷と
ごくごく基本的な、だからこそ重要な仕組みを理解して、それを自分に有利なように働かせる。
アイゼルはその理論を応用したレジスト能力を身に付けていた。うぬぼれるまではしなくても
ある程度自負はしていただけに、ハイエルフの技を防ぎきれなかった自分自身に腹を立てている。

「あ、でも、アイゼルさん。あれ」
身体中の痛みに意識を手放しかけながら、ヴィオがぼんやりとパメラを指さす。
「え〜〜い」
そんな中、敵の攻撃を全く受け付けないパメラは何とも気の抜けるかけ声と共に、敵モンスターの
精神力をガンガン削っていた。
「……」
同じく気を失いかけているアイゼルも驚いたようにそちらに目をやった。
「彼女は、おばけ……幽霊だったわね」
「そうですね」

幽霊亭でパメラを仲間にする、と言った時、アイゼルは少し怯えたような顔をした。しかし、
ヴィオのすぐ後ろに立っていたパメラを見て、
「本当に幽霊なの?」
そう聞き返してしまった程に彼女は存在感があった。おばけが苦手なアイゼルにとっても、
パメラは普通の女の子にしか見えないのだった。

「当ったれ〜〜〜!」
一人ひょうひょうとしておしゃれなアンブレラを振り回し、モンスターを次々となぎ倒していく。
「いやぁん」
ヴィオとアイゼルに、一撃で致命傷と言ってもいい程の傷を与えた氷の矢。ハイエルフがパメラに
向かって撃った氷の矢は、彼女の身体に傷一つ付ける事もなく、すっ、と通り抜けていった。
矢は後ろの地面に突き刺さると、ビキビキ、と割れるような音を立てながら周りの土や草を凍らせていく。
(すごいなあ……)
それを見て、ヴィオは完全に意識を失った。

「ヴィオラートさん、ヴィオラートさん、起きてえ〜」
パメラの声に目を開ける。
「片づきましたよぉ。少し時間はかかっちゃったけど」
「う……ん」
ずきり、と全身が痛む。それでも気を失って寝ていたうちにだいぶ体力は回復したらしく、
片膝をついて起きあがれるくらいにはなっていた。ゆっくりと周囲を見回すと、確かにモンスターの
気配は消え去っている。
「アイゼルさん、アイゼルさん」
ヴィオが起きたのを見て、パメラは今度はアイゼルに声をかける。

「いやあああぁっ、へびっ!!」
目を覚ますと同時にアイゼルが悲鳴を上げた。
「へび?」
顔の前で、ばたばた、と手を振る。
「へび、近づけないでちょうだいっ!」
アイゼルはぱちぱち、と二、三度瞬きをしてから、
「わ、私、おばけを見に行って……おばけは、いなかったのよ。いる訳ないわよね。でも、
 その代わりにへびが、へびが」
支離滅裂な事を言ってぶるっ、と身体をふるわせる。

ヴィオとパメラの不思議そうな視線に気付き、
「な、なんでもないわ。昔の夢……悪い夢を見ていたのね、ごめんなさい」
言い訳をしてからすぐにいつもの気丈な顔立ちになる。
「それにしても、たいした物ね。あなたがいなかったらどうなっていた事か。あなたが幽霊だとか
 おばけだとか、そんなのは関係ないわ。どうもありがとう」
きれいなハンカチで自分の顔を拭いながら、アイゼルは惜しみなく、感嘆の意を示した。
「お役に立てて、良かったわ」
自分の価値を認めてもらい、パメラは嬉しそうに微笑んだ。

そんな事もあったりして、パメラがヴィオの護衛に欠かせない存在になるまでに、あまり時間は
かからなかった。付き合ってみるとなかなかいい人(?)で、話しをしていても面白かった。
「幽霊亭って、昔は黒猫亭って名前だったのよ。一階に黒くて大きな猫ちゃんがいたでしょう?」
「ああ、なんだかおどおどしていた猫ですね」
なでてあげようと手を出したら、びくり、と身体をすくませて、怯えたような情けない声を出した猫だ。
「ええ、あの街にいる猫ちゃんは、昔よくヒゲをむしられていてねえ」
話し好きの彼女は、いろいろ興味深い話しをしてくれる。
「そ、そんなに酷い事をする人がいたんですか?」

「そうなのよ。猫のヒゲって、錬金術の材料になるんですって」
昔のメッテルブルグの話しや、彼女が二十年も前に知り合っていた、という猫ヒゲをむしる
錬金術師の話しも、たまにしてくれる事があった。
「猫って、二十年も生きるんですか?」
「さあ。今幽霊亭にいるのは、その猫ちゃんの子供かもしれないけど。ヒゲには気を付けなさい、
 って教えられているのかもね」
「へえ……、その錬金術師さんは、今はどうしているんですか?」
そう聞くと、うふふ、と笑って答えてはくれなかったけれど。

◆◇◆◇◆

今日もパメラと一緒に材料の採取に行き、無事満足できる結果を得たヴィオは家に帰ってきた。
「あちゃ、お兄ちゃんったら店放り出してるよ。お店番が終わる日にあたしが帰らなかったのを
 怒ってるのかなあ」
カウンターに置かれているメモ用紙には、兄の字が殴り書きになっている。
「ごめんなさい、パメラさん。コンテナ片付けるのに少し時間がかかるから、いつもみたいに
 そこら辺で楽にしてて下さい」
「ええ。私の事は気にしないで……そうだ、ヴィオラートさんの代わりにカウンターに立って
 いましょうか。うふふ、私、お店屋さんごっこ、結構好きなのよ」
「お店屋さんごっこ、じゃなくて、ちゃんとしたお店ですってば」
メッテルブルグを離れてからしばらく経つ。ヴィオが街の外へ行かずに調合作業をしている時は
パメラはいつもヴィオの家の中にいた。正直、役には立たないが、お店番をしてくれる事もあった。
居心地はいいらしく、パメラが不満を漏らす事はなかった。

カウンターに立っている、と言いつつ、パメラは、店の中を歩き回っている。陳列品や、
大きな溶鉱炉などをぶらぶらとのぞき込んだりしている。
「それにしても、いつ見てもすごいわねえ、溶鉱炉。ついに普通のご家庭にも溶鉱炉が持てる
 時代になったのねえ」
「普通……の家には、あんまり置いて無いと思いますけど」
採取してきた鉱石などを片付けつつ、兄が残した仕事をまとめていると、ちりんちりん、と
ドアのベルを鳴らしてロードフリードが店に入ってきた。
「やあ、ヴィオ」
「あっ、ロードフリードさん」
「バルテルいるかな?」

「ええと、あれ? そこいらへんにいませんでした? 二階見てきましょうか」
ちらり、と二階の部屋のドアに目をやる。
「まあいいや、借りた物を返しに来ただけだから。これ、渡しておいてくれるかな」
「はい、分かりました」
表紙がボロボロになっている本を受け取る。ロードフリードは急ぎの用事があるらしく、
簡単な挨拶だけですぐに帰ってしまった。
「……ねえ」
ドアが閉まると、パメラが熱っぽい声を出す。

「何ですか?」
「今の方はどなた?」
もともと色の白い肌に、ほんのり赤みが差している、ように見える。
「あれ、会った事なかったでしたっけ? ロードフリードさんって言うんです。お兄ちゃんの幼なじみで」
「ロードフリード様……」
うっとりとした瞳で、ヴィオのそばに近づいてくる。
「パメラさん、そんなに上の空で歩くと、転……ばないか」
「ロードフリード様、っておっしゃるのね」
「パメラさん?」

パメラは、うっとりとロードフリードが出て行ったドアを見つめて、
「私、あの方に恋をしてしまったかもしれないわ」
ぽつり、と思い詰めたようにつぶやいた。
「はあ?」
「端整な顔立ち、透き通るような白い肌、しなやかに揺れる髪。なんて素敵なのかしら」
「よく一目でそこまで見てますね」

「でも、あの方は生身の人間。私はしがない幽霊……私達は決して結ばれない運命なのだわ」
よよ、と泣き崩れそうな勢いになる。
「せつないわ。こんな気持ち何十年……何百年ぶりかしら」
あまりにスケールの大きい話しに付いていけなくなったヴィオが黙っていると、
「ロードフリード様……ああ、私、涙がこぼれそうよ」
両手で顔を隠して、彼の名前を呼びながら二階の寝室のドアをすり抜けていった。
「あたしのベッドを気に入ってるって言ってたから、ベッドに突っ伏して泣くつもりかな」
幽霊も泣くのかな、と思いつつ、パメラさんって幽霊っぽくないから泣くのかもしれないな、と
すぐに考え直した。

◆◇◆◇◆

それ以来、毎日のようにパメラの胸のうちをとくとくと聞かされている。
「ねえ、今日はロードフリード様はお店に来ないの?」
「知りませんよ、そんな事」
彼を待ちわびるパメラの言葉をずっと聞いているせいか、ロードフリードの来店が無いと
ヴィオまで少しだけ寂しくなるような気がしてしまう。
「第一、ロードフリードさんが来ても、パメラさんの事見えないじゃないですか」
つい、言ってしまうと、パメラが息を飲んだ。
「うっ……」
「あ、あ、ごめんなさい」
パメラが目元に涙を滲ませてしまったのを見て、慌ててヴィオは謝る。

ヴィオはパメラが思い切ってロードフリードに声をかけようとした時の事を思い返した。
「あっ、あの、あの……お友達になって……くださいませんか」
真っ赤になり、しどろもどろになりながら、なんとかロードフリードに話しかけようとするパメラ。
一方、ロードフリードには全く霊感という物の持ち合わせがなかったらしい。必死になっている
パメラに気付きもせず、さっさと店のドアから出て行ってしまったのだ。
その後、ヴィオの方からパメラという女の子の幽霊がいてロードフリードと友達になりたがっている、と
伝えてはおいた。しかし、それからもロードフリードはいっこうにパメラの姿を認識する事ができなかった。
「それでも、私は彼のお姿を見るだけでも幸せなの」
しょんぼりとした声でパメラがつぶやく。

「それにしても……そうね、やっぱり、こんなパッとしないお店に毎日通うようなお暇な方じゃないのよ」
「パッとしなくて悪かったですねえ」
暇と言えばお店番をしている自分の方が暇だった。パメラはたまにキツい事も言うけれど、
それも天然の成せる技なのであまり気にはならない。お客様がいない時にはいい話し相手に
なってくれていたし、聞いているだけで、ほにゃ〜ん、と顔がゆるんでしまうような彼女の
優しく甘い声も好きだった。
なんと店に押し入ってきた強盗を追い払ってくれた事もあったりして、そんな彼女の存在は
だんだんヴィオの心の中で大きくなっていた。
「そうよ。ねえ、最近武器や爆弾の品揃えが悪いんじゃないの? ロードフリード様は武器の
 充実を所望してらしたと思うんだけど」

「えっ、そうなの? よく知ってますねえ……って、勝手にお客様名簿見てるっ」
パメラのちょうど胸当たりの高さにお客様名簿がふわふわと浮いている。手も触れないのに
パラパラとノートがめくれ、目的のページを見つけてふんふん、とうなずいている。
「ロードフリード様のおめがねにかなう武器や爆弾を揃えたらどうなのかしら。ねえ、どこだかの
 遺跡に武器や防具がたくさん落ちてたでしょう、あれを集めてきて」
いつの間にか経営にまで口を出すようになって来ている。
「本当は私が取りに行ってもいいんだけれど、私には武器は扱えないし」
今、手に持たなくても名簿を扱っているのになあ、と思いつつも口にしない。
「そう、私はあの方の事をこんなに想っているのに、あの方に見て頂く事もできない、お互い
 触れる事さえできないの。ああ、なんてせつない恋なのかしら」
パメラは身をくねらせる。

「うん、でもねえ、お店番雇わないと冒険には行けないんだよ」
「だったら、あたしがお店番してましょうか?」
「いや……それは……」
ヴィオが言葉に詰まっていると、お店のドアが開いた。
「きゃっ!」
パメラ小さな声を上げて頬を染める。
「ロードフリード様だわっ」
全身でうきうき、という言葉を表現しながら落ち着きなく店の中を歩き回る。
「やあ、ヴィオ」
「こんにちは。パメラさんもいますよ」
「えーっと、こんにちは、パメラさん」

ヴィオが指さした方向に目をやり、そこいらへんの空間に向かって礼儀正しく頭を下げる。
ヴィオの護衛をしながら国中を回った際、妖精さんやら何やら不思議な存在を見慣れてしまった彼は
自分には見えない幽霊がヴィオの店にいる、と聞いてもべつだん気にはならないらしかった。
ましてや友達になりたがっている、と言われればむげにする事はできず、見えないなりに
丁寧な扱いをする。
「こんにちは、ロードフリード様。うふっ」
ロードフリードに聞こえていないと分かっていてもパメラは嬉しそうに返事をする。
首をかしげながら可愛く笑ってみせると、本当に幽霊とは思えない。
「今日は、これをいただこうと思ってね」
お店に並んでいる、出来の良いメテオールを手に取る。

「いつもながらいい品物だね、ヴィオ」
「そうですか。えへへ」
ほめられて、くすぐったいような、嬉しい気持ちになる。
二人のやりとりを見ていたパメラが、ふっ、と何かを思いついたような顔をした。
「じゃあ、がんばってね」
値切る事もせず、とても商品の価値には見合わない品物と交換してくれ、と頼んでくる事もない。
ロードフリードはお客様の鏡のような人だった。
「どうもありがとうございました〜!」
元気にお礼を言いながらロードフリードがお店を出て行くのを見送る。

そんなヴィオの全身に、
「あ、あれ?」
突然レヘルンでも投げ付けられたように、びりびりと冷たく凍るような衝撃が走った。
(あた、し)
まるで杭でも打ち込まれたように、身体が真っ直ぐになったまま動かない。
そう思ってすぐ、自分の意志とは全く関係無しに、ぎくしゃく、と脚が動いてしまう。
(なに? なに?)
口も動かず、当然声も出せない。

「ロードフリード様」
声が出せない筈なのに、勝手に自分のくちびるがしゃべり出した。
「どうしたんだい、ヴィオ」
名前を呼ばれ、ロードフリードが立ち止まり、振り向いた。
「ふふ」
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、ヴィオの身体がつつっ、とロードフリードに近づいていく。
「ロードフリード様……」
にっこりと笑っているロードフリードに、
「私、あなたをお慕い申していましたわ」
そう言って、しっかりと抱き付いた。

(え、ええーーっ!)
心の中で大声で叫ぶ。
(うふふ、ごめんね。そうよ、最初からこうすれば良かったんだわ)
頭の中で、パメラの声がする。
(ちょっとだけ、身体借りるわね)
(身体借りる、って!? パメラさんっ)
おろおろと混乱しているヴィオには構わず、ヴィオの身体に乗り移ってしまったパメラは
今まで自分の中にしまっていた想いをロードフリードにぶつける。

「ずっと、ずっとあなたに触れたかったんです。あなたに私を見て欲しかった」
「ヴィオ?」
自分の胸に頬ずりしているヴィオを見て、ロードフリードが驚いたような声を出す。
「どうしたんだい、突然」
戸惑いつつも、ヴィオの身体を引きはがすような事はしない。
「ロードフリード様、キス、して下さい」
(ええええーーーーっっっ!!)
「ヴィ、ヴィオ?」
さすがにその申し出には即答しなかった。

(パ、パメラさんっ! パメラさんてばあっ)
(ちょっとだけ。ちょっとだけよ)
ロードフリードの頬も赤くなっている。
(そんな、あたし! キスなんて、待ってっ)
(だってあなたも、ロードフリード様の事、まんざらじゃないんでしょ?)
そう問われ、なぜかすぐに否定の言葉が出なかった。
(ち……違うよ、ロードフリードさんはお兄ちゃんの友達で、あたしの幼なじみで、それだけだよ)
それだけ。
それだけなのかな。
頭の中にぐるぐると、いろいろな感情が渦巻いてくる。
(ふふ。どうかしらねえ〜)

「え、っと」
明らかに困っているロードフリード。
(パメラさん、パメラさんっ)
(怖くないわよ、別に)
(そういう事じゃなくて……)
ヴィオの身体が、目を閉じる。小さく背伸びをして、くちびるを突き出す。
(だめだよ、パメラさん)
ロードフリードの手がヴィオの肩にそっと触れる。
(あ、あうぅぅぅ)
見えなくて良く分からないけれど、彼の吐息が、近づいてくるような気がする。
(こんなの、だめ……)

と、ヴィオの手が、とん、と優しくロードフリードの胸を突き飛ばした。
「えっ?」
きょとん、としているロードフリードに、にっこりと笑ってみせる。
「ごめんなさい。私、パメラです。ちょっといたずらしてみたくて、乗り移ってたの」
そう言って、すうっ、とヴィオの身体から出て行く。
「あ、あぅぅ」
途端に力が抜けてへたり込んでしまいそうになったヴィオの身体をとっさにロードフリードが支えた。
「ごめんね」
ヴィオの隣りに立ち、ぺろり、と舌を出す。
「……でも、やっとお話しできましたね」
泣きそうな顔を隠すように、くるり、と後ろを向く。そのままカウンターの後ろへ移動して、
階段を上ると寝室のドアに吸い込まれていった。

「大丈夫かい、ヴィオ」
「あ……」
背中を抱かれ、すぐそばに顔を近づけられてヴィオの顔が真っ赤になる。
「今、君の隣りで、空気がちらちらと揺れたような気がしたんだ。それが、パメラさんだったのかな」
ヴィオはこくこく、とうなずく。
「何か言っていたような気がしたけれど、聞き取れなかった……冗談が好きな人なんだね」
真っ赤になったヴィオを見て照れてしまったのか、ロードフリードも顔をそむける。
「そ、そうですね。あ、もう平気です」
彼に抱かれているのが恥ずかしくて自分の脚で立とうとしても、へなへな、と脚が崩れてしまう。
「無理しないで。椅子にでも座った方がいいかな」
「あ、はい」

ロードフリードに支えられながら、なんとか椅子に座らせてもらう。
「ごめんなさい、ロードフリードさん」
「ヴィオが謝る事はないよ。ちょっと、びっくりしたけど」
口元に手を当て、目線をさまよわせる。
「えーと……俺の方こそ、ごめん。そう言われればいつものヴィオとは言葉遣いが違ったような
 気がしてたんだけど、乗り移られてるなんて気付かなくて、つい」
「ロードフリードさんこそ、謝る事は無いですよ」
だんだん落ち着いてきたヴィオが、ロードフリードの言葉に心を留める。
「つい?」

「いや、何でもないよ。ヴィオ、もう大丈夫だよね」
慌てたような表情をして、
「そうだ。これをヴィオに持ってきたんだった」
それをごまかすように、祝福のワインを取り出す。
「あ、ありがとうございます」
「身体暖まるから、飲んでよ。それじゃ、おやすみ」
ヴィオの頭をそっとなでると、すぐに店の外へ出て行ってしまった。
「……」
受け取ったワインのビンを手に持ったままぼんやりとしていると、ドアが開いて閉じた音を
聞きつけたパメラが部屋から出てきた。

「パメラさん、酷いです」
階段を降りてきたパメラを上目づかいで軽く睨む。
「うふふ。ごめんね」
気のせいか、少し哀しそうな顔をしている。その顔を見てしまったヴィオは、パメラに文句を
言う事ができなかった。
「もう、しないわ……私がヴィオラートさんに乗り移っても、ロードフリード様に私の姿を
 見ていただける訳じゃないものね」
ふう、とため息を一つつく。
「ああ、私とロードフリード様は、決して決して結ばれない運命なのね……。人と幽霊、
 それだけじゃなくて、あの方の心の中にはもう、私ではない誰かが住んでいるんだわ」
「パメラさん?」

「バルテルさんがおっしゃっていた通り、あの方には好きな子がいるのね。そしてそれは
 私じゃないんだわ……」
「ええっ、そうなんですか?」
なぜか、ヴィオの心がちくり、と少しだけ痛んだ。
「あら、あなた、気付いてないの?」
ちろり、と横目でヴィオの顔を見る。
「へえ、ロードフリードさんって……誰なのかな。パメラさんは分かってるんですか?」
「鈍いのねえ」
頬に片手を当て、頭を左右に振ると、ほんのり透き通った灰色の髪が揺れる。

「決して結ばれないのは分かっているのに、更にあの方には私ではなく他に好きな人がいるなんて。
 ああ、なんて哀しい恋愛なのかしら」
「パメラさん、ねえ、それって誰なんですか」
パメラの肩に手をかけようとしたが、当然その手は彼女を突き抜けてしまう。
「でも、障害があればある程に愛は燃え上がるのよ! それに……そうだわ! 片想いの彼が
 彼の好きな子と幸せになるのを、草葉の陰からそっと願って見守る健気な私。それもいいかも」
「草葉の陰、って、あの世って事ですよね。パメラさんは、あの世じゃなくて、この世にいるし」
ヴィオの言葉は全く耳に届かないようで、パメラはどんどん自分の世界に入って行く。

「いえ……いいんです、ロードフリード様……。私はあなたがあの子と幸せになってくれれば。
 あなたの笑顔が私の幸せ。たとえその笑みが一生私に向けられる事は無いとしても。あなたの
 瞳に、一生私の姿が映る事がないとしても」
「パメラさーん?」
(パメラさんって、相手はロードフリードさんでも誰でも良くて、ただ恋愛してる気分を
 楽しみたいだけじゃないのかなあ)
一人で身もだえているパメラはほっておく事にする。
(ロードフリードさんが好きな子、って)
その事が、ちくちくした棘のある種のように胸の中に引っかかっている。
(誰なのかな。その子が、ちょっとだけうらやましいな)
そう想いながら、ヴィオはさっきロードフリードにもらったビンに目を落とした。


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